【6】
(10)
幾等かの本と出会い別れるうちに、齢十五でありながらティナは数式ですら言語の一つではないかと思うようになっていた。それらは最早、言葉と同じように伝達コミュニケーションの道具なのだ。きっとこれら数字の方程式という形が、彼等の主張であるのだと思えば、ティナは増々面白いものだと感じたらしい。それを思うなら、彼女の見える世界はより一層煌めいた。本で読む内容だけでなく、授業として受ける内容ですら何か秘密の欠片が隠れていやしないかと、その可能性に心を躍らせる事もしばしばあった。
夏の暑さも本調子となり、篠崎高校では夏季休暇を控えた頃だ。その日はカウンター当番で、冷房設備の備えられて過ごし易い図書館にやって来ていたティナは、奥の司書室で興味深い話題を耳にした。
「は……夏の読書会ですか?しかも図書委員会が主催の」
「そうなの。うちの学校は夏休みの間に一度登校日があるでしょう?基本的に毎度甲子園行きになった野球部を全校集会でお祝いするだけなんだけど、午前中のうちにすぐ終わるのよ。だからその後の時間に、折角学校に来たんだし、ちょっとでも楽しんで貰えたらなって事で恒例で図書委員が読書会を開いているの。外は暑いし、でも図書館なら冷房完備で涼しいでしょう?館内も細やかに飾りつけして、談話交流会なんかを開きつつ、涼みに来る序でに本に対してもっと身近に感じてくれるようにっ……てね♪」
呆気に取られた様子でティナが尋ねると、大和撫子のような雰囲気の副委員長女子、宿森千夏は朗らかにそのように応えるのであった。
「一応図書委員だしね。より多くの生徒が本に親しみを持って、図書館に来てくれるようにって啓発を促すのも俺達の仕事って訳。毎月お勧めの本の棚を整備するのも図書委員だ」
宿森に補足するようにそう述べたのは、彼女と同じく二年生である須々木京輔だ。彼こそが、今年度の図書委員会の委員長である。先日の生徒総会でも全校生徒の前で報告役をしていたりと、表立って行わなければいけない仕事は全て彼が担ってくれている。
「春の時の図書委員会会議で言っていたと思うけど、私達は夏の読書会以外に年四回の図書館広報も発行してるわ。先日校内向けに、それが配布物として配られていたでしょう?一般の平委員の仕事は主に日々のカウンター業務になるけど、三役とその他補助役メンバーにはそれら行事諸々(もろもろ)の準備・遂行も仕事の内なの」
「嗚呼、成程……。読書会や広報配布というのは、そういう事だったんですね」
先輩である宿森に解説をされ、ティナは合点が行ったように頷く。高校生活に慣れないうちから体育祭やら中間試験で忙しかったせいもあり、こうして漸く一歩引いた所でその他の活動を再確認し、ティナは改めて視野を広げた。
「今年の夏休みの登校日はこの日なんだけど……全校集会が終わり次第、今年も図書館で夏の読書会を開催します」
「ついてはその前日の、設営に手伝ってくれる平委員を絶賛募集中な訳。設営に人手は多い方が一人当たりの配分も少なくて済むし、空調整っているから涼めて一石二鳥!という事で、図書館少女さんもどう?参加してみない?」
副委員長と委員長、宿森と須々木の言葉に彼女は喜んで参加表明をする。因みにその設営というのは任意参加らしく、三役と前年度の旧三役メンバーは補助役として勿論の事、他にも幾等かの生徒の集合が見込めるらしかった。
また加えてこの頃には、彼等がティナの事を“図書館少女”と称していた件について、彼等の内で定着していた。所以は単純にその外見にあり、頻繁に図書館に訪れるうさ耳付きパーカーの図書委員一年生、という像の代名詞である。その意味で、何時の間にやら彼女の存在は図書館を彩るうちの一つになっていたようだ。
(11)
篠崎高校は無事に夏季休暇を迎え、学業に励む日々の授業は暫し休息の時期となる。若かりし生徒等はその分空いた時間を、各々が責任を持って自由に学業や部活動、その他課外活動等に当てるのであった。
夏休みの間に設けられた登校日の前日、ティナは思い出したように篠崎高校の夏服を身に纏い、少し振りに登校を果たす。久々の登校の後向かう先は教室ではなく、現地集合として図書館に直行した。またこのように図書館だけを目的として登校する事が出来るなど、何という幸せだろうかとティナは内心噛み締め嬉しく思うのであった。
「あ、おはよ~青山くん。今日は設営、よろしくね」
図書館に到着を果たせば、彼女は司書の越塚教諭と合流する。集合までは幾等か時間の余裕があり、ティナより先に登校していた生徒は見当たらなかった。声を掛けられた彼女は、勿論元気に挨拶を返す。
