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化物の餌  作者: 黒月水羽
化物の餌
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足手まといって僕のことでしょう

 晃生が来ない。そのことに気づいた時、慎司の心臓が大きな音を立てた。振り返っても晃生の姿がない。耳を澄ませても近づいてくる気配がない。その事実に心臓の音が大きくなる。


「こ、晃生君は……?」


 小声で鎮に話しかけるが、鎮は険しい顔をして自分たちが走ってきた方向をにらみつけている。

 少し前は一緒にいた。逃げろという晃生の声が聞こえて、それで必死に走った。ただでさえ慎司は晃生と鎮に比べて動きが鈍くて足手まといだ。この場で二人の足を引っ張ってはいけないととにかく必死だった。

 だから、晃生が着いてこないことに気づかなかった。


「……咲月になにか言ってたのが聞こえた。俺たちが逃げる時間を稼ごうとしてくれたんだと思う」


 鎮の言葉に血の気が失せる。それは間違いなく自分のためだ。鎮と晃生が本気で走れば慎司と同じくらい小柄な咲月から逃げられたかもしれない。

 けれど慎司がいた。慎司は晃生たちが全力で走ればついていけない。それが分っているから二人は慎司が着いてこれるスピードで今まで逃げていた。


 服の裾を握りしめる。なんで自分は足を引っ張ってばかりなのかと涙があふれそうになる。でもそれをぐっとこらえて、晃生が残った方角をにらみつけた。


「戻ろう。晃生君を助けなきゃ」

「……このまま逃げるって手もあるぞ?」


 鎮の言葉に慎司は言葉が出なかった。そんなことを鎮がいうとは思わず、信じられないという顔で鎮を見る。しかし鎮の顔は慎司よりも険しく、本心からの言葉ではないというのがよく分った。


「……晃生がなにも考えずに残ったとは思えないし、追いつく算段はあるんだと思う。だとしたら、俺たちはアイツの足手まといにならないように先に逃げた方が……」

「足手まといって僕のことでしょう」


 慎司の言葉に鎮は罰の悪そうな顔をした。


「分ってる。二人の足を引っ張ってることは。僕がどんくさいせいで二人には迷惑をかけてる」


 下を向いて唇を噛みしめる。臆病で一人でなにも決められない。いつも二人に決めてもらって、二人の後ろをついてきた。それでなんとかなるとどこかで思っていた。鎮も晃生も同い年とは思えないほど落ち着いてかっこよく見えたから。

 だが、咲月の姿を見て思った。ここから逃げるためには足手まといはいらない。


「戻ろう。晃生君がいないなら逃げる意味なんてない」

「でも……」

「僕が転んだり、走れなくなったらおいていって構わない」


 鎮が目を見開いて固まった。本気か。と固い口調で聞かれて頷く。

 本音をいったら嫌だった。おいていって欲しくない。一緒に逃げたい。こんな場所にいたくない。

 けれど、ずっと二人のお荷物になってるのも嫌だった。自分がいなければ二人はもっとうまく逃げられたのではないか。そんな思いがいつも慎司の頭にちらついていた。

 晃生を置いて無事に逃げ延びられたとしても絶対に後悔する。それが分かっているのに逃げることなんてできなかった。


「三人で逃げるって約束したんだよ」

「……なら、慎司のことは俺が抱えて逃げる」


 鎮は有無を言わせぬ気迫でそういうと元来た道を戻り始めた。無理だと説得しようにも鎮は慎司と一切目を合わせない。仕方ないので説得は後回しにして鎮の隣に並ぶ。


 森は静かだ。自分たち以外の動物はなにもいなくなってしまったかのように静寂が満ちている。なにか恐ろしい化物が待ち構えているようで足がすくむ。それでも無理矢理動かして歩き続けた。


 晃生と離れてどれほどたったのか分からない。戻って、晃生が血まみれで倒れていたら。そんな嫌な想像をして焦ったが、むやみに騒いだり走ったりして晃生の足を引っ張る可能性もある。

