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化物の餌  作者: 黒月水羽
化物の餌
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お前らのせいだ!

 由香里は木の幹によりかかり荒い息を整えた。

 咲月の投げたナイフが男の喉に突き刺さった光景。それを見ると同時、後先を考えずあの場から逃げ出した。自分の役目も忘れて、助けてくれた友達を裏切ったことも忘れて、姉を助けなければいけないという決意も忘れて、ただ恐怖に駆られて逃げた。


 森の中をがむしゃらに走って、逃げて、逃げて、息が切れて走れなくなるまで逃げ続けて。周囲に誰もいないと気づいた今、やっと考える余裕ができた。

 そうして由香里は気づく。自分はなんて最低なのかと。


「姉さんを助けるためっていってたのに……」


 木の幹に体を預けずるずるとしゃがみこむ。悔しさで涙がにじんだ。醜い心に気づいてしまったいま、体が動かなかった。


 姉のため。そう繰り返して本心にそぐわないことを何度もやった。嫌いな大人に愛想を振りまいて、おしとやかで賢く物わかりのよい子供を演じきった。なにも知らない人間を生贄に捧げようとし、差し伸べられた手を振り払って羽澤に売った。

 すべて姉のため。だから仕方ないのだと言い聞かせてきたけど、本音は生き残りたい。ただそれだけだった。


「最悪だ……」


 周囲には誰もいない。暗い森の中。どこにいけばいいのかも分らない。そもそも帰る場所などあるのか。あの場を逃げた今、家に帰って義母が迎え入れてくれるかも分らない。晃生たちが無事に逃げられたのかも、咲月がどうなったのかも由香里には分らない。


 どうせ逃げることになるのなら勇気を出して、晃生たちを信じれば良かった。そんな身勝手なことを思い地面に爪を立てる。土で指が汚れるがどうでもよかった。むしろ自分にはお似合いだと由香里の顔に自嘲がうかぶ。


 信じていれば晃生たちは一緒に逃げてくれた。少なくとも今、こうして暗い森の中、一人で恐怖と後悔に押しつぶされることなんてなかったはずだ。


「姉さん……」


 すがるようにつぶやいた言葉にますます嫌気がさした。自分が悪いのに。自ら一人になったのに、それでもなお助けを求めてしまう。そんな自分の弱さに気づいて由香里は頭を振る。


 もう帰る場所はない。逃げるしかない。幸い、姉は魔女の館で待っていると聞いた。いくら咲月でも魔女にはかなわない。姉は無事でいるはずだ。


 魔女の館に向かおう。そう決めた由香里は震える足に力をこめて立ち上がった。

 姉を理由にすべてを裏切ったのだ。だから姉だけは助けなければならない。それだけしか由香里にはもう残されていなかった。


 今にもくずれそうな心と体にムチ打って周囲を見渡す。魔女の館がどの辺りにあるのか、ここがどこかのか由香里にはまるで分らない。それでも由香里は進もうと決めた。とにかく奥へ、暗い方へ。そうやって進んでいけばたどり着くのでは。そんな不確かな考えで進み始める。


 ガサリと大きな音がした。それからガサガサとなにかが近づいてくる。由香里は音のする方を凝視した。

 動物にしては大きい気がする。人だとしたら一体誰か。由香里のように逃げ出した人だろうか。咲月だったらどうすれば。

 考えている間にどんどん音は近づいてきて、由香里の前に人影が現れた。思わず後ずさった由香里の視界に入ったのは男。顔に覚えはない。おそらくは航たちが引き連れてきた羽澤家の人間。


 咲月でないことに由香里はほっとした。胸をなでおろしたところで奇妙な点に気づく。男は由香里よりも薄汚れていた。後先考えずに藪の中を進んできたかのように上質そうな服は裂け、手や頬には枝に引っかかったような切り傷がある。


「大丈夫ですか」

「……の……い……」


 由香里が声をかけると男はなにかをつぶやいた。聞き取れずに戸惑う由香里に血走った目を向ける。赤く充血した、正気を失ったような目に由香里は短い悲鳴を上げた。


「お前らのせいだ!」


 男はそう叫ぶと由香里に向かって飛びかかった。由香里の体を押し倒し首を締め上げる。由香里の手よりも一回り大きな手。なんとかはずそうともがいてもびくともしない。


「お前らが悪い! さっさとお前らが生贄になってればこんなことにはならなかった! お前らのせいだ! お前らが悪いんだ!」


 男はそういいながらいっそう強く締め上げる。力を入れすぎて血管が浮き上がり、顔は赤く、唾をはきながら同じ言葉を繰り返す様は人間とは思えないほど狂気に染まっていた。


 私が悪いのか。さっさと死ねば良かったのか。


 薄れゆく意識の中で由香里は考える。そんなことを言われて素直に死ねる人間がどれほどいるだろう。目の前の男だって急に突きつけられた死におびえ、こうして由香里に怒りをぶつけている。

