【2】
「あはは……!そんな事もありましたね~」
ぱらりと繰った頁をティナは穏やかに、大きな瞳を僅かに細めて微笑んだ。その見遣る瞳の面影は何処か温かで、久しい大切な何かを抱き留めるようだ。そうして、もう何百年前の事でしょうか……、と小さく儚げに独りごちる。
場所は夢読の館より戻った、表側大図書館の第二司書室である。ティナは自身の机に向かい素直にリナリア曰くの“さんこうしょ”とやらを黙読していた。その書籍、記録とは“あちら”を生きたティナの人生記録そのままであり、彼女からすれば生前の記憶に他ならない。しかしあの時を過ごしてから思い返せば随分と時が経っていたのも事実で、こうして日々の業務や修業訓練に没頭していればそのように感慨に耽る暇も無かったというもの。過去の思い出に意識を馳せては郷愁に漂うなど、ティナ自身余裕のある身分にはまだまだ程遠いと自覚していたが故である。
しかし今回は別物で、これは先代がティナの生きた人生をどのように記録・記述したかという、その責務としての先灯りの道標である。この人生の経験者、つまりは所持者であるティナ本人がその夢読の責務として為されたティナ自身の記録をこの目で拝見できるのだから、これはやはり貴重であろう。その記録と、自身の中に眠る記憶の双方を俯瞰客観視出来る為、これをリナリアは良い勉強の機会だとしたようだ。
尤も、そもそも一般市民であるなら、これらの人生記録の蔵書が保管されている等知る筈もなく、その点においても貴重の意は同じにあろうか。
その時ふと改めて疑問として気になった事を感じて、机のドールハウスエリアにいるであろうリナリアに向かってティナは声を掛けた。
「そう言えばリナリアさん、私達夢読の司書として任務に携わっている者達も、何れその命を終えた際は他の知的生命帯と同じく、人生の蔵書は別の司書さんによって記されているものなんですか?思い返してみれば外部の人生記録の仕事は見聞きてきましたが、内部関係者に関する事は訊いた事がないような………?」
そこまで述べてから不意に顔を上げて見遣れば、次にティナの表情はぽかんと呆気に取られる事となる。
「あれ………リナリアさん?……いつの間に?」
きょろきょろと見渡すも、ティナ以外には業務に出払ってしまって誰も居ないこの午後の司書室で、やっぱり見た通りにティナしか居ないらしい。つい先程までティーテーブルに居たかと思っていたリナリアもいつの間にやら姿が見えず、薄っすらとその香る妖精の魔法的気配すら探せど感じられない。どうやら何処かに、今はお出かけ中らしかった。
「あら……」
ティナの発した声も、何処か空しく部屋を響いたように感じられたのは錯覚か否か。
リナリアの名目はティナに仕える花の小妖精であるが、こうして時に神出鬼没であるのもまた事実である。しかしながら元々この世界における小妖精など気紛れで、掴み所のない存在だと称する魔術師もいるくらいであるから、ティナからすれば慣れっこで日常の隙間に過ぎなかった。
まあ姿を見た次の機会にでも確認しておこうと踏んで、彼女は切り替えて再度視線を本の頁に戻す。けれどそう上手く行かないのが、どうやら本日の気分らしい。
というのも司書室の向こうの窓枠に、何かが弾かれて当たったような物音がしたからである。
「?」
ティナは一度傾げて、もしこれが一般普通人間族であれば気のせいだとして再び視線を落とすのであろう。が、永くここで見習いを積んだ身のティナの魔力的感性は誤魔化せないのだ。彼女が集中して音のした方を精密に視れば、明るい日を取り入れる為に並ぶ窓枠のうちの一つに、何やら電撃系統魔法の通った形跡が見受けられた。
ティナは意を決したように一度席を立つと、その当該の窓枠を確認すべくそちらに歩み寄る。この第二司書室は俗的建物の構造上から言えば一階に接している所にあり、幾等安全セキュリティ管理が万全で重々に対策が取られているとは言え、司書であるティナが気に掛かったのであれば、それは念の為脅威がないか確認せねばなるまい。
というのもこの建造物は魔法レベルの管理下にあり、魔術師程度の行使する魔術なんかではあのような干渉すら此方に出来ず、弾かれるように出来てある。となればやはりあの影響効果からすればそれはやはり“魔法”であって、その発生源もそれなりの実力者である事が窺えるのは自明だ。ならばこそそれが単なる悪戯か、そうでないのかを確認する必要も業務の内である。
