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プロローグ

 木洩れ日の指す日差しは窓硝子を擦り抜けて、重々たる神殿のような異世界的空間に光を灯していた。その神殿のような佇まい、上空とも呼べるほどに天井は高く、元来ならばこのような輝きすら見込まぬものであっただろう。また加えて、古い紙特有のかび臭さと言うのもその光の浄化のせいがあってか、然程気になる事はない。

 というのもこの神殿、壁と言う壁には所せましに本棚ばかりであって、またあろう事かそれは壁一面に納まる事を知らず、通路に幾重にも置かれた本棚がある。それはまるで本棚が壁を作り、通路を作り、その神殿の主役足らんとしている。その存在感が特異的であり、その間をすり抜ける小さな人影こそがこの世界の装飾のようでもある。

 かくある場所はグリモワーゼ公立大図書館、そう人々には称された。

 一見は何の変哲のない大図書館であるこの光景も、そもそも“図書館”という蔵書施設の存在を知ればこそ変哲がないのであって、そうでなければきっと物珍しく目も見張るかもしれなかった。只でさえ幾つもの階層を持ち、視界の入る以上に空間を内包したこの巨大神殿には、一体何冊の本が蔵書されているのだろうか。この大図書館に訪れた者は誰しも、一度は思いを馳せるものである。

 そんな異空間内ではあるが、来訪した人影が望みの本を求めて行き交うのもまた事実である。本棚の影に隠れて見え難くはあるが、本を愛する者というのに種族差もないらしい。人間族がその殆どを占めてはいるが、その中にエルフの姿も混じっている。

 例えばこの二階の本棚の回廊を行く小さな人影を見れば、それは小さな少女であった。古典的な衣装とは違いどこか近代的な格好をしており、恐らくは都会で流行ったようなパーカーという類を羽織っている。小さな背丈は本棚に埋もれて簡単に見失ってしまえよう。白きパーカーのフードを被り、それには兎の耳の様なものやリボン、尻尾の様な装飾を為されており大層可愛らしい。それに劣らず美しく透き通るような白く長き髪も隠しきれずに空を揺れて、ひょこひょこと少女が本棚の迷路を歩んでいる。

「えーっと…B208の棚だから、確かこっちよね」

 容姿に同じく透き通るような小さな一言は、誰かに対して告げたものでもなかった。うさ耳パーカーの彼女は一郭の本棚を曲がり、目当ての本を見つけるべく頭上までそびえ立つ壁面の地図を見渡す。

 その時であろうか、どこからか痺れを切らしたような幼い少女のような声が小さく辺りを響く。

「ああもう、こっちではない、のです。いぜんのきおくどおりに、たなをさがしてはいけないと、りありあはごしゅじんさまにおしえたはず、です!」

 その声にはたとして、パーカー少女は一瞬びくりとしてその歩みを止める。本棚に張り付けてある標識を今し方確認してみればそこはE251の列であった。

「ティナのわるいくせ、です。この大図書館のほんだなは、きまぐれ、なのです」

 そう不機嫌そうに告げられた可愛らしい声の主は、小さく可憐な妖精の姿をしていた。何時の間にやら姿を具現化させ、ティナと呼ばれたパーカー少女の肩に大人しくちょこんと座っている。可愛らしい踊り子の様な衣装に、背中には薄い花弁のような羽が特徴的で、それが彼女の小妖精という存在を意味していた。その小さな手には摘み取られたリナリアの花が一輪、まるでランプか杖のように握られている。

「ちゃんとちずで、たなのいちをかくにんしましたか?ほんだなはきぶんやで、ごしゅじんさまとおなじく、あるきまわるのです。きょうはおてんきですから、ひなたぼっこをしているかもしれないのです」

 花のような小妖精は小さく溜息をつくと、主人と呼んだティナに尚も教えているようであった。

「ああ…そういえばそうでしたね……。でも普通、本棚は歩き回ったりなんかしません。固定位置なのが通常なんですよ。其処の辺り、本棚さん達も自覚して頂きたいですね」

 ティナは少しばかり不平を言ってみては、仕方がないとくるりと踵を返し、もう一度回廊に戻った。そうして各階層に備え付けてある神殿内本棚地図をわざわざ確認し直す。よし、もう間違えませんよと一つ意気込んで、ティナはひょこひょこと足取り軽くその場を後にした。目的は円柱の様な内部をぐるりと反対側に回った所である。

