第3話 人生終了
ベンチャー企業を立ち上げた父と、それを手伝った母を親に持つ原野球人は、原野家に突然変異的に生まれたアスリートだった。両親どころか、先祖をたどってみてもアスリートはおろか、中学、高校で運動部に入っていた人でさえ稀な家系であった。しかし、球人は生まれながらに、高い身体能力と天性の感覚を持ち合わせていた。球人は3歳のころには父よりもキャッチボールが上手かった。そして、小学校に入学すると同時に地域の少年野球チームに入り、小学校1年生ながら6年生の試合に出場していたのである。ポジションはピッチャーではなくセンターではあったが、4番を任される打撃力があった。小学校3年生になるとピッチャーを始め、小学校5年生になるとチームを全国大会優勝に導いたのである。ピッチャーに専念したことにより打撃は低下ものの、それを補って余りある投球を行っていた。小6、中1、中2、中3と学年が上がっても、毎年のように全国大会に顔をみせる投手となり、メディアにも取り上げられた。さらに15歳の頃には、家のテレビでプロ野球中継を見ていたときに、こう言ったのだ。
「あんなレベルで抑えられるのなら、俺は今からでもプロで活躍できる」
葉央高校にスカウトされたときには「俺が投げれば点は取らせませんよ。だから、3年間の甲子園出場は約束します」と言ったものの、高校1年生のうちは監督命令で体づくりに専念させられた。思わぬ故障によって戦線離脱されては困るからだ。その結果、1日に20イニングは余裕で投げられる体になってしまったのである。原野の場合は1イニングあたり10球程度なので1日に200球は余裕ということになる。そして高校2年生になると、夏の甲子園大会予選全ての試合でオール三振、つまり毎試合27奪三振をやってのけたのである。さらに夏の甲子園大会本戦では全ての試合で完全試合、つまり1人の走者も許さないピッチングをしたのである。そしてついた2つ名は
『フルイニングクローザー』
全ての回をクローズ、つまり完璧に抑えてしまうことからついたのである。そんな原野球人だったのだがーー
「なぜだ……なんでボールが投げられないんだよ!」
あの事故の後から、全くと言っていいほどコントロールがなくなってしまったのである。
(もしかして……あの事故のときに右手をついたからなのか……?)
何度か病院で診てもらったが、全て異常なしである。ただただ、ボールを投げる瞬間の感覚がおかしくなってしまっている。叩きつけ、すっぽ抜けの連続である。ボールはいつも明後日の方向に飛んでいく。今までも、コントロールが定まらないときはあったが、ここまで狂ってしまったことはない。
ーーそして、原野球人は野球をやめようと考えていた。幸いにも、学力は平均以上である。葉央高校の卒業生は就職先として、理事長が社長をやっている会社への就職という道が用意されている。これは進路を心配することなく、自分の学びたいことを学んだり部活に取り組んだりできるようにするためである。また、金計の会社の社会人野球チームは、甲子園常連校で日本最強とも言われている葉央高校のOBが集まるというだけあってものすごく強く、プロの1軍と互角だとも言われている。
原野は野球でスカウトされたものの学力的には問題はないので、野球部を退部しても退学処分にはならないだろう。特待生ではなくなるだろうが。
「原野……本当にやめるのか?」
退部願と書かれた封筒を受け取った野球部の監督は呆然としていた。いくら球速が速くても、コントロールが全く定まらない投手などいても仕方がない。しかし、ここにいるのは、将来確実に日の丸を背負って野球をやると言われてきた投手である。実際に甲子園の優勝投手だ。
「俺はもうだめですよ。自分が一番よくわかっています。今までありがとうございました」
「そんなことを言うな。これからコントロールが改善されることだって……」
監督はどうしても退部してほしくないようだが、原野の決意は変わらなかった。
「もう俺に構わないでください」
こうして、原野球人は野球人としての人生を終えたのだった。




