【可愛い】どんくさい虎ちゃんのほのぼのハプニング集
レニャード様がなんとか立ち上がって、またのそのそと動き出した気配を感じとり、また視線を戻す。
するとレニャード様は、大きな体に見合わない、貧弱なジャンプ力で、ずべっと飛び石から落ちているところだった。
私はまた目を逸らした。
だ、だめ、笑っちゃ。レニャード様、真剣なんだから。いくらかわいいからって、人の失敗を笑っちゃだめ。
でも、あの動き。まるで生まれたての子猫みたい。よちよちしててかわいいが過ぎるよね。
レニャード様は、半周もしないうちに、地面に大の字になって寝っ転がった。
「やめだ、やめ! こんなの、やってられるか!」
じたばたする姿も、どう見ても子猫です。
「……あんまり焦っても仕方ないですよ。ゆっくりがんばりましょう。きっと半年か、一年もすれば、レニャード様も大人のトラみたいに俊敏に動けるようになりますって」
「そんなに長い時間このザマなのか……!?」
レニャード様ががばりと跳ね起き、自重でズルズルと坂を落ちていった。
大変そうだなあ。
私は笑いをこらえているうちに、だんだんアルカイックスマイルが上手になってきましたよ。もう、どんな名場面が来ても吹き出したりしない。
レニャード様のほのぼのハプニング集……じゃなくて、俊敏なトラを養成するためのフィジカルトレーニングはその後も続き、お昼になった。
「どうだ、少しは身体が動くようになったか?」
どこかに消えていたマグヌス様が、ふらりと帰ってきた。
「……」
ふてくされて無言になるレニャード様。
私は黙々と、ランチボックスを広げるお付きの人のお手伝いをした。
「ふむ……興味深い現象だな。猫のときの君はなかなか身体能力が高かったというのにねえ。原因はなんだ? 身体性か? 心因性か? それとも貧弱な魔術制御か? その体も、精霊の産物には違いない」
ぶつぶつとつぶやくマグヌス様。
「魔術のことは分からないんですが、もしも体の問題なら、リハビリ……ええと、訓練次第だと思います。レニャード様は今、新しい武器の使い方を覚えている最中なんです。剣の訓練だって一朝一夕ではうまくいかないように、新しいその身体だって、満足に動かせるようになるにはそれなりの訓練が必要です」
「なるほど、一理ある。ならば、身体制御の魔術シーケンスを覚えさせて、無理やり体を動かすという解決方法もあるんだが……」
レニャード様、魔術さっぱりだもんね。
かくいう私もさっぱり。さっぱりコンビだよ。
レニャード様は、私たちの話がつまらなかったみたい。
全然聞いてない様子で、自分の前に置かれたお皿を見て、ため息をついている。
大好物の牛肉フレークが入っているけれど、量が猫時代と同じだから、すぐに食べ終わっちゃう。
トラのサイズに変更してねってシェフにお願いしてるんだけど、調理の量がいきなり百倍になったせいで、厨房のシェフたちがストライキを起こして、切り替えがうまく行ってないんだってさ。
量が百倍なら賃金も百倍にしろって言ってるみたい。むちゃくちゃだよね。でもすぐには替えの人も見つからないみたいで、なんていうか、異世界でも労働問題ってあるんだなあって思ったよ。日本だと考えられない要求だけど、こっちの使用人は一筋縄ではいかなくて、なかなか言うことを聞かせられないって話だった。
「レニャード様、私の分も召し上がってください」
私が差し出したサンドイッチを、たった一口でぺろりと食べ終わっちゃって、レニャード様は本格的に落ち込んじゃった。
「腹が減った……」
「精霊は本来魔力を糧に生きるから、食べなくても問題ないんだが。その身体は魔力以外も必要としているのかな」
とは、マグヌス様の談。
「マグヌス様、なんとかして、今すぐにでもレニャード様の姿を元に戻す方法はないんですか?」
「さあなあ。いかに大魔術師の私といえども、精霊になったことはないからな」
マグヌス様、無責任ー。
「このままだとレニャード様が飢え死にしちゃいますよ」
「そうだな……私としても、実験動物を失うわけにはいかん」
マグヌス様は、いいことを思いついた、とでもいうように、両手のひらを打ち合わせた。
「炊き出しでもするか」
***
青空の下、王城の庭の一画に、人ひとりがすっぽり入れるほどの大きな寸胴鍋が運ばれてきた。
「レニャード。肉はどのぐらい必要なんだ?」
「いっぱい! こっからここまで、全部食べたいです、先生!」
レニャード様がぶっといおててを広げて、ぴょんぴょんする。
マグヌス様が魔術でかまどを組んでいるうちに、お付きの人がどうにかこうにか厨房に頼み込み、レニャード様が満足しそうなだけの食材をもらってきてくれた。
大きな豚肉の塊と、縞にんじん(こちらの世界のにんじんはしましま模様なんだよ)、苺葉キャベツ、ジャガ豆(豆みたいに小さいけど、ジャガイモなんだよ)などが、マグヌス様の魔術ですぱぱっとスライスされて、鍋に放り込まれる。
ひたひたの水を注いで、水煮開始。
レニャード様、おなかすいてたんだね。
煮えるお鍋を見る目がキラッキラしてるよ。かわいいね。
「ん? 材料に塩がないじゃないか」
マグヌス様がお付きの人に文句を言うのを聞きつけて、レニャード様が首をぶんぶんと振った。
「俺は濃い味つけが好きじゃない。そのままでいい」
「マグヌス様、猫ちゃんにしょっぱいものは毒なんですよ」
「そうか……難儀なことだな」
そうしてできたあっつあつの水炊きを、レニャード様は、それはもう嬉しそうにむさぼった。
「うまい、うまい、うまいぞ!」
レニャード様……本当におなかすいてたんだね。
レニャード様は寸胴鍋を空にしてしまうと、大の字にひっくり返った。青空に流れる雲をみて、ぼーっとしている。
おなかいっぱいになって、興奮も落ち着いたみたい。
近づくなら今だね。
「レニャード様。私、とても大切なことに気づいたのですが」
私はすすすっと近寄って、レニャード様に内緒話をした。
「どうした、ルナ」
私は、とても大事な秘密だというように、物凄く声をひそめた。
「今のレニャード様って、もしかして、すごくかっこいいんじゃありません?」
レニャード様の耳がぴくっと動いた。
「かっこいい……? この、ブザマな俺が……?」
「だって、考えても見てくださいよ。虎ですよ? 虎が王さまの赤いマントを着て、王冠をかぶって、玉座に座っていたら、どうですか? ものすごく絵になると思いませんか?」
「た……確かに!」
レニャード様の大きなおめめの瞳孔がガッと大きくなった。うわ、怖いな。飛びかからないでね。おなかいっぱいだから大丈夫だよね?
 