 細身の可憐な少女であるティナは学生であろうか、兎パーカーに隠された衣服にセーラーカラーが覗いた。

「よし、この回廊ですね!」

 気を取り直してティナは先程とは別の回廊に辿り付き、その一郭を曲がった。

「えーっと、…B208…B208」

 ぶつぶつと棚を捜すのに小声を放つのは、本来の彼女の癖ではなかったはずである。しかし今は勝手が違い、彼女はある仕事として本を捜している。それはこの“りなりあ”と自称した小妖精の監督の元にあるようであった。

「あ、B208!ありましたよリナリアさん!その棚のf列15……」

 一旦目的を見つけて嬉々としたのもつかの間、ティナは再度真摯な眼差しで当該の本を探し当てようとする。それもその筈で、彼女が後に後述した“f列15”という分類表記は、この大図書館関係者内部における秘匿暗号であり、一般人の目の触れる背表紙には記載の無いものであるからだった。その力の分類はこの世界では一般に“魔術魔法”とされ、その属性は暗号術の一部である。

「これ……ですね」

 暫し当該の棚を詮索していた彼女が、ふと確信したように一冊の本に手を伸ばす。それは身長のあまり高くない彼女からすれば背伸びをして、やっと届くか否かのところにあった。けれど彼女は本の扱いに慣れているのか、それ以上に苦も無く当該の本の背を指で引っかけてバランスを崩させ、彼女の手の内にすっぽりと吸い寄せるのであった。

 その様子を見ていたリナリアが、くすりと頼もしそうに微笑む。

「ごしゅじんさま、ほんのめききだけは、ぴかいち、です。そのみに、はじないのです」

 ティナは確認の為に、その取った本の裏表紙を開けて確認をする。

「我、この図書の仕える者なり」

 涼やかに凛とした詠唱を唱え、裏表紙の一郭を左の人差し指でなぞる。するとたちまち触れた個所に、“B208fー15”という光文字が浮かび上がっては暫くして消えた。透き通るティナの瞳はそれを捉え、目的の本を、ミスなく探り当てた事が立証されたのだ。

 その時漸くティナの肩の荷も下りたのか、一つ安心の息を溢したのである。幾等本に慣れたティナとはいえ、魔法で暗号を掛けられた本を探すのにはそれなりに、彼女自身も魔力消費を必要とするようであった。

 因みにティナのように素養素質が向いていればこそこのようにミスなど無しに当該書籍を探り当てる能力の習得が早かったが、まだ見習いであったり慣れないうちはこのような初歩的な仕事ですら間違う事もしばしばである。

「みつけたなら、さっさと、ししょしつに、もどるのです。よりみちは、だめ、ですよ」

 元々図書館を歩き回る事が好きであったティナにとっては、その忠告は結構な痛手であるようで、つい今でもふらふらともう少し向こうの棚を覗いてみたい気持ちに駆られていたのであった。

「えー!リナリアさん、ちょっとくらい良いじゃないですか。あっち側の棚、私は恐らく初見だと思うんですけど」

「きゅうけいじかんに、するのです!いまは、きんむちゅう!」

 ティナは年相応の文学少女らしく、監督のリナリア妖精に抗議した。しかしリナリアも負けてはおらず、本来の業務に専念するように彼女を諭す。

「休憩時間中は私、読みかけの本が待っているのでそんなの無理ですよー!」

 ティナもティナで泣き言でも言わんばかりに駄々を捏ねてみる様子である。そんな彼女達の遣り取りは第三者から見れば微笑ましいものだが、生憎あいにく一般人にはリナリア妖精の姿も声も聞けない訳だから、それは叶わぬ事であろう。否それ以前に、今この回廊には一般来訪の市民の姿など、無いのではあるが。

「あれっ…?今向こうの本棚の影で、何か動きませんでした?」

「ごしゅじんさまの、きのせい、ではないですか?」

 唐突にふと、ティナは背後の本棚より向こう側の回廊から感じられた、何かの気配に傾げた。リナリアの言葉にそうだろうかと返しつつ、しかし彼女は手に取った本を大切そうに抱え直してから、気になって其方に歩みを進める。ひょこひょこと歩く姿に呼応するように白の長い二つ房の髪が揺れ、フードに着いた兎耳が踊る。

「あー!ちょ……シロモチさんじゃないですか!って、何してるんですかー!?」

 本棚の一郭を曲がってその気配を目の当たりにすれば、そこには一つの大きな毛玉がもそもそと潜んでいたのである。シロモチさんと呼ばれたソレは、ティナの声にぴくんと長い耳を立ててはその顔をあげた。それはまるで大きな樽か座布団の様なふわふわの毛玉であり、しかしその容姿は良く見れば一羽の白兎のそれであった。口元はもさもさと何かを咀嚼しているような素振りで、床を見れば一面にかじり破かれた紙の数々が散らばっている。それら残骸を見てティナもリナリアも一瞬にして青ざめていた。