「いや~、今日も暑いね。っと、そうだ青山くん、空調機を点ける前に一度換気したいから、向こう側の窓、全部開けてきてくれる?こっち側のは私も開けて行くからさ。鞄は適当に、読書スペースの席の所にでも置いて良いからね」
「は、了解であります!」
早速の任務を請け負って、彼女は少々嬉しくなりそのように応答した。一旦鞄を置くと、彼女はまさに兎の跳ねるように素早く行動に移すのであった。
連なる大きな窓を一つ一つ開け放てば、そこから緑の香る外気と蝉達の演奏が館内に流れ込む。夜の間中閉め切られていた館内の湿ったような不思議な空気は、そうしてからりと乾いたそれと交換されていくようであった。流れ込む背景音も何処か良い風情を感じさせるもので、彼女からは独り言がつい本音として零れ落ちる。
「篠崎町の夏の空気は……何だか良いですね。この空気は梅雨の時みたいに湿っぽかったものと同じだったなんて、到底思えません」
遠くでもこもこと兎の毛並のように盛り上がる白き幾つかは、入道雲だ。青く澄んだ空にその白い影はとても美しく、王道的な絵画情景で素敵だとティナは思う。刹那、開け放した窓からさらりと心地の良い夏の風が吹き込めば、ティナも心地が良くてついその両腕をうんと伸ばすのであった。
それから幾分も経たぬ内に次々の生徒の姿が到着を果たし、館内は設営に参加する図書委員メンバーが集う場所となっていた。
「ところで設営って具体的には何をするんです?」
ティナと同じ一年のとある男子図書委員が、慣れない様子でそのように問うた。すると副委員長である宿森が、初体験で勝手の分からない彼等向けに軽く説明をする。
「夏の風物で窓際や天井なんかに風鈴を飾ったり、ちょっとした空きスペースに置物とか、ビー玉飾りのインテリアなんかを並べるの。これらの備品は専用の倉庫に仕舞ってあるから、後で何人かに取りに行って貰うわ。
でもその前に……まずは恒例通り館内の掃除ね!夏休み期間で暫く使っていなかったとはいえ、こういう棚の隅とか、やっぱりどうしても埃が残ったままみたいだし。俗っぽいマイナスな雰囲気を払拭する為にも、普段なら見逃して許してしまうような所も出来る限り掃除して、綺麗にしてね」
宿森がそのように告げれば、丁度タイミング宜しく委員長の須々木や他の図書委員メンバーが雑巾など必要掃除用具を纏めて持ってきたようだ。
「取り敢えず持ってきたから、二手に分かれてそれぞれ一階と二階を担当しよう」
須々木と宿森を筆頭に、彼等メンバーは指示に従うのであった。
篠崎高校の図書館は広さとしては可もなく不可も無く、といった所であろうか。入口から入室すればその正面奥にカウンターがあり、更に奥には司書室がある。そこから右手に向かって館内の図書館らしい空間が広がり、読書スペースである机と椅子が多く並び、窓際には自習スペースとしての、個人向けの学習机が並んでいる。少し向こうには何やら階段が見えるだろうか。館内中央の個所は吹き抜けとなっており、一階と二階の空間を繋いで光が差し込む設計であるらしい。開け放った窓から入り込んだ風はそこを通って、館内中を染み渡る。
ティナは宿森のグループに分けられ、掃除道具と共に一同は揃って二階のエリアへと移動した。
「掃除用の新しい濡れ雑巾は、後で須々木達がここに集めて持ってきてくれると思うから随時交換して使ってね。汚れた雑巾は、こっちのバケツに入れちゃって良いわ。
そして……青山さんはここから向こう側の棚の掃除をお願いするわね。上の方は届かないと思うから、適当に散らばってる足場を必要に応じて使って?掃き掃除は私と荒木田先輩で行うから。嬉乃さんは、青山さんの担当していないこちら側の棚エリアをお願い。それからそっちの男子達は―――……」
副委員長宿森はてきぱきとして仕事を割り振ると、今度は男子メンバーの方にも指示を出しに行くのであった。
行うべき仕事が決まれば、ティナも濡れ雑巾を片手に元気よく担当の本棚達が並ぶエリアへと向かうのであった。
「そういえばこの二階の奥の辺り……私、あんまり来た事が無いような」
分かり易く一番奥の棚から掃除をしようとして歩いていたティナは、付近に誰も居ないのを良い事につい独り言を口走っていた。通路は一本道で、それに直角な通路が更に伸びるように幾重の本棚が連なっている。移動の為に使われるこのメイン通路は吹き抜けの一階から見えていた所で、ぐるりと向こう側に行く為の渡し通路もここからよく見える。大きな窓は先輩や他の図書委員等のお蔭で、換気の為に開け放たれており心地よい風が通っていた。
「こんなに風通りが良いと、空調機が無くても涼しいように思えちゃいますね」
