こちらにも失礼のないように
教室の形は見慣れた1年B組と変わらない。そのはずなのに異世界に迷い込んだような異質感。視界にうつる制服がすべて青という御酒草学園では珍しい光景に酔っているのか。そう鎮は考えて、息を吐く。
現実逃避をしてみても鎮はすでに気づいている。この空間が異質に感じるのは自分がなじめていないから。大真面目に机を合わせ、話し合う上級生、それを真面目に見守る同学年。それらに嫌悪すら覚えているから。
そう正しく理解しても鎮はこの場を去るという選択肢がとれない。なぜなら鎮の名字はどんなに嫌悪しようと岡倉で、これは御酒草学園に通う岡倉家が集まる定例会だからだ。
机を並べ、顔をつきあわせて威厳たっぷりに腕組みをしている。または静かに着席しているのは2年生と3年生。1年生は教室の奥に棒立ちだ。あからさまな年功序列。先輩たちの話を聞くだけの時間。俺たちいる意味ある? と喉元まででかかった言葉を飲み込んで、鎮は真剣な顔を作る。そうしないと後々突っかかられて面倒なのだ。特に鎮は岡倉内でも不真面目だと有名なのだから、定例会が丸々自分の説教タイムに移行されても困る。
「知っての通り、今年は羽澤当主様の末息子、羽澤響様がご入学されている」
話始めたのは岡倉本家の3年生。その一言で教室内に緊張が走る。それをアホらしいなと思いながら、表面上は真面目な顔を崩さない。このくらいの事を出来なければ、岡倉ではやっていけない。
「響様は岡倉、養子などと言ったことには頓着しない懐の広く温厚な性格だと聞いているが、何分立場が複雑だ。不用意に近づきすぎると快斗様の心証を損ねることが懸念される」
大真面目な顔で語る3年の先輩の顔を見ながら、それは面倒だなと鎮は思った。
羽澤現当主の次男である快斗は響とは真逆の性格といえる。本家に生まれたことを威張りちらし、岡倉や養子を格下だと嘲り、そのくせ能力は他の兄弟に比べて劣る。しかし、おだてられれば気をよくするわかりやすい性格から取り巻きは多いうえ、後先を考えない性格から行動が読みにくい。損得よりもその場の感情。目に余る態度に真剣に助言した岡倉や羽澤家が外に追い出されたなんて話も多く、機嫌を損ねるとどんな因縁をつけられるか分からない。
「深里様も響様とは一定の距離をとっているようだ。悪魔信仰者としてはリン様との距離が近い響様には思うところもあると聞く」
三男の深里は快斗とは違う方向で厄介だ。常に穏やかな笑みを浮かべてはいるが、目が笑っていないと感じることも多い。快斗のようにわかりやすい取り巻きはいないものの、信者とも言える存在が岡倉、羽澤、養子にまでいるという噂を聞く。響が生まれるまでは次期当主だと言われていたこともあり、大人にも受けがいい。そして快斗よりもはるかに頭が良く、人の使い方をよく分かっている。
こちらも目をつけられれば面倒としか言い様がない。
「航様は社会人として忙しいらしく、響様の入学に関してはこれといって興味はないようだ。しかしながら、快斗様と深里様の動きによっては口を出さざる終えない状況になるだろう」
長男の航の姿を思い浮かべて鎮は眉を寄せた。
4兄弟の中では一番地味と言える人物だが、彼の場合は長男という肩書き、すでに社会人であるという強みがある。目立った功績はないが快斗のような子供じみた我が儘もなければ、深里のような不可解な信仰心もない。航が否といえば、それは私情ではなく公平に判断した結果である。真面目で堅実。長男という生まれもあり重鎮の信頼が厚い。
「響様に対して不審な行動を起こす者を許してはならない。けれど、他のご兄弟の神経を逆なでするような行動も慎むように」
なんという無茶ぶりだと鎮は表情を崩しそうになった。守れ。だが目立つなという。いつから岡倉は忍者になったのかと茶化したい気分だが、真面目な空気の中それを言うことがどんな結果につながるかは分かっている。
