猫ブームの裏側(三十と一夜の短篇第23回)
近ごろケモノアニメをよく見かける。頭に猫耳を生やした女の子がぴょんぴょん画面の向こうで踊っている。別にいまに始まったことではない。前から深夜帯でちょくちょく放映されていたし、動物キャラなら普通の子ども向けアニメでもたくさんいる。あの熊本や彦根のゆるキャラも同系統であろう。
しかし、最近はなにかがおかしい。
なぜ朝の報道番組に猫の着ぐるみがいるのだろうか。
一応、出勤時間帯に着ぐるみが出てくる番組は存在する。以前に大阪のホテルでテレビを見たとき、思いっきりウサギが映っていたのは覚えている。
だが、いま見ているのは相撲を放送している局。まさかスタッフ全員が猫を被っているとは思わなかった。アナウンサーだけではない。ニューヨークや北京にいる局員までも猫だ。
報道内容もなにかがおかしい。どのニュースも猫であふれている。
動物園のライオン出産からはじまり、介護施設のアニマルセラピー特集というおかしな順番もさることながら、殺人より殺猫事件が取り上げられている。
ときおり映るスタジオにはゴロゴロ転がる猫の姿。アナウンサーの手許にはキウイが置かれている。
私は思わず昨日飲んだ抗アレルギー薬のパッケージを見た。
青のバーが並んだ銀色の包装は間違いなくいつもの薬。決して腕に輪っかがかけられる代物ではない。
その間に画面は中東にかわっていた。
イスラムを騙る過激派組織の声明が流される。声明文を読み上げるテロ組織の広報の顔は、またも猫をかぶっていた。
「われわれは世界各国に猫を放った。やがて世界はわれわれの傘下に入るだろう」
これは現実なのだろうか。私がおかしいだけなのだろうか。
いや、そんなことはない。顔を洗ってみたが夢ではなかった。では、なぜ世界は猫まみれになったのだろうか。報道のとおりテロなのか。いや、そんなマヌケなテロはない。
突きとめてやろう。突き止めてルポ記事にすれば金になる。
ならば早速外へ出ようじゃないか。
私はカメラと手帳を持って玄関の扉を開けた。
目に灰色の団子が飛び込んできた。よくみるとそれは身を寄せてふにふにし合っている五匹の猫。柔らかくて温かそうだ。思わず手を伸ばしたくなる。
いやダメだ。触ってはならない。
もしかしたらこの猫はテロ組織の戦闘員で、体内に特殊な生物兵器を保有しており、かみつかれることで感染する。なんてことがあるかもしれない。でも、まさかなぁ……。そんなマヌケなテロってあるのだろうか。
「みゃ~ん」
猫団子は甘い鳴き声を出しながらくずれていく。バラバラになった猫たちは、それぞれ思いのままお腹を見せてゴロゴロする。テロ組織の戦闘員とは思いたくない。
でも用心するに越したことはない。取材が終わるまで決して猫には触れないでおこう。
私は猫たちを避けながら街へ出た。
だが、それにしても街中が猫だらけだ。春休み期間中の子どもたちは猫と戯れてる。その横でおじいさんとおばあさんが猫に魚をやっていた。
おいおい、野良猫に餌付けするなよ。と思いながら、猫の集団を避ける。だが猫の数は増えるばかりだ。
よく見ると猫をかぶった白衣がマタタビを撒いているではないか。白衣の正体は左手にある木虎医院の先生だ。
なんで患者を放ったらかして猫と触れ合っている? そんなことを考えていると木虎医院から次々、ご年配の方々が出てくるではないか。おまけに彼らもみな猫を被っている。
なにかがおかしい。
私は木虎医師を直撃した。
「なぜいま猫と遊んでいるのですか」
「そりゃ、かわいいからなぁ」
「いまは診療時間ですよね」
「確かにそうだが、患者もみな外に出て猫と遊んでいる。いまは暇なんだ」
「患者はあなたより後に出たのですよ。この目で見ました」
「そうだよ。私が指示したので」
「どんな指示を?」
「猫と戯れて運動しましょうと」
「なぜですか? ここの猫は野良猫じゃないですか。公衆衛生上良いとは思えません。なぜですか? 抵抗力の衰えた方の場合、あなたのせいで感染症になる可能性もありますよ」
「そんなことはない。猫にはセラピー効果があって、介護施設ではQOL(Quality Of Life)の向上に寄与している。老人病棟と化している病院の入院患者は激減し、国の医療費は下がっている。そんなこと、医療界どころか一般常識となっているはずだが」
木虎医師の言葉に私はなにも言えなかった。これ以上話しても、無知だと断じられるだけだ。
猫と戯れる子供と老人を見ながら、私は駅へと向かった。
駅前のカフェに入り、眠気覚ましのコーヒー摂った。