 というのも然り、この巨大座布団兎が食い散らかしていたのは本のページであったからである。その残骸から見て取れる姿は、本来一冊の大切な何かを記した書籍の形であるはずだったと。

「シロモチさん、蔵書の本は食べちゃ駄目ですってば!ていうか、どうして館内に脱走してるんですか!」

「しろもち!ぞうしょのほん、たべる、だめ、です!」

 そう慌てながらティナとリナリアで、咀嚼するその口からページを奪い取る。

「リナリアさん、事件現場の処理お願いします!私は一先ずシロモチさんを小屋に連れて行くんでッ!ほら、帰りますよ!」

 ティナは器用にも探し当てた本を頭上に乗せると、今度は自分の身体の三分の二はあるだろう大きさのシロモチこと、座布団兎をよいしょと持ち上げた。

「あう…シロモチさんちょっと太りました?重い…です…!」

 するとそのままじりじりとバランスを取りつつ、ティナは座布団兎を抱えて司書室に戻るべく、来た道を帰って行くのであった。その怪力は恐らく日頃の蔵書整理でつちかわれただけでなく、魔力補正もあるのは確かではあるが、それでもその細身の小さな体には不釣り合いで異様である。

 すると今度は、しわがれた老人のような声がティナに話しかける。

「おや、クリスティナじゃないか。がんばってるかい?ここの管理者を務めるのは大変だろうけど、シロモチさんは応援してるからね。リナリアは偶に口が厳しいけど、本当は良い子なんだ。がんばるんだよ?」

「シロモチさん……その言葉、ざっと数百年前に聞きました………!もうあれから幾等経ったと思ってるんですか…!私、もう立派に責務果たしてます……尤も、棚探しは今でも苦手ですけど」

 大きなシロモチを抱え、且つ頭上に乗せた本を落とさぬように移動するティナは、それでも器用に返答した。そのしわがれ声の主こそがシロモチであり、どうやら人語を話せる巨大兎であったらしいが如何せん、その頭脳や時間軸はややずれている。

 しかしこの場合シロモチが話したというより、正確にはティナがシロモチの意思表示を言語として感じ取ったという方が近い。魔力の素養がない人間にとっては、シロモチの先の言語など、理解するはずもないのだから。


 グリモワーゼ公立大図書館。

 この神殿はそう呼ばれており、そこにはあらゆる種類と、大量の蔵書が為されている。ジャンルは多岐に渡り、最古から最新の文学作品や歴史的記録、学術書から様々な論文にまで至るらしい。それは付近に魔術学校の姉妹校があるが故に学術をも発展してきた象徴である。

 単なる交易町であるグリモワーゼであったが、何時しかこの大図書館を目当てにやってくる観光客も増え、今や立派に観光資源と化していた。その力は一般市民や住民の興味関心、知識欲を満たすだけでなく、世界中からその探求の解を見出そうと魔術師や魔法師まで、一度はやってくる時代となった。その交流はエネルギーを産み、グリモワーゼの原動力となっている。

 皆から“ティナ”と愛称される彼女、クリスティナはそんな誇り高いグリモワーゼ公立大図書館に務めを果たす、立派な司書である。外見は半ば十五~六のうら若き少女ではあるが、ここで責務を全うして久しく長い。その訳は色々と込み入ってはいるようだが、そんな事情などこの世界では些末事であり、本人も気にするに値しなかった。というのも、彼女はある意味この地に来る事で己の夢が叶い、満たされているのだから当然である。


「ほら、着きましたよシロモチさん!」

 そう言ってティナは目的の小屋、もとい温室ハウスのような図書館に併設された中庭で座布団兎を降ろした。そうして、もう脱走しないで下さいねと、釘を刺す。

「ぷー…腹が減ったのう」

「シロモチさん、先程蔵書を食べたでしょう?まだ食べたりないんですか?」

 半ば呆れ返りつつティナが返答すれば、シロモチは目を細めて遠くの空を仰ぎ、食欲の季節…冬眠を控える頃じゃからのう、と流れるように告げる。

「まあ確かに涼しくはなってきましたけど、まだ食欲の季節本場じゃないですよね?」

 ティナは仕方がないと諦めたのか、ごそごそとシロモチの食事を用意し出す。ガーデン用の小さな小屋に入って行き、頭上の棚を開けては一冊の本を取り出し、そこから数枚のページを破り取って餌箱に入れてやる。勿論シロモチの体重から健康を意識して、ページの文字数も少なめの物を選び、その字体は綺麗なものであった。

