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Escape……but "IT" is Endless

 どうにかこうにか逃げおおせた俺は、ようやくホテルの玄関の扉を開いて、外へ飛び出した。

 ……が、しかし。目の前に広がる在り得ない光景に、暫し呆然としてしまう。

 たった今、玄関の扉を開いて通った先には、ロビーと玄関の間にある、長い廊下があったからだ。

 先程通ってきたはずの通路が、目の前にあるという、残酷な事実は、的確に、俺の心を蝕みに来ていた。


「ねえ、どうして私から逃げるの? ずっと愛っていたでしょう? ねえ!」


 後ろからは、リンダの慟哭が絶えず聞こえてくる。それは、俺を追い詰めるように、少しずつ、少しずつ近づいてきていた。

 俺は再び走り出す。出口を求めて、目の前の通路へと。

 一分と少しで、玄関の扉までたどり着いた。つい先程開け放ったはずのそれは、再び口を閉じている。俺は同じように、乱暴に扉を開いた。

 その先には。


「…………嘘、だろ……?」


 また、先程と同じ、ロビーと玄関をつなぐ廊下。瞬きをしたり、目を擦ったり、頬をつねったりしたが、眼前の光景が変わる事はなかった。

 後ろからは変わらずリンダの慟哭。絶望への誘い。交際していたころは可愛らしいと思っていた、少し高い猫なで声が、今は何よりも恐ろしかった。


「う……うああぁ……っ……。」


 逃げる。逃げる。とにかく逃げる。

 この狂った世界から、永遠の監獄から、そして何よりも、リンダから。

 リンダは俺の過去の思い出であり、同時に未練であり、トラウマである。俺は、彼女が死んだ時の事を今でも鮮明に思い出せるし、そうすれば必ず半日はまともな生活も遅れないほどに衰弱してしまう。

 そんな彼女に迫られれば、確実に自分が駄目になるという自覚はあるし、それに、あの狂気に満ち溢れた顔をもう見たくない。

 俺は何も考えず、ただひたすら走り続けた。前へ、前へ。


“――ようこそホテル・イリュージョンへ。”


“スタッフ一同、お客様のご利用を心より歓迎いたします。”


 そんな声が、どこからか聞こえてくる。

 まるで、俺がもうすでにこの監獄に縛り付けられ、抜け出せなくなっているかのように。

 どこからか声が聞こえる。

 それは、俺を落ち着ける為か。それとも、心を壊しに来ているのか。

 俺は、もう何度も同じところを巡っている。だが、一向にこの輪廻から抜け出せそうにない。

 出口に向かって歩いているはずなのに、気が付けば、振出しに戻っているのだ。

 何が起きているのか、全く理解できない。何故、玄関を開くとロビーの近くに繋がるのか。何故、いくら走っても外に出られないのか。

 ……いや、理解したくないのだ。認めたくないだけなのだ。この、俺の心を潰しにくる様な重圧を持った、悲惨な現実に。

 俺は。

 俺は、この館に。

 閉じ込められたとでもいうのか?


     *


 どれだけ走っていたのだろう。どれだけ玄関の扉を開いただろう。

 俺は、膝が震え、まともに立つことができなくなるまで、ひたすら逃げ続けた。

 その結果。


「ふ、ふふふ、ふふふふふふふ……もう逃げられないわね、あなた?」


 逃げおおせずに、リンダに追い詰められていた。

 リンダはこれからの事を考えているのか、頬が赤く、息も上がっていて、恍惚とした表情で、濁りきった瞳でこちらを見てくる。

 ゆっくりと、ゆっくりと、まるで肉食獣が哀れな獲物を追い詰めるように、じわりじわりと迫ってくる様子は、俺の心を圧倒的な速度で疲弊させていく。

 まだ距離があるから、もう少しだけ足掻こうと思えば足掻けるが、もうそんな気力は無いに等しかった。

 ぼんやりと、背後を振り返るまでは。


「――っ、まさか……!」


 目の前、大体五メートルほど先に玄関があった。先程まではただの廊下だったのが、いつの間にか玄関の前になっていた。

 ――何か怪しい気もするが、背に腹は代えられない。俺は決死の思いで、いう事を聞かない足を無理矢理に動かし、四つん這いに、腹這いになりながら、そちらの方へと近づいていった。

 扉の前には、一人の警備員がいた。いや、いたというより、俺が近づいたら、ふと横合いから現れた、と言ったほうが正しいか。

 俺はその警備員に、玄関の扉を開いてくれ、と頼んだ。俺が開かなければ、あるいは、と思って。

 しかし、その扉の先にあったのは、何度も何度も繰り返し見て来た廊下だった。


「……何だってんだよ、畜生……。」


 思わず、愚痴を零す。いくらなんでも残酷すぎるだろう、と怒りたいが、それをぶつける相手などいない。

 後ろからは、未だゆっくりと、リンダが近づいてくる。つかまれば最後、永遠に縛り付けられる事となるだろう。そんなのは嫌だ。

 俺は、なけなしの力を振り絞って、警備員に掴みかかり、問い詰めていた。

 このホテルの出口。そこへの行き方を。

 その警備員は、俺の言葉を受けて軽く笑った。

 そして、ゆっくりと口を開く。


『お客様は、いつでもチェックアウトすることができますよ。もちろん、月が昇っている今でも。』


 その声は、幾重にも反響し、まるで人智を超えた何かが話しているようだった。




『しかし、この館から離れていただくことはできません。』


 俺は、得体の知れない“それ”に、ただただ怯えるばかりだった。






『……貴方様は、大事なお客様ですから。』


 その言葉を聞いた瞬間、俺の視界は黒一色に染まり、意識が遠のいていった。

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