当該窓枠に警戒しつつも歩み寄ったティナは、そっとその形跡を確認し、窓の向こうの景色をも確認する。窓硝子の向こう側はこの神殿の中庭になっており、その奥にはサンルームも兼ねた温室ハウスの一部が見えるか見えないか、という所。その中庭は外周を囲み、神殿を護るようにレストシヴスの木々が植え込まれぐるりと森を形成してある。
それは特殊な針葉樹林であり、外敵の奇襲から里を護る為に太古妖精族が聖霊と協力して創造したものらしい、という伝説すら残る謂れのあるものだ。今でも魔法魔術業界では防衛策として重宝される、便利植物の一種である。
さて、という事は先程の電撃魔法の行使者はそんなレストシヴスすら突破できる者であるという事か。身を潜めつつも、魔力観点的にも外を窺うティナではあったが辺りは長閑な午後の中庭の様子の儘で、どうも異常や危険的脅威は見て取れない。
と思うもつかの間、ひょこりと窓枠外の下方から現れたそれにティナは驚いて目を見張り、次いで緊張の糸は解れて窓を開けようと急ぐのであった。
「トルキマリアさん……!ご無沙汰してます……っていうかこっちから訪ねて来ないで下さいよー。入口の正門はあっちです、ここに居たのが私じゃなかったらどうするおつもりだったんですか?」
「や~、お久し振りだねティナ♪元気してた?」
ティナの言葉に返答した彼女はちょいちょいと御茶目に手を振り、かと思えば今度は開けられた窓辺に手をついてはひょいと飛び上がって、その窓辺に腰かけた。そんなお転婆振りの、窓の向こうから姿を覗かせたのは、何処からどう見てもティナと同じく可憐な普通の少女である。彼女もまたティナとは違った形のセーラーカラーの付いた、制服のような衣装―――というより、学生服そのままである。正確に言及するならば、その形はここグリモワーゼ西部に立する公立ユニベール女学院のものだ。
因みにこのグリモワーゼ公立大図書館は、首都を基準にして北西部にその存在を位置している。
「ティナしか居ないって分かってたから、こっちに来たの。だってその方が手っ取り早いっしょ?一々正門から入って大図書館のカウンターや大人の仰々しい世界を経由して……関係者以外立入禁止のエリアを通されなきゃなんない身も、結構面倒臭いのよ?」
あどけなく窓枠に腰かけてはティナを見遣る彼女は、どう見ても年相応の何処にでもありそうな可愛い少女像らしい。思った事を気にせず素直に口にできるのは、これもまたやはり青春期の特権という類であろうかとさえ思わせる。竹でも割ったような清々しさに、ティナまで同じように笑ってしまった。
「という事で、はいこれ!今月期のお届け分ね?」
そう言って彼女が取り出し手渡したのは、一つの小振りな[手提/てさ]げ包みだ。もう片方の手には通学用の鞄が提げられてあった為、一見すればそれはランチボッスクでも入っている包みのようにも見て取れた。しかしそれは一種のフェイクに当たろうか。
「あ……もうそんな時期でしたか……!わざわざいつも有難うございますっ!……ん…、ご苦労様、です?、の方が良いのでしょうか」
差し出された包みを受け取ったティナは満面の笑みで代表して感謝を述べつつ、しかし言葉を場違いで無いようにと選び直した方が良いのかと傾げる様は、幾等年を経たとは言え彼女自身もやっぱり時があのまま止まっているのかもしれない、とさえ思わせる。そうして確認の為に一度包みを開ければ、その中から様々な色をした魔石の数々が顔を覗かせた。つまりこれらはこの大図書館で使用される、エネルギー原料としての魔石の幾等かであるらしい。
「魔石鉱の方々って、もう凄いとしか言いようがないですよねー……。というか、毎度魔法石の配達を有難うございます。いくら此方が定期購入で提携を結んでいるからとはいえ、こうして毎度配達までして頂けると助かるので、感謝に尽きますぅ~」
ティナが正直な所を全身で以って伝えれば、トルキマリアと呼ばれた此方の少女も気にする事はないという様にして応える。
「いえいえ、これくらいは大した事じゃないよ。