「取り敢えず、今日のおやつはこれで勘弁して下さい。あんまり食べすぎると、身体に悪いですよ?」

 ティナは溜息をつきつつ、用意したページの餌箱をシロモチに出してやった。するとシロモチは嬉しそうに耳を跳ね上げて、大層美味しそうにページを頬張り咀嚼し出したのである。

 その食事が一段落すればシロモチは満足したのだろうか、ふああと欠伸を一つしたかと思えば呑気に鼻提灯はなちょうちんを灯しながらさっさと眠りに入ってしまったのである。

「都合の良いひと……じゃなくて、兎妖精ね」

 ティナはぼやくも、それでもその表情は何処か優しげである。こんな座布団のような巨大兎ではあるが、その存在はこの大図書館にとって重大且つ必要な存在であり、また彼女達もその恩恵に守られている身であるのだから当然であった。

 ティナは用事が済めばこそ中庭を後にして、一先ひとまず司書室に向かう。先程のリナリアに事故処理を任せてしまってそちらが気がかりでもあるが、まずは手元の本を彼女等司書のテリトリー内に移動させるのが先決であるようだ。


「おかえりなさい、ごしゅじんさま。おそかった、です」

 小さな裏扉から司書室に帰還すれば、かのリナリア妖精の気怠げな声が出迎えた。思いの外処理が手早かったらしく、結果ティナよりも先に帰っていたという所らしい。

 ティナの書斎机に備え付けの、彼女専用の小さなテーブルと椅子にティーセットを用意して、彼女は優雅に紅茶を飲んでいた。そこの空間だけが整えられたドールハウスのようで、小妖精独特の世界を作り上げている。

「シロモチさんのおやつの準備に付き合わされたんです、仕方がないでしょう?」

「ほう?てっきりりなりあは、ごしゅじんさまが、みちなるほんへの、よりみちにうつつをぬかしたかと、うたがいました。けれど、きゆう、でした」

 所以をティナが述べればこそ、リナリアはジト目で彼女を見遣る。しかしその見解は間違いであり良かったと言いたいのか、たどたどしい幼女の口調でさも大人の言葉を使って言うものだから、やはり妖精と言う奴は人間族とは違う次元の生命であると彼女も呆れるのであった。

 ティナは手にしていたかの本を机に置きつつ、一つ息をついて被っていたフードを降ろした。白いフードの奥から現れた髪は、それでも隠しきれずに流れ出ていた二房と同様に澄み通っている。このように白く輝いては図書館内ではさぞ目立つであろう、これは本人が意図してか第三者の指示か、その頭部を顕わにして彼女も漸く、羽を伸ばす小鳥のように緊張を解いたような雰囲気があった。

「それでリナリアさん、この本に何の用事ですか?」

 彼女は自席に着いては、かの本のページをぱらぱらと繰る。その文字は彼女の住み慣れた故郷の物とはかけ離れた異国の類で、ともすれば一見彼女の解す所に無かった。しかし彼女もここに来てから幾らかの時は過ごした身である。否それ以前に、どのようなジャンルの壁であれ、臆することなく手を伸ばして博識に磨きをかけたのだ。本の為のならば異国の言語など会得する努力も惜しむ筈も無く、故に今の彼女にはこの本の示す真意すらも理解するに困難はない。

「西方作家さんの幻想小説みたいですね……その一見は抒情詩か何かの体裁ですが」

 そうして改めて本の表紙等を拝見し、その文字をティナは読み上げた。

「そのほんは、じきに、ひつようになる、です。さがすてま、はぶく、だいじ、ですから」

 リナリアは優雅に特製ティーカップで紅茶を口に運びつつ、別に如何と言う事でもないと補足した。しかしその真意はティナにはいまだに分からず、小首を傾げる以外に出来ないようだ。

「それはともかく…、ティナにはなしておく、です」

 リナリアは告げれば、ティーカップをドールハウスのテーブルに置き、しかと目前のティナを見据える。そうしてコツコツと書斎机に両手を添えて坐す彼女に歩み寄り、少しばかり厳かに声を響かせる。

