【餌付け】うちの王子様がチョロすぎる件について
私は緊張を隠して、何でもないふりでイリアス王子に尋ねる。
「こんなところで何してるんですか?」
ふわふわの銀髪の少年は屈託なく笑った。
「暇つぶし。お嬢様の授業が終わるまで待機してるんだよ。もう暇で暇でしょうがなくってさ。よかったら僕と遊んでよ、おねーさん」
軽い!
あれ、イリアス王子って、もっと無口で無表情じゃなかったっけ。
暗い人生を歩んできているから、誰も信用していない子だったはず。死んだ魚みたいなのっぺりした記号の瞳をしていたはずなんだけどなー。
「私の好みのタイプはオレンジ色の毛が全身に生えてる男の人なので、間に合ってますね」
「あはは、なにそれ、さっきの猫のこと? おねーさん猫好きなんだ。僕も好きだよ」
それは耳寄り情報ですね。
イリアス王子が私やフルツさん並みの猫狂いなら、レニャード様の魅力で落とせるかもしれない。
「そういえば、おねーさんは知ってるかな。この国の王子は、猫なんだってうわさ」
「ええ、まあ……」
「どういうことなんだろうねー! 僕も一度会ってみたいな。おねーさんは見たことある? 猫っぽい人だった?」
すっごくノリが軽ぅーい。
この子、レナード王子のことを話すときはもっとこう、隠し切れない負の感情をにじませてたような気がするんだけどなあ。
……もしかして、事前に打っておいた手が効いたのかな?
実は私も、イリアス王子が要注意ってことは分かってたから、先手を打って、経済援助をしておいたんだよね。
私のお小遣いから出してたから、大した金額ではなかったんだけど、それでも庶民にとっては十分な暮らしができるくらいあったはずだし、前世知識の限りを尽くして、疫病に気を付けるように警告して、大流行した年にはちゃんと医師も派遣しておいた。お母さんが無事で生きてるって報告もらったときはホント安心したなー。
本当は彼を王城に呼び寄せて、母親と一緒に住まわせるくらいした方がいいとは思ってたんだけど、問題が問題だけに言い出しづらくって。
だってさ、隠し子だよ。もしも純情なレニャード様が、実はパパ隠し子作ってましたーなんて言われたらどう思う?
絶対ショックで寝込んじゃうじゃん……猫だけに。寝こんじゃう。うん、ダジャレ言ってごめん。
それで、王太后様もあんな感じじゃん?
『旦那さんが作った隠し子ですけど、子どもに罪はないんですから、一緒に王城に呼び寄せて暮らしたらどうです?』とか進言したらどうなると思う?
絶対『生意気言ってんじゃないよこのガキ! よし婚約破棄!』 ってなるじゃん……あの人ならやるよ。私は詳しいんだ。
だから私は、二人に内緒で、ちょっとずつこそこそと匿名の慈善家として彼に手紙を送ってました。
ここは中世ヨーロッパ風世界だから、社会福祉なんてほとんど貴族の慈善事業オンリー。だから、さほど怪しまれずに完全犯罪が成立していたと思う。
あとは、あの『あしながおじさん』は、実はレニャード様だったかもしれない、でも本人は照れ隠しで完全に知らんぷりしてる……という風に持っていけたらいいかなと思ってる。
うわさをしていたら、レニャード様がおやつを食べつくして、戻ってきた。
大小さまざまな猫たちがたかる少年の足元に来て、大きな声で怒鳴る。
「おい、お前! この食べ物はなんだ!?」
少年は、素でびっくりしたようだった。
「喋った……」
「先ほどは申し遅れましたが、実はこの方がレニャード王子様です」
「へ……?」
少年は混乱している!
