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化物の餌  作者: 黒月水羽
化物の餌
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悪いけど、急いでるから

 自分を取り巻く空気が明らかに変わっていることに由香里は嫌でも気がついた。教室のドアを開けて入った瞬間、音が消える。教室中の視線が自分に集まり、腫れ物に触れるようにそらされる。昨日まで普通に話していた友達が、由香里をみるなり泣きそうな顔をして下を向いた。

 羽澤家に養子として迎え入れられた日から、こんな日がくるかもしれないことは分かっていた。来なければいい。そう思っていたけれど、来てしまった以上はどうしようもない。ただ覚悟を決めるだけ。逃れられるかもしれないという希望を抱かないように、ただその日を待つだけ。


 自分を腫れ物として扱うクラスメイトを由香里は薄情だとは思わなかった。由香里だって彼らの立場なら同じようにする。たまたま自分がされる側だっただけの話。

 そう自分に言い聞かせて、由香里はいつも通りを装い席へと移動する。由香里の姿を見てなにかを察したクラスメイトたちがぎこちなく、いつもの日常へと戻ろうとする。しかし、どうしても割り切れないのか視線がいくつか集まるのを感じた。それに気づかないふりをして由香里は準備を始める。


「おっはよー」


 教室に明るい声が響く。暗い空気を吹っ飛ばすような声に由香里はつい顔をあげた。ドアを見れば鎮が教室に入ってくるところだった。後ろには晃生と慎司。当たり前のように特待生と共に登校してくる鎮を見て由香里は目を細めた。

 鎮は強い。すべてを知ったうえで特待生と関わった。すべてを知ったうえで明るく振る舞っている。教室の重苦しい空気を払いのけるために。


「由香里、おはよー。早速だけど、今日の数学さ、俺あたりそうな予感がするからノート見せて」


 自分の席に鞄を置きつつ鎮が由香里に声をかけてきた。昨日と変わらない。鎮だってもう知っているはずだ。他の岡倉だって由香里によそよそしい態度をとっているのだから、生贄の選択肢が増えて、由香里が捧げられるかもしれないことを。

 それでも鎮はなにもしらない顔をして由香里の席までいつも通りにやってくる。その姿に泣きそうになった。


 いつも通りに自然に、それを心がけながらノートを渡すと鎮が笑う。ありがとう。といつも通りの明るい顔で。それが由香里を元気づけるための演技だということを由香里は知っている。このクラスにいる全員が知っている。

 いや、二人だけ、知らないのかもしれない。

 そう思い、教室の隅の晃生と慎司を見た。真っ黒な制服はクラスでも目立つ。この学校で数少ない羽澤とは一切関係ない部外者。本来であれば生贄に捧げられるためだけに学校に来たはずの異端。


 晃生と慎司は由香里を見ていた。由香里と目があうと慎司は慌てた様子で目をそらし、晃生は逆にじっと由香里を見つめ返してきた。晃生のまっすぐな眼差しに思わず目をそらした由香里は悟る。2人も知っている。

 近くにいた鎮を見つめた。先ほどの明るい表情が消え去り、落ち着いた顔で鎮はうっすらと笑みを浮かべていた。それから口元に手を当てて「シィー」と小声でいう。

 鎮が教えたのだ。でもなぜ、なんのために。


「おーい、晃生、課題見せてー」


 由香里がなにか言う前に鎮はするりと由香里の隣から離れて晃生の元へと向かった。気まぐれな猫みたいな仕草。いつもの鎮なのにやけに心臓が音を立てた。

 晃生がよってきた鎮にうっとうしそうな顔をして、慎司が晃生をなだめている。入学してからもはやお馴染みとなってしまったやりとり。いつもと同じ。それがとても気持ち悪い。


 いったいなにを考えているのか。なにかをしようとしているのか。それを考えると叫び出したいほど恐ろしかった。羽澤に来てからできあがった道筋。それは変わらず、自分は役割を全うするだけ。周りだって同じ。そう思っていたのに。生贄になるためだけにやってきた存在が別の役割にうつり、自分が生贄の役を押しつけられようとしている。

 なんで。どうして。そう叫びそうになるを必死にこらえて拳を握りしめた。


 誰も悪くないのだ。誰だって嫌に決まっている。でも誰かがやらなければいけない。これが一番被害が少なく、みなが幸せになれる道なのだ。

 そう何度も、何度も、逃げ道を塞ぐように繰り返された母の言葉を思い出す。


 予鈴がなって香川が教室に入ってきた。一瞬ちらりと由香里をみたのが分かる。教師にもすでに話が広まっていることを悟り、由香里は強く拳を握りしめた。


 表面上は何事もなく日々は続く。教師が不自然に由香里から視線をそらしたり、晃生を必要以上ににらみつけたり。微細な反応はしめすものの大きな変化はない。それにほっとすべきかもしれないが、由香里の心は晴れなかった。