「これからたずねてくる、まほうつかいたちがいるのです。ティナには、そのこたちのきろくをになってもらうことにした、です」

 唐突の命令に、ティナは一瞬夢かと思ったのか瞬きをして目を見張った。しかし真摯に、リナリアは言葉を続ける。

「にんげんの、しょうがいのきろく、です。ティナには、はつしごと、です。でも、ししょとして、ゆめよみのオーダーとして、とうぜん、です。

 カイにもっていかれるまえに、ティナがきろくする、です。それができないなら、そのこたちは、えいえんにどうくつにしばられてしまう、です」

 いつものリナリアの様子と違い、その目や声色は威厳を含んでいる。左右で色の違うその瞳は宝石のようで、とても清い。

「ティナなら、これがどういうことかくらい、わかるですね?」

 リナリアの見上げる彼女は事の意味を十分に理解しているのか、小さく生唾を飲む。そして一つ頷くと、命を下した小妖精に宣誓するかの如く口を開いた。

「その命、承知しました。リナリアさんが私に任せると決めたのであるなら、私はそれを全うするのみです」

 その言葉を聞くや否や、リナリアも目を細めて、たのみましたよ、と言添えた。

 ティナ自身、人間の人生の記録に携わった仕事は幾つかあった。しかしそれは部分的であったり先輩司書の補佐的な物が多く、今回の命のように“責任担当者”としてまるまる割り振られる事は初めてであったようだ。その重さは紛れもない、この大図書館並びに夢読ゆめよみに携わる者だからこそ解するものである。

「……、え、リナリアさん?今“たち”って言いませんでした?空耳でしょうか」

「いったのです、ふくすうにん、まとめて、です!」

 ふと顔色に不安を隠しきれずティナが彼女に確認の為に問うたが、それはやはり真実であったようだ。その言葉を聞くなり、ティナはがたりと音を立てて立ち上がっては同時に、ええ!?と年相応の少女のような反応を示した。まるで信じられないという見解らしい。

「ま、待って下さ…!一体何人分担当しろと仰るのですかっ!?」

 机の上の小妖精…本人の承諾を得られたのならもう役目は終わりと言わんばかりにドールハウスエリアへ戻ってお茶の続きを楽しもうとするリナリアに、ティナは焦りながらも再度尋ねる。

「ごしゅじんさまは、そんなこまかいことを、きになさる、ですか?たとえそれがひとりでも、ごじゅうにんでも、たいさないです。だいじょうぶ、たったの、さんにん、です」

 その人数を聞いて、彼女ティナは小さく反復に詠唱すると静かに席に着き直した。

「あのリナリアさん?初仕事で三人分て、多くないですか?事象記録なら兎も角、人生記録って結構魔力やら労力費やすんですよ?それ以外に表向きは大図書館の司書兼管理責任者なんですけど」

「あとをついだものなら、それくらい、こなしてください、です。だいいち、おもてのめんどうは、館長ナルがすべてしてくれている、です」

 まあ確かにそうではありますがと、ティナもここはぐうの音も出ない。

「……分かりましたよ、その責務是非お引き受けさせて頂きます。では早速、準備を取らせて頂きますから!」

 ティナはとうとう腹をくくったのか、やや意地を張る少女のような素振りで言って席を立った。そうしてこの第二司書室中央の台机の方へ行き、目的の鍵らしい何かを見つけては記録台帳に備え付けの羽ペンで走り書きを残した。そして今度は壁面の本棚から一冊を選び取ろうとする。

「……私が任されたその魔法使いさん達って…もうじき亡くなってしまうんですか?」

 その時ふと、選び取った本を手にしてはティナが透き通るような瞳を伏せて尋ねた。

「さあ、しらない、です」

 まるで気にも留める事も無いように、呆気なく返答したのはかの小妖精、リナリアである。この司書室には、彼女等以外に誰もいなかった。

「りなりあは、なにもしらない、ですよ。でも、ティナは…ごしゅじんさまは、しっている、です」

 そうして彼女はくすりと、物憂げに謎めいた様子で微笑んだ。




「あっ…お疲れ様ですティナさん」

 ティナが深緑色の表紙をした本を抱えて、司書室から表扉を潜り、カウンターのあるエリアに出てきたようだ。そこにはせわしなく本の貸出業務を遂行する者から、何かの管理か書類をチェックする司書達の姿が幾人かあった。羽織る衣服は其々(それぞれ)ではあるが、その胸に光るバッジが司書の証を語る。