ま、こっちも見回りを兼ねているからね。その序でって事よ~。グリモワーゼの街内ならその意味でこっちが負担できるけど、外部までは手が回らないし、こっちも管轄外だから宅配屋さんに任せちゃうしね」
「いやぁー……これが経済が廻ってるって事なんですね、凄いですね~……」
等という会話は年頃少女のガールズトークの体そのままだというのに、話題は何故か経済や商業寄りで、何処か感慨深く見守るような年寄り臭い雰囲気の滲み出ている事はさて気のせいであろうか。
さて突如魔石をお届けに馳せ参じた、このティナと同年代のような同じくらいの学生服姿の少女とはトルキマリアと言う名らしく、その会話から察すればティナとは仲の良い縁らしい事が十分に窺える。
因みにユニベール女学院とはどこぞの名門孤島魔術学園の姉妹校とかで、全寮制の厳格な淑女教育も徹底された同じく名門校らしく、滅多な事がない限り彼女達は箱入り娘で、学外をこんな午後の時間に抜け出す事すら敵わない―――という噂もちらほらとあったりした。それを思い何も知らぬ人間第三者からすれば、この少女の今ここにある状況に、本来眉を顰めるべくものなのかもしれない。ただ個人の事情とは入り組んであり、ここグリモワーゼにはそんな特例染みた存在が幾等も、華やかに盛んな交易の影に隠れているのだ。
どうやらこのトルキマリアもそれに該当する存在らしく、そうでなければティナのような夢読の司書と関わりがある事など説明がつかないであろう。
「っと、そだ。最近東のシルヴィア森林んとこのドラゴンの遣い――兎妖精がこっちの魔石鉱の方まで訪ねて来たんだけど、ティナは何か知ってない?ていうか、あそこのドラゴン達って最近目覚めてたの?」
トルキマリアはふと思い出したように、今度は別の話題をティナに振る。魔石のお届けの件は勿論必要であった件ではあるが、彼女も好奇心旺盛で他の情報をも求めているらしかった。対するティナは目を丸くして、純粋に驚いている。
「はわあー……私程度、一夢読の管理者風情がそんな事まで知る訳がないじゃないですかー!……うん?魔石が必要という事は、やっぱりドラゴンさん達も起きているって事の証拠になるんでしょうか?」
「なんでも高貴な方への大切な贈り物だから、飛び切り質の良い物を選んでほしいって言われてさ?私達もそんな事久しく無かったから、何事かと吃驚しちゃった」
本来これが一般的な大人の世界であるなら、そのような仕事内部事情は容易に口外できないものとして禁忌と扱う。というよりも寧ろ、一般労働者の立場であるならそもそもそのような事情など知る筈も無かろうが。可愛らしい少女が二人してそのような話題を臆する事無く取り合えるのは、やはりそれがティナとトルキマリアであるからだ。
補足すると、グリモワーゼ域の最果て北東部には立派な魔石鉱があり、其処では各国へと出荷する程に質の良い魔石が採取されている。何でも地下に良質で強力な地脈が通っているとかで、その影響で魔法石の生成が活性化し今では立派な魔石鉱として業界関係者には有名であるのだ。魔法師や魔術師が必要材料として扱う魔石の中では、確固たるブランド印としてそれは確立している程らしい。それら魔石とは一般的な魔法魔術師が行う行使術等の材料や資源となる他、一般生活の中にも活用され普及されたタイプもある。その外見は綺麗に磨かれれば“宝石”と称され、けれどどこぞの世界のように高値で経済内を取り引きされる投資対象でもない。それらはやはり魔法魔術師の必要具材の一部に過ぎず、それらが内在させるエネルギーを活用し日常生活の効率化を図る為に用いられる。尤もトルキマリアが話しているような魔石のレベルでは、せいぜい魔法師かそれに能力が匹敵する事を必要とする領域に当たり、力の無い魔術師や一般市民にとって活用するには手に余り効用の得られない物であった。
ティナ自身もこのグリモワーゼ東部に広がるシルヴィアの森に、ドラゴンが棲んでいるという話はリナリアや館長、他の上級夢読の司書から聞かされており知らぬ話ではない。ただトルキマリアの言うように其処に棲まうらしいドラゴン族関係者にお目に掛かった事などここに来てからかれこれ一度もないし、それ以上の不思議な話や噂など特に訊いた事がないのは事実だ。
