【助けて】ルナさんはどこー?
どうやらこのルナさんは、つい二日ほど前に、自分で飲み干した毒薬のせいで、コップを取り落として昏睡していたらしい。
一時は完全に心臓が止まっており、死んだと思われていたんだけど、今日の朝、メイドのエミリーさんが着替えをさせようとしたところ、わずかに身体が温かく、辛うじて生きていることが発覚したのだそうで。
息を吹き返したルナさんは部屋のベッドに戻され、やがてルナさん……の中にいる私が目を覚ましたというのが、ことの簡単なあらましのようでした。
事情はだいたい分かったものの、私には疑問だらけだよ。
「すみません、私には今朝目を覚ます以前の記憶が全然ないのですが……ルナさん……いえ、私は、自分で毒を飲んだのですか?」
私がついビクビクしながらそう聞くと、エミリーさんはとてもびっくりして、大きく開けた口に手を添えた。
「ああ、ルナお嬢様……お話の仕方まで変わって……」
「おいたわしいことです。きっと精神的なショックなのでしょう。しばらくしたらきっとよくなるはずですよ」
ええー。そうかなあ。
私の状態って、精神的なショックで錯乱してるとかいうのとは違うと思うんだけどな。
そうは言っても、いきなりこの人たちに『私は全然別人なんですが、目覚めたら乗り移ってました』なんて言っても、信じてもらえるわけないよね。
「……ちょっと混乱しているのかもしれませんので、教えてください。私は、毒を自分で飲んだんですか?」
私がもう一度聞くと、メイドのエミリーさんは、そばにあったテーブルを指さした。
「私が朝、部屋に来ると、そちらに、遺書と、水の入ったコップが置かれていました。本当に何も覚えていらっしゃらないのですか?」
「それが、まったく……」
エミリーさんが、戸棚にしまわれていた遺書を持ってきてくれた。
「このように……」
おお。異世界の文字だ。異世界文字だけど何が書いてあるのか分かる。
『すべてを忘れて冥界に旅立ちます』
「これは遺書ですね」
私は思わず、見れば分かることを口走ってしまった。
だって、冥界だよ。解釈違いの余地がないよね。
「お嬢様がお書きになったのだと思いますが……」
メイドのエミリーさんが困惑している。
「全然覚えてませんね。これも毒の作用でしょうか?」
「精神的なショックでしょう」
と、これはお医者さん。
「毒の作用ではないと?」
「毒の作用でのショックかもしれません」
「つまり、毒かどうかは分からない?」
「ショック状態であることは確かだと思いますね」
このお医者さん、言ってることが適当!
頼りになるのかな? 不安だなー。
私はちょっと、聞き方を変えてみることにした。
「……あの、じゃあ、私が飲んだ毒ってどんなのか分かりますか?」
医師は「お力になれたらどんなにいいことか」と前置きしつつ、割とはっきり「分かりません」と言いました。
「今日の昼にでも解剖してみるつもりでしたが、目をお覚ましになった今、何をお飲みになったのかはルナ様にしか分かりません」
「わお……」
危なかったね。解剖される前に私が来てよかった。
私がひそかにほっとしていることには構わず、お医者さんがマイペースに話を続ける。
「症状は私の知るどの毒薬とも似ていないようですから、未知の新薬か、あるいは……」
「あるいは?」
「魔法の薬であると思われます」
「魔法の薬……そんなものが……」
『ガチ恋王子』は中世ヨーロッパ風のファンタジーだったけど、魔法のようなものも登場していた。
そういう世界なら、人が変わってしまう薬なんかも普通にあったりするのかな?
ほとんど無課金勢の私には、そんなのゲームにあったかな、としか思えないんだよね。もっとまじめにプレイしておけばよかったな。
「私がもとの記憶を取り戻す方法はないのでしょうか?」
「さあ……お嬢様がお飲みになったものが何の薬か、それが分からないことには……」
「そうなんですか……まあ、いいです。それだけ分かれば十分です」
これ以上質問しても何も情報が出てこなさそうなので、私は話を切り上げることにした。
代わりに、心の中で呼びかける。
ルナさん。ルナさん。いたら返事をしてください。
残念ながら、周囲からの反応はなかった。
「しかし、恐ろしい事件が続きますなあ。王子の変死に続いて、公爵令嬢の自殺未遂とは……」
お医者さんが難しい顔をして言うので、私はすごくびっくりしてしまった。
「王子の、変死……?」
「ほら、レナード王子が先日、お亡くなりになったでしょう」
私はショックのあまり、しばらく口がきけなかった。
「レナード……レナード・バル・アッド・シンクレアのことですか?」
彼は、自国の王子をいきなりフルネームで呼ぶ私がおかしかったのか、少しけげんそうな顔をしながらも、「ええ」とうなずきました。
「このシンクレア王国の、レナード王子ですか?」
「そうですが……それが何か?」
不思議そうなお医者さんの顔も、私にはもう気にする余裕がなくて、途方に暮れてしまった。
レナード王子が、もう、死んでいる。
それはつまり、ゲームが始まる前にもう終わってるってことにならない?
