カエルの腹踊り
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、「カエルの腹踊り」を見たことがあるだろうか?
……そうか、ないか。いや、ひょっとしたらメジャーな現象じゃないかと思ってね、つぶらやくんなら、知っているかもと思ったんだ。
僕の住んでいた地元にはかつて、腹踊りをするカエルが存在したらしい。過去形なのは、最後に確認されたのが40年ほど前なんだってさ。僕は話に聞くばかりで、実際に見たことがない。もし、何か手がかりがあればそれを参考にしようと思ったのさ。
――ん? その腹踊りがどんなものか知っておきたい?
まあ、こう話を振ったんじゃ、君じゃなくても気になるよねえ。じゃあ、話そうか。僕のお父さんが小さい頃の話になるんだけど。
お父さんが腹踊りの話を聞いたのもまた、当時のじいちゃんからだった。普段はぴょんぴょんと前後の足で跳び、水の中を泳ぎ、喉を鳴らすカエル。その彼らが後ろの足で立ち上がり、人間が腰を振って踊るように、腹を見せながら踊り回る時があるのだという。
初めて聞いた時、お父さんは興味津々だった。どこでそのようなカエルが見られるのか、じいちゃんにしつこく尋ねたらしい。けれどじいちゃんは、少し険しい表情をしながら「もし腹踊りをしている現場を見たなら、すぐに教えろ」と、お父さんに釘を刺してくる。
そのやり取りで、お父さんはぴんときた。じいちゃんのいう腹踊りは、大人にさえも重圧を与える大きな秘密が眠っているだろうことを。子供心に、大人がたじろぐことに心地よさを感じていたらしい。
どうにかその秘密の一端を握りたいと、お父さんはカエルたちの動向に気を配るようにしていた。
カエルを飼っている友達にあたってみたけれど、腹踊りをしているところを見たことはないという。やはり自然界の中でなくてはと、お父さんは家の周りから徐々に足を伸ばし、カエルたちを探してみる。
けれどそれらしい現場に出くわすことができず、やがて季節は震えそうな寒風の吹きすさぶ、冬のただなかへ。飼っているカエルなら、冬でも起こしておくことが多いと聞くけれど、自然界におけるカエルはほぼ冬眠するようだ。
さすがにこの時期じゃ見つからないか、と半ばあきらめ気味のお父さんだったけど、たまたま遅く終わった学校の帰り道。いつもの通学路を離れて、住宅地と工業団地との間に広がる田園地帯へ向かう。もう少し暖かい季節であれば、カエルの大合唱が響くことで子供たちにも知られているポイントだ。
中途半端に水たまりが浮かぶ、冬の田んぼ。お父さんが一枚一枚、じっくりと眺めていると、その水たまりの中を並んで泳ぐカエルたちを見かけたんだ。
珍しいなと思ってお父さんが足を止めると、彼らは泳ぎながらそのつぶらな瞳で、ちらりと空を見やった。水からあがると、てっきりバラバラな方向へ跳ねながら去っていくものと思っていた彼らが、一様に同じ方向へ跳んでいく。
田んぼの縁に沿って、横一線に並んだ彼らはまたじっと空を観察して動かない。「何があるのかな」と、お父さんもカエルたちが見上げる方向へ目を向けるも、夜が間近に迫った黒がちの雲たちよりほかに、確認できなかった。
やがてカエルたちの列の一番左端。列から見てほぼ直角の位置にいるお父さんに一番近い側のカエルが、すっと立ち上がる。話に聞いていた通り、後ろ足二本で直立し、前足を万歳するように振りかぶった。そうして身体を大きく見せても、全体は手のひらに乗っかってしまうほどのサイズなのだけど。
どうやらこのカエルがリーダー格らしく、彼の動きに合わせるように、カエルたちが次々と立ち上がっていく。そして彼らは一斉に、膨らみかけのお腹を回すように、前後左右へ動かし出したんだ。
――ついに出くわしたぞ。
お父さんは興味津々で、彼らの様子を眺めていた。あいにくカメラの類は持っておらず、家に帰る時間ももったいなかった。カメラを取って帰ってくるまでの時間で、この愉快な現象が終わっていたりすると、興ざめだ。
それくらいなら一分一秒でも長く、この珍しい光景を網膜に焼き付けておきたい。そう思ったお父さんは、じいちゃんの言いつけのことなど忘れ、彼らの踊りをじっと眺めていた。時間と共に、彼らの腹踊りは速さが増してきたような気がする。フラフープを回す時のような腰の振りを、何段もアップテンポにした感じだ。
果たして人間でも、これほどの腰使いができるものがどれほどいるだろうか。そんなのんきなことを考えていたお父さんは、ふと頭の上から季節外れの熱気が押し寄せるのを感じた。
それが何であったかは、すぐに見上げたお父さんですら分からない。ただ暗い空に中であまりに目出つその赤い玉は、この辺りの田んぼを何枚も押しつぶすほどの大きさをしていた。かろうじて雲に隔てられているらしく、その細かい部分は黒い幕の向こうに隠されて、判然としない。
赤い球は時間と共に、ますます大きさを増してきて落下しているのは明らかだった。けれど不意に接近を止めると、お父さんの頭上を横切るような軌道に変更。その影を周囲の地面に落としながら、徐行する車のごとき速さで動いていく。
そうして球が作る影の下、より深い闇に覆われるひとときで、お父さんは見たんだ。カエルたちがいた位置に、点々と赤い炎がともっているのを。一定の間隔を開きつつ並ぶその炎に沿って、空の球は動いていく。
誘導灯だ、とお父さんは分かった。夜間の飛行機が滑走路へ着陸する時に灯す明かりにそっくりだと思ったんだ。だが球はこれ以上地上へ近づかず、むしろ遠ざかっていくように見える。雲の帳が厚みを増し、球の姿が薄くなっていくのが、その証拠だろう。
影が小さくなるにつれ、再びカエルたちの姿が見えてくる。彼らの腹の動きはますます勢いを増していたが、先ほどと違うのはその腹全体が、一匹一匹、炎を宿していることだ。
火だるまの一歩手前。身体の半分以上から赤い火を燃え上がらせながら、彼らはひるむことなく踊り続けていたんだ。そうしていよいよ球の姿が見えなくなると、いつものように四足歩行で地面にへばりつく、我先にと田んぼの水の中へ向かって跳ねていく。その間も、腹からは炎が出続けていて、いくつかは残っていた稲の刈り痕にかすり、黒い焦げ目を残していったとか。
カエルたちが水に飛び込むと、花火をバケツの水へつけた時に似た「じゅっ」という音と共に、腹の炎は鎮まる。そして彼らは来た時と同じように、そのまま水たまりを渡っていって見えなくなってしまったんだ。
彼らの誘導がなければ、ひょっとするとあの赤い球は本当に落ちてきていたのかもしれない。そうしたらお父さんも巻き込まれて、おそらく僕は生まれなかったんじゃないか、と話していたんだよ。