【天敵】子猫が追いかけられがちな生き物第一位はなんとカラス? 第二位は…
犬のすさまじい吠え声がする。
犬とこちらの護衛で戦闘になっているらしく、あちこちに犬の悲鳴が混ざるようになった。
車輪への体当たりが断続的に起こっているようで、さっきから揺れがひどい。
「なんだ? なんで攻撃をする?」
「……もしかして、レニャード様が乗ってるから、とか?」
馬車は式典仕様なのか、上半分が幌でできている。今は閉じてあるから、中に大きな虎が乗っていることは分からないものの、密閉されていないので、匂いが届きやすいのかもしれない。
「匂いで興奮しちゃったのかもしれません」
「し、失礼な! 俺はくさくないぞ! 今日だって朝からたっぷり一時間も毛づくろいを……」
言っている間に大きな音を立てて、馬車が壊れた。
私から見て右前方が強く地面に打ち付けられた。
車体が耐え切れずに横倒しになる。
「ルナ!」
レニャード様を下敷きにしてしまい、私は身構えた。
「平気か、ルナ」
「はい、なんとか」
てっきり焦ったレニャード様に輪切りにされるかと思っていたけれど、私は無事だった。特訓の成果が着実に出ていますね。
犬がやかましく吠えて、馬車の中にまで踏み入ろうとしてくる。
レニャード様が半壊の幌からぬっと鼻先を出し、大きく吠えた。
レニャード様は一般的な犬の五倍から十倍ぐらいの大きさをしている。声量も、まるで違う。
やや小型なので、子トラサイズなのかもしれないけど、それでもまだまだ犬よりは全然大きい。
巨大な猛獣の吠え声に、犬たちが怯んで、動きを止めた。
というかそばで聞いていた私もちょっとびっくりした。いきなりはやめて。心臓が止まるかと思った。
「いい加減にしろ! この馬車が王家のものと知っての狼藉か!」
人語で語りかけるレニャード様には、周囲を黙らせるようなオーラがあった。
あたりが静かになったのを見計らい、レニャード様が馬車を出て、悠々と細い路地に姿を現す。
その風格に、皆がひれ伏す――かと思いきや。
「と……虎だ! 虎がいるぞ!」
「檻から逃げ出したんだ!」
「仕留めろ、さもないと食われるぞ!」
一斉に騒ぎ立てたのは、通りすがりの人たちだった。
身なりのいい紳士たちが、なぜか手に手に武装している。
猟犬たちの飼い主って、もしかしてこの人たちかな? 対面にずらりと並んだ大型馬車の大行列から、ぞろぞろと銃を携えた人たちが降りてくる。乗馬用のジャケットを着込んだ貴婦人もその集団にいくらか混じっている。
あ、これ、たぶん、パーティかなにかしてた人たち。見た感じだと、近くの森で狩猟大会という名のバーベキューをしたあと、朝帰りでちょうど王都に戻ってきたパリピだね。
彼らは、つい先日レニャード様が猫から虎になったことなんて知る由もない。
「ちょっと待ってください! 撃たないで!」
私が声を荒げて注目をかっさらう作戦は、すぐに失敗した。
「下がってなさい、君も食われるぞ!」
「まったく、なんてものをペットにしているんだ!」
ついでに言うと、彼ら、私の顔も知らないってことは、たぶん貴族じゃないね。もしかしたら王家の馬車ってこともよく分かってないかも。
最悪の状況だよね。
最初の銃弾が飛んできて、レニャード様が驚きのあまり高々と飛び上がり、手近な家の屋根に着地した。
レニャード様、こう見えて結構繊細でビビりだからね。
最初の発砲に促されたのか、他の人たちが次々と銃を構える。
たくさんの銃口に狙いをつけられ、レニャード様は、その場から逃げ出した。
屋根から屋根へ飛んで逃げる虎を通行人が目撃し、悲鳴を上げる。
あたりは収拾のつかない大騒ぎになった。
「わあ……」
