【3】
//情景~体育祭
(3)
それからのティナは早朝の図書館通いをしつつ委員会の当番の日は真面目に当番に取り組み、そうでなければ意外にも、いつの間にやら他のクラスメイトと共に過ごす事が多くなっていた。というのもこの篠崎高校は雨期に入るより少し前に、体育祭とかいう体操競技で以ってクラス対抗を行う行事があるらしいのだ。この国の学校というのは組織行動に対する訓練の一連なのか、クラス単位で協力して何かを為し得ようとする行事が幾つか設けられている。そのせいで学校全体は体育祭に向けての練習や活動が活発に行われる雰囲気に満ちており、流れでティナ自身もそちらに空き時間を取られる事になったのだ。
ティナが都会に居た中学生の頃にもそのような行事はあったが、如何せんそちらは学力競争が激しい傾向にあった。故にそのような行事に全力投球するタイプの生徒が一部居る一方で、事情だろうか、学業を優先せざるを得ない生徒も居た。それは雰囲気として感じられるものである。
これは恐らく校風なのか田舎であるからなのか、篠崎高校とやらはどのクラスも一丸となって練習に取り組む雰囲気が強い。昼食後の昼休みと放課後のある時間帯までを体育祭の練習の時間として取り上げられてしまう為、それ以外への皺寄せがあるにも拘わらず、しかし何故か皆真剣に向かうのである。
その流れに乗っていれば団体行動もするし、その中で偶々(たまたま)飛び出した会話でうっかり趣味の合う子や同類を感じさせる子をティナは見つける事ができ、その世界は思ったほど暗いものではなかったのかもしれないとさえ思ったのだ。ティナはその少女等と次第に打ち解けるようになり、また何故かそのとある少女と幼馴染であるらしい同クラスの男子生徒にまで会話の中に入れて貰う事もあり、入学当初に感じていたような何かは次第に消滅しつつあった。
そんな日々が続いたとある日の放課後、ティナ等もいつもの如くクラス対抗種目である大縄跳びとリレーの練習を行おうと、だだっ広い校庭に集合をしていた。
「じゃ、取り敢えず全員いる~?………、待って、白金だけ居なくない?」
クラスで実行委員を務める女子生徒が人数を確認し、かと思えば眉を顰めてそのように述べる。
「またあいつかよ~!サボり魔の帰宅部野郎!クラスで一番身長高くて足が速いくせに、いっつも練習には参加しない!しかもクラスに非協力的で感じ悪い!」
「まじないわー、せめて大縄の時くらい回す奴の練習の為にも参加してやれよって思うわー」
かと思えば、クラスの男子陣を主にしてブーイングが飛び出す始末である。どうやら“白金”と呼ばれた男子生徒がクラスの練習に顔を出さないのは毎度の事らしく、それを知った他男子生徒陣も萎えてしまった様子を隠し切れない。
「はいはい、愚痴は後にしな!時間が勿体ないんだから、さっさとリレーやるぞー!はい、軽く準備運動したら全員担当場所に移動!」
そんな男子生徒等を宥めたのは、実行委員のもう一人を務める別の男子生徒だ。それを合図に彼等は文句を垂れながらも、練習の為に皆が位置方面に向かうのであった。
「ちょっと、明日にでも声掛けた方が良いかもね」
実行委員の女子は、男子の実行委員の生徒にそう取り合った。
結局その日は一名のクラスメイトを抜きにして練習に時を費やし、規定の時間を過ぎれば解散するのである。
「お疲れ、ティナ……。何か今日は皆調子悪そうだったね……バトンの受け渡しはつっかえるし、縄にはすぐに誰かしら引っかかるし。特に男子陣が萎えてるっていうのが目に見えてたけど」
「嗚呼、お疲れ様です亜実さん……!そうですねー……やっぱり内心皆気にしてらっしゃるんでしょうね。じゃなきゃそんな注意力散漫になりませんよ」
「あはは、言えている」
今日の練習が終了したとなれば、ティナも他クラスメイトと労い合いつついつの間にかよく話すようになった女子生徒である、武里亜実と雑談をする。彼女も本好きであるらしく、よくその話題で盛り上がる事が多いのだ。
その時だろうか、ふと彼女等の背後から実行委員を務める男女生徒と、彼等の周囲にいた生徒等がかの“白金”について話しているのが耳に入った。