ころころとティナは楽しげに笑う。そうしているうちに彼女は奥の棚の所までやってきたので、一つ気合を入れて、並ぶ本棚の手前側隅に積もった埃やその他手垢汚れなんかを取り除こうと作業に移った。
一つの棚の段を区切っている、板の汚れを彼女は丁寧に拭き取っていく。それらは時間も掛かり実に地道な作業ではあるが、このような手作業が毎年積まれているからこそ、この図書館の小奇麗さは維持されているのかもしれない。と思えばその歴史的な作業の内一つにティナも加わっているのだとすれば、彼女はその意味を実感し嬉しい心地になるのであった。
彼女は手元を動かしつつも、その視線は時に小兎のようにぴょんぴょんと跳ね回って、垣間見える本達の背表紙の文字を見据える。先程までは国文学の本で埋め尽くされてはいたが、どうやらこの辺りは外国文化系の蔵書が並べられてあるようだ。時には何やら英書も混じっているようで、その横文字が他の本とは風変わりで際立っている。
「これ、洋書エリアに置いてないんですね。基本的に海外の書物は一ヶ所に纏められているものだと、勝手に思い込んでいました……。実に穴場です」
彼女はそのように独りごちて、気分転換がてら一度手を休めて適当にその内の一冊を取り出してみた。背表紙に綴られた横文字は筆記体で大層洒落ている。また彼女はそれが一体何を綴った本かという事さえ、筆記体を判別して認識するより前に当該洋書を開いていた。
当時英語がとても得意という訳ではなかったティナからすれば、それは専門書として何やら見知らぬ単語が多く、十分に認識する事が不可能であったようだ。ぱらりと繰って目次の個所を開くも、それらの単語が意味する事は視線を流した程度では汲み取れない。それはあまりに書体が特徴的で、ハンガリーハーフでありながらも日本育ちの彼女のにとっては、目に馴染みなかっただけに一層不可解な記号にすら見えてしまった。
「えっと……これは何処の国の言語なのでしょう?フランス語?ドイツ語?……ロシア語ではないでしょうけれど」
それは英語で表記されていると思ったのだが、よくよくと見れば所々アルファベットにはない文字が入っている。
「それとも、英語圏以外の中東諸国とかですか……?どう変化球を打ったとしても、お母さんに昔見せて貰ったハンガリー語でもないですし」
それらを見遣るティナは、今この時点でその謎を解決する事は出来なかった。幾等かの頁を繰ってはみるものの、またその内容を判断する為の参照図説やグラフなどを見ても、一向に分かる事はない。
「こうなるときっとキリがありませんね。今はまだ掃除業務中ですし、それでも気になるなら一段落ついた時にでもここに戻ってきて、後で司書の越塚先生に聞いてみる事にしましょう」
ティナはそう己に諭すと、その当該洋書を閉じて棚に戻そうとする。しかしその行動に移る直前に手が滑り、彼女はらしくもなく手を滑らせて大切な当該洋書を落としてしまう。
「わわ……、ごめんなさい!」
割と古めかしい本であったので、傷めてしまったのではないかと彼女は内心冷や汗をかいたようだ。ぱこんと音を立てて、洋書はとある頁で開かれ背表紙を上側にする形で落ちている。
ティナは本に謝りつつそれを拾い上げれば、しかし偶然落ちた時に開かれていた頁個所付近を視界に捉えて尚困惑した。
「……あ、あれ?これ、印刷ミスでしょうか」
というのも開かれた頁周辺の辺り、ざっと後半の百頁程全てが真っ白の白紙状態であったからだ。小区切りの余白部分かと思ったが、それにしては文字の綴られていない白紙個所が多過ぎやしないかとティナは傾げる。
暫く無言でそれら頁と睨めっこをするも、真っ白なそれらは幾度見ても間違いなくそのままであった。先程印刷ミスかと疑ったが、本の内容を解せない以上、ティナにはそれがミスであるのか正真正銘原型の形であるのかの判断がつかない。彼女は一度その本を抱えたまま通路の方に出て、そのまま吹き抜けで一階を見渡せる、柵の囲む所まで来た。やはり好奇心が湧いて司書の越塚教諭に聞いてみようと思い固めたのであるが、ここから見える限りでは彼女は、須々木委員長と何やら打ち合わせで取込中の模様である。
忙しそうだと判断をすれば、ティナも察して今の所は保留にする道を選ぶ他ない。
「やはりこの本は後にでも、越塚先生に尋ねてみましょうか。それはそうと、あんまり道草を食ってしまってはいけませんね」
先ずはそのように締め括り、ティナはその本の割り当てられている管理用ナンバーを確認しつつ、自分の担当していた棚掃除へと戻るのであった。