けれどもティナはその話に関して当時すとんと理解を示してしまったし、例え他の一般人等に否定されたとてきっと揺らぐ心地は覚えないだろう。ティナが知る範囲では確かに、あるのはその噂事象であってつまりはお伽噺のような伝承であるが、それでも尚感じる何かがあった。只日々の業務や修業に明け暮れて、意識した事は少ない。
これが一般市民にそんな事を言おうものなら、人にも因るが笑って取り合わない者もおろうか。しかしながら、シルヴィアの森にはドラゴンが棲んでいるからむやみに森に分け入ってはいけない、というまるで親が子供に言い聞かせるような取り決めだけが種族差関係なく重々に守られており、それが現実であった。というのもこれは正式に『世界合同規則における不干渉』の項目に該当するらしくて、永い時を受け継ぐようにして守られてきたようだ。もしティナに今魔力的素養がなかったとしても、その観点からすればやはりこの伝承はお伽噺ではなくて、本当の意味で“お伽噺”なのかもしれないと、きっと密かに胸にときめくものを感じただろう。
この街の魔力気質の無い人間族の子供なら、一度は夢見てかのシルヴィア森林を探検しに行きたがるそうだが、ここは母親や周囲の大人達に口を酸っぱくして注意喚起されるらしい。それでも悪戯好きなやんちゃ坊主風情はどの時代にも居る訳で、言い付けを守らずその森に分け入ってしまった子供達の話も街の世間話に伝わっている。けれどそのどれもが皆口を揃えて、気がついたら家の前に帰って来ていたとか、実際本当に何も無かったとか、いつの間にか森を抜けて街の方に戻って来ていた、という夢や浪漫を裏切るものばかりだから、当時子供であったお父さんもお母さんもやっぱり笑い話にしてしまうのだ。それを聞いて育った子供達もやっぱり、同じ目を経験しに行くのだから、リナリアのいう通りに人間族というのは確かに阿呆ではないかとティナも笑ってしまった事がある。その話を聞いている一般庶民からすれば、やはり噂伝承とはそんなものだろうと割り切って大人になっていくのだ。もとよりそんな存在があろうがなかろうが、いつでも平和に賑わっている“黄昏の都グリモワーゼ”からしたら、そんな事など些末事なのだろう。
「え……じゃあ夢読の館にはドラゴン達は干渉してないのか……。もしあったら、どうして今更ながらに目覚めたのか理由が分かるかと思ったのにな。まぁいいや、ありがとね」
頬杖でもつく様にしてトルキマリアはふと視線を虚空に見遣り、けれどすぐにティナの方に戻して快く微笑んだ。
「いいえ、情報のお役に立てずすみません。私、図書館関係の業務ばっかりで街の外の事とかあんまり知らなくて……。というか、どうしてこういう時にあの妖精さんは居ないんでしょうね?リナリアさんならその辺りの事も全て知っていそうなのに」
「あはは、知らない事を知らないのは普通だよ。って、リナリアの妖精さんは今日はいないの?」
「いつの間にやら先程何処かに行ってしまわれたようで……」
他愛のない会話は年頃の少女らしくて、穏やかな午後にはとてもよく似合った。
「ドラゴンが高貴なお人に魔石を贈る……なんて、なんか素敵なお話というか浪漫を感じますね♪」
「あはは、そうかもね~。あっちの世界も何か動き出してるのかもね、こっちも色々あったし……」
ティナが空想する少女の如くきらきらと瞳を輝かせれば、トルキマリアも付き合う形で笑い合う。けれどトルキマリアの言葉、その語尾に秘められた事柄を、ティナは全て知っている訳ではなかった。
「あ、そうそうトルキマリアさん!私、とうとう人生記録の初責任者を任されちゃったんですよー!」
「うっそ、まじっすか!やったじゃんおめでとー!」
かと思いきや今度はティナの番だ。どうでも良いのか良くないのか、謎な情報交換はこの二人の間で行われる事らしい。テンション高めのティナに対し、トルキマリアも同様に飛び上がって祝辞を述べる。
「まあでも……一気に三人分でちょっと大きいんですけど」
「え、街の一般人?それとも魔法魔術師?」
「魔法使いさんらしいです。リナリアさん曰く、これから訪ねて来るだろうって」
わくわくとして尋ねるトルキマリアと、やや複雑になりつつも応えるティナの様子はやっとまともならしきガールズトークと化す。