「あいつの事どうする……?明日の朝に私達二人から声掛けてみる?」
「それが一番だろうなぁ……あいつ、空き時間はいつも机に突っ伏して寝てるし、昼休みはどっかに行っちゃうし、放課後はご帰宅直行みたいだしな」
「実行委員二人に言われたら、流石のあいつもちょっとは考えるんじゃね?」
等という遣り取りは数人の生徒の輪の中で為されており、しかしその表情は何処か重い。それはまるで、決して一筋縄に解決など行かないのではと、彼等は予期しているかのよう。
「何か……白金の事、ちょっと大変そうだね」
「そう、なんでしょうか?と言いますかシロガネさんって、どのような男子生徒さんでしたっけ?」
同じく声を潜める様にして亜実も同情したのだが、はてと傾げて全く気にしていないのはティナの方である。元より彼女自身そこまで関わりの無い周囲に気を配る事はなく、まして一切関わりのない男子生徒の存在などやはり視野の範囲外であった。
「わあ……ティナちゃん、あいつを今まで全く気にしていなかったとか意外と腹が据わってるんだなぁ」
かと思えば、今度は別の男子生徒がこちらの会話に加わり出す。因みに彼は長谷川隼という名の、亜実の幼馴染である。当初ティナがムードメーカー的な明るい男子生徒という印象を抱いた彼は、まさにこの男子生徒であった。但し格好良いというよりは、可愛げがあるといった形容詞の方が似合うだろうか。
「え……そこまで変なクラスメイトさんなんて、いらっしゃいましたか?」
「まあ、今は荒れてる訳じゃないからそこまで酷くはないと思うけど……ただ言うなればクラスに非協力的で、いっつも不愛想で顔が怖い。癖なのか知らないけど、ちょっとでも何かがつっかかるとすぐ舌打ちするから、増々感じが悪い……くらいじゃない?」
きょとん状態のティナに対して解説するように亜実が述べるが、その様は冷たく無関心のようだ。
「つぐちゃんも相変わらずクールだなぁ……僕なんかあの怖い顔見ると物怖じしちゃうから、できればあんま関わりたくない派」
この男子生徒、隼からすれば白金という男子生徒はそのように像として映るらしい。実際の所の反応は此方の方が大半であり、男女共々も彼の面倒事に巻き込まれるのが嫌でそっとしていたのは事実だ。
「はぁ……では普通にお話したら、存外分かって下さるのではないでしょうか?」
ティナが訳も分からないながらに見解を示せば、
「それがそうも行きそうにナインダナーこれが。ティナちゃんはこの町住みじゃないから、知らないかもしれないけどさ……」
「あいつ、白金一樹って、中学の時にちょっと荒れた事あんのよ。いつだったかな……中学二年の頃だったかな……クラスメイトの男子と喧嘩したかなんかで、教室の窓硝子を割ったりで大変な騒動になった事があってね。ほら……この町ってちっさいから殆ど皆、小中高一緒の面子なの。だからその時の事が、今でも皆思い出しちゃうんじゃない?もう昔な事なのに、またあったらどうしようって怖くて、どっかで差別しちゃう」
と、この篠崎町を故郷とする彼等は語ってくれたのである。この話は外の都会からやってきたティナにすれば初耳で、素直に聞き入れるしかなかった。加えて補足すると、その際窓硝子大破により被害を被った男子生徒は後に引っ越す事となり、外に転校して行ったのだそうだ。
だがこの時のティナを含めた彼等は、この件の真相を他生徒等と同じくして深くは知らず、やはり部外者の外から見た視点でしかなかったのだが、致仕方がない。知らずとも、その内は呆気なく些細な事であり、また成長の過渡期で力の加減調整が出来なかっただけに過ぎないというのが、真実であろう。しかし周囲はそれを過剰に受け取ってしまって、また噂も誇張されてしまうのが現実というものだと思春期の彼等はこの時身を以って体験してしまったのだが、それを正確に自覚する者は居るか居ないか知れない。
「まあ、事情は人其々で何とも言えないでしょうが、練習に参加してくれるようになると良いですね」
部外者であるティナは、それ以上を言えなかった。