ティナは謎めいた本を一旦棚に戻し、それからは逸れずに掃除任務の遂行を果たした。それは思いの外時間がかかり、また雑巾の汚れも意外とあったようで、幾度か綺麗なものに交換しつつ棚掃除を進めて行く。棚の汚れはあまり無い所もあれば貯まっている所もあり、様々であった。
それから数時間後、ティナはやっとこの事で割り当てられていた棚エリアの掃除を終える。しかしその頃には他の棚掃除メンバーと同じく彼女も疲れ果て、手についた埃汚れを落としてから暫しの休憩時間を貰うのであった。棚掃除メンバーは読書スペースの椅子に座って、半ば放心状態である。それにティナも加われば、先に終えて休んでいた見知らぬ先輩から労いの言葉を貰い、また彼女も同じく返す様子があった。
ティナ等棚掃除組がその場の流れでまったりお喋りなんかをしつつ休息をしていれば、そのテーブルにもう一人女子生徒が仕事を終えて帰還する。アットホームなその雰囲気に呑まれてか、ティナも人見知りせず、今度はティナがその女子生徒に笑顔で労いの言葉を掛けるのであった。
「あ、お疲れ様です!あれ……?確か同じ二階で棚掃除をしていた方ですよね?」
「ええ、そうです。ていうか宿森先輩に引き連れられて二階に行った時、一緒に居ましたよね?一年D組の、嬉乃まひると言います。貴女も棚掃除、お疲れ様です」
「あわわ、なんと……同期でしたか!B組の青山クリスティナと言います。ご丁寧にありがとうございます~」
等という交流も深まり、彼女は新たに同じ図書委員メンバー内での友人が増える事になったりもした。
(12)
司書室の隣には会議室としても使える、図書館内に併設された別室がある。そこには会議用の椅子と机は然る事ながらホワイトボードもあり、まさに小規模な委員会会議として使うのに持って来いの環境が整っていた。
「読書会開催時は、基本的にはいつもの図書館業務と同じ。カウンターには案内役も含めて、貸出業務を担当する図書委員が常に数人はいてほしいわね。後は談話交流会の方だけど、大間かなタイムシフト制を木ノ瀬くんに頼んで組んで貰ったから、それを参考に回してくれると良いんじゃないかしら?」
「そう言えばそれ、談話交流会って言ってるけど実質単なる対談でしょ。もういっその事、図書委員公開実況対談って枠なんかにした方が良いんでね?」
お昼休憩という事も兼ね、図書委員参加メンバー一同は揃って当該別室に居た。部屋前方には幾等か情報が書き込まれたホワイトボードを前に、宿森が説明を取り仕切っている。その隣で委員長の須々木がパイプ椅子に座り、何やら時に上記のようなツッコミを入れた。
状況としては、皆で昼食を取りつつ明日の打ち合わせ会議をしていると言った所か。因みに図書館内は飲食禁止である為、食事をするに当たりこちらに移動したようだ。中央の大きなテーブルを皆で囲み、基本的には椅子に座って何やら各々コッペパンを咀嚼している。個々には紙コップで飲み物が渡され、またテーブル中央には飲み物の入った一リットル用のペットボトルが数本と、差し入れとしての駄菓子の数々が散らばっている。
「ていうかもっちー、何で折角買い出しに行って皆コッペパンなの~。もうちょっと美味しそうなの無かったん?」
「これ、PTAと生徒会から降りてる委員会費で遣り繰りしてるんだから我儘言わない。篠崎高校から唯一買い出しに行ける範囲内のお店で、この人数分揃えるの意外と大変なんですよ。それに飲み物にジュースとか買ってきたんだから良いでしょう?」
旧三役メンバーであったらしい三年生の女子が、もっちーこと望寺幸太郎に投げ掛ける。彼は現役三役という訳ではないが、現書記担当の木ノ瀬喜代太と仲が良いらしく、代わりに雑用係として働いていたようだ。
「皆平等にコッペパンで良いじゃないの。味違いはあるでしょう」
先の先輩に同意を示す二年生の姿もある中、そう宥める様に中立的な発言をしたのは副委員長の彼女だ。
「でもそれじゃあ一年生達に、あっ(察し)、安物のコッペパンですか……って落胆させるかもって思わない?私が一年の頃はそうだったよ、ちなっちゃん?」
それは彼女なりの一種の気遣いであるらしい。彼女の主張はこれからを担う後輩達を思っての事らしく、それらの遣り取りを微笑ましく思いながら聞いていたティナは、この空間にどこか温かいものを感じるのであった。
そのような楽しげな遣り取りが飛び交いつつ、手元の資料と宿森等の話を聞きながら、一同は午後の飾りつけ作業に備えて腹拵えをするのであった。
昼休憩を挟んで、次に一同は綺麗になった館内を飾りつけする作業へ移る。図書委員の中でも主要ポジションを占めているらしいメンバーが筆頭に、何時の間にやら倉庫から備品入りのダンボール箱を運んできたらしい。それらが図書館の広場に、幾つも開かれていた。