 自分が生贄になるかもしれない。それももちろん恐ろしかったが、晃生、慎司、鎮の3人が妙に落ち着いているのが不安だった。そして時折、慎司からなにか言いたげな視線を向けられるのが由香里の神経を逆なでした。


 同情なのかもしれない。そう由香里は思った。

 鎮から由香里の事情を聞いて、由香里が生贄候補になってしまったこと哀れんでいる。だとしたらバカな話といえた。由香里が生贄候補に選ばれたからといって慎司が抜けるわけではない。響に気に入られた晃生が候補から外れたなら、由香里か慎司のどちらかに変わるだけなのだ。いわば生き残るためには相手を蹴落とさなければいけない。

 そんな相手を同情しているのだとすれば慎司はとんでもないバカか、とてつもないお人好しだ。


 居心地の悪い授業が終わり、荷物を鞄に詰め終えた由香里はすぐに立ち上がった。さっさと家に帰る。それ以外に今の由香里にできることはない。この分だと他の学年にも由香里の噂は広まっている。どこにいたって同情の視線を向けられるくらいなら、家に引きこもっている方がよほどマシである。


 友達の何人かから視線を向けられる。それに由香里は曖昧な笑みを浮かべた。大丈夫といっても、気にしないでといっても、どうしたって彼女たちの心にとげは残るのだ。どうしようもない。もう少ししたらクラスから誰かがいなくなる。それが分かっていて割り切れる人間がどれほどいるというのか。


「由香里さん!」


 早足で歩いていると控えめな声に呼び止められる。ずっと視線を感じていたのでなにかいいたいのだろうとは思っていたが、慎司の性格で実行に移すのは予想外だった。結局なにもいえないまま、お互いに時が過ぎるの待つ。そうなるとばかり思っていた由香里は驚いて振り返る。


「えっと……廊下の真ん中だと話にくいんだけど……」


 そういって慎司は周囲を見渡した。由香里としても慎司と二人で話しているところを人に見られたくはない。響と晃生の密会が見つかった後である。生贄二人で話しているなど悪い憶測が広がるに決まっている。


「悪いけど、急いでるから」


 そういって由香里は立ち去ろうとした。慎司がなにを言いたいのかは分からないが、関わってこれ以上自分の評価を落としたくはない。有力候補の晃生が外れたのであれば、羽澤家は慎司と由香里のどちらを残せば得かを考えるはずである。学力だけで羽澤家に入れた気弱な男よりも由香里の方が残すに相応しい。そう判断してもらうほか由香里の生き残る術はない。となれば、慎司と話しているのは由香里にとってマイナスでしかなかった。


「緊急なんだ」


 しかし予想外は続くもので、気弱なイメージしかなかった慎司ががっしりと由香里の手をつかんでいた。男子生徒の中でも小柄で小さい印象だった慎司だが、思ったよりも手は大きい。もしかしたらこれから伸びるのかもしれない。そんなことを冷静さを失った頭で考えた。


「僕らはどうにか逃げ出したいって考えてる」


 慎司は声を潜めて、それでも由香里にハッキリ聞こえる声でそういった。

 逃げ出す。どうやって? この羽澤から逃げられると本気で思っているのか。


「……無理だと思う。そんなに甘くないの、この家は」

「……分かってる。でもなにもしないで、よく分からないまま生贄なんて……」


 泣きそうな顔で慎司はつぶやいた。その姿を見て由香里は過去の自分を思い出した。由香里だって慎司のようになんで、どうしてと泣いた日があった。生贄のために連れてこられたなんて、そんな酷い話があるかと義母をなじった夜があった。


「だから、最後まであがいてみる。だから由香里さんも協力してほしいんだ」


 泣きそうな顔から一転して慎司が由香里を見つめた。気弱で頼りない。そんな印象だった慎司は由香里が思ったよりも肝が座っているのかもしれない。それとも死ぬかもしれないと思えば、人間はこのくらい必死になるのか。


「できない。だって私は養子だし……」

「ほんの少しでいいんだ。たとえば魔女を説得できそうなものに心当たりないかとか……」

「魔女……」


 予想外の言葉が想像もしていなかったから相手から語られて由香里は固まった。なんで慎司が魔女の話をしっているのか。鎮はそこまで慎司たちに話したというのか。


「今、晃生くんと鎮くんが魔女に会いにいってて」

「まって、魔女に会いにいったって。魔女の森に!?」


 思わず由香里は慎司の肩を思いっきりつかむ。いきなりの大声に慎司は目を丸くした。しかし由香里にはそんなことはどうでもいい。


「これ以上、余計なことしてかき回さないで! 森には絵里香が!」

「絵里香……?」


 きょとんとした慎司に由香里はどうしようもなくイラついた。たまりにたまったストレスや不安や恐怖が一気に爆発するのを感じる。


「森には私の姉がいるの!!」

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