 その内の一人の青年が白うさ耳の飾りのついたフードを被って出てきたティナの姿に気付き、快い笑顔で挨拶をした。

「お疲れ様です。……館長ナルさん!ちょっと…やかたの方に行ってきます」

 声を掛けてきた人当たりの良い雰囲気の青年、司書の一人である彼に対して短く挨拶を返せば、ティナはフードを抑えつつ向き直って、向こう側のカウンター奥で作業をしているナルさん事、威厳の携えた恰幅の良い中年男性、館長にその用事を報告した。聞き届けたナルは了解の意を、手を振って示した。

「あれっ……まさか人生記録の初責任者ですか?おめでとうございます!」

 先程の青年がティナの抱え込んだ本を見下ろし、その意味を理解してはまるで自分事のように嬉々として小声で讃えた。そうして、やっぱティナさん、飲み込みが早いって認められてるんですよ、その素養もナルさん達のお墨付きだしと、屈託のない様子で笑い掛ける。

「ありがとうございます。そう言う訳ですので、ちょっとここ、空けますね。後の事、宜しくお願いします!」

 親しげに話す彼の一方で、彼女は用件と共に頭を下げて挨拶をし、足取り軽くその場を後にしてカウンターエリアを抜け出て行く。そんな様子に言葉を掛けた彼はもう少し何かと伝えたそうに、また名残惜しそうな表情をしたが、結局ティナはそんな事も顧みずにひょこひょこと行ってしまうのであった。




 彼女の向かう所は大図書館のある館内を一旦抜け、外回廊を伝った先に併設された別館の方である。先程シロモチを運び込んだ温室中庭とは別の方向にあり、こちらは所謂、関係者以外立入禁止の通路であった。

 大図書館のある神殿のような建物はそれで全てが図書館という訳ではなく、その中には一般市民や公的機関が利用可能な会議室等の施設までが併設されている。故にこの神殿を行き交う人々には、寧ろその解放施設部屋を利用しようとする学生や、魔術師、お役人の姿も無くはない。

 ティナはひょこひょこと周りを気にする事も無く廊下を進んで行き、とある一郭を曲がっては一つの扉の前に向き合った。その扉の上には“関係者以外立入禁止”と記されてある。彼女はパーカーのポケットから拝借した鍵を取り出して、一瞬だけ彼女自身の背後の誰も居ない事を確認してから、鍵穴にそれを合わせて開錠する。がちゃんと音がすれば、彼女は鍵を手に仕舞って扉を開け、その先の世界に足を踏み入れるのであった。

 明けた扉の先、彼女は踏み入れればばたんと音を立てて閉められた扉を、今度は施錠する。そこからは外回廊になっており、本来は室内の廊下であっただろうに一方側面の壁だけが取り払われて外界が剥き出しである。簡単にここから外に出られる構造ではあるが、その景色が異常である。

 本来であれば先程の温室中庭で見上げたような、青空がそこにあっただろう。しかしその世界は、常に何処まで行っても紅に染まった夕焼け色で、その下には幾重にも同じように染まり込んだ森が広がるばかりである。単なる森林かと思えばそう言う訳ではないようで――――否一見すればそうであるのだが――――、その波長からどこか異空間を思わせた。

 この世界に踏み入れればこそ、最早彼女は“夢読ゆめよみ管理者オーダー”に仮面ペルソナを変える。

 もうその目立つ髪を隠すフードも役目を終えた。彼女は堂々とその姿を顕わにする。

 その外回廊を進んで、行き止まりを曲がってもう一つの扉を潜る。その先にもう一つ、別の大図書館が存在していた。その造りも、先程まで居た神殿の図書館と酷似している。


 そう、ここが先程彼女が“館”と称したもう一つの大図書館である。先程までにあったグリモワーゼ公立大図書館が表の世界としての存在であるなら、こちらはその裏側と言った方が近かった。

 ティナ達のような大図書館の司書、関係者には“夢読ゆめよみやかた”と呼ばれている。公的な世界で様々な記録の蔵書を保存、保管する責を負うのがあちらの大図書館であるがしかし、このグリモワーゼ公立大図書館には他の図書館とは違った訳も持っていて、一般人の知らない水面下でもう一つの役目を担っていた。

 即ち一般世界で生涯を過ごした智的生命体の、過ごされた人生の記録――――それを担うのが、こちらの“夢読ゆめよみやかた”である。そこに保管された本棚と言う本棚に収められている書籍は、特殊に作られた本であり記録された誰かの人生だ。