それらの中からは可愛らしいアンティーク風情の小物や、風鈴の数々、また夏に飾るには涼しそうでぴったりな透明のガラスのような小物類が様々に出て来たのである。聞く所によると、これらは代々の図書委員の先輩方が寄贈という形で持ち寄り、それが今まで代々受け継がれてきた物らしい。今年の三年生も最後の思い出としてだろうか、綺麗な透明の置物などを持ってきた者もいたようだ。
「ベルやリースなんかもあるんだけど、そっちは冬の方が似合うから夏の開催時には使ってないの。代わりに風鈴とか、吊り下げるタイプの金魚のインテリアなんかが沢山あるから、そちらを優先的に配置してね」
宿森の指示に従い、ティナ達は率先してそれらを館内に飾り付けて行くのであった。
因みにティナ等以外の一部のメンバーは、同時進行で会議室の設営を行っていた。どうやら談話交流会というイベントものはこちらの部屋で行うものらしい。パーテーションを用い、図書委員用の休憩スペースと談話交流会用会場に区分けして準備をする様は、まるで夏祭りか文化祭の設営準備のようにも見えるのであった。
(13)
日暮れの頃になる前に、篠崎高校の図書館館内はちょっとしたお祭り気分になったように装飾を完了された。運ばれてきた装飾備品は図書委員メンバー等の手によって飾り付けられ、見上げる天井や窓際などには様々な形と色をした風鈴が吊られて並んでいる。棚や机の上など、ちょっとしたスペースを利用して透明の涼しげな置物や小さなインテリアも添えられ、ふと視線を移せばそのような影がちらほら視界の隅に映る。それらの配置には図書委員等のちょっとした遊び心が垣間見え、見る人によっては面白楽しく映る光景へと大変身していた。
「なんか、館内全体が可愛くなりましたね。こうしていると、読書に精を出すより館内を巡って飾り付けを見物したくなっちゃいます♪」
そのように満面の笑みで見解を述べたのは、ティナと同学年の少女、嬉乃だ。彼女と同行していたティナも、その意見に理解を示す。
「ま、それも計画の内な訳で。普段から本に馴染んでない生徒からしたら、図書館っていう本ばっかりの景色がもう既に敷居が高いのよ。だからこうして所々に目を休める物を配置する。これなんかはボードゲームで使う、領主っていうカードなんだけど、それを一枚ぽつんとここに飾り立てる」
嬉乃とティナの前に、須々木委員長が何やら得意気に会話に参加してきた様は、気さくで人当たりの良さを実感させた。しかしその発言は何処か意味深で、素直な嬉乃はそのままの声を放つ。
「なんか不自然ですね、それ」
「そう、良くぞ言ってくれましたぁ!それが問題なんだよ、ずばり俺達図書委員からの命題なんだよ!何故ここにこんなものが飾られてあるのか……もしかしたら他にも何かあるんじゃないだろうか?等々、気を引く訳。
で、そう思ってくれた生徒はまんまと嵌ってぐるり館内一周の旅にご案内するの。このカードを置いてある棚を進んで行けば……また別の兵士っていうカードが見えてくる。そうしてもっと進むと、今度は別の通りに面する棚の端にカードが……っていう仕組み♪」
待っていましたと言わんばかりに、須々木委員長が述べる。その時後方で空かさず、
「は?そんな計画、聞いてないわ」
と、宿森の突っ込む見解が飛び出たのだが、果たして。
「宿森さんには話してないもん。昨日俺と樟で考えたんだからな♪」
「……そんな手に引っかかってくれる生徒がいると思う?」
委員長と副委員長の温度差は、傍から見ていたティナ等にも何となく感じ取れる程である。しかしその様子は当事者以外からすると、微笑ましい。
「確かにすずっき~の意見を訝しがるちなっちゃんも分からなくはないけど、少なくとも推理パズル部の連中はこういうのが好きだから、そこは引っかかると思うよ~」
そこで仲裁を取り持つように入って来たのは、昼の会議室で望寺の事をもっちーと称していた、前委員長、月島奈緒だ。その呑気で楽しそうな所からすると、それくらい良いじゃない、という意見であるらしい。
「……月島先輩がそう言うなら。
ってか、なんでここだけの棚がプラモデルの展示場になってるのかしら?」
一度はそれに関して納得を示したかと思えば、今度は別の所を気が付いてしまった宿森である。またそれについてはと、別の男子生徒が弁解をするは以下だ。
「良いじゃん宿森~、俺等の浪漫も尊重してくれよ。ほら、丁度ここは海外小説のエリアでSF系が置いてある。だから、こうした方が分かり易いだろう?」
「……まあ、そうね……。仕方ないわ、お宅の意見は今回限り認めます」
