みんなが言ってるだろ。羽澤様、本家様って
羽澤快斗は退屈していた。
使用人に買ってこさせた雑誌は読みおわってしまったし、テレビも興味のないものばかり。暇つぶしに 知り合いに電話していたら長いと航に怒られてしまった。煩わしいだけの仕事にいかなくていいのはいいが、羽澤の敷地から出られないのは快斗にとって退屈すぎた。
「なー航兄さん、ちょっとぐらい遊びにいってもいいだろ」
同じ部屋にいる航に声をかける。快斗が部屋で暇つぶしをしている間ずっと、なにがそんなに忙しいのかひたすら仕事をしていた。快斗と同じく御膳祭が終わるまで羽澤の敷地内で待機していろ。そう父に言われている立場だが、快斗と違ってだらだら過ごすつもりはなさそうだった。
「お前のちょっとは数日帰ってこないだろ」
視線すら向けず、ひたすらワープロに打ち込みを続けている航の返事はそっけない。
航のいっていることは事実であるため快斗は大人しく黙りこんだ。今までも面倒くさい行事のたびに少しだけ、ちょっとだけ、といって家をでてそのまま行方をくらましたことがある。父はもはやあきれてなにも言わないが航はいまでも口うるさく小言をいう。いつまで続くか分からない小言を聞き流すのも面倒なので、快斗は大人しく家にいることを選んだ。
退屈しのぎにディスクで仕事を続ける航を見つめる。家にいるとは思えないほど姿勢よく、ひたすらにキーボードをたたき続けている姿はロボットのようだ。机の上に積まれた仕事の資料の山は几帳面にファイリングされ付箋が貼ってある。快斗からすると真面目すぎる姿に自然と顔が引きつった。
もともと生真面目すぎる航ではあったが、社会人になってからというもの働かないと死ぬかのように動き回っている。そこまで航が働きづめになる必要などないのにだ。羽澤当主の息子、しかも長男という地位である航は率先して働くどころか他人をこき使っても許される立場である。もっと肩の力抜いて適当にやればいいのにと快斗はため息をついた。
「兄さんもさー、たまにはクラブとかいって遊ぼうぜ? 仕事ばっかしてないで」
ソファの背もたれによりかかりながら航を見る。航は快斗の言葉が聞こえていないかのように、ワープロの画面をにらみつけ続けている。表情が硬く、ただたっているだけで睨んでいると勘違いされる航が真剣な顔で画面をにらみつけている姿は迫力があった。
といっても快斗はそんな航を見慣れているのでなんとも思わない。航をよくしらない使用人がみたら機嫌が悪いと勘違いするかもしれないなとぼんやり思った。
「俺たちまだ若いんだし、もっと遊ぼうぜ。仕事なんて適当な奴に押しつければいいだろ」
「お前は羽澤家の本家に生まれたという自覚が足りなすぎる」
やっと手をとめた航は快斗をにらみつけた。先ほどの怒っているように見える顔ではなく本当に怒っている顔だ。それに航は肩をすくめた。
航と快斗は兄弟の仲でも共に過ごす時間が長いがどうにも意見はあわなかった。
「兄さんこそ、次期当主の威厳をみせてくれよ。それじゃ小間使いじゃねえか。羽澤本家の人間がそんなんじゃ恥ずかしいって」
「……本家の人間だからこそだ。下の者に尊敬されるような人物でなければ一族を支えることなどできない」
「んな努力いらねえって。俺たちは選ばれたんだ。羽澤家はみんな選ばれた人間だけどだな、その中でも俺たちは特別だ」
快斗は口角をあげるとふんぞりかえる。自信に溢れた表情を見て航は眉を寄せた。
「お前のその自信は一体どこからくるんだ」
「みんなが言ってるだろ。羽澤様、本家様って」
両手を広げてそういうとあきれた顔で航は嘆息した。完全にバカを見る目を向けられたが快斗からすると航の反応こそおかしく思える。
羽澤家は恵まれた一族である。地位を持ち、名誉を持ち、歴史を持つ。財力もあれば権力も人脈もある。そんな一族の頂点に生まれたというのに航には昔から余裕がなかった。長男でありながらリンからの評価が「普通」止まりであったためである。
