【第一章最終話】未来への約束・前編
マグヌス様は王城に部屋を借りて、そこに移り住んだ。
伝説の魔術師が来るということで、お城は大騒ぎ。マグヌス様の実力を試すための試験と称して、魔術師長と戦うことになった。
ふたりのドンパチはすごかったらしく、舌をかみそうな名前の魔法が連発されていた。なんて名前かって? 私、横文字の名前覚えるの苦手なんだよね。
ともあれ、そのせいで庭に大きめの穴がたくさん開いてしまって、庭師が号泣したりしていたけど、とにかくマグヌス様がすごい魔術師だってことはあっという間に知れ渡った。
その超強いマグヌス様が、レニャード王子に、家臣として忠誠を誓うと言い出したから、また大波乱。
彼が臣下につくのであれば、もうレニャード様に謀反を起こして、勝ち目のある人なんていなくなる。
「大魔術師マグヌス・シュルニル。うわさは聞いてるよ。過去に何百人も殺したっていう、いわくつきの禁呪使いだ。さて、あんたに、シンクレアのイヌになる覚悟はあるのかい?」
王太后様とマグヌス様の謁見は、ちょっとしたスリルだった。
王太后様はこの通り、はっきりものを言う人だし、マグヌス様もいつでもどこでも『大魔術師たる私』って言動を崩さないし。
「私はシンクレアのイヌになりにきたんじゃない」
あー……ほら。さっそく喧嘩しそうになってる。
大丈夫かなあ。
彼は、壇上の王太后様のおひざの上にいるレニャード様を一心に見つめている。
「いついかなるときもレニャード殿下をすぐ近くで観察するために来たんだ。そうでなければ、誰がこんなところに住むものか。本当なら、私がレニャード殿下を引き取りたいぐらいだ。この宮廷は、猫の王子が暮らすには物騒すぎる」
王太后様はしばらくこの変人魔術師を見下ろしていたけれど、やがて大笑いしはじめた。
「あっはっはっは! あんた、猫が好きなのかい!」
「いや。別に」
「じゃあ、なんだってんだい? レニャードの何が気に入ったのさ?」
「何……というわけでもないが」
ああっ、マグヌス様の質疑応答ってハラハラするー。
彼は周囲の心配をよそに、しばらく考えてから、淡々と自説を述べる。
「……やはり、レニャード殿下だから気に入ったのだろう。その猫は、普通の猫ではない。私がこれまでに見てきたどの人間とも違う。興味は尽きない」
王太后様はフンと鼻を鳴らして、手を広げた。
「いいだろう。なら、あんたは今日からうちの息子の専属宮廷魔術師だ。シュルニル公爵の称号もくれてやる」
「気前のいいことだな」
シンクレアだと、故国から亡命してきた王侯貴族を自分の国の貴族として取り込むことがたまにある。
うちの家、ヴァルナツキー家もそのパターンで、ヴァルナツキー夫人はもともと亡命した公女なんだって話だった。ルナさんも、世が世なら本来は公女殿下だったというわけだね。
滅亡したとはいえ、れっきとしたシュルニルの王子殿下であるマグヌス様も、シンクレアではヴァルナツキー家と同じような、格下の公爵閣下扱いになるということなのかな。貴族ってややこしいね。
それにしてもこの世界、攻略対象が全員王子って縛りがあるせいか、やたらと亡国の王子王女が多いよね。王子がゲシュタルト崩壊しそうだよ。
「あんたが能書き通りの大魔術師なら安いもんさ。せいぜい給料分は働いてもらうよ。それと、息子の専属とはいえ、あんたにその身分を保証するのはアタシだ。アタシとシンクレアにも相応の敬意ってもんを払ってもらうよ。分かったね?」
マグヌス様はこれまでずっとふんぞり返っていたけれど、ここで初めて、胸に手を当てた。
上体を折って、優雅に一礼。
「承った、王太后陛下」
不敵に笑ってわずかに目線を下げるマグヌス様が、ちゃんとイケメンに見えたので、私はつい目をこすってしまった。蛍光グリーンの艶が浮く黒い髪、見るからに頭のよさそうな、よく光る黒い瞳。なんとなくエロそうな口元。
いつもは変人度が高すぎて、全然かっこよく見えないんだよね……顔は整ってるはずなのに、不思議。
猫ちゃんのレニャード様の方が性格もイケメンで、なぜかカッコよく見えるんだな、これが。ほんと不思議なんだけど。
ともあれ、こうして王太后様も、マグヌス様の存在を認めて、正式に臣下に組み込んだから、いよいよレニャード様の地位は盤石になった。
こうなれば、もう誰もレニャード様が王位を継ぐことに反対なんてできない。
