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化物の餌  作者: 黒月水羽
化物の餌
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鎮、ここがどの辺りか分るか?

 周囲に人の気配はない。そのことを確認して晃生は息をつく。茂みの中に隠れた鎮と慎司も周囲への警戒は続けながらも呼吸を整えている。


「鎮、ここがどの辺りか分るか?」


 小声で話しかけると鎮はポケットからコンパスを取り出した。事前に目指す方角を確認していたため行き先はわかる。

 鎮はコンパスを見ると、向こうだなと暗闇が深い方を示す。

 何事もなければ怖じ気づいてしまいそうな暗闇。向こうからは一切の物音がしない。それに今はほっとする。物音がしないということは咲月もリンも近くにはいないと考えていいのだろう。


「少し、休憩するか」

「……走りっぱなしだったしな」


 鎮と小声でささやきあう。慎司をみれば荒い息をどうにか整えようとしているところだった。このまま走り続けて、いざというときに力尽きてしまうのも怖い。これからどれほどの間走ればいいのかも分らないのだ。


「……咲月のアレ、なんだか検討がつくか?」

「……咲月様が本当に双子の上だっていうなら……」


 呪い。そんな言葉が晃生と鎮の頭に浮かんだ。しかしそれを口にするのは勇気がいった。口に出したら取り返しがつかない。

 悪魔にも魔女にも会った。羽澤家が呪われている事実を直接聞いた。それでも本気で信じてはいなかった。人が化物に変わる。そんなわけがないとたかをくくっていた。


 角が生え、血を浴び、笑い声をあげていた咲月を思い出し、羽澤家が双子の上を隔離した理由がわかってしまった。あんな風に変わってしまう可能性が少しでもあるのなら、恐れ隠してしまうことを誰が責められるだろうか。


「……羽澤家はおかしいよ……」


 慎司が震える声でつぶやいた。呼吸は落ち着いたようだが、逃げるために後回しにしていた恐怖が追いついてしまったらしい。自分の体を抱きしめて震えている。

 鎮が慎司を落ち着かせるようにその背を撫でた。少しだけ肩の力をぬけた慎司を見て、晃生は鎮が示した方向を向く。


「だからこそ逃げよう……。逃げるしかない」


 こんなところに長居したくはない。咲月に見つかってもリンに見つかっても、他の羽澤の人間に見つかってもただでは済まされないだろう。顔を見合わせて頷き合う。ここまで来たのだ、どうにか三人で逃げ延びたい。


 周囲に誰もいないかを確認し進もうとしたとき、ガサリと音がした。慎司と鎮を見る。二人とも自分じゃないと小さく首を振った。二人の顔は青ざめている。自分の顔も青ざめているだろうと晃生は思った。


 ガサリ、ガサリという音はどんどん大きくなる。木の枝を踏む音がすぐ近くで聞こえた。

 息を潜め、姿勢を低くする。慎司は両手で口を塞ぎ、鎮はすぐに飛び出せるような体勢で音の正体を探っている。


 獣ではない。人だ。暗闇で見えるシルエットは小柄だ。それだけで正体が分ってしまい呼吸が乱れる。静かな森の中では呼吸の一つがやけに響くように感じた。幸い咲月は晃生たちには気づいていないらしくゆっくりと進んでいる。周囲を探っているのか、なにも考えずに歩いているのか分らない。

 淡い月の光で見えた咲月の姿は一層血で濡れていた。ナイフを持った手は真っ赤に染まり、血がポタポタと滴り落ちている。突き出た角は黒色だった気がするが、所々変色して見える。