//情景~クラスメイト
(4)
「無理。そんな馬鹿げた物に付き合ってる暇はねーんだわ!悪いな」
翌朝、一限目が始まる前のちょっとした空間のような頃合いの中、突如冷めたような男子生徒の声が教室中を響き渡った。大した事ではなかった筈なのだが、何故か大きく響いて刹那に教室中がしんと静まり返ってしまい、更に妙な空調を織り成す。
「(ぇ……何事?)」
教室の席で今度発売されるという小説に関して話し込んでいたティナと亜実も、この際ばかりは他の生徒と同じように流れていた時間を中断してしまう。小声になりつつ問い掛けてきた亜実に対し、ティナはちらりと窓側の方に意識を掛けた。因みにこの様子は彼女等だけでなく、散り散りの生徒等全員分の視線の集中が其処へと向かっていたのである。
「だから、もうすぐ体育祭だろ?お前以外のクラス全員がちゃんと練習に参加してるんだ。毎度サボって参加してないのはお前だけ。だから実行委員からの忠告だ。今日の昼休みから練習に参加しろ。他の奴だって部活の練習とか空けて、ちゃんとこっちに参加してるんだからな!?」
何度も無視されていらついていたのか、やっとの事で返事が返って来たかと思えばこの様で、実行委員の男子の方が少々不機嫌そうにそう強く述べた。
「断る」
けれどその返答は至極冷たいもので、やる気の無さそうに、また大層面倒事だとでも言いたげに白金は返す一方だ。もう一人の実行委員、女子生徒が説得するもちっとも聞く耳を持たず意見を変えようとはしない。
「どんな理由か知らないけど、せめてどっちかでも練習に参加してよ!皆だって色々都合あるんだよ!?なのに白金だけ裏切るなんて、皆に失礼だと思わないの?」
「こいつ、うちらが他のクラスがやるのに対抗して朝練やろうって言っても、絶対来る気ないだろ」
実行委員の女子生徒がやや強めに言えば、茶々を入れる様に近くで聞いていた男子の内の一人が、まるで嫌味でも言うように突っ込んだ。
「無いね。お前等で勝手にやってれば?」
すると白金の態度はまさにその通りで、けれどその男子の煽り言葉すら相手をするのが面倒臭いらしく、付き合ってられないという様にまるで無関心だ。視線も何処か流し目で、半眼状態に近い。
「そんな事言って練習しないで、もし本番の時に足引っ張ったら全部あんたのせいだからね!?」
幾等言っても聞く耳を持たないその男子生徒の態度に、実行委員の女子も堪忍袋の緒が切れかかっているようだ。その声色は荒々しい。
しかし一方の白金はそんなものに動じる事も無く、至って当然のように口を開いた。
「なら言わせて貰うが、何が好きで俺がお前等の足を引っ張らないといけないんだ?クラスで一番足が速いのは俺だし、俺が他の奴等より運動神経良いのは目に見えてるだろ。体育のクラスの時はまあまあ練習に付き合ってんじゃんか。それで何が不満なんだよ。
っていうか、お前等はそんなに体育祭とやらの馬鹿げた学校のお遊戯で、優勝したいのか?ばっかじゃねぇの?どこの小学生だよ。そんなもんで優勝しようがしまいが、どうせ十年後にでもなったらすっかり忘れて大人の世界を生きてるんだろ?それとも何か?青春の思い出だ~とか言って、誰かに自慢して思い耽るのか?どうせそんな事すら忘れるくせに。人間なんてそんなもんだぜ?たかが一時の学校行事の為に、そんな事頑張って、生きて行くのに何の意味があるんだよ」
その物言いはまるで全てを見下すような、何かを嘲笑するような感情の籠らない合理的な見解である。言われてしまえば確かにその見解は一理あって、彼自身も別に曲がった事は言っていないのだ。ただとても冷めているだけで、それは他の知らぬ高校生からすれば感情を逆撫でされるような、警鐘を鳴らす液体のようである。加えて、
「そんな馬鹿げた事に熱中できるなんて、お前等はさぞ平和でお幸せだな」
等と、彼は追い打ちをかける始末だ。
「さっきから馬鹿げた馬鹿げたって、なんだよ………。皆一生懸命に練習してるのに、そんな練習に参加すらしないで高みの見物気取ってるお前に、そんな事言われる筋合いあるかよ!