 彼女はコツコツと足音を響かせながら館の通路を行く。まるで向こう側の大図書館と対称のように存在するここであるが、カウンターに居る司書の数も、何かの記録を探し求めに来る来訪者の数もそれと比べてずっと少ない。それもその筈で、此方側には彼女等の様な素養の携える者達しか来る事が出来ず、謂わば秘匿でむやみやたらに公にされる所ではないからである。

 ティナはカウンターを担当する司書に軽く会釈をしてから通り過ぎ、向こう側の一郭を目指す。そして他人の邪魔にならないように本棚の影、その壁際に身を寄せて、一度手にしていた深緑の表紙をしたその本を開くのであった。

 綴られた文字は彼女の住み慣れた故郷の物でも、異国の文字でもない。その特殊な字体は、向こうの表の世界では魔術師や魔法師達が操る、術式文字の一種である。ティナはぱらぱらと当該のページを探り当て、その個所を開く。

「我、彼等を書する責務を引き受けた者なり。名はクリスティナ・ラ・シルフォヴァンセ。我の忠誠に、彼等の眠り行く本を示せ」

 小さく、凛として彼女が本に宣誓する。すると紡いだ詠唱魔法に、すぐさま開かれた本は呼応した。淡く光を帯びた所で次のページを繰れば、先程には真っ白で何も記されていなかったはずのページに、館の地図のようなものが浮かび上がっていた。それを彼女のすらりとした指がなぞれば、今度は赤いラインが次第に浮かび上がって、これから彼女の探し出すべき目的を記し出した。それはまるで迷路に立ち向かう為に共とし、宝物の場所を伝える地図である。

 赤いラインで示された一点のバツ印を確認して、どうやら彼女が任されるべくする彼等の本は、同個所にあると見て取れた。基本的に人の人生と言うのは生きる環境や思想、思考等によって本の収められる位置も違ってくる。リナリアから三人分を任されたが、同じ棚に収められるものだとすれば、きっと彼等は似たような人生を歩んだものかもしれないと彼女は推測した。

 そしてそのページの下方に浮かび上がって記された、彼女が担当をする人生の持ち主、当該三名の記された名前を確認する。それらの名前は彼女からしたらどんな人物であるかも分からず、どのような人生を送ったかも知らないものである。しかし一人前とは言い切れないが彼女はこれでも夢読ゆめよみの司書である、後継者として、第八十代管理責任者として選抜された以上、責務を完遂するのが務めであろう。

「あとはそう、ですね。ここにおさめられているほんも、さんこうにする、よい、ですよ」

「っ!?」

 唐突に彼女の耳に囁かれた言葉に、ティナはつい吃驚びっくりして息を飲むような声を出してしまった。

 しかし彼女以外はそんな事など一切気にする事も無く、手元に開かれた本には青いラインで別のバツ印が浮かび上がっていた。それは先程確認した、当該三名の本の眠る棚と場所が近い。

「リ…リナリアさん。わざわざ同伴の手間を取らずとも、担当するかたの本の在処くらい自分で見つけて持って帰れますって」

 いつの間にか彼女の肩にちょこんと腰かけている小妖精、リナリアに対してティナは小さく述べる。リナリアはどうやらティナの様子を見守っていたのか、姿を消してティナについて来ていたようだ。

「ゆめよみのししょとしても、こうどうにもんだいはない、です。しかしりなりあは、だいだいのせきにんしゃにつかえる、ですから」

 たどたどしい言葉遣いさながら、それでもくすりと微笑んだ小妖精の威厳は、どこか違うものを感じさせる。

「まあ、いいです。兎に角まずは、彼等の本を捜しに行きましょう」

 ティナは気を取り直して、また目的の場所を頭に叩き込むと本を閉じ、毅然としてその歩みを進めるのであった。



「ひとのじんせいは、きほんてきには、おいしいのですよ。だから、カイがもっていってしまうのです。カイにもっていかれたおもいで……じんせいは、どうでもいいきおくで、きろく、です。だから、みーんな、わすれる、のです」

 館内を歩み行く中、リナリアはティナにだけ聞こえるように淡々と言葉を繋ぐ。

「その話、私達人間が持ち得る“忘却”事象における、魔術的理論の観点からの説明ですよね。でも一般的にその多くは、英雄の類なんかは伝承で残りますけど、その辺りはどうなんですか?英雄伝については、私達夢読は不干渉だったと伺いましたが」

「にんげんがれきしにのこす、しるす、そのちからはカイよりもつよい、です。カイはとてもよわい、けれどつよい、です。そのちからは、おおくのひとのきおくにのこる、ちからのおおきいほど、カイにとって、おいしくない、のです」