とその時か、この第二司書室の扉をノックする音が室内に響いた。咄嗟に慌てた様子でトルキマリアが近くの物陰に身を隠し、ティナが元あったように窓を締めれば、はい!と返事をして其方に向かおうとする。刹那扉を押し開ける空気の音がして、空いた隙間から館長ことナルが顔を覗かせた。
「失礼します……ティナ、お客さんがお見えなんだが、ちょっと君も同席してくれるか?この大図書館の責任者の方に折り入って通して欲しいそうで、わざわざお越し頂いた方なんだよ。私だけではなくて、やはり本来はティナにその席があって当然と思われるからね」
「はあ……そうですか、分かりました。どちらに伺いましょう?」
ナルに言われて一瞬呆気に取られたティナではあったが、すぐに司書の面持ちになってそう答えた。するとナルはこの第二司書室の応接スペースに先方を通す気であったらしく、ティナの確認が取れれば一度向こうに向き直り、
「どうぞ、こちらにご案内致します」
として、その戸を更に広く開けたのである。そうして訪ねて来たらしい先方の方を、この部屋に通したのだ。
「失礼……丁重なお心遣い、感謝致します」
そう告げて室内に通されたのは背の高く、美しい金髪とロイヤルブルーの瞳をした一人の若い男性であった。その歩み行く姿も気品に満ちていて、何処かの貴族である事はすぐに見て取れる。外套の役目も果たしているらしいマントが、ふわりと翻る。
「わあ……あれ軍人さんじゃない?私見た事あるよ、バスタム討伐軍の人でしょ。元々実力のある強い魔法師の貴族で、この世の中の特殊例法の為に対バスタム用に戦闘員として結成されたっていう……!」
その先方の美しい容姿に感嘆を示したのは、ティナより早くトルキマリアの方であった。ぎょっとして声の方をティナが顧みれば、姿こそトルキマリアの女子生徒のものはなく、けれど代わりに傍の司書机の上でピンク色をしたトルマリの石が不安定ながらも立ち上がって、コツコツと小さな音を立てつつテンション上がってかジャンプしている。
その様子にはっとして、ティナは咄嗟にその石を掴んではさり気なく彼等の視線の無い内にそれを自身のパーカーのポケットに仕舞い込んだ。――というのも、今この部屋に居るのは彼女の素姓を知る者だけではないからである。ティナはそうして静かにしているようにと彼女にこっそり告げた上で、そのままナルと先方の軍人さんが居る応接スペースの方へと向かうのであった。
「やあ……貴女がそうですね?初めまして素敵なレディ。私、バスタム討伐軍所属テレーオマ中立国及びジルフランド公国エリアを担当する斬調特攻特務第七部隊の隊長を務める、ノアン・エシュリオールと申します。どうぞ、以後お見知りおきを……」
金髪の美しい彼はティナの姿を見遣るなり、品良く丁寧に挨拶をした。その紳士の鏡たる言動に、ティナは初めて貴族の討伐軍がどのような者かを目の当たりにしたのである。その余りの美しさと紳士としての礼儀正しさに、ティナですら吃驚して魅入ってしまう程であった。まるでお伽噺の絵本にでも出てきそうな、皇子様と言った方が近いか。
それにしても、その肩書の仰々しさにティナは目を丸くしてしまった。やはりお国の軍人さんというのは、司書からすれば遠い存在である分何処か新しい世界に彼女には見えたらしい。
「わざわざお越し頂いたそうで、ご丁寧にどうも……。申し遅れて失礼致しました。私、ここグリモワーゼ公立大図書館の第八十代管理責任者を任されております、クリスティナ・ラ・シルフォヴァンセと申します。どうぞ、お掛け下さいな。必要でありましたら、お茶でもお淹れしますが如何でしょう?」
ティナもそうノアン氏に言葉を掛ければ、彼も彼女の言葉に甘えて席に着きつつ、返答する。
「おや、レディからの申し出は大変有難いのですが、手を煩わせるには忍びない。あまり長居をして此方のお邪魔をする訳にもいきませんので、どうぞお構いなく。……この度は単刀直入に、討伐軍よりお願いしたい事がございまして参上した次第です」
「はあ、一体何でございましょう?お役に立てる事であれば此方も幸いですが」
ティナとナルも顔を見合わせては、同じく同席して、不思議そうに傾げて問うてみる。そうして彼等は、バスタム討伐軍員であるノアン隊長からその願い出とやらを聞くのであった。