 だったらなぜ私は死ねと言われたのだろうか。姉は森の中に閉じ込められたのだろうか。ただ身寄りがなく、たまたま一卵性の双子だった。ただそれだけの理由で。


 怒りがわいた。理不尽だと思った。生き残るためには仕方ない。そう思って生きてきたが、そんなことはなかった。私は怒って良かったし、あがいて良かったのだ。


 そのことに由香里はやっと気づいたが、いま気づいたところでどうにもならない。由香里が必死に暴れても男の手は少しも緩まない。


 目に涙がうかぶ。このまま死ぬのか。姉に会えないままで。そう思ったらボロボロと涙がこぼれた。せめて一度、もう一度だけでいいから姉に会いたかった。


「由香里!」

 だからその声が聞こえたとき幻聴だと思った。


 自分によく似た声。白くぼやけ始めた視界に誰かが駆け寄ってくる姿がうつる。それは自分によく似ている。


 姉――絵里香はきっと自分と同じように成長しているはずだ。

 会うことが許されず、手紙でしか連絡をとることはできなかった。だからいつも想像した。絵里香はどんな風に過ごしているだろうと。

 髪を伸ばしている。そう手紙に書くと、絵里香も伸ばすといった。同じ髪型、服装をしていれば双子の私たちは鏡を通してあえるからと。だから服装も出来るだけ近いものをそろえるようにした。


 鏡を見ながら何度も考えた。絵里香は同じように成長しているだろうか。これだけ離れて、暮らす環境も変わって。それでも双子といえるだろうかと。


 由香里は絵里香のように優しくはなれなかった。だからこそ姿だけはそっくりなままでいたい。そんな由香里の願いをそのまま形にしたような少女がかけよってくる。

 それは間違いなく双子の姉、絵里香だった。


 あえて嬉しい。それ以上にダメだ。そう思った。私なんかを助けようとしたら絵里香まで殺されてしまう。

 逃げて。来ないで。そう言いたいのに口から出たのは空気だけ。最後の力を振り絞って男の体を蹴り飛ばそうとするが、酸素が足りない状態では体もうまく動いてくれない。


「安心したよ。人間はそういうものだよね」


 絶望のなか聞こえたのは知らない声。女性に聞こえるが口調は少年のようで、若々しい声だというのに老成した雰囲気もある。

 その声が聞こえたとたん由香里を抑えつけていた手が緩む。由香里の目に入ったのは狼狽した男の顔。そして由香里の首を締め付けていた男の手が黒く変色し、ボロボロと崩れ落ちる光景だった。


「お、俺の手が……! 手がっ!」


 男が叫びながら立ち上がる。男の手から解放された由香里は咳き込み、大きく息を吸い込んだ。止まっていた酸素が体を巡る。大きく息をすってはく。何度もそれを繰り返している間も男の絶叫は途切れず、気づけば背中に誰かの手が置かれた。


 涙でにじんだ視界で見上げるとそこには自分とうり二つの顔をした少女がいた。由香里を心配そうにのぞき込む鏡のようにそっくりな少女。


「絵里香……」


 名前を呼ぶと絵里香は微笑む。それから由香里を力いっぱい抱きしめた。生きてて良かったというか細い声が耳に届いて、由香里もまた絵里香の背中に手を回す。


「な、なんで双子がここにいる! お前もか、お前も掟を破ったのか!」


 怒鳴り声に顔をあげると顔を怒りで染め上げた男が由香里たちをにらみつけていた。男の腕は黒く変色し、手先からボロボロと崩れて落ちていく。それをどうにか止めようと己の体を抱き締めるが崩壊は止まらない。


 なにが起こっているのか由香里には理解ができなかった。男も分かっていないのだろう。顔を恐怖で染め上げて支離滅裂な言葉を繰り返す。

 狂気にぬれた瞳が由香里をなぶる。首を絞められた恐怖から動けない由香里をみて、絵里香がかばうように前に出た。由香里は慌てて絵里香の服を引く。せっかく会えたのに、このままでは絵里香が危険な目にあう。そんなのはダメだと強く思った。


「なぜ血を分けたというだけで、そこまで出来るのか」


 再び中性的な声が辺りに響く。耳を傾けなければいけない。そう思わせる強い声。

 男も由香里と同じことを感じたらしく動きを止め、声の方へ顔を向ける。つられた由香里の目にはいったのは闇。真っ黒なドレスに黒いヴェールで顔を隠した、闇から産まれたような女性。


「魔女……様……」


 獣のように騒いでいた男がか細い声を出す。ガタガタと震える男の姿が視界の端に映ったが由香里は黒い女性――魔女から目が離せなかった。


「双子だからか。同じ腹で共に育った半身だから、そうまでして守ろうとするのか」


 魔女は男に一切視線をむけない。由香里と絵里香にだけを見て、問いの答えを待っている。なぜという疑問が浮かぶよりも先に、答えなければいけない。そんな使命感に突き動かされ由香里は問いの答えを考える。