嗚呼そうさ!確かに大人になったら、そんな大事な事すら忘れるクズも居るだろうよ!けどそれは、お前みたいに他人の努力を傍で嘲笑ってるような奴等を指すんだよ!そりゃあそうさ、練習に参加してないんだから、その苦労も大変さも身に染みて味わってない。だから簡単に忘れるんだ!
皆大事な思い出になるように、楽しい青春過ごしたって思いたいから今、一生懸命に練習してんだよ!そうじゃないお前なんかに、俺等が同じ物差しで観られてたまるか!」
実行委員である男子生徒が、ややムキになったように声を荒らげて言う。その声もまた同じくクラス中に響いて、クラスメイト等はただ彼等を見守るしかできない。
「……その青春の思い出とやらに、そこまで価値を見出せるか否かはその人次第だろうに?それを他者に堂々と押し付けるのも、どうかと思うけどな」
白金の言葉は、まるで夢から覚めるようにと冷たく発せられる。
そうして暫しの互いに譲らぬ無言の間は、白金とクラスを代表する実行委員等の間で睨み合いになった。その[様/さま]はまさに見解の相違で、残念ながらどちらにも一理あるのだ。
けれどそれもつかの間で、幸か不幸か丁度予鈴を報せる鐘が鳴ったのである。すぐさま熱心な国語の教諭が入室する。そうして教諭はその異様なクラスの雰囲気を目にするなり、
「……どうかしましたか?」
と発せば、白金も実行委員等も場を読む他ない。
「いいえ、何でも」
実行委員の彼女がそう言えば、それを期に彼等クラスメイトは各々に大人しく無言で自席に戻っていった。
「それはそうと……朝の時はちょっと冷や冷やしましたね……」
「ほんとだね、一色触発って感じ。あんなの感じたの、中学ん時以来だよ……」
教室移動中の最中、必要教科書類を持って廊下を行くティナと亜実は疲れて気の抜けたような声を出していた。
「おや……もしかしてそれは、昨日の練習の時に話してくれた件ですか?」
ティナは反射的に尋ねてしまって、しかしもしタブーであるのなら失礼ではないかと悟り、とっさに謝るに至る。けれど亜実は気にしていないと頭を振った。
「まあね。あの時も私と隼は当時あいつと同じクラスで、その……クラスに居合わせてたの。あの時は教室内で殴り合いみたいになっちゃって、先生が止しなさいって割って入って。私達クラスメイトはどうしようもなくて怖くて怯えて……廊下の方に避難させられた。それだけ」
彼女はそのように単調に話すが、対するティナの顔色は察したように何処か明るくない。
「そんな気にする事じゃないよ、もう過去の事だし。今回は私達も高校生で大人になってる。あそこでおかしな事にならないくらい、あいつも感情をコントロールできるようになったって証拠だよ」
「にしてもつぐちゃんはよくあんな冷静でいられたよね。僕なんか怖くて、いつでも廊下に飛び出せるようスタンバってたのに!」
「隼は臆病過ぎなんだよ」
いつの間にやら同行していた亜実の幼馴染、隼も噂をすれば登場していた。その突っ込むを入れる様子は、まるでその肝らしき理想男女性別像が逆転してしまったかのよう。
「でもどーすんだろーね。あの様子じゃ白金、絶対練習に参加してこない気だよ」
「それって多分、今後のクラス行事にも響きそうだよね。文化祭とか、合唱祭とか」
隼と亜実が見解を述べれば、やはりこれは他のクラスメイト等も思案する種である。
「皆で練習したら、もっと楽しくなりそうなのに、それでは何だか残念ですね……」
「あいつにとっちゃ、練習する方が“残念”なんでしょうね」
ティナの場を明るくしようとする声も、現状を意味する亜実の俯いた声色に掻き消されてしまうのであった。
勿論、その日の昼休みと放課後の練習に彼の姿はなかった。
//兎の小屋のランデブー
(5)
あの一件から数日後、今日も問題の白金を抜きにしたクラス練習を終えたティナは、本の返却と貸出の手続きを済ませてから下校する道を選んでいた。夕暮れの中スクール鞄を肩にかけ、フードに付いたうさ耳が足踊る度にふらふらと揺れるが、その足取りは毎度の練習のせいで何処か疲労を感じさせる。地元に住む他の生徒とは違って遠方からやって来るティナからすれば、その細身も合間って、身体への負担が大きいのであろう。