暫し己の中で吟味していたのか、宿森は少々の間の後で冷静にそのように述べた。これでは変に偏った生徒しか寄り付かなそうだと懸念しているのが顔に出ているが、まあ仕方がないと彼女は寛く割り切ったようだ。
その様子からするとどうやら、表側で良く見える所には夏の風情が楽しめる風鈴や透明の可愛らしい置物が多いが、人目に付かないような個所にはニッチなものが隠れ置かれているらしい。それもまた、若き彼等ならではの催しなのであろう。そう思えば、そのどれもが面白みに溢れ訪れた者を楽しませてくれるのかもしれない。何故ならそれら置物の付近には必ず並ぶ本があり、その所々には少し前に有名であったタイトルの書籍を隠していたりと、どうやら心理に訴える策も盛り込み済みのようであったからだ。
因みに広場から垣間見える、当日の談話交流会イベントが催される会議室の方も準備を完了していたようだ。
そのような茶番も挟み、飾り付けの設営作業を終えた図書委員一同は集まり、明日に備えて最終的な打ち合わせを行う。担当するタイムシフトのようなプリントがご丁寧にも配られ、それによるとティナは当該時間帯にカウンター当番をする枠に割り当てられていた。その後委員長や副委員長が幾等か補足説明を行い、必要事項の伝達が終われば、一同は明日に備えて解散の流れになるのであった。
皆が席を立ち各々に帰り支度を進める中、ティナはぴょんと待ち侘び跳ねるようにして司書の先生、越塚教諭の元へと向かう。それは掃除の最中に見つけた、例の謎めいて気になった本について尋ねる為である。
「え……そんな白紙混じりの本があったの?私は気付かなかったけど……一応確認したいんだが、案内してくれるかい?」
越塚教諭にそのように言われ、ティナは彼女を誘う様にかの本を見つけた棚へと歩いて行く。ところがどういう訳かティナは当該場所に到着するや否や何故か違和感を感じ、またそれは彼女の期待を裏切る事はしなかった。
というのも外国文化の棚に来てみると、所々に英書が混じっていたと認識ていたのだが、もしそうならそれらは背表紙から横文字で目立つ筈なのに、こうして再び見てみるとそのような本は何処にも見当たらなかったのである。その背表紙に刻まれた文字は全て日本語で表記され、つまりは全て日本語に翻訳されたものであると明らかであった。
そのような状態で、ティナは何かに化かされたような心地で些かの不安を覚える。管理用ナンバーはあの後持ち歩く生徒手帳にメモしていた為に、確固たる証拠は残っているものの心は頼りない。
「えっと………あった、この本です、先生」
彼女があの時戻した位置に、そのナンバーを背負った本はそのまま存在していた。第三者が本を動かしてしまわない限り、そこに本があり続けるのは至極当然ではあるのだが、この時ティナは見つけた途端緊張の糸が少し解けたような気さえしたらしい。彼女はそっと取り出して越塚教諭に確認して貰うも、しかしその結果はティナ自身も複雑な気持ちに陥る事となる。
「嗚呼、青山くんの言う通り、英書が間違ってここに仕舞われちゃってたんだね。ラベルが掠れているから、bとhを見間違えちゃったんだろう。そして中身はどれどれ………うん?別に特に目立ったような多くの白紙頁なんかは無いみたいだけど……?」
ティナの視線はぱっと見しただけでは分からないだろうが不思議なものを見るようで、けれど司書の彼女に差し出され示されたその本は、至極真面に全て英語で表記されたものである。それはあの時に彼女が見たような解読不能な言語などなく、また空白の頁の束など一切孕んではいなかった。
「青山くん、ちょっと疲れてたんじゃない?この町でも熱中症患者は存外出るし、ちゃんと水分補給して気を付けなね?この地元住みじゃなくて遠距離通学してきているんなら、それは猶更だよ。気になるならその本を貸出してあげるから、明日もある事だし、今日は寄り道せず早々に帰って休みなさいな」
ぽかんとして呆ける他がないティナの様子は、幸か不幸か、この司書の先生から見れば疲労の色と捉えられる物であったらしい。結局彼女は不思議に傾げる心地の儘、けれど無茶を言う程の年でもないので大人しく越塚教諭の意見を受け入れるのであった。
(14)
読書会設営日を終えたティナは、そのまま素直に帰宅路につく。勿論例の不思議な英書は、折角であるので貸出手続きを済ませていた事は言うまでもない。
その道中の電車内で席に座り、彼女はかの英書を再度ぱらぱらと開いては何気なく眺めていた。一見する所、時に本文にはティナの知らない英単語が幾等も見受けられ、辞書なしで真面に読書するには当時の彼女にはやや敷居が高かった。それ故、彼女は軽い気持ちでそれらの頁を繰っては傍観するだけである。