表立った誹謗中傷などはこれでぱったり止むはずだし、そうなれば、反乱の計画を立てられるチャンスもぐっと減るはず。
さすがは失われた魔法大国の王子様。マグヌスさまさまだね。
***
マグヌス様の宮廷魔術師の就任式は、よく晴れた日の午後に行われた。
本来の儀式なら、主君に当たるレニャード様が、新しく忠誠を誓うマグヌス様に杖を与える演目がメインになっている。
けど、猫の手ではちょっと無理だということで、私がアシスタントした。
私からエノコログサをモチーフにした儀杖を受け取ったマグヌス様は、まずレニャード様に、魔術師としての命である、呪文をつむぐ唇を差し出すという意味で、両手の肉球にキスをした。
ついで、アシスタントの私も、手袋を外して、マグヌス様から指にキスを受けた。
これは、『悪いことをしたら、いつでも私の唇や舌を傷つけてください』という宣言だ。一応、魔術的な拘束力もあるみたい。
「……猫の肉球とは、触り心地がいいものだな」
マグヌス様が唇を押さえてつぶやくので、レニャード様が毛を逆立てた。
「き、気持ち悪いことを言うな!」
「何が気持ち悪い? 俺は事実を述べただけだ。そうだ、今度いろんなものを踏ませて、弾力性の測定をしてみよう。どのぐらいまで耐えられるのか興味がある」
「やめろ、変な実験を思いつくんじゃない!」
レニャード様がふーっと毛を逆立てた。
私は横で聞いてただけだったけど、うわってなった。マグヌス様ってほんとに変な人だよね。これからレニャード様は大変かも。
マグヌス様は儀式の続きを遂行するために、壇上から降りた。人がぞろぞろと移動していき、儀式が広場の中央に移る。
レニャード様の出番はこれでおしまいだけど、もうちょっと立ってないといけないんだよね。
私がレニャード様の様子を横目でちらりとうかがうと、彼はむすーっとしていた。耳を後ろに引いて、らんらんとした目でじっと見つめるのは、猫が怒っているときの表情だよね。式典の最中なのに。可愛い顔が台無しだよ。笑ってハニー。
私はこそこそと話しかけてみることにした。
「レニャード様。私もマグヌス様みたいに、レニャード様のつやつやの肉球にちゅーしてみたいです」
レニャード様は「ニャッ」と、すっとんきょうな鳴き声を出した。
「お、お前、ちょっとはしたないぞ!」
「ええー。いいじゃないですか。婚約者なんですし。婚約者のかわいらしいおててにちゅーしてみたいと思わない人間がいるでしょうか? いやいや、いませんて」
レニャード様はむーっとしたように、目じりを三角にとがらせて私をにらんでいたけれど、やがて私の袖に猫パンチして、爪を引っかけた。
「ちょ、ちょっと、なんですか。レースが破れちゃうから、やめてください」
「手を貸せ!」
レニャード様がぐいぐい引っ張るので、私は手を差し出した。
いったいなに?
レニャード様は、ちっちゃなお顔を一生懸命近づけて、私の指先にちゅーをした。
レニャード様が舌でぺろぺろと、指の腹を舐める。私はくすぐったくて、笑ってしまった。
「あはは、どうしたんですか?」
「お前、さっき先生にキスされてただろう」
「まあ、そういう儀式ですからね」
それ以上でもそれ以下でもない。でも、レニャード様は、ちょっとむくれたように、つーんと鼻先を横に向けた。
「先生は薬くさいからな。俺は鼻がいいから、薬くさくされたお前の手で撫でられたら気分が悪い」
「まあ、そうですね。でもそれ、マグヌス様の前で言っちゃだめですよ」
マグヌスは広場の中央で、宮廷魔術師の制服であるマントなどを下賜され、身に着けている真っ最中だ。
「べ、別に、悪口で言ってるんじゃない! ただ、お前から先生の匂いがするのは嫌なんだ! お前からは、俺の匂いしかしちゃ駄目だ!」
マーキングでしたか。
猫ちゃんは鼻がいいから、身近な人物に自分の匂いをつけたがるって言うよね。
「だって俺たちは、婚約者なんだからな!」
「うんうん。そうですねえ」
レニャード様のほほえましい猫の習性ににこにこする私。いやー、本当に猫ちゃんっていいものですねえ。
「俺が人間に戻っても、他のやつの匂いはつけさせんからな」
「そうですねえ……って、え?」
人間の鼻はそんなによくないから、他の人の匂いなんて分からないよ。
変なこと言うレニャード様だね。
「……なあ、ルナ」
儀式が長くて飽きたのか、レニャード様がまた話しかけてきた。
 