ほんとは眠くはなかったが、カフェインを投入して猫たちの世界から脱出したかった。でもどうやら、猫まみれの世界は現実らしい。インターネットでちょっと検索をかけただけで、木虎医師の発言が正統派だとわかった。
猫セラピーは各地の大学病院が導入しており、成果をあげている旨の発表がなされていた。それらは論文としてまとめられ、一部は公にアップされている。大学病院だけではない。個人病院の医師も猫セラピーの効果を大々的に掲げている。
おもしろいことに『猫セラピー』を検索エンジンに打ち込むと、『猫セラピー 安い』、『猫セラピー アレルギー 治る』、『猫セラピー がん 治る』という予測入力がでてくるのだ。
万年アレルギーに悩まされ、高価な治療費を払っている私は飛びつきたくなるが、極めて怪しいし、気持ち悪い。なにか裏がありそうだ。
ネットのキャッシュを漁ると、すべての発表はたかだか一ヶ月前ほど。炎上のごとき広まり方は誰が見ても異常だと思う。なぜみな信用するのか。やはり私だけがおかしいのだろうか。
そう考えながら、私は二杯目のコーヒーを飲み干した。
ついでにあのテロ組織のサイトにも行ってみよう。こういうたぐいのサイトはウイルスサイトの場合がある。ちょうどここはWi-Fiスポット。もう使っていないデータクリーンアップを済ませたスマホでアクセスしてみることにした。
「にゃんにゃにゃにゃんにゃん、みゃ~ん」
「にゃんにゃにゃんにゃん、みゃ~ん!」
スピーカーOFFにもかかわらず強制的に再生される猫(?)の声。画面は猫まみれだ。あまりの音に周囲の目が私に集まる。ひとまずブラウザ強制終了だけで声は止まった。
だが、まわりの客はまだ私を見ている。しかたなくレジへと走った。お会計のときに猫顔を被った店員が出てきたため、お釣りはもらわず逃げた。
駅ビルに入ると駅員が猫を被っている。
「にゃんにゃん、にゃーぁ」などと子供に向かって、ゆるキャラのような振る舞いをしている。
改札前には猫が寝ている。改札機にも猫が乗っているが誰も払おうとしないし、猫も逃げない。改札機一台につき猫団子一つ。気持ち悪い。とても電車には乗れそうもない。
私は結局退却した。
コンコースの上、駅ビルの三階までくると猫の姿は見えなくなった。ここは百貨店、猫などご法度だ。
だが、レディースコーナーには豹柄服やら猫耳フード、フルフェイス猫ヘルメットが並んでいる。こんなもの誰が着るのだろうと思っていると、女子大生くらいの女の子三人組がフルフェイス猫ヘルメットを購入している姿が見えた。
やはり世の中は猫に冒されている。朝の報道番組のテロ組織は『われわれは世界各国に猫を放った。やがて世界はわれわれの傘下に入るだろう』と言っていた。やはり猫を使ったテロが起こっているのだろうか。テロ組織が猫にウイルスを仕込み、標的の国に放つ。そして猫に引っかかれたり、噛みつかれた瞬間にウイルス感染が起こり、猫依存症を発症。「にゃんにゃん」言っている間に攻め込み、侵略完了。
ありえない。
でも、現実にはそうとしか思えない。
目の前に本屋がある。雑誌コーナーの表紙が見事に猫だった。
動物雑誌ならわかる。写真雑誌ならまだわかる。でもゴシップまみれの週刊誌や文芸誌、スポーツ専門誌までもが猫だった。猫を被ったスポーツ選手とか見たい人いるのだろうか。家電情報誌も猫耳仕様となっていた。オタク向けならともかく、冷蔵庫のレビューにすら『猫分』なる評価項目がある。どうやら冷蔵庫に付けられた猫耳や猫の意匠を評価するらしい。
そんな意味不明な雑誌に人々は群がっている。
その脇で取り残された一冊があった。
表紙は猫ではなく地球の写真となっている。漆黒の宇宙には『巻頭特集:宇宙人マンメリアン』と書かれている。
中をめくると、ふわっふわの猫たちが団子になって並ぶ写真が目に飛び込んできた。
『宇宙人マンメリアン』
NASAの調査チームが地球から約5340光年離れた惑星Mammalから信号を受け取った。
信号を解析した結果、マンメリアンと称する地球外生命体からの通信であることが判明した。通信には冒頭の写真データ(JPEG形式)とともに彼らの自己紹介と地球へのメッセージが添えられていた。
写真のとおり、マンメリアンは哺乳類型の宇宙人で猫によく似ている。
彼らいわく、マンメリアンは繁殖旺盛であり、女のマンメリアンは一生に約20人出産とするいう。そのため母星Mammalでは手狭となっており、新たなる居住地を求めているそうだ。すでに2つの惑星と平和的友好関係を結んでおり、同様の関係を築きたいという。
マンメリアンは高度な技術を持っているという。特に医療技術は群を抜いており、我々と組めば病に苦しむことはないと自賛している。