こうして再び見たとしても、やはりこの英書は至って普通の英書である。あの時に見たような解読不能な言語という訳でもなさそうだ。現にその本文の一部を見れば、『people』や『dominant preciaus』『wanna going to a count fields』等といった綴りがあって、どう見誤っても英語(English)以外の言語には見えない。
(それどころか……後半の方にあった白紙頁の集団個所も無いんですよね……。え、やっぱり私の見間違い?暑さに実は疲れていたのでしょうか)
等と内心で彼女は独りぼやいて、今度はもう一度その表を確認する。背表紙には気取った筆記体があり、またその字体は表紙のものと同一だ。そこには気取った筆記書体で『Transition experiment』とあり、くるくるとアールヌーボのようなデザインの文字が迚もお洒落であった。
彼女はそこから目次個所を開いてそれらを見つめる。次いで、本文が始まる前の著者の挨拶文らしい頁に彼女は視線を通した。その全ての内容を理解したかと問われれば彼女自身は自信が無かったが、それでも何となく雰囲気で掴めそうなものは感じ取るに至る。
(英語版の新書、といった所でしょうか?何やらとある事象に対して、筆者の意見が書かれている模様ですね)
それは学術書とも違い、文学作品やそれに関する分析考察書とも異なる気がしたらしい。かと言って創作された小説や詩集でもなく、エッセイでもない。ただ一つ想定されたのは表題にもある通り、『Transition experiment』という事象に関して様々に筆者が述べている、という事ではないかと彼女は行き着いた。それ故、彼女は自身の知る中で唯一そのようなカテゴリにそれを暫定的に分類してみる。確かに実際の所は如何か分からないし、まだ理解できるとも到底思えないのだが、それでも彼女はその世界に意識を沈めてみようと努めるのであった。
尚、以下は当時のクリスティナが目にして印象強かった個所の抜粋である。
-Transition experiment outline-
The world was created by some God somewhere in the ancient times, another God separated it into two. Then one rose up to the heaven and the other fell to the ground. It seems as if the fertilized eggs are dividing up and branching as when the twins occur.
The two were originally the body with the same gene, so it is one. Although it was divided, the two are the same. Even if the circumstances of the divided destinations change, the schedule of the records that are derived from it are the same for both.
Therefore, the same thing was born for the Fermanent and the Ground fields respectively. Life born in the world of the heavens and the earth was similar, because the same gene was dividing up as it was.
Still, the Fermanent and the Ground were exactly opposite. Though they resemble each other, they grew up totally different things. There was something in the Fermanent, not developed in the Ground, and vice versa. For example, it is the difference between monozygotic twins and dizygotic twins.