けれどこのように疲労が溜まったからとして、体調を崩して学校を休むなんて事は彼女自身したくはなかった。そこは彼女の意地というか誇りであり、己に決めた事であるらしい。
ティナが渡り廊下から下駄箱エリアのある昇降口へ向かおうと行く中、ふと遠くの方から彼女の苗字を呼ぶ声が僅かに聞こえた気がした。けれど疲れのあまり気のせいだろうかと彼女は思って、それを無視しようとした所、不意に視界の端で誰かが手を振ったのが見えたのである。かと思えばその人影、合図を送った主はティナの方へと駆け寄って来ては人の良さそうに微笑みつつ声を掛けてきた。手には箒と塵取りが握られている。
「青山さん……久し振り!今帰り?あっ、その……良かったらもうちょっと待てる?飼育小屋の掃除、もうすぐで終わるから、ええと……途中まで一緒に帰らない?」
ややくすぐったそうに笑い掛ける男子生徒に、ティナは何処かで見覚えがあるような心地を覚える。加えてその彼の発言からやっぱりそうだと判明したのだが、けれど肝心の名前がティナの記憶の倉庫から悲しくも出てこなかった。
「……嗚呼、あの時のお方!確か、お名前が……!」
「あはは、良かった覚えがあって。納藤雅也です」
合点の行ったティナはまさかこのような時に出会えるなんてと驚いてか、ぴょこんと身を反応させては、あの時は大変お世話になりましたと再度頭を下げる。
「いいよそこまで気にしないでも。飼育小屋の掃除当番、すぐ済ませて来るからちょっと待っててくれる?」
そう告げると納藤は再度踵を返して向こう側に駆け出そうとするので、訳の分からぬティナはすかさず後をついて行き尋ねる。というのもこの学校で、何かを飼育している等聞いた情報は初耳であったからだ。
「嗚呼、この学校、実は校舎裏の方に兎小屋があるんだよ。近くに山があるだろう?あそこから野兎がよくこっちの学校の方まで下りて来るから、幾等か捕まえて、飼育するようになったんだとか何とか……。で、それが代々続いてるって訳」
その情報を聞くや否や、ティナは増々興味が湧いたのか楽しそうにその表情を煌めかせた。
「因みに二年生になると、持ち回りでこの兎小屋の飼育当番になるから嫌っていう程触れ合えるよ」
これには納藤も嬉しそうに補足する。校舎と校舎の間であるタイル地の中庭を抜けて曲がれば、その向こうに何やら大きな一つの小屋が見えた。それはカラフルにペイントされ、外見はポップに可愛らしく、ともすれば一見幼稚園敷地内にでも聳える立派な飼育小屋か何かと見間違うほど。その周辺に当番担当らしい生徒の姿が、幾つか垣間見える。
「あれがそうだよ、面白い外見してるだろう?この学校の卒業生がいつだったか飼育小屋を建てた時があって、一応その時の卒業制作らしいよ。塗装も卒業していった先輩達が行ったんだって。……あ、良かったら兎、見て行く?」
「宜しいんですか!?で、では是非お言葉に甘えまして少しばかり……」
その問い掛けに返したティナの言葉は反射的で、少女らしさ宛らその青く澄んだ瞳をより煌めかせた。
納藤に勧められ、ティナは大人しく他の飼育仕事をしている二年生の邪魔にならぬようにそれら様子を窺ってみるも、どうやらその掃除諸々の仕事はほぼ終焉を迎えていたようだ。
「おかえり納藤~、こっち側の小屋ももう全部済んだよー」
他の当番であるらしい女子生徒が気怠そうに言うも、その視線はすぐに納藤の隣、後輩らしき女子生徒もといティナの方へと移る。彼女はやや驚いたように一旦は見開くも、刹那に何を察したのか、少々含みのある笑みを浮かべては身悶えを隠しつつ後ろにたじろいだ。その視線は意味深に彼の方へと移る。
その挙動不審さにティナは解せず傾げるしかできないが、
「ちょ……!変な目で俺を見るなよ!さっきあっちの渡り廊下で見かけたから、声掛けただけ!兎小屋の話をしたら興味あったみたいだから、こうして連れて来ただけだよ」