 いや、考えるまでもない問いだった。由香里には絵里香しかいない。

 親の顔すら覚えていない。施設の人はやさしかったが他人だった。いずれはでていかなければいけない場所。由香里の支えにも拠り所にもなってはくれない。ただ一人でいきる準備をするだけの場所。


 そこには由香里だけのものはひとつもなかった。由香里のものは皆のもの。部屋も服もオモチャも、誰かが貸してといったら貸してあげなければいけない。みんなで仲良く。大人はそれを望んでいたから。

 でも絵里香は違う。絵里香は最初から由香里だけのもので、由香里も絵里香だけのものだった。心のよりどころであり、安心して身を預けられる世界で唯一の存在。そんな存在を失って一人で生きていけるほど由香里は強くなかったろ。


「私には絵里香しかいないから」


 だから正直に告げる。魔女がなにを思って由香里にあんな問いを投げかけたのか分らない。それでも本音を答えなければいけないことは分った。


 絵里香の手を握りしめ魔女をじっと見つめる。ヴェールに隠された瞳と目があった気がした。


「分らない。ずっと見てきたが少しも分らない。あそこまでどうして執着出来る。自分を投げ出せる。私には理解が出来ない」


 魔女は額を押えて頭をふった。由香里と絵里香のことをいっているのではないと分った。けれど誰のことなのかは分らない。意味がわからずに魔女を見つめていると魔女は息を深く息をはいた。


「お前たちは逃げるといい。ここをまっすぐに進めば約束の場所だ」


 魔女はそういうと森の奥を指さした。由香里が向かおうと思っていた方角とは反対方向だ。


「な、なぜですか魔女様! この二人は双子! あなたが呪った双子です!!」


 黙っていた男が急にわめきだした。ボロボロと崩れ落ちる体を諦め悪く抱き締めながら必死の形相で魔女にすがる。魔女は男の存在をようやく思い出したという様子で男をみる。それから冷たい声でいった。


「私が呪った双子ではない。この二人には羽澤の血は流れていない。お前らが勝手に連れてきた、呪いとはなんの関係もないただの人間だ」


 男は信じられないという顔で魔女を見上げた。その間にも男の体はボロボロと崩れ落ちていく。足が崩れ、ついにはその場に倒れ込む。芋虫のように地面をのたうちながら男は魔女を見て、それから由香里たちをにらみつけた。


「お前らのせいだ!」


 憎悪のこもった声と顔。心臓が一瞬止まったような感覚に由香里は胸をおさえた。


 自分のせいかもしれない。もっとうまく立ち回れば晃生たちを説得できたかもしれない。星良ではなく自分が生贄に立候補していれば状況は違ったかもしれない。

 目の前で起こった惨劇は、いま男の体がボロボロと崩れて死んでいくのは、すべて自分のせいかもしれない。


 それでもいいと由香里は思った。

 自分のせいだとしても絵里香が共にいるなら生きていける。


 絵里香の手をとり歩き出す。口汚く罵る男の声が激しくなる。それでも振り返らずに進み続ける。魔女が示した方角へ、ただまっすぐに。


「由香里……」

「絵里香、今度こそ二人で幸せになろう」


 羽澤の人間は、晃生たちは由香里を恨むだろう。自分はその憎悪を受け止めなければいけない。きっと後悔する。自分がしてきたことを思い出してこの先何度も苦しむだろう。

 それでも生きようと決めた。こんな憎悪にまみれた世界に絵里香を一人残して行くことなんて出来ないから。


 最後に魔女のことが気になった。

 振り返ると魔女は動かずそこにいた。ヴェールに隠された顔がどんな表情を浮かべているのか、由香里には想像すら出来ない。それでもじっと、こちらを見送ってくれているのは分かった。


「魔女様! ありがとうございます!」


 絵里香が泣きそうな声で叫ぶ。由香里はそれを見ていることしか出来なかった。魔女は絵里香と由香里をしばし見つめて首を左右に振った。


「貴様らが私に向ける言葉は感謝ではない。憎悪だ。恨め、憎め、お前らがうけた苦しみは元々は私のせいだ。私が羽澤家を、双子を呪ったせいだ」


 だからなにも気にすることはない。そう魔女は伝えたかったのだろうと思った。しかしそれを確かめる時間を与えず、瞬きする間に魔女の姿は消えた。

 残ったのは風に揺れる木々の音とフクロウの声。地面に倒れる男の怨嗟の言葉。


「……行こう、絵里香」

「……うん」


 しっかりと手をつなぐ。ずっと会えなかった時間を埋めるように。不安と恐怖を打ち消すように。

 この先になにが待っているのかは分らない。無事に晃生がいっていた場所にたどり着けるのかすら。それでも由香里はまっすぐに前を見て、絵里香の手を握りしめ走り出した。


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