 “カイ”という存在はティナも夢読の司書を担う上で、知らされた存在である。人間や知性のある生命帯の記憶をかき集めて、それから発せられるエネルギーを元に生息するらしい。“カイ”は、それこそ歴史に名を残す程の存在でもない人間達の記憶を集結させ、己の存在する糧としている。そのような不思議な生命帯である。

 リナリアの言う所、人間による物理的な歴史的記録は、カイからすればあまり好感を持てないようだった。

 ただカイに全ての記憶を持って行かれると、その度合いが過ぎた場合には“歴史”という過去の事象にまで不都合な影響を世に及ぼしてしまうらしかった。ティナ自身その重大さも、脅威も想像がつかない程ではあるが、この大図書館もとい夢読を仕切る魔法魔術師や聖霊達の見解の妥当性に基づき、こうして行動するのである。

 言い換えれば、歴史と言うものは公平であり、記録を残さねばカイの思い通りで誰にも認識されぬ時が来る。そうなればそれは最早“歴史”の事象に留まれず、それは挙句の果て、未来に生きる彼等にとって過去を意味しないのではないか。故にどんな些末な人間の物であれ、彼等の人生は立派な記録を残すべき歴史であると主張した大昔の魔術師の見解が認められ、こうして夢読のシステムが構築され働くようになったのだ。

「人の数だけ、物語じんせいがあるんですものね」

 回顧したティナが、少しばかり思い耽る様子でそんな言葉を口にする。その瞳は何処か物憂げで、あの頃の遠い自身を思い出していた。

「でもすべてにんげんをきろくする、ふかのう、です。だからまほうとまじゅつ、つかうのです」

 魔法や魔術が一つの学問として成り立つこの世界であるからこそ、可能な事である。それに関しては、ティナ自身、身に染みて理解できるのであった。

 人というものは知性を持ったが故、その生き方を惑う事を知った。どうでも良い些末事を気にして、悩んで、迷う。実に馬鹿らしい事だ。これは正確に言えば、人という種族に限った事ではない。中途半端に知性を持ってしまったが故の、当該生命帯に対する代償と言っても過言ではなかろう。

 しかしその“人生”なんて仰々しく表現するものは、言ってしまえば流れ流されてきた軌跡、足跡である。つまりは結果論に過ぎないのであって、もしかしたら当初から迷う事など杞憂であるのかもしれない。ティナ自身も、そんな人生の行き付いた先にこの今があり、それがまた人生の軌跡であるのだろうと思うのだ。


 そんな思索にふけりながら歩んで行けば、恐らく目的とするであろう本棚の付近にやってきた。ティナは今一度本を開いて場所を確認しようかと思うたが、否それより脳内に描いた、浮かび上がって記された地図を回顧すればそんな事など必要がなくなるのであった。恐らくはこの棚だと踏んで、その並ぶ背表紙の文字から当該の物がないかと探す。

 その時、ティナに捜される本達の方が呼応したのだろうか、やや棚の下の方で淡く光を帯び出した姿を彼女は見つけるのであった。ティナはその淡い発光から、一度しゃがんでその背表紙の文字を確認する。仲良く三冊の本が、並んでそこにはあった。

「背表紙に記された人物の名前……導きの人生の所持者の物と同じ、ですね」

 その記された人生の所持者が、先程確認した三名のものと同一であることを確認すれば、彼女はそっと当該の本達を棚から取り出し、大切そうに腕に抱えた。

「さんこうしょは、あっち、ですよ」

 そんなティナの仕事振りを見守るリナリアが、ちょんちょんと手にしていた一輪の小さな花で方向を示す。ティナは彼女に導かれるままに移動して、その本棚の前に立つ。

「したからにだんめ、みぎからかぞえて、さんさつめ、です」

 言われる通りに視線と指を移し、当該の“参考書”として推薦された本を見つけて、その背表紙に刻まれた名を見てティナは一瞬困惑した。

「えっ……これって……」

 そこには違える事のない、人生の所持者の名が当然のように刻まれている。

「たんとうしたのは、先代せんだい、です。いちど、みておくのも、べんきょうになる、です」

 何でもないと言う様子でリナリアは補足すると、ふわりと微笑んで続ける。

「…ティナのほん(人生)、なのですよ」

 そっと当該の本を手にして、ティナはまじまじとその文字を見つめる。その表題には、“Krisztina Aoyama”と記されている。

 それは紛れもない、ティナの人生ものであった―――



続く

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