 元の色が分らないほど赤に染まった服を見て、あの後何人殺したのだろうと血の気が失せた。咲月の足取りは落ち着いている。それだけに狂気を感じた。


 気づかず通り過ぎてくれ。そう祈りながらじっと咲月を観察する。呼吸を落ち着かせようとするがうまくいかない。酸素が薄く感じ、今にも倒れそうなほどの緊張で手が汗ばむ。

 一歩、また一歩と咲月との距離があく。お願いだからそのまま通り過ぎてくれ。そう思ったとき、咲月の体がぐるりとこちらを向いた。


「見つけた」


 咲月の口が弧をえがく。新たな生贄を見つけた喜びに目が輝く。だらりと下がっていた手を上げ、ナイフを構えた咲月を見て晃生はとっさに叫んだ。


「逃げろ!」


 鎮が尻餅をついた慎司を無理矢理立たせる。晃生もその背を押しながら走り出した。鎮がコンパスで確認した方向。自分たちが唯一助かる見込みがある方角へ。


「お前ら、生きてたんだな!」


 喜色のにじんだ咲月の声。初めて聞く喜びをあらわにした声だが今の状況ではなにも嬉しくはない。まだ狩れる獲物が残っていた。その事実を噛みしめるように咲月は笑うと追いかけてくる。


「お前が恨んでるのは羽澤の人間だろ! 俺たちは関係ない!」


 逃げながら叫ぶ。恐怖で足がもつれている慎司を少しでも遠くに逃がすため時間を稼ぎたかった。もくろみは成功したらしく咲月は足を止める。それにあわせて晃生も足を止めた。この間に少しでも遠くへ鎮と慎司が逃げてくれることを祈って。


「……たしかに、お前らは関係ないな。お前らは羽澤の人間じゃない」


 淡々と咲月は話す。掲げたナイフをだらりと下げ、焦点の合わない目で感情ののらない言葉を口にする。見ているだけで不安になる状態だった。咲月の精神は壊れている。

 入学式、体育館で見かけた姿を思い出す。あの時晃生は思った。咲月も自分と同じように誰かを失っている。それは勘違いではなかった。


「お前の弟だって、お前が手を汚すことは望んでいないだろ」


 その言葉で生気の抜けていた咲月の目に怒りが宿った。マズい。そう思った時には遅く、ナイフが目の前で光る。

 ギリギリで避けられたのは奇跡に近かった。首をかすめたらしく血の滴る感触がする。容赦なく急所を狙う咲月の動きに寒気を覚えた。


「お前がそれをいうのか。お前だって俺と一緒だろ。兄の死に納得がいかずにここまで来たんだろ!」


 咲月の怒鳴り声。それだけで頭を殴られたような気がした。

 そうだ。その通りだ。晃生は兄の死が納得いかなかった。だからここまで来た。兄は復讐なんて望んでいない。手紙にも書いてあった。羽澤家には関わるなと。


「咲月が望んでいない!? ああ、知ってるよ! アイツはそんなこと望まない! 俺を救うことは出来ないからせめて、俺の人生をあげる! そういって死んだんだ! 俺が幸せになることを望んでるんだよ咲月は! こんな風に人を殺して化物になることなんて望んでいない!」


 痛々しい声だった。咲月は一滴の血も流していない。けれど心はどうだろう。怒りを叫べば叫ぶほど、誰かを殺せば殺すほど、咲月の心は血を流し、死んでいく。それでも止め方が分らない。どうしていいか分らない。その激情に晃生は覚えがある。

 自分だってそうだった。だから兄の忠告も聞かずにここまで来たのだ。


「自分のことは忘れて幸せになれという。それが咲月だ。それが俺の弟だ。知ってる。分ってる……けどなあ……」

 涙に濡れた瞳が晃生をにらみつけた。


「できるわけないだろう! たった一人の弟だったのに!」


 兄の手紙を初めて読んだ日。それを握りつぶした日を思い出した。あの時自分もそう思った。

 手紙一つで帰ってこなくなったことを許せるはずがない。ろくな説明もなく羽澤家から遠ざけようとしたことも、お人好しが行きすぎて他人をかばって死んだことも。そのくせ残された俺たちの幸せを願う身勝手さも。


