【念願の】ファイナル進化!アップデートの内容全公開しちゃいます!
知らないおじさんのホルンを吹くのはちょっと気が引けたけど、言ってる場合じゃないので、我慢して口をつけた。
思いっきりホルンに息を吹き込む。
すると、威勢のいい音が鳴った。
ブォーンッ! ブォーンッ!
音は一応出るけど、メロディの出し方までは知らない。だって私フルートしか吹けないもんね!
犬たちは、奇妙な音が立て続けに鳴るので、戸惑ったように私を振り返った。
今だ!
私はホルンを投げ捨てて、木の枝を手に再び犬の群れに突っ込んでいった。
レニャード様は何頭かの犬を地面に転がしていたけれど、次々に飛びかかって噛みつく犬たちのせいで、すでに血まみれだった。
「わあわあー! あぶないぞー! どっかいってー!」
われながらいまいち緊張感のない掛け声と一緒に、激しく吠えている犬をしっしっと追い払う。
明らかな人間の参戦に、犬たちは戸惑っていた。
そこにすかさずレニャード様が大きな雄たけびをあげる。
地面が揺れるかと思うくらい大きな低い声があたりに響く。
「――いました、殿下とヴァルナツキー様です!」
警備兵が鳴らす指笛につられて、人がばたばたと集まってくる。
それで犬たちは、完全に怯えてしまった。
た、助かった……!
警備兵がわらわらとこちらに近づいてきて、レニャード様は緊張の糸が解けたのか、また地面にへばってしまった。
私はかけつけてくれたお付きの人に、一目散にかけよった。早口でまくしたてる。
「レニャード様が怪我をしているので、はやく王城に連れていってください、ひどいけがなんです、一刻を争います!」
「落ち着いて下さい、今新しい馬車を王城から呼び寄せていますので」
そっか、大きすぎるから、辻馬車じゃ無理なんだ。
「じゃあ、マグヌス様に、ここまで来てもらって……ああ、でも、往復で、すごく時間かかっちゃう……!」
レニャード様の怪我はかなりひどそうだった。撃たれたところからの出血がまだ止まっていない。
どうしよう、血がずっと流れていると死んじゃうって聞いたことある。止血しないといけないけど、そんなの前世でもやったことないよ。
と、とにかく、何もしないよりマシ!
私はナイフでドレスの一番上のスカートをピーッと裂いた。
傷口にぐるぐると包帯代わりの細い布を巻きつける。とにかく何かで覆って強く押さえれば、血が固まって、止まってくれるって聞いた。合ってるかどうかは分からないけど、他にできそうなことがない。
押さえていると、そのうちに包帯がじっとりと血で濡れてきた。どうしよう、全然止まりそうにない。
「レニャード様、だ、大丈夫ですか……?」
「……ルナ。強く握ると、痛い」
「ご、ごめんなさい、痛いですよね、でも、血を止めないと……」
これで止血法合ってるのかな? あんまり圧迫しない方がいい? でも、全然血が止まってないんだよ。
「……ダルい。なんだか、すごく眠い……」
レニャード様がぼんやりした声でそう言うので、私は冷や汗が出るかと思いました。
えっえっ、それって死にフラグ? どうしよう、どうしたらいいの。
「やだあ……レニャード様、しっかりしてください」
私の声かけに、レニャード様がちょっとだけ私の方を見た。
「ルナ。お前が無事で、よかった……」
レニャード様はしんどそうに目を細めて、そのままくたりと力を失った。重たい虎の腕がだらりと私の膝に乗る。
「レニャード様? ……レニャード様、寝ちゃだめです! もう少しがんばって!」
私がギュッと強く患部を押しても、レニャード様は何も答えてくれなかった。
レニャード様の腕の重みが、まるで本当に命を失いかけているみたいで、胸が詰まった。
「いやです、お願い、死なないで……」
レニャード様、まだ乙女ゲーの主人公にも出会ってないのに。ゲームすら始まっていないのに、どうしてこんなところで死なないといけないの? おかしいでしょ、どう考えても。
親友に裏切られて、猫にさせられて、元凶を倒したと思ったら今度は虎になっちゃって。
それでもレニャード様は全然めげたりしなくて、いつも一生懸命頑張っているのに、どうしてこんなに痛い思いをしないといけないの? 王子様が多い世界観だから、いつもどこかで陰謀が起きてて、気が抜けなくて、すぐにこうやって大けがさせられて。
ひどい、あんまりだって思ったら、涙が出た。
「ねえ、誰か、お医者様は? はやくレニャード様を助けてよ! 誰か、いないの? マグヌス様……」
マグヌス様がつい先日言っていたことが蘇る。
――精霊は、ピンチには力を貸すはずだ。
「シンクレアの精霊王……」
レニャード様に精霊の加護がついてるっていうのなら、今すぐ助けてよ。猫や虎に変えられるような力があるのなら、こんな傷くらいすぐに治せるはずでしょう?