羽澤家は昔からリンの選定を重要視する。羽澤に生まれた子供をリンの元に連れて行き評価を貰うのだ。長男として期待された航の評価は「普通」。そして今度こそはと期待された次男の快斗の評価は「バカ」だった。
これに両親は大層あせったらしい。周囲からのプレッシャーもあったうえ、次にも優秀な子供が生まれなかった場合、次の当主は我が子ではなくリンに気に入られた子供になる。そうなると羽澤の勢力図が変わり、自分たちは頂点から引きずり下ろされる。それを長年羽澤で生きた両親はよくよく理解していた。
両親の執念というべきか、三男の深里は「優秀」の評価を貰った。これで両親は胸をなで下ろした。ほっとした両親は弟が自分よりも高い評価を得たことで追い詰められた航のことなど見えていなかった。いや、もしかしたら見えたうえで目をそらしたのかもしれない。羽澤家ではそういったことは珍しい事でもなかった。
その後、響がリンに気に入られたことでさらに兄弟の関係は歪んだ。次期当主ともてはやされていた深里は引きずり下ろされ、リンのお気に入りの席には響が収まった。深里を可愛がっていた奴らは手のひらを返して響を可愛がるようになった。
その姿をみて航がなにを思ったのかは快斗には分からない。聞いたところで理解出来る気もしなかった。
快斗はバカと評価されたが、そんな評価少しも気にしなかった。なぜなら、バカと評価された快斗を周囲はもてはやしたからだ。使用人も同じ一族の人間も快斗を可愛がった。否定しなかった。そこにどんな意図があったのかは分からない。幼い子供を懐柔しようとしたのかもしれない。それでも毎日聞かせられた、あなたは選ばれた。素晴らしい人間という言葉は快斗に自信を与えるには十分であった。
リンに選ばれなくとも、自分を肯定してくれる人間はたくさんいる。そう感じた快斗はリンの選定を疑問視するようになった。
リンという存在はもともとうさんくさい。古くから羽澤に住む人の魂を食らう謎多き存在。羽澤内では選定者だの、神だの、悪魔様だの言われているが、他人よりも自分の価値観を信じる快斗からすれば自分を否定した存在が崇高な存在とは思えなかった。
「リン様の判断基準こそ謎なんだよ。深里なんてなに考えてるかわかんねえ薄気味悪い奴だし、響はいつもおどおどしてる臆病者だろ」
だから快斗はリンを否定する。恐れ多いことだと言う者は多いが、快斗からするとリンはただのうさんくさい存在でしかなかった。未だにリンの選定で回る羽澤家をおかしいとすら思っていた。
そんな風に思う羽澤家の人間は少なくない。正面切ってリンに文句をいう度胸がない者が多いが、リンの選定に対して不信感を抱いているものはどんどん増え続けている。そういった者たちが集まり、次期当主は長男である航か次男の快斗にしようと働きかけているのが血統派だ。
「快斗、不敬がすぎるぞ」
生真面目な航は快斗の言葉に眉をひそめた。航だって内心は似たようなことを思っているだろう。そう思っている快斗は二人きりでも長男という立場から本音を口に出せない航を哀れに思った。同時にあきれ果ててもいた。いつまで真面目なふりをして損な役回りに甘んじ続けるつもりかと。
「なにが不敬だよ。いつからいるかも分からない、信憑性があるかも分からない。ただ昔からいるって伝わっているだけの得体の知れない奴だろ」
快斗がそういっって肩をすくめると航は表情を硬くした。快斗の言葉を否定したいようだったが否定の言葉が出てこない。それも当然だ。リンという存在は昔からいる。そう伝わってはいるものの、具体的にいつからいるのか、どうして羽澤家に関わったのか、リンの選定が本当に正しいのか。そういった詳しいことは伝聞のみでしか伝わっていない。
つまりすべては曖昧なのだ。年寄り連中のまことしやかな噂話が途切れず伝わってきただけに過ぎず、本当に神とあがめるべき存在だという証拠は何一つない。ただ昔からの仕来りだから。そういう理由のみでリンの地位は維持されている。