鎮をあくびをなんとかかみ殺す。鎮は響と関わる気なんて毛頭ない。兄や父はどうにか気に入られてほしいようだが、鎮はごめんだ。響も岡倉家を従者にしたいという考えはないようで、今まで岡倉本家の人間がアタックしては袖に振られているという。
そのときの断り文句は、岡倉家に仕えてもらえるような立派な人間ではない。というものらしく、その謙虚な姿勢が一層岡倉家の評価を上げている。いつか響の従者にと願い、その座を虎視眈々と狙う岡倉家の者は多い。
その姿を見るたびに鎮は思う。響の本音はこんな面倒な家と関わりたくない。なのではないかと。
「響様の他にも何人か注意してもらいたい羽澤家の方々がいらっしゃる」
続いた言葉に鎮は意識を戻した。
岡倉の定例会でわざわざ名前をあげられるということは、羽澤本家に近い血筋や、勢力を伸ばしている家系のご子息など、無礼を働くとなにかと面倒な人物ということだ。そういう相手は知らなかったでは済まされない。平穏無事に何事もなく生活するためには情報は必要である。いくら自由人と言われている鎮でもそのあたりはわきまえていて、場合によっては周囲より詳しく事情を探ることもある。
「羽澤星良様は深里様とも直接面識がおありな、信家のご息女にあらせられる。失礼のないように」
信家という言葉に教室がざわめいた。今回に限っては鎮も気持ちがよく分かる。信家とはまた厄介な。そう口に出して言いたい所だが何とか飲み込んで、配られたプリントを眺める。
そこには綺麗な黒髪に紫の瞳をした少女の写真がある。さすが羽澤家といえる整った容姿だが微笑む表情は同学年にしては大人び過ぎていて少々怖い。制服の胸元にA+と刻まれているのを確認して、信家らしいと眉をひそめる。
「御膳祭にもずいぶん精力的だと聞くが、信家の方々は少々過激な言動がみられるので注意をお願いしたい」
そう3年生はいうが、いくら注意しようと相手は羽澤。こちらは主従の岡倉。主従関係は先々代の羽澤当主によって解かれたといっても、未だに羽澤が主だと陶酔している岡倉は多い。
時代錯誤の主従関係だと罵る世間をごまかすだけの方便だということは羽澤も岡倉も理解している。
となれば、羽澤家の人間が自主的に行うことに対して岡倉が口を出せることなどない。注意しろというのは黙って見ていろとほぼ同義だ。
こんな確認になんの意味があるのかと鎮はため息をつきそうになるのをこらえながら、もらったプリントを眺める。ふと裏面を見れば、そこには星良以外の顔写真があった。
「裏面に載っているのは神子の方々だ。こちらにも失礼のないように」
何人かの少年、少女の顔写真。共通しているのは全員赤茶色の制服を着ていることだ。なんて意地の悪い配色だろうとそれを見るたびに思う。意味を理解してしまったら、どうしたって連想してしまうものがある。
顔をしかめないように苦労しながらリストを眺める。神子なんて仰々しい名前をもらってはいるが、下手したら養子よりも立場が悪い者たちだ。可哀想になんて情をみて痛い目にはあいたくない。
顔と名前を覚えるためにリストを凝視していた鎮はとある少年の顔写真で目をとめた。神子というのは自分の生まれを理解して影のように生きる者、選ばれた存在だと大仰に振る舞うものの2種類がいるが、その少年はどちらでもないように見えた。
長い前髪ではっきりと目は見えない。根暗とも言える印象だが、チラリと見えた瞳は写真越しでもすごみがある。なにかを悲観しているようでもあり、すべてを恨んでいるようでもある。
写真越しでも伝わる威圧に鎮はゾッとしてすぐに名前を確認した。
羽澤咲月という名前の他に、末端に近い分家出身であることが記載されている。他の神子の中でも地位が低く、特に重要視されていないことがうかがわれた。
けれど、鎮はどうにも気になった。




