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うみのなか、ゆめのなか

作者: LiN

 夜を経ても引かない蒸し暑さの中、早朝に家を出て地下鉄に乗って、新幹線で二時間。そこから在来線の特急で一時間。さらに一両編成の普通列車に乗り換えてニ十分。私はセミの鳴き声が響くホームに降りたった。



 初めての一人旅、それも長時間。乗り換えの度に緊張した。その旅が無事終わった安堵感に私は浸っていた。


 空が広い。

 そして人がいない。私の他には列車から降りた人はいなかった。




 駅舎と呼んでよいのかわからない小ぶりな待合い所で、Tシャツにスパッツ姿の日焼けした里子ちゃんが私を待っていた。


「おねえちゃん!」

元気な声は前に来た時のままで、「大きくなったね」と私が言うと里子ちゃんは私の手を取って歩き出した。うれしさを隠さない里子ちゃんが隣にいるだけで、心がほぐれていくのがわかった。



 駅前にはよろずの商店がひとつだけあって、店は開いてはいるようではあるものの、人の気配はしなかった。里子ちゃんの家がある海の方まで歩いても、会ったのはおばあさんが一人と猫が一匹だけだった。



 里子ちゃんはずっとしゃべっていた。小学校に来た新しい先生のこと。友達のこと。おじさん(里子ちゃんのお父さん)が腰をいためたこと。ゲーム機を買ってもらえないこと。近所の友達が旅行に行ってしまったこと。




 里子ちゃんの家はなかなか広い。そしてなかなか古い。玄関の戸を開けるのに少しコツが必要で、私は毎回来たての時は苦労する。そして里子ちゃんは得意げに私に変わって戸を開けてくれるのだった。


「やあやあよく来たね。」おじさんは里子ちゃんが言ったとおり腰を手に当てて痛そうにしながらもにこにこして玄関に出てきた。

「あらあらまあまあ無事についてよかったわねえ。」と、おばさんも顔を出す。


 冷たい麦茶を出してもらって、お母さんから預かったおみやげを渡して、「一人でよく来たわねえ。」「お母さんは元気?」「中学校はどう?」「部活は何してるの?」「ボーイフレンドとかいるのかしら。」これもいつものことで、質問責めになる。


 駅からの道と同じようにうきうきでいた里子ちゃんも次第にそわそわしだして、話し続けるおばさんに「もー」という顔を向ける。それでもおばさんが話し続けるのを遮って、「おねえちゃん、海いこ!」と私の手をひっぱった。

「まだ着いたばかりで疲れてるんだから。」というおばさんに、いえいえ、いいんです、と言って「