と、納藤は何やら誤解でも解く様に強く言い張っている。
「いいよいいよ~、今更そんな小賢しい言い訳なんか使わなくても。貴女、青山さんっていうんでしょう?納藤からいつも惚気話聞かされてるから、うちのクラスでは皆知ってるよ。私、納藤と同じクラスの保坂美穂。どうぞ宜しくね」
そうしてひらひらと手を振った彼女は、どこか愉快で活発そうな笑みを浮かべた。その人合当たりの良さそうな雰囲気に、ティナもつられたようにして緊張など解けて、改めて自己を名乗る。
「一見なよ臭いわ頼りないわで微妙だけど、まあまあ中はしっかりしてるし、やる時はやる奴良い奴だから、どうぞこいつを末永くよろしくお願いしまする」
「はあ……、どうもご丁寧に……?」
美穂の気さくさにティナは訳も分からないながらも話を合わせ、取り敢えず挨拶らしき言葉を発してみる。美穂が丁寧にお辞儀をしたので、ティナも合わせ鏡のようにお辞儀で返した。その後念の為にティナも名乗り上げて、互いの自己紹介を済ませておく。
「ちょっと、何勝手に意味分かんない挨拶してんだよ!?青山さんごめんね、こんな発言本気に相手しなくて良いからね!?」
「何を言うかね、納藤くんよ。人が折角全面的にフォローしてやってるんだから、ちったあ感謝をせいっ!」
「ええ!?なんでそうなってるんだよ!」
二人のそのような笑いを誘う掛け合いを繰り広げる中、ティナはそっと小屋の方を見遣っては窓から覗く兎達の姿を楽しそうに拝んでいた。
「わあ……、可愛らしい兎さん達ですね……っ!初めまして、私、青山クリスティナと言います。どうぞ以後お見知り置きを」
もこもことした白や紅茶色の毛玉、もとい兎達の姿にティナの顔は煌めいて綻ぶばかりだ。
「あはは、その様子だと青山ちゃんは本当に兎が好きなんだね。そのパーカーもうさ耳や尻尾が付いているし!良かったら一羽くらい連れて来るから、抱っこしてみるかい?」
「な、なんと……!?宜しいのでしょうか!」
「構わないよ♪兎も青山ちゃんみたいな子に愛される方が、幸せってもんでしょう。ああでも、逃げ出しちゃったりしたらいけないから、こっち側の庭……柵の中に入って貰う形になるけど、それで良いんなら」
美穂から発せられた思いも寄らぬ提案に、ティナは驚き喜びを隠し切れない。心底嬉しいのか、彼女は美穂等に改めて礼を告げつつ、言葉に甘えて早速小屋の兎の内の一羽と対面する事にした。
その兎小屋は、学校にある兎小屋にしては想像の域を超えるくらいに整備が整っており意外であった。どこぞの村の小学校に併設されてあるような砂埃の入り込む兎小屋とは違い、ここ篠崎高校のものは一種プレハブのようだと言っても過言ではない。空調管理は天井の方にあり、雄と雌とで部屋空間の間取りが分かれているらしかった。室内とも取れる小屋の中は綺麗に掃除され、餌や水も十分に備えられており棲み心地はとても良さそうである。
「小屋の中を掃除する時は部屋毎に入れ替え制で、ここの扉を開けて庭に放してあげるんだよ。で、それが終わったら小屋に戻して、今度はこっちの部屋の兎を放して……その間に掃除するんだ。結構便利な造りになってるでしょ?」
「こんな小屋をうちの高校の先輩達は造っちゃったなんて、本当に凄いよね~」
納藤に篠崎高校兎小屋に関する情報を教えて貰い、同じようにティナも感心するのであった。続く様に相槌を打った美穂も、同感であるらしい。
その後美穂に連れられてティナの元にやって来たのは、一羽小柄な雌の白兎である。彼女曰く、大人しくて抱っこし易いから、という理由でこの度抜擢されたそうだ。ティナはそのまだ若く小さな白兎を抱いて、庭の中の柵に腰かける。ふわふわな白兎と触れ合っていれば、彼女はどこか癒されるような心地がして気持ちが満たされていった。
「そっか……俺達ぐらいになると、そういうのは放っておいちゃうんだけどな。一年生かぁ……ちょっと前まで中学生だったんだもんな。そうなっちゃうクラスもあるかぁ」