私がぽかんとしている間に、お付きの人が王城に救難要請を出すと言い出した。
小型のトンボ型飛行機械でレニャード様を確保するとかなんとか。
「でもあれ、レニャード様は乗れませんよね。小さすぎて」
言っている間にも、散発的な銃声が聞こえてくる。
今から王城に戻ってたんじゃ、遅すぎると思うんだよね。
「……レニャード様はその気になったら自力で自室まで戻れると思います……かくれんぼは得意ですし、人の匂いとかも辿れますから、本気で逃げたらそうそう捕まらないかと。それよりも、人をたくさん集めて、あの銃を持って追いかけ回してる人たちを制圧、確保してください。街の人にも、手を出さないよう呼びかけを。え? レニャード様に何かあったら? 大丈夫です、私が大丈夫だって言ってたってことにしてください。とにかく鎮圧です」
お付きの人に納得してもらい、ようやくぼちぼち警備兵を集めてもらえることに。
現場は大混乱だった。王家の警備隊と、街の警備隊では、当然ながら管轄が違う。全然統率取れてないのが、はたで見ているだけで何となく分かる。
だいぶ時間かかりそうだね。
私は大混乱の現場を抜け出して、そっと裏路地に入った。
レニャード様は鼻がきくから、最終的には私の匂いがするところに帰ってくるような気がするんだよね。
私は混乱している一帯を抜けて、どんどん裏路地へ。
平凡な住宅地が並ぶあたりに足を踏み入れると、細い裏路地と低い屋根の一軒家ばかりが目立つようになった。
レニャード様のジャンプ力にも限界がある。五階建て、六階建て以上の集合住宅には飛び移れない。そうなると、自然と移動先は屋根が低い方に流れていくはず。
この辺で待ってたら、レニャード様が来るんじゃないかなあ。
小さなお庭を見つけて、敷地にちょこんとしゃがみ込む。
騒ぎは遠くからときどき人の叫び声が聞こえてくるだけで、私のいるところは静かだった。
しばらく待っていると、すぐそばの屋根に、ぬっと大きなオレンジ色の生き物が顔を出した。
「……レニャード様!」
音もなく私のそばに着地するレニャード様。
隠密行動はネコ科の特技とはいえ、全然気配がしないのはさすがだね。
「ルナ、無事か?」
「私は全然平気です。レニャード様こそ、怪我しませんでしたか?」
「鉄砲は予備動作の音が大きいから、撃たれることはないが……火薬で耳がキーンとする」
「かわいそうに……」
レニャード様の耳は繊細なんだから、やめてよね、ほんとに。
「……運が悪かったですね。そりゃあ誰だって馬車から虎が出てきたらびっくりしますよ」
「すまない、ルナ……せめて、俺のかっこいい虎の姿を正式にお披露目するまで、外出は控えておけばよかった」
しょぼんとしているレニャード様。
かっこいいことは譲らないんですね。
やっぱり虎の姿気に入ってますよね。
「やー、あれは不幸な事故ですよ……どうしようもありませんでした。あの人たちも、まさか犬が暴走するとは思わなかったでしょうし」
「犬は嫌いだ。すぐに俺を追い回す……」
レニャード様はブルブルと激しく頭を振った。
前にも追いかけられたことあるのかな。気になるけど、今は詳しく聞いている場合じゃない。
「今、お付きの人に手分けして騒ぎをしずめてもらうようにお願いしてます。もう少し待っていてくださいね」
「分かった。ルナ、お前は馬車に戻れ。ひとりでうろついてたら危ない」
「私は大丈夫です。それよりレニャード様はご自分の心配をしてください。見つかっちゃったときは私が時間を稼ぎますから、さっさと逃げてくださいね」
「……何から何まで、すまない」
レニャード様が鼻づらを差し出してきたので、私は遠慮なくよすよすと撫でてさしあげた。




