【女子寮】寮で暮らすって大変です・聖女宮の炊事事情
リアさんは、そこでふと首をかしげた。
「でも、レニャード様はなぜか大丈夫なんですよね。くしゃみ出たことないんですよ。どうしてなんだろ?」
レニャード様が小さな猫の胸を反らせて、得意げな顔つきになる。
「ああ、それはきっと、俺が毎日ブラッシングを欠かさないからだな!」
「あはは……」
リアさん、内心で『変な王子……』って思ってそう。この子、素直だね。すぐ顔に出るよ。
「くしゃみが出ないなら、リアさんがレニャード様を避ける理由もないってことですか?」
私が口を挟むと、リアさんはうなずいた。
「そういえば、そうですね」
ふんふん、なるほど。
「あともうひとつ。リアさんって特待生でしたよね? 寮部屋で、朝食と夕食つきの」
「はい」
「王城のこのへんだと、同じ生活をするのに、だいたい月に三十五万はかかりますね」
リアさんは目をまんまるにした。
「そ……そんなにかかるんですか?」
あ、やっぱり。
パリス・サラ様のお叱りももっともなんだけど、たぶんふたりとも、自分の持ってる金銭感覚が相手と大幅にズレてるって分かってないと思うんだよね。
ふたりの感覚のズレが合えば、誤解も解ける気がするな。
「リアさんの住んでた街だと、一食分の食事でだいたいどのぐらいかかりました?」
「……二百か、三百くらいでしょうか」
「このへんだと、一食あたり二千は覚悟しといたほうがいいですね。もちろん、最低価格でですよ」
「そんなに……!?」
「たぶん、物価が違うんですよね。リアさんのお父さんって何のお仕事なさってました?」
「街で大工を……」
「王都の棟梁は少なくとも月に二百万か三百万は稼ぎますけど、リアさんとこは違うんじゃないですか? たぶん、年に四、五百万くらい……」
「いえ、もっと少ないです……」
私がちらっと視線をやると、パリス・サラ様はすっかり顔色を失っていた。
まあそうでしょうね。五百万って、パリス・サラ様にしてみればほんのパーティ一回分くらいのお値段ですよ。
目の前の学友が、自分の使用人とそう変わらない暮らしをしているということに、ようやく想像がいったのでしょうね。
「……リアさんが苦労してるのはなんとなく分かりました。私からも、なんとかリアさんの奨学金を増やしてもらえないか、王太后様に相談してみますね」
私がそう言うと、リアさんはぱっとうれしそうな顔になった。
「本当ですか? ありがとうございます!」
「それはいいんですけど、リアさんは聖女宮の見習い聖女になって、ゆくゆくは聖女になるわけですよね?」
「はい」
「聖女って、上流階級のマナーもけっこう問われるんですよ。で、知ってると思いますけど、私たちのような高位貴族も、ときには国王陛下から褒美や恩賞をいただくために、地位やお金の催促をしたりするんです。そのルールからいうと、リアさんのしたことは、全部間違ってました。あれは怒られても仕方なかったと思います」
リアさんは絶句している。それはそうだよね、庶民はそんな貴族間の暗黙のルールなんて知るわけないもん。
「パリス・サラ様は、それを教えてくださったんだと思います。そういうのって誰も注意してくれなかったりするんで、リアさんも、この機にパリス・サラ様からきちんと教わっておくといいと思いますよ」
リアさんは青い顔でうなずいた。
「そうだったんですね……私、何にも知らなくて……」
「私たちは生まれも育ちも違うんですから、ちょっとだけ相手の立場を想像してあげられたらいいですよね」
そして私は、抱っこしたままのレニャード様の顔がよく見えるように、リアさんに向けてみせた。
「レニャード様も、リアさんと仲良くなろうと思って、猫ちゃんなりに一生懸命リアさんの喜びそうなことを考えてくださっているわけなんですけど……そこのところ、リアさんも、ちょっとだけ考えてみてもらえませんか?」
リアさんは、やあ、とおててを差し出すレニャード様を見て、笑顔になった。
猫ちゃんにおててを差し出されて笑顔にならない人類なんていません。レニャード様は最強かわいいね。
「まあ、こんなところで立ち話もなんですから、みんなでタピオカミルクティーでも飲みにいきません? 私も、リアさんとはゆっくりお話してみたいなと思ってたんですよ」
こうして、リアさんが入学してきてから苦節二か月。
ようやく初めてのタピオカミルクティーに誘うことができたのです。
***
お茶には、パリス・サラ様もついてきてくれました。
パリス・サラ様って見た目も中身も完璧なお嬢様だから、紅茶に詳しそう。タピオカミルクティーなんて飲ませちゃっていいのかな。
パリス・サラ様は、きょろきょろと物珍しそうにスタンドの周辺を見回しました。
「ルナ様やレニャード様は、よくこういうところにいらっしゃいますの?」
「いえ、私たちも初めてですよ。でも、見習い聖女はみんなここに来るって聞いたから、興味あって」
「ここがタピオカ屋か! ふん、まあ、なかなかの店だな! 俺は焼いた鳥をもらう! ……なに? 置いてないだと!?」
レニャード様、無茶ぶりしすぎ。
レニャード様のホットミルクと、三人分のタピオカミルクティーを注文して、私たちはそばの円卓に並ぶことになりました。
レニャード様はテーブルの上だよ。目線の高さが低いと嫌なんだって。
「貴族の皆さんっていつもこういうものを飲んでるんですねー」
リアさんがひとごとのように言う。
「リアさんちの付近には、カフェってなかったんですか?」
「あるにはありますけど、こんな屋台みたいな場所ではなかったですね。王城のまわりっていっぱい屋台が出てて、面白いです。変なおやつもいっぱいあるし。まあ、高くて買う気はしないんですけど……」
リアさんが、通りを行きかうサンドイッチ屋さんを目で追う。
「……そんなに高いものかしら?」
パリス・サラ様がぽつりと疑問をつぶやいた。
「たっかいですよぉ! パンとチーズが挟まったサンドイッチほんの一切れで千も取られてびっくりしましたもん! うちの故郷だったらフライパンサイズの大きなチーズが買えるのに……ああ……」
そうなの、とパリス・サラ様が受け答えをする声音は、先ほど怒鳴り合っていたときほど強くはなかった。
庶民の暮らしって大変なのね……というような、同情の色が浮かんでいる。
リアさんは、急に身を乗り出した。
ひそひそとしたささやき声で私たちに話しかける。
「そうだ、皆さんに聞きたいことがあったんですけど、鍋ってどこで買ったらいいんですか?」
「え……鍋?」
「一応、私の部屋にも暖炉がついてるんですよ。で、お鍋を置けるスペースもあるから、ここで何か料理ができたらいいなって思ってるんですけど、肝心の鍋や食材をどこで買ったらいいのか分からなくて……」
パリス・サラ様が、とてもびっくりしている。
「りょ……寮でお料理をなさいますの……?」
「私だって分かってますよ、禁止だってことくらい! でも、もうマッシュポテトには飽き飽きなんですよ! まずすぎて耐えられません!」
わあ、大変そう。
「私は自宅から通ってますけど……パリス・サラ様も寮生活組でしたっけ?」
「ええ……まあ」
「お食事ってどうしてるんですか?」
「もちろん、寮で皆さんと同じものをいただいていますわ、でも……」
「でも?」
「……自宅からも、よく荷物が送られてくるのよ。その……」
パリス・サラ様が、少し恥ずかしそうに眼を伏せる。
「……わたくしも、マッシュ・ポテトばかりで飽きてしまったの」
あらあらあらあら。
パリス・サラ様ったらかわいい。