ティナは兎と少々触れ合ってから、納藤と共に他愛のない話をしながら帰宅路についていた。と言っても彼女は電車通学の為に駅に向かう必要があり、一方の納藤は徒歩で駅まで彼女を送る、という手段を隠れながらに取っている。
「まあ……私自身も良く事情を知らない身なので、何とも申し上げられないのですが」
そのように述べたティナの顔色は、何処か浮かないものであった。というのも、彼女は体育祭を控えクラスメイトが練習を巡り、意見が衝突している例の件を納藤に相談してみたのであった。
「うちの学校はクラス対抗に何故か皆白熱するんだよなぁ……。確かに皆地元で見知った顔だから、折角の機会を大事にしようって思っちゃうんだろうな。ここは元々そういう風土も強かったし」
他人事のように宣う納藤でさえ、大人しいが故に一歩引いてはいるものの、やはり地元に住む住人の一人だ。彼自身もどう言葉を繋いだら良いか、糸口が見えないらしい。
「嗚呼……なんだかすみません、勝手に込み入ったこちらのクラス事情をお話してしまって。どうぞお忘れ下さい」
場の雰囲気を悪くしてしまったかと、彼女は心配したのか明るい調子で納藤に告げる。けれど彼は変わらず、静かに彼女の言葉を聞いてはそんな事はないと頭を振った。
「俺も気の利いた事を言えなくてごめんな……こういう時は先輩として、何か良いアドバイスをしてあげられるときっと格好良いんだけど……。でもそうだな……人間って、皆人其々(それぞれ)だよね。
確かにクラス練習は大事だし、楽しみにしている人は多い。でもそうだとしても、皆が皆その通りに感情を表現して行動できるかって言ったら……違うと思う。俺は二年生でまだ何にも考えていない方だけど、中には既に東京の大学に進学する事を目標にして、受験勉強に熱心に励んでいる子だって居るんだ。その為にどうしてもこの日だけはクラス練習に参加できないとか、早めに切り上げる他ないって人だって居る。これは受験に限った事じゃなくて、それ以外に家の店の手伝いとか……色々な都合があるんだよね。それをちゃんと見て、当事者でない他者が許してあげられるかって事じゃないかな?」
ゆっくりと紡がれた納藤の言葉は、静かな水の結晶のように澄んでいるように彼女には見えた。
「と言っても、これもまた層々上手く行くとも限らないんだけど」
納藤が最後に付け加えた言葉は、力なく彼が笑う意味でもやはりその通りなのだと察してしまう心地をティナは思う。どうにかできるなら力を貸したいと思う気持ちは、やはり青いのだろうか。あのような言動をした男子生徒ですら、きっと心の底では皆と同じではないのかと、根拠のない性善説な純情を信じてしまう事は果たして愚かか?それを問うても、知る者は今は誰もないのである。
「だけどね、この件がそうだって当てはめられるのは、多分その非協力的な男子も本当は皆と一緒に練習に参加したいって……本心で思っている場合に限られると思う。その子も幼い頃からこの町に居て地元の住人なら、きっとそうだとは俺も願いたいけど。
でも本当の本当に……その男子の非協力的な態度が正真正銘で、クラス練習の事を無意味なものだとしてクラスメイトを発言の字面通りに小馬鹿にしているんなら……やっぱり見解の相違は免れないんじゃないかな。その人の現状はその人の過去の積み重ねだし、自分の事しか考えられない輩の存在もどうかと思うけど……そういう場合は変に介入しない方が……残念だけどクラスメイト達の為だと思う。
法律で守られた自由は、確かに良い意味合いで扱われれば良いんだけど……。字面通りだけでニュアンスや程度を取り違えて、実質悪用しているタイプの人間も何故か居るから……。明らかに目に見える罪は取り敢えず法で裁く事が出来るけど、実際そうじゃない場合は山ほどある。その時は……自分達でどう行動するか、慎重にならないといけないんだろうね」
納藤の見解は、純情無垢な図書館少女に不思議な明かりの存在をも明示するのであった。
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続く