【対決】クレームつけたら一番偉い人が出てきた件
控室で待たされている間、レニャード様はぽつりと不安を漏らした。
「……母上はきっと呆れている」
「どうしてですか?」
「俺が……情けなくも、逃げ出したからだ」
「情けなくなんてありません。戦において、形勢が不利であればいったん退くのは当たり前のことです。味方を呼びにきたレニャード様はご英断でしたね。レニャード様には軍才もあるってことが分かってよかったです」
私が適当なことを並べ立てたので、レニャードは苦笑した。
「……お前の話を聞いていると調子が狂う」
「ひどいですね。私は真面目に言っているんですよ」
「お前にかかると、俺が大人物だったような気がしてくる」
「実際に大人物なのですから、問題ないのでは?」
「猫なのにか?」
「猫にだって大人物はいます。大猫物です」
「分かった。馬鹿なんだな、お前」
「ひ、ひどっ! そりゃ馬鹿ですけど! レニャード様に言われたくありません!」
「ははは! 自覚あったのか! ……ん? なんで俺に言われたくないんだ?」
長々と話し込むほど、私たちは待たされた。
「陛下がお会いになるそうです」
侍女頭さんがそう言ってきたのは、お昼がとっくに終わって、そろそろお茶の時間になろうかという頃合いだった。
息子がほんの一時的にとはいえ、失踪して戻ってきたばっかりだっていうのに、冷たいね。
ルナさんちの家族も冷たいなって思ったけどさ。
貴族のおうちって、みんな冷たい。
お部屋に入ると、王太后様がベッドの縁に腰かけていた。
真っ白なちぢれ毛のせいでおばあさんに見えるけれど、まだ三十を少し過ぎたぐらいのお歳だったはず。
王太后様は、一見、男性のような格好をしていた。白いワイシャツの上に紺色の袖なしベストを着て、黒いズボンをはいている。肩にひっかけているのは真っ白なジャケットで、軍服のように、水平の打ち紐飾りと肩章がついていた。
私はちょっと感動していた。
ゲームで見たのと同じだ。
乙女ゲー『ガチ恋王子』の王太后は、国王が夭折したあと、息子・レナードの摂政をしている女性だ。
王の死後、王位を僭称する輩が次々に反乱を起こす中、バラバラだった地方貴族を強力なリーダーシップでまとめあげ、みずから軍を率いて反乱軍のすべてを打ち破ったという、本物の女傑だった。
『もうこの人が女王でいいんじゃないかな?』
と思ってる人が大勢いるとか、いないとか。
ゲームでも出番はそれほどなかったのに、とにかく男らしい人で、一部のファンからは『攻略対象の誰よりもイケメンなのではないか』とまで言われていた。
なにせ、別のルートで息子があまりにもダメそうだと知って処刑を決意するのも彼女なら、レナードの本ルートで改心を知り、許すのも彼女だったからね。
ちなみにルナ・ヴァルナツキーを処刑するのも、この人。
王太后様は今しもベッドから起きるところだったのか、ブーツを女性騎士に履かせてもらうところだった。
「母上……」
手持無沙汰そうな王太后様が、足下にとことこと近寄ってきたオレンジ色の猫に目を留める。
「戻ったのか、レニャード」
私はちょっと脱力しそうになった。
王太后様までレニャード呼びだったの。
ホントにこの世界、どうなっちゃってるんだろ……
「どれ、アタシにただいまのキスをしておくれ」
レニャード様はベッドの上にぴょんと飛び乗ると、小さなお鼻を王太后様が差し出した頬のあたりにちょんとくっつけた。
私はますます脱力した。
えぇ……仲良しだね。厳しい母上だっていうから身構えてたのに。
そういえば、公式で溺愛してたんだっけ。周囲の人には厳しいけど、レナード王子にだけは激甘で、甘やかしすぎたせいで王子がお馬鹿になっちゃったんだよね、確か。
王太后様は厳しい顔つきを少し緩めた。きりっとした目じりにうれしそうな色が浮かぶ。
王太后様は、よしよしとレニャード様の頭を撫でまわし始めた。
勝手に触られるのが嫌なレニャード様は少し困ったように身じろぎをしたけれど、避けはしない。
「聞いたよ。勝手に出ていったんだって? ほんとにお前はしょうがない子だねえ」
「申し訳ありません」
うなだれるレニャード様に、王太后はからっとした笑い声を立てた。
「いっちょまえみたいな口きいて、どうしたんだい。ははあ、さては婚約者のお嬢ちゃんがいるからカッコつけてんのかい?」
「は……母上!」
レニャード様が焦って私の方をちらりと見る。
うわあ。王太后様と一緒の時のレニャード様ってこんな感じなんだ。
「ルナちゃんか。婚約式のとき以来だね。よく来てくれた」
王太后様の鋭いまなざしに射すくめられて、私はちょっと身震いした。
怖くない、怖くない。大丈夫。
これから私がものすごく失礼なことを言って怒らせてしまう予定だけど、そんなことをしなくても、どうせルナさんは最後にこの人に殺される運命なんだ。それが少し早まるくらい、どうってことない。
死ぬ気でいれば、何を言うのも怖くないよ。
だって私、地球で一回死んだことあるもんね。全然平気。
「お目にかかれて光栄です、陛下」
私がていねいにお辞儀をすると、王太后様は椅子に座る許可をくれた。
「今日はどうしたんだい? 息子がやんちゃしたのは私からも詫びておくよ。世話をかけたね」
「いえ、殿下のお世話をするのが私の喜びですので、ちっとも苦ではありません」
「おや、そうかい」
王太后様がブーツを履き終わり、レニャード様をひょいっと抱きあげた。きびきびとした動作で私の対面に座り、ひざの上にレニャード様を置く。
レニャード様は居心地が悪そうだだけど、あえて王太后様の膝から動こうとはしなかった。
「それじゃ、何の用だい? 悪いけど、アタシゃ忙しくてね」
そう言うわりに、かなりのんびりとした動作で置かれたビールジョッキに手を伸ばす。
……ビールジョッキ?
普通、こういう場合に用意されてるのって紅茶とかじゃないの?
疑問に思う私をよそに、王太后は薬草か、甘い果物か、とにかく赤い何かを混ぜて色づけされている、泡立ちのいいビールをぐいっと飲んだ。
……ええ……乙女ゲーのキャラだよね? この人。
ゲームをしていたときから思っていたけど、この『ガチ恋王子』の世界設定は、何か根本的なところがズレている。
「本日は陛下のよき忠臣として、ご助言をさしあげる義務を果たしにまいりました」
私がくそ真面目にそう切り出したので、王太后様は目をまんまるにし――いきなり、大笑いしはじめた。
「こりゃまいった、ヴァルナツキーのやつめ、なかなか結構な教育をしてるじゃないか! ご助言だって? あっはっは、まいったね!」
それから別人のように声を低くして、うなる。
「……ハッ。十かそこらのガキがこのアタシにご助言たぁ恐れ入るね。お嬢ちゃん、初潮はきたのかい? ガキの作り方も知らねえクソガキがこのアタシになーにを教えてくれるってんだろうね!」
 




