【悪質】当たり屋現る。足下に激突したのは……
一瞬しか見えなかったけど、今のオレンジ色の物体は。
もしやと思っているうちに、またオレンジ色の毛玉が向こうからUターンしてきた。
ドドドドと私の足元に駆け寄ってくる。
今度の暴走猫列車は、私の目の前で止まった。
レニャード様だ。
興奮気味の王子は、上ずった鳴き声をあげた。
みにゃあああああ。
レニャード様は、まだ幼さの残る、中くらいの成長度の子猫だ。
レニャード様がみゃあみゃあと外見相応のかわいらしい甲高い鳴き声を発するので、私はたまらなくなった。
「ご、ごきげんよう、レニャード様。今日は一段とまた愛らしいんですね」
私が足下にしゃがみこんで挨拶をすると、彼はまだ興奮が収まらないらしく、さかさかと慌ただしく近寄ってきて、私の鼻に自分の鼻をぴとりとくっつけた。
これぞ猫式挨拶。
レニャード様によると、『婚約者に挨拶をするときの作法』らしい。誰が決めたのかは知らない。たぶん私と顔見知りの、病的に猫好きな宮廷儀典長官あたりじゃないかなって思うんだけど、かわいいから何でもよし。
レニャード様は本当に興奮しているらしく、お鼻にご挨拶をしたときも、そこがぴすぴすとせわしなく動いていた。
「おい、ルナ、聞け! 大発表だ!」
「どうしましたか」
「今度、俺の快癒記念の式典が行われる!」
快癒記念とな?
「なんですか、それ?」
「ああもう、鈍いぞ、お前!」
レニャード様が肉球でぺちぺちと私の二の腕を叩いてくるので、私はにへらとした。かわいい。
「ほら、俺は死んだと公式発表があったきり、公式行事には出ていなかっただろう」
レニャード様は、いまだに公式で死んだことになっている。
なんでも、王太后様……つまり、レニャード様のお母様の意向らしい。
現在のレニャード様はか弱い子猫ちゃん。もしもその姿で人前に出れば、危害を加えようと思う輩が増えるかもしれないと危惧してのことだそうだ。
「今度の式典で、俺は長い間病で臥せっていたことにして、快復を祝ってもらえることになったのだ!」
レニャード様はその場で小躍りした。
ぷるるっと頭を振って、獲物を狙うときのように左右に体を揺らす。ついで、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ね、一回転した。
とっても嬉しいみたいで、見ている私も嬉しくなった。
「おめでとうございます、レニャード様」
「ああ、やったぞ! とうとう母上が、俺のことを認めてくださったのだ! この姿でも、立派に王子が務まると、そう思ってくださったのだ!」
「王太后様にも、ちゃんと伝わったんですね。レニャード様が、とっても頑張り屋さんだってこと」
レニャード様、毎日一生懸命勉強してたもんね。
「あ……あの。私からもお祝いとして、レニャード様をなでなでさせていただいてもいいでしょうか?」
「おう、構わん! 今日は特別だ!」
やったね。
どうもレニャード様は、なでなでされると子ども扱いされてるみたいに感じるんだって。でも、こうして機嫌がいいときにお願いすると、ときどき触らせてもらえる。
私はレニャード様の額を三本指でそっと撫でたあと、耳の裏側をかりかりとかいてあげた。
レニャード様が目を細めて、頭をかたむける。気持ちいいのかなと、私は想像した。
目がとけてるレニャード様、かわいすぎます。
「……どうだ? 俺の毛皮は!」
「とってもやわらかくて、触り心地が最高です。最高級の猫ファーです。私もこんなのがほしいです」
レニャード様は、ビクーッとしっぽを瓶洗いみたいに太くした。
「お、俺の皮をはいでファーを作ろうったって、そうはいかないからな!」
失敗した。誤解を与えてしまった。
「冗談ですから、戻ってきてください」
テーブルの陰に隠れてしまったレニャード様に向かって、手招きをする。
おそるおそる戻ってきたレニャード様は、ぶつくさ言っていた。
「まったく……いくら俺がかわいいからって……」
「あはは、そうなんです。レニャード様があまりにもかわいいから、つい」
「いいか、この際言っておくが、いくら俺が恋しいからって、剥製にするのは無しだからな!」
「しませんってば」
私は再び帰ってきたレニャード様の隣にしゃがみ込む。
間近で見つめ合うレナード様は、目じりが、ちょっと拗ねたようにとんがっていた。
うーん、かわいい。
「それにしてもよかったですね、レニャード様。式典が済んだら、きっといろんな人がレニャード様のことを認めてくれるようになるでしょうね」
「ああ! 俺を王子にふさわしくないと言ったやつらも、見返してやれる!」
「素敵です! レニャード様、世界一!」
「当然だ! 俺は、シンクレア国の王子だからな!」
王子だから何なのかは分からない。でも、レニャード様にとってはそれがとっても誇れる出来事なんだね。
ひとしきり自慢して満足したのか、テーブルのいつもの席で丸くなって落ち着いたレニャード様を、私はほほえましい気持ちで見つめたのだった。
「よい式典になるといいですね」
このときのレニャード様は本当に誇らしげでかわいかった。天気はよく、国内の情勢も穏やかで経済もうまく回っており、テーブルの上には美味しいお菓子や料理がたくさん並んでいる。
とても幸せなお茶会だった。
このいい日が、いつまでも続けばいいなと、ぼんやり思ったのを覚えている。
事態が急変したのは、このあと。
***
その日はとても強い雨が降りしきっていた。
猫のサガなのか、レニャード様は天気が悪い日は外に出たくなくなるらしい。雨の日に、レニャード様が部屋に訪ねてくることはない。
その日も来ないだろうと楽観していたら、急に、窓ガラスがバンバンと叩かれる音がした。
音の主はオレンジ色の小さな猫だ。
「レニャード様!?」
驚いた私が大きく窓を開けて彼を迎え入れる。
レニャード様は毛並みが雨でぐっしょりと濡れていた。寒いのか、ブルブルと体が震えている。
「どうしたんですか!? こんな日に……」
 