そりゃそうか、小さいころに面識あるはずだもんね。なんで人間が猫になってるのか、意味分かんないでしょうよ。
「わはははは! 俺のこの姿を見るのは初めてか? そうだ、俺こそが、レニャード・バル・アッド・シンクレアだ!」
びっくらぽんしていた少年の顔が、みるみるうちに喜色に染まる。
「レニャード様だ! すっげえ! 本物の猫なんだ!? ねえねえ、どうして猫なの!?」
「先に俺の質問に答えろ! あの、おいしい食べ物はなんだ!?」
レニャード様が少年のひざに飛びついた。はた目にはじゃれついてるかわいい猫ちゃんにしか見えないけど、レニャード様はいつになく真剣な顔をしている。
「これ? 僕の故郷の特産品でね。小魚の干物なんだけど、猫に喜ばれるから持ち歩いてるんだ」
「もっとくれ!!」
少年が小魚をばらまく。
レニャード様と、周囲の猫ちゃんは先を争って飛びついた。
もしかしてあれって、煮干し的なもの?
だとしたら、塩分高いよね。あげすぎよくない。
私はあわててレニャード様を抱き上げた。
「レニャード様、小魚は食べ過ぎるとよくないですよ。ミネラルの結石が詰まって、おなかいたいいたいになっちゃいますよ」
「ええい、離せ! 俺は、こんなにうまいものを食べたのは初めてなのだ!!」
レニャード様が本気で私を蹴り蹴りするので、私は何カ所か引っかかれた。あいたー。
もう、しょうがないなあ。
「……もう一本だけもらってもいいですか?」
「はい。どうぞ」
私の腕の中で、小魚を両手で押さえてバリバリ食べるレニャード様。ほんとにおいしそう。
そしてそれを少年はにこにこ笑顔で見つめている。
レニャード様はあっという間に食べ終わった。
「うまい! うまいぞう! ええい、ルナ、離せ!」
レニャード様は、身体を器用にねじって、抱っこする私の手からすり抜けた。
すちゃっと華麗に私の足元に着地したレニャード様が、少年に追いすがる。
「もっとくれ! もっと! もっと!」
「あははは、どうしよっかなー?」
必死ですりすりにゃーんとすがりつくレニャード様を、少年はさっと抱き上げた。高く持ち上げて、くるくる回ったりしている。
猫を扱う手つきも手慣れたもの。
私の覚えてる限りだと、原作のイリアス王子に猫好きの設定はなかったはず。だからもう、キャラ自体が全然違う。別人レベル。
「そんなに舐めたらくすぐったいって!」
「なあなあ、あの魚はないのか? もうないのか? ほしいぞ! もっとくれ!」
レニャード様……煮干しがほしいからってそんなに媚びを売らなくても……
ていうか、私と一緒にいるときよりも媚びが激しいですね。ルナは複雑です。
レニャード様は「ぐるぐるにゃーん」と、のどを鳴らしながら同時にかわいく鳴くテクニックまで使って、一生懸命少年に擦り寄っている。文字通り、お耳の生えたかわいい頭のてっぺんを少年の腕にすりーんとこすりつけまくっているよ。
レニャード様の必死アピールに、少年は笑い崩れた。
「あはははは、もう、かわいいなあ、レニャード王子は! あげたくなっちゃうよ!」
「あ、あの、小魚はあげすぎよくないので……」
「だってさ。ご主人様がこう言ってるからしょうがないね。次は、ご主人様の目を盗んで僕のところに来てね!」
レニャード様の目がカッと光った。もうね、顔に書いてある。「その手があったか」って。
「だ、駄目です、レニャード様! 私の見てないところでおやつもらっちゃだめ!」
だって、イリアス王子は何をしてくるか分からないんだよ。餌付けしておいて、あとでこっそり毒を混ぜたりとか、平気でやるタイプだものね。
ううう。どうしよう。
「あなたも、レニャード様に勝手におやつあげたら怒りますからね!」
「わあ、怖い。君の御主人は心配性だね」
「ルナ……」
やめて、うるんだ瞳で見つめないで。
「もっと食べたい。頼む。一生のお願いだ」
ごますり、ごますり、すねこすり。
レニャード様が私の脛に身体を摺り寄せ、しっぽをくねくねと絡みつかせてごろごろにゃんにゃん鳴く。すりすりと、脛をこする尻尾の毛が心地よい。ああっ、なんたるモフモフ。なんたるかわいさ。
ううう、かわいい。
「こ……! 小魚は一日二本まで……! それ以上はダメです……!」