「レニャード様の精霊たち……お願い、力を貸して……」
念じてみても、うんともすんとも言わなかった。
レニャード様よりは私の方がいくらか魔術制御はマシだけど、太古の大精霊に祈りを届ける方法なんて全然分からない。
一心に祈っていたら、かすかに何かを思い出した。
それは、いつかの夢の記憶。
そしておそらくは、ルナさんがまだ小さかったころの記憶。
小さな女の子が、怪我をして泣いている。
そこに、赤い髪の男の子がやってきて、おまじないをかけてくれるのだ。
不思議な古代の言葉で、それでその女の子は、いっぺんに赤い髪の男の子が好きになった。
あれは、どこの言葉? シンクレア? 響きが似ていたから、きっとそう。シンクレアの、すごく古い言葉。
シンクレアの古い民謡に、妖精の里で眠りながら尻尾を揺らしている、聖獣の歌がある。
――妖精の王は眠る、日の光にあふれた里で。
――聖獣の尾は揺れる、エノコログサの里で。
この民謡では、ありとあらゆるものが眠りについているけれど、不思議な言葉で次々と目を覚ます。
「エウェク、ザダイモン……」
――精霊よ、目覚めよ。
その瞬間に、あたりが真っ白になった。あまりにもまぶしすぎて、反射的に目を閉じる。
私の膝にのせていた、レニャード様の重たい腕がすっと軽くなった。
驚いて、とっさにつかんだその腕は、毛が生えてなくて、ざらっとした布の感触がした。
服? え、これ、人間の?
あたりがようやくまぶしくなくなって、目が見えるようになる。
最初に目に飛び込んだのは、私に片腕を預けてすやすや寝ている、赤い髪の男の子だった。彫りの深い顔立ちに長いまつげ、すらりとした鼻、形のいい、どことなく生意気な印象を与える吊り上がった唇。
すっと開かれた目は、綺麗な金褐色だった。
乙女ゲーで見ていたのよりは少し幼い。
でも、それは紛れもなく、原作のレナード王子だった。
「戻った……! 戻れた、人間だ!」
レニャード様がしゅばばばっと顔や手を押さえて、自分の身体を確認する。
「ルナ、精霊だ! またあいつが夢に出てきた!」
レニャード様の声は歓喜に震えていた。
「ほんの数分なら人間に戻してやれるようになったから、限りある時間を有効活用しろって……! ルナ!」
私はがばっと抱きしめられた。いきなりのことで、とっさに声も出せなかった。
「ルナ、お前に伝えたいことがある!」
「は、はい!?」
何事。どうなってるの。
うろたえる私をよそに、レニャード様は喚いた。
「俺は、お前が大好きだ!」
そして彼は、私に熱いキスをしてくれた。
びっくりして固まる私の唇を撫でるようにして、レニャード様が唇を重ねてくる。
長いような短いような時間が過ぎて、レニャード様が手を離してくれたときには、私の頬は恥ずかしさで火を噴きそうなほど熱くなっていた。
間近で私を見つめる金褐色の瞳。優しく見守るようなレニャード様の表情に、思わず見とれてしまう。
び……美少年ー!
ゲームの時から彼はそれは綺麗なイラストで描かれていたけれど、熱と重みを持ったレニャード様は、言葉が出なくなるくらいの美少年だった。
こんなにかっこよかったら、ルナさんもひと目惚れしちゃうよね。
ぽーっとしていたら、レニャード様はいつもの仕草でふんぞり返った。
「なんだ、お前、俺があまりにもかっこいいから見とれているのか?」
あ、レナード王子だ。原作そのまんまだ。
そして猫のレニャード様とまったく同じ性格だ。
私はそれで笑ってしまって、硬直が解けた。
「ええ、もう、想像の数万倍かっこよかったので、ちょっとびっくりして……」
「そうだろう、そうだろう! わははは!」
レニャード様は大喜びで、私の肩を再び抱いた。
「あっ、あの……?」
「もとに戻れたら、一番にお前を抱きしめてみたかった。ようやく叶ったんだ、もうちょっと付き合え!」
そういえば、猫の姿だと抱っこされるばっかりで不満って、何回か言っていたような。
でもあの、まわり、警備兵だらけなんですけど!
「ルナ。これからは、もっと恋人らしいことをしよう。したくてもできなかったこと、順番に、全部だ!」
「は、はい……あの、えっと、ちょっと声が、大きいのでは……」
ごにょごにょ抗議する私の声なんて全然聞いちゃいないって感じで、レニャード様ははしゃいでいた。
「ルナ、ルナ……ああ、お前にしてやれなくて悔しかったことが、いっぱいあるんだ。ルナ……」
レニャード様がおしゃべりだったのは、そこまでだった。
急に、ぐらり、と体が揺れて、またあたりが眩しくなった。
私をしっかりと抱きしめていたはずのレニャード様がするすると小さくなっていく。
レニャード様は、オレンジの猫の姿に、逆戻りしていた。私の膝の上に、ちょこんと座っている。
「……また、これか」
レニャード様が残念そうにため息をつく。
「まあまあ。戻れただけ、よかったじゃないですか」
「そうかもしれんが……もうちょっと味わっていたかった」
レニャード様がぶつぶつ言いながらおててをぐっぱーする。小さな愛らしい肉球の先に、鋭い爪が飛び出た。
「虎よりはマシか。こっちの方が動きやすいし、何より……猫の俺は、めちゃくちゃにかわいい!」
いつものレニャード様だなぁ。
ほほえましくて、ほっとするよ。ここのところ、ずっとピリピリしてたもんね。
レニャード様が小型化したので、私たちは辻馬車を拾って、ようやくお城に戻れることになったのでした。
猟犬を使ってレニャード様を追い回したパリピたちは、無事全員捕まえたそうな。
おそらく賠償金を払うことになるんじゃないかって、お付きの人が言っていた。知らなかったとはいえ、レニャード様に大怪我をさせて、しかも超大型の馬車を壊してるからね、きっと高くつくだろうね。ちょっと可哀想。