「……もしかして、毒を飲んだ原因は、レナード王子の死……?」
私のつぶやきに反応したのは、メイドのエミリーでした。
「そういえば、レナード王子の訃報が載っていた新聞を握りしめて、ひどくうろたえていらっしゃいましたね……」
乙女ゲー『ガチ恋王子』でも、レナード王子が大好きだったルナさん。
彼女が訃報を知ったら、絶望して死んでしまうこともあるかもしれない。あるなあ。絶対ある。あんなにレナード王子を愛してたルナさんだったら死んじゃうに決まってるよ。
「おお……では、お嬢様とレナード王子は旧知の間柄でいらっしゃったんですね。それはさぞお辛いことでしょう……では、しばらく、心を落ち着けるお薬をお出ししておきましょうかね」
医師の説明も、もう私にとってはどうでもいいことだった。
「私……いったいどうしたら……」
ルナさん。ルナさん。聞いてください。
私は必死に、まだそこら辺にいるかもしれないルナさんに向かって呼びかけた。
私、ついさっき自殺してこの世とおさらばした人間なんですよ。
異世界転生とか正直めんどくさすぎてもっかい死にたいです。
ルナさん。ルナさーん!
悲しいことに、私の呼びかけは、どこにも届かなかった。
医師の勧めで薬のスープを飲み、私はもう一度ベッドに寝かされた。
それから一日はベッドで寝ていたけど、ついに誰にもお見舞いに来てもらえずに、その日が終わった。
友人知人はおろか、父親や母親、兄弟姉妹の誰も、ルナさんの無事を喜んで顔を見にきたりしないなんて、ちょっと可哀想すぎるよ。
ルナさんの家族構成はソシャゲでも描かれていなかったので不明だけど、公爵令嬢というからには、父親の公爵くらいは生存しているはずなんだけどな。
「すみません、エミリーさん。ひとつお尋ねしたいんですが」
エミリーさんは手に持っていたモップをごとりと床に取り落としました。
「お……お嬢様!? いかがなさいましたか? このエミリーめにそのように丁寧なお言葉をかけていただかずともよいのですよ!?」
「え、敬語ダメですか? 呼びタメがいい? じゃあ……エミぴ」
「エミぴ……!?」
「あ、変なあだ名とかもダメ?」
異世界って難しい。
「い、いいえ! いいえ! 決してそのような! お嬢様がなさることにダメなことなどひとつもございません!」
かなり慌てた様子のエミリーさん。
使用人に対して丁寧すぎる言葉というのも、変に向こうに気を使わせちゃってダメなのかもしれないね。
もうちょっと簡単に話すことにしようかな。
「そうかな……じゃあとりあえずエミリーって呼ぶよ。ねえエミリー、私のお父さまやお母さまって何してるの? お見舞いとかって、来てくれないのかな」
エミリーはとたんに、可哀想なものを見る目になった。
「お父上とお母上はよそにお住まいですので……」
「あ、そうなの。別居なの」
「ああ……っ! まだほんの子どもであらせられるのに、お可哀想なお嬢様! さぞやお寂しいことでしょうが、ルナお嬢様にはこのエミリーめがついておりますからね!」
エミリーはちょっと感激しやすい人みたい。
なんとなくお姉さんっぽい動作で、ルナである私をひしとかたく抱きしめた。
エミリー、すごくいい人なんだろうなあ。
そしてルナのお父さんとお母さんは冷たい人たちなんだろうなあ。
私は次の日、医師から全快の太鼓判を押されて、晴れて公爵令嬢・ルナとしての生活が始まった。
わあーお。どうしよう……?
もう一回自殺してもいい?
いいわけないよね。だってこれ、私の身体じゃなくてルナさんのだし。勝手に死ぬとかナイナイ。
そうして、自殺願望が強すぎる私の、異世界転生生活が始まったのでした。