【離脱イベ】礼拝堂に行ったらとんでもないことになりました・後編
レニャード様は地面に降り立ってすぐに、周囲の状況を理解した。
「シスル! しっかりしろ!!」
黒いもやもやに噛みつき、猫キック、猫パンチ。げしげし、と強めに踏まれて、黒いもやもやは、なんとなく生物らしさを感じさせるコミカルな動きで、慌ててどこかに逃げていった。
「兄上! 兄上! しっかり!」
レニャード様のおててについている肉球でほっぺをてちてちとビンタされ、シスル様はうっすらと目を覚ました。
「レニャード……」
「兄上、負けるな! 俺がついてる!」
シスル様はレニャード様がついていれば、たぶん大丈夫。
私はふたりをいったん意識の外に置いて、リアさんに向き直った。彼女は頭を抱えて、「そんな」とか「どうして」とつぶやいている。
「これは見事な心の闇ですね、リアさん」
私が話しかけると、彼女は大きく目を見開いた。今にも驚きで心臓が止まりそう、ってところ?
「宮廷が闇を集めやすい場所なのは、悪だくみをする悪い人たちがたくさんひしめきあって暮らしているからです。そう、闇の力は、悪いことをする人の心から生まれるものなんですよ。そうですよね、修道士さん?」
私が、傍らでずっと立ち尽くしていた修道士に声をかけると、彼は大きくうなずいた。
「これほど強い闇の力を発するなんて……あなたはこれまでにどれほどの罪を犯してきたのですか?」
修道士さんに詰め寄られて、リアさんはうっすら涙ぐんだ。
「つみ、なんて……私、そんなの……」
「あなたには、神に告白していない罪がたくさんあるはずです。そうでなければ、こんなに強い闇が生じるわけがない。それこそ人殺し、放火、詐欺……そうした罪に並ぶ、恐ろしい悪行をいくつも行っているはずだ!」
リアさん(自称)は、大きな赤い瞳から、ぽろりと大粒の涙をこぼした。
「あ……あ……! あああ……!」
リアさん(自称)は、思い当たる節があったみたいだった。
ぶつぶつと呟いている言葉が、切れ切れに私にも聞こえてくる。違う。そんなつもりじゃ。だって。私はただ。
「わたし……私はただ……ただ、シスル王子の、ヒロインになりたかっただけなのに……!」
あ、出たね、『ヒロインになりたかった』発言。
焼身自殺しようとする直前のクレア・マリアさん(公爵令嬢)と同じ。
ということはもう、彼女がクレア・マリアさんで確定かな。
気持ちは分からないでもないけど、乙女ゲーのヒロインになりたいなら、どんな理由があっても人を刺して自分の野望をかなえようとしちゃいけないよね。これがハードボイルドな悪党小説とかならともかく、乙女ゲーではダメでしょう。
お付きの人が呼んできたお医者さんが到着し、警備部長のフルツさんも来てくれた。
「こちらのリアさん、聖女宮から脱走してきたみたいです。『金の目』の王子に、大量の闇を浴びせて、暗殺しようとしていました」
「違うっ! 私は、そんなことしていない! 私はシスル様を助けたかったの!」
「話は詰め所で聞きましょう」
リアさん(自称)は、フルツさんに連れられて、衛兵の詰め所に連れていかれることになった。
とりあえず、今日のところはこれで安心かな。
私はリアさんのことは置いておくことにした。代わりに、駆けつけた警備の兵たちに運ばれていくシスル様と、シスル様の胸にひっついて離れようとしないレニャード様の後ろをついていくことにした。
シスル様は自室で横になり、お医者様に処方された鎮静剤効果のある薬草を飲んで休んだら、だいぶ落ち着いたようだった。
「レニャード、もう大丈夫だから。心配させてごめんね」
シスル様が胸の上にどーんと乗っているレニャード様の頭を撫でてあげている。レニャード様、全然どく気なさそうだけど、シスル様は重たくないのかな。
「ところで、あの子はいったい誰だったんだい? 君の知り合い?」
シスル様が私に聞いた。
私は思わず、レニャード様と見つめ合ってしまいましたよ。
そういえば、シスル様には何も説明してなかったね。
レニャード様とかわるがわる事情を話すと、彼は「そんなことが起きていたんだね」と言った。
「ありがとう。レニャードがいてくれたおかげで、助かったよ」
「まったくだ! 俺がいなきゃどうなってたことか!」
レニャード様はシスル様の手のひらに頭をすりつけて、自らなでなでされにいった。
「やはり、シスルには俺がついていてよかった。なあ、ルナ、お前もそう思うだろ?」
「うんうん、そうですね。レニャード様のご英断でした」
レニャード様はひとしきり撫でてもらって満足したようだった。前足をぺろぺろと舐めて、済ました顔で頬をこすり洗いする。
シスル様はそんなレニャード様をやさしい目で見守っていた。
いいよね、兄弟愛。
おなかの上で丸くなる猫を甘やかす美少年。いつまででも眺めていられます。
ひとまずみんな無事でよかった、よかった。
***
リアさん(自称)はひとまず牢に入れられたと、翌日、フルツさんから聞かされた。処遇についてはまたあとで決めるんだって。
そして、シスル様の出立の日がやってきた。
美しい眺めの王城庭園。その外れにある細い道に、馬車が一台停まっている。
シスル様は小さな荷物カバンと一緒に、馬車の前に立っていた。
レニャード様は私が抱えたバスケットの中から出てこない。
レニャード様、泣きそうになっちゃってるんだよね。それで出てこられなくなったみたい。
「いつでも遊びに来てくれ。待っているよ、レニャード」
カゴの奥から出てこない弟に呼びかけ、シスル様は馬車に乗り込んだ。
「兄上……」
レニャード様が首だけ出てきて、悲しそうな声で鳴く。レニャード様の大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。ハッとしたレニャード様は、一生懸命、小さなおててで目頭をこすり、涙を止めようとする。
「手紙を書くよ。レニャードは……無理をしなくてもいいけどね」
「お……俺だって、手紙くらい書ける! 馬鹿にするな!」
「そうか、それはすごいね。楽しみにしているよ」
シスル様は笑って、レニャード様に別れを告げた。
去りゆく馬車を、レニャード様はずっと見つめていた。
――こうしてシスル様は、宮廷を去ったのでした。