「早速ですが、近々私の所属する討伐軍も新しい部隊を発足しようと準備を踏んでいる段階なのです。規模はそこまで大きくはないのですが、やはり正式に必要性が認められ、この度そのように至りまして。つきましてはその部隊の為の、拠点となる建造物的エリアを用意したく、出来るのであればこちらの大図書館が所有し解放しているという空き施設の幾等かを、そこに割り当てさせては頂けないでしょうか。
この話は既にこの公国を治めるジルフランド公爵にも既に通しており、そちらの許可は頂いております。あとは実際に提供して頂きたいエリアを所持していらっしゃる、大図書館のご見解次第なのですが――」
そうしてそれらを全てを聞き終えたティナ等は、二人して見解同じくあり、至極当然であるとして次のように述べた。
「[成程/なるほど]……そのようでしたら、[大図書館側/こちら]も討伐軍の方々の為に空き施設を専属で開放しますよ。もし足りないというのであれば、範囲を拡張する事も視野に入れましょう。それが一時的であれ、今後にも引き続く半永久的か長期的であれ、貴方方は街の警務部隊と同等の存在ですからね。この街は交易街として栄えている所です。[寧/むし]ろそうして頂いた方が、いざという時に対応が早いでしょうし安心です」
大図書館側の見解をティナが代表して述べれば、ナルも同じく頷いて、
「それはご尤もですなぁ。用心するに越した事はないでしょうし、治安維持の為にも必要でしょう。……あの一件のような事やそれに似たような事は、街の一部としても[大図書館側/こちら]も今後は一切避けたい所です故」
と、述べた。しかし加えられたその真意を解したのは誰だろう。結果として、ノアン氏率いる討伐軍の申し出は叶う所にあるようだ。
「それはとても有難きお言葉!私個人としても、討伐軍一隊長としても深く感謝申し上げましょう!」
許諾が得られたとあって、彼も嬉しそうに顔を綻ばせるのだった。
「否しかし、お国の仕事に携わる貴方方も大変ですな。幾等強力な魔法使いとは言え、その危険な戦地でメルム魔族と闘っている等……どうか重々お気を付けて頂ければと。聞く所によると貴方方討伐軍に所属されるお方は、やはりどこも貴族か華族のご出身であられるとか。そんなご身分の方々が、何故それ程に危険なお仕事を?」
重要要件が済んだと思われれば、何時の間にやらナルも肩の荷を下ろして物腰柔らかくそのように言葉を発している。所謂世間話というもので、またその話題に関して単純に考慮するなら、対抗の敵う人手が偶々(たまたま)それらであっただけに過ぎないのであろうと察せられる所だ。
けれどノアン氏も一貴族の出身、やはり気品に満ちて穏やかにこう述べる。
「なに、上に立つものなら一般の民の事を第一に考える、それは当然の事。力があるのだから、猶更さ。彼等に一般の民の生活を脅かす脅威的外敵に立ち向かえる程の力がないのなら、それに敵う力の持つものがその役を担う。皆が笑って平穏に日々を過ごしてこそ、その国も国として生きるのだ。
この国も公国だったね……貴族も似たような立ち位置さ。民が飢えに陥らぬよう、様々な脅威に晒されぬよう、長閑に楽しく人生を過ごせるよう……その責任を負うのはその領地や国を治める者の務めというものさ。
今の私は、世界という国に住まう民がバスタムという外敵種族による脅威や不安から守り抜くのが務め……その業務はとても限定的で確かに危険を伴うかもしれないが、やはり向かう方向は変わらない。
そう仰る貴殿等も、同じ民を思う国の命で働く存在ではないかね?ジルフランド公爵家も、その願う先は同じ所ではないかと私も考えるよ。もしそれが違えているとあるならそれは、“民の幸せを思う”願い方の手段と、何に重きを置くかという基準と価値観に差があるのでは、と思うよ……」
そう告げると、彼は不思議な微笑みを携えてはお茶目な様子で、とても美しく笑った。
その後彼等は今後の事の進め方や手順、現段階での必要な諸所等の話を聞き、一先ず会合はお開きとなる。
「それでは、今日の所はこの辺りとしてお暇致しましょう。今後私を含め討伐軍の者が度々訪れる事になるでしょうが、その際はどうぞ宜しくとお願いしたい」
そう残して、ノアン隊長とやらは見送りをするナルに案内され司書室を後にするのであった。
「随分と綺麗な男の人だったねー……。言ってる事もまさに国を背負う皇子様みたい……あんなに色々と美しいとずっと鑑賞していたいわ」