In other words, things that were inherently born do NOT change, and there was a difference in what they wear acquired afterwards. It was true for them in a good or bad way. Depending on the environment in which they were brought up, they sometimes ended without originating what was congenital.
The two fields grew without being able to recognize each other like a planet and another planet. Therefore, life on the Fermanent and the Ground did NOT recognize their existence fundamentally.
But occasionally, either of them he or she noticed that it was transmitted to another field. It was as if a separate identical twin shared sensations each other.
A while ago, the Fermanent field was divided again. It was a certain work of God. The trimmed field drifted in the sky, and went somewhere.
We did NOT know that two fields would intersect, but in modern times we began to notice the possibility.
So the researchers tried the experiment once. It was not only once, but set up observation points in the long term and recorded the change. Researchers repeated experiments and observations and assumed one concept. They called it Counterpart. They wondered a couple of things, such as whether they could be replaced or why they were.
After a long period of time, descendants of researchers finally thought whether they could deliberately interfere with the field of the other side. They examined whether it was only once or multiple times. Because, if this experiment succeeded, that method seemed to be a savior. It seemed like a shelter, and in some cases, they thought that the method might be like an egg for new life to be born safely and grow up.
It is still at the prototype stage, reality is also thin, and other researchers claim that it is impossible. In addition, they mention that they do not know what kind of risks it exert. But in another field they continued their studies.
I am sure that this research will save someone's life in the distant future.
By Tony Wong Anderson, excerpted from "Transition experiment"
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【日本語訳】
遷移実験 概要
世界は太古の昔、どこかの神様が創って、また別の神様が二つに分離させた。そうして一つは天に昇って、もう一つは地上に落ちた。それはまるで有精卵が細胞分裂する中で、ぱっくりと双子の発生の時のように枝分かれしたようだ。
二つは元々同じ遺伝子を持った身体であったから、一つである。故に分かれてしまったとはいえ、二つは同じものである。分かれた行先の環境が変わったとしても、そこから派生して生まれ行く記録の予定表は、二つとも同じものである。
だから、天と地はそれぞれ同じものが産まれた。同じ遺伝子がぱっくりそのまま別れたせいで、天と地の世界で産まれた命は、対応するものがよく似ていた。
それでいて天と地は丁度正反対に違っていた。似ていながら、全く違うものに育っていった。天にはあって、地には発展しなかったものや、その逆もあった。例えるならばそれは、一卵性双生児と二卵性双生児の違いである。
つまりは先天的に生まれ持ったものは変わることが無く、後天的に身に付けるものには差が生じたということだ。それは良い意味でも悪い意味でも、彼等に当てはまった。育った環境により、先天的にあったものが発祥せずに終わることもあった。
二つのフィールドは、惑星ともう一つの別の惑星のように、互いを認識できないまま育っていった。それ故、天も地もその存在を認知する彼等は基本的にはいなかった。
しかし時折、どちらかの彼彼女が気がついて、それがもう一つのフィールドに伝わる。それはまるで離れた一卵性双生児が感覚を互いに共有しているかのようである。
暫くの時が経過して、天の世界が再び分断された。それは、とある神様の仕業であった。切り取られたフィールドは、空を漂って、どこかに行ってしまった。
二つのフィールドは交わることを知らなかったが、近代になってその可能性に気が付き始めた。
そこで研究者たちは一度実験を試みた。それは一度きりではなく、長期的に観測地点を設置して、その変化を記録した。研究者たちは実験と観測を重ね、一つの概念を仮定する。彼等はそれを、カウンターパートと名付けた。それは取り換えることが可能か、またなぜそうであるのかなど、いくつものことを疑問に考えた。
そうして長年が経って、研究者たちの末裔は、とうとう向こう側のフィールドに意図して干渉できないかと考えた。それは一度だけか、複数回が可能かと吟味した。もしこの実験が成功するなら、彼等にとってその方法は救世主になると思われたからだ。それは避難所のようであり、場合によっては、それは新たな命が安全に生まれ育つための卵になるかもしれないと考えた。
まだまだ試作段階で、現実性も薄く、別の研究者達はそれは不可能だと主張した。加えてそれがどのような危険を及ぼすかも分からないと、言及した。しかしもう一つのフィールドの彼等は研究を続けるのであった。
きっとこの研究が、遠い未来で誰かの命を救うと信じている。
トニーウォン・アンダーソン著『Transition experiment』より抜粋
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上記を筆頭に、等というこれらを読んで、また後々彼女は辞書を片手に当該英書を読み直し、これはSF小説か何かかと傾げつつ不思議な心地になるのであった。
続く