 一歩、一歩が重い。

 時間にすればたいした時間ではなかったろうが、やけに長く感じられた。


 咲月に見つかった辺りだ。そう分る場所まで戻った時、視界に入った真っ黒な着物をきた人物に慎司と鎮は息を飲んだ。


「ふーん、見捨てず戻ってきたか。なかなか友達想いだな」


 軽い口調のリンは両脇に人を抱えていた。片方は血ぬれの咲月。もう片方にはぐったりした晃生。


「晃生君になにをした!」


 とっさに叫んだ慎司を鎮が慌てて止めた。なんで止めるのかと鎮を見上げた慎司は、鎮の表情を見て固まる。鎮は今にも泣き出しそうな顔で晃生を凝視していた。


「さっすが岡倉、状況把握が早い。ご想像通り、コイツらは俺が食った」


 そういってリンは物みたいに晃生の体を揺すってみせる。しかし晃生は一切反応しない。人形のように脱力した手足。

 地面に倒れ動かなくなった星良を思い出した。


「なんで! なんで、晃生君を!」

「なんでって、元々コイツが御膳だっただろうが」


 リンは子供のような顔で首をかしげた。


「俺としてはいっぱい食ったし、別によかったんだけどな、羽澤の人間ばっかりくって、お前ら手つかずだと後々ごちゃごちゃ言う奴いっぱい出てきてめんどくさそうだなと思って。お前らのうち誰か食っとくかーって探してたら、ちょうどコイツらが一緒にいたから」


 リンは場にそぐわない笑みを浮かべて語る。世間話でもするかのような軽さに歯を見せて快活に笑う姿。それと話す内容があまりにも不釣り合いで頭が混乱する。


「そんな……理由で?」

「そんな理由って、なんだ、お前が食われたかったのか?」


 リンが目を細めて慎司を見た。それに慎司は一瞬後ずさってしまう。後ずさってしまった自分に嫌悪を覚えた。


「食われたくないっていうのは人間の正常な判断だ。悔やむことじゃねえよ。誰だって生き残りたい。死にたくない。お前は家族がいるんだろ。養うためにここに来たんだろ?」


 なんでそれを知っているのか。

 慎司が驚きをあらわにしてもリンは赤い瞳を細めて愉快そうに笑うだけだった。すべてを見透かすような赤い目に慎司は改めて恐怖を覚える。


「よかったじゃねえか、お前は生き残った。御膳祭はこれでおしまい。コイツは家族もいねえし、食われたところで悲しむものもいない。ちょうどいい」


 リンはそういうとひょいっと晃生を肩に担ぐ。あまりにもあっさりと担ぎ上げられた晃生は魂どころか中身までなくなってしまったようで手足から力が抜けていく感覚がした。


「部外者にしてはよく頑張ったじゃねえか。お前らは逃げ延びた。それは俺が保証しよう。羽澤家の連中にもお前らにはもう手を出すなって伝えとく。これでハッピーエンド。まあーるく納まったな」


 一方的にそういうとリンは鼻歌交じりに慎司達に背をむけた。まって。と慎司は叫ぼうとしたが鎮が慎司の口を押える。離してくれ。そういって暴れようとしたところで、ぽたりと滴が頬を伝った。自分の涙ではない。では誰の。

 慎司が見たのは、静かに涙を流す鎮の姿だった。


「……慎司まで死なないでくれ……」


 そうつぶやいた鎮の目からさらに涙がこぼれる。ぽたり、ぽたりと慎司の頬をぬらすそれに慎司も目から涙があふれた。


 か細い三日月の明かりの下。慎司と鎮はくずれるように座り込む。涙が止めどなくあふれて、嗚咽がもれる。

 自分たちは生き残った。それなのに少しも嬉しくない。


「僕……晃生君がなんでお兄さんのことを調べにこんなところまで来たのか分らなかったんだ……」


 自分とは違って晃生は羽澤家がおかしいことを知っていた。知っていてもわざわざ身一つで飛び込んだ。その理由が慎司にはよく分らなかった。


「でも、今わかった」


 慎司は地面に爪を立てる。自分をかばって残り、リンに見つかった晃生のことを思った。


「置いてかれるってこんな気持ちなんだ……」


 喉の奥が熱い。どこに怒りをぶつければいいか分らない。胸の中で暴れ回る激情をどう言葉に表現すればいいのか。たしかにこれを抱えて生きるのは苦しい。だからこそ思う。

 こんな感情、一生知らずにいたかった。



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