 忘れられるはずがない。なかったことになんて出来るはずがない。兄がいなくなって両親はおかしくなった。幸せだった世界は壊れた。

 理由が知りたかった。なんで兄は帰ってこなかったのか。なんで俺たちをおいていってしまったのか。


「俺は、兄貴が抜け殻になったのが納得いかなかった……」

 血を吐くような声が出た。喉が熱い。目も熱い。それでも涙は出なかった。


「兄貴のことは大好きだ。でも同じくらい大嫌いだ。俺をおいていったこと、親父やお袋をおいていったこと、一生許さない!」


 他人のために身を捧げる。それは美徳ではないきれい事だ。それで大勢の他人が救われたとしても、身を捧げた一人を愛していた人はどうなる。大勢よりもただ一人の帰りを待っていた家族はどうなる。誰かを救った英雄だからと悲しみも憎しみも飲み込まなければいけないのか。それでも幸せになれると思っていたのなら、兄貴も本物の咲月も大馬鹿ものだ。


「お前だって許すな! お前のことをおいていったバカな弟のことなんて!」


 晃生の怒鳴り声に咲月は固まった。考えもしなかったというように目を見開いて晃生を見つめる。


「俺たちは文句をいう権利がある! 相談もせずに勝手に決めて、なにが幸せを願っているだ。ふざけんな! 俺の幸せには兄貴が入ってた! お前だってそうだろ!」


 咲月の目が揺れた。手からナイフが滑り落ちて、血に濡れた手で顔を覆う。一瞬見えた顔は涙で歪んでいた。


「ああ……そうだ。咲月がいた。咲月がいない幸せなんてあり得なかった……」


 覆った手から涙がこぼれる。膝をつき顔を覆い、しゃくり上げながら泣き出した咲月を見て晃生もまた泣きたくなった。

 兄が抜け殻になった事を認められずに泣けなかった自分。あの時の自分が泣いている。そんな気がした。


 一歩、また一歩、咲月に近づく。

 晃生が近づいても咲月は泣き続けるだけでナイフを拾おうともしなかった。小さくなって泣き続ける姿にどうしようもなく胸が苦しくなった。


「お前も、一緒に逃げよう」


 手を差し出す。

 咲月は涙に濡れた顔を上げた。信じられないという顔で晃生を見上げる。


「これは打算も含まれる。お前が一緒にいてくれた方が俺たちは逃げられる可能性があがる」


 突き出た角は人ではなくなってしまった証。咲月を見た羽澤の人間が策もなく咲月に近づくとは思えない。羽澤家の準備が整う前に森を抜け約束の場所にたどり着く。そうすれば自分たちの勝ちだ。


「俺たちが助けて貰おうとしている組織には人ではない者が所属してる。だからお前もなんとかなるはずだ」


 咲月は戸惑った様子で晃生の顔と、晃生の差し出した手を何度も見つめた。それから真っ赤に塗れた己の手を見て、覚悟を決めた顔で晃生を見上げる。


「お前は、俺が怖くないのか?」

「正直怖いが、お前よりも怖いのに何人かあった」


 悪魔、魔女。それにセンジュカもかなり怖い部類にはいると晃生は睨んでいる。それらに比べるとまだ生まれたばかりといえる咲月は可愛い部類に入る気がした。

 少なくとも弟を思って号泣した姿を見た後では恐ろしいという感情だけで突き放すことは出来ない。咲月が抱えてきた感情は晃生だって捨てられなかったものだ。


「だから、大丈夫だ。鎮と慎司には俺が説明する。だから」


 そういってさらに手を差し出す。咲月はじっとその手を見つめていたが、少しずつ晃生の手へと自分の手を近づけた。あと少しで重なる。そう思った時。


「なかなか感動的なシーンだけどな。そうなるとちょっと困るんだよなぁ」


 空から、今一番聞きたくない声が降ってきた。



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