そして文末には一言メッセージが添えられている。
『もうそちらへ向かっています。大丈夫です、すぐに友だちになれますから』
私は背筋が凍る思いをした。
猫を被ったテロ集団はむしろ被害者で、大元はマンメリアンではないかと。
いや。この本、よく見るとオカルト雑誌だ。普段はイルミナティとかフリーメイソンとかの文字が並ぶあれ。地球人がこれほど技術を集めて地球外生命体を探しても見つけられなかったのに、猫にできるわけがない。もしあの猫団子がマンメリアンだとしても、あの頭の小ささと四つ足でものが作れるとは思えない。所詮はオカルト話。ありえない、ありえない。ただの陰謀説だ。
だが……。もし、この雑誌の記事が事実なら大事件。金になる。
崩壊しかかっているこの社会を是正したい人間はいるはずだ。マンメリアンとテロ組織の蜜月とかマンメリアンの弱点といった雑誌を超える情報を掴まなければならないが、成功すれば金が得られるはず。ただし、マンメリアンが実在すればの話だが。
気になる記事がある。調査中と但し書きはついているものの、最近、短波放送に異変があるそうだ。この放送を聞けば少しは真相に近づけるかもしれない。
雑誌を購入し、すぐさま通販サイトにアクセスしてワールドバンドレシーバーを購入した。いつもの通販サイトには『Ny』という文字が付加されている。おそらく宅配業者はヤマトだろう。
それから私は情報収集を続けた。猫団子は増え続け、フルフェイス猫ヘルメットブームは衰えをしらない。素顔を出して歩くとやけに目立つ。人の集団心理をも利用しているのだろうか。
猫がずっと私を見ている。このままでは外に出られなくなる。早く原因を突き止めなければ。
三日後、猫をかぶった宅配業者が品物を持ってきた。恒例のムダに大きな箱を開けて、ワールドバンドレシーバーを取り出す。
電池をいれてSW(短波)に設定、少しずつ周波数をあげていく。
短波は長距離まで電波が届く。ラジオの遠距離放送に用いられており、条件さえ良ければ日本にいながら国際放送を聞くことができる。同調するごとに世界の放送が聞こえる。英語にはマンメリアンの語はないものの、やたら猫の話題が多い気がする。日本だけでなく、世界の人も猫顔を被っているのであろうか。
あまり考えたくない。
いやマンメリアンなんて嘘っぱち。実際はテロ組織が情報発信しているかもしれない。それでもいい、むしろその方がまし。間違いなく暗号だろうが、ネタにはなる。まぁ変な思想にとらわれて変な行動を起こさぬようにと考えると、一般メディアには載せられないだろうが。
ダイヤルをゆっくり回し続ける。バーが20000kHzを指す。これより上は太陽活動が激しいときの局。普通は放送されない。
激しいノイズ、しかしどこか明るげな歌声が混じっている。
右耳をそっと近づける。ダイヤルをほんの少し送った。
「にゃんにゃにゃにゃんにゃん、みゃ~ん」
「にゃんにゃにゃんにゃん、みゃ~ん!」
猫の大合唱だった。
なぜ猫がラジオ放送にでているのだ。猫マニアのための猫の声放送なのか。
いや、それならこんな短波放送ではなくて、普通のAM・FMを使うだろう。もう日本は猫ブームなんだから。きっと一般ラジオで受信可能な局でもおかしくない。もちろん私はいやだが。
この放送はなにを伝えているのだろう。なにかの暗号がひそんでいるのか。意味のないただの猫語なのか。後者であることを私は願いたい。テロ組織など恐ろしいこと限りなしだ。
「みゃ~ん」
ラジオから声がする。
「みゃ~ん」
左耳から声がする。
振り向くと灰色の猫が足元にいた。
猫が左脚をチクリと噛んだ。甘えるようなソフトな一噛みのあと猫が身体をすり寄せてくる。猫特有のふんわり暖かな感触が脚のみならず全身をかけめぐる。もはや放ってはおけない。堪えがたき衝動が身体を押してくる。
私はつぶらな瞳を向ける猫をぎゅっと胸元に引き寄せた。
「こんにちは。私はMammalから来ましたマンメリアンです。突然の訪問でごめんなさい。実は箱に入っておりました。レシーバーのことばかり頭にあったようですね。気づかなかったので甘噛みしてしまいました。これからここでお世話になろうと思います」
猫の鳴き声なのに日本語のように意味が取れる。なぜだ……。
「ふふふ、大丈夫です。すぐに友だちになれますから」
なぜ。
なぜだ。
なぜだ!
「標的はここだ(にゃんにゃにゃにゃんにゃん、みゃ~ん)」
「確保せよ!(にゃんにゃにゃんにゃん、みゃ~ん!)」
「標的はここだ、確保せよ!」
「ふふふ、今日からあなたもマンメリアンの仲間入りです」
マンメリアンIDが告げられる。
『4-』の後に続く数字は75億を超えていた。