扉の締まる音と共にナルとノアン氏が退室して、残りがティナだけとなれば早々にトルキマリアが女学生の姿に戻ってその姿を顕わにさせる。その様子は見惚れを通り越して感心しているようで、小さな溜息まで溢していた。
「全くですよねー……。森妖精みたいに綺麗な人でしたね」
けれどこればかりはティナも同じように感心する他なく、彼女トルキマリアと同感のようである。その際ふと頭の片隅に、あのような国事絡みの申し出をリナリアの監視下に無い状態で許可を出してしまったが、まあ館長さんも同席していたのだしいいかと、ティナは思い描いた。討伐軍は拠点確保の為の場所が欲しいだけだというし、あのような品格の高い軍人さん等が使うというのであれば、協力しない方が非情で失礼というものだ。
「と、それよりどうしてあんな姿に?幾等来訪者さんが魔法使いさんだとは言え、そんな魔力波を帯びた魔石に変身なんかして、何かおかしいって勘付かれたらどうするおつもりだったんです?」
我に返ったティナは、釘でも刺す様にトルキマリアに問い掛ける。
「そりゃあ聖霊だから望めばどんな姿にも変身出来るし?メモ用紙用の留め石だったら、机の上にあっても不自然じゃないでしょ?それにここの大図書館は色々と魔力セキュリティ管理が厳重だから、ちょっとやそっとじゃばれたりしないって♪」
「それはそうですが……。っていうかナルさんも全然気が付いていなかったようですし!」
「そりゃあ魔石を司る聖霊だからね。普通の魔法使い風情じゃ無理よ♪」
トルキマリアとの遣り取りの最中、そこは普通どころかちょっと特殊ではあるのだが……と内心突っ込んではみたものの、それを口外する力は抜けてしまっていた。
彼女トルキマリアとは表向きユニベール女学院に通う魔術師家系の一ご令嬢であるらしいが、その正体は魔石の存在を司る為に宿された、聖霊という類らしい。それはあの魔石鉱がこの地にある事にも所以し、またティナの知らない要因が絡んで、本人曰く、結果的にこの街の守護的存在の一部と言っても過言ではないそうだ。因みにその守護的存在の聖霊等というのは他にも幾つかこの街に隠れ暮らしているそうで、しかしティナが回顧して思い当たる存在は、このトルキマリア以外に知っている者はいない。
「まいいや、そっちも頑張れ~♪なんか事の運びが面白そうになってきたじゃない?いっつも同じ顔触れで蔵書とばっかり向き合っている世界に、突如関わる事となったのはかの高貴なバスタム討伐軍!そこにはあの美しき軍人さんが!
あはは~♪なんか今後の展開が気になるから、あのお兄さんとなんか進展とかあってもなくても教えてね!」
「トルキマリアさん……なんか管轄外の他人事だと思って、遊んでませんか?」
からからと笑うトルキマリアの様子はなんと清々しいだろう。そんな様子に一方のティナはやや呆れ気味だ。因みに補足すると、トルキマリアの言う“あのお兄さんとの進展”というのは、バスタム討伐軍絡みの全体的事象の事を纏めて指している。
「いやぁ~、やっぱこの街はふらついてみるものね♪存外面白い事に出会えちゃうもの。ティナもあんまり根を詰めないで、偶には街中でも散歩してみたら?
さて、良いもの拝見させて頂いたし、そろそろ私も女学院の方に帰るわね。順番からすると、そろそろ授業で私に問題を当てられそうだし。って事で、じゃね!」
そう述べると、彼女は満足した様子で鞄を手にしたままひょいと窓枠を硝子ごと擦り抜けるようにして飛び越え、ひらひらと手を振ってから、空間を消える様にして姿を消した。一応見送りのつもりでティナはすぐさま窓によって見るも、その中庭には既に誰もいない。
ティナはそれでも穏やかに笑ってから窓の外を見詰め、トルキマリアに礼と一時の別れの挨拶を心の中で交わすのであった。
そうしてティナは一人になり、この司書室も静かに落ち着きを取り戻す。気分転換も済んだ事であるし、となればやる事は決まって来るもの。
再び自分の机に戻ってかの“さんこうしょ”、つまりはティナの人生が記された記録を拝見し、自身の過ごした過去と照合してその記録の仕方を確認する。一度に三人分を担当するのだ。夢読の管理者として、初仕事の最初は仕事の基礎を再確認する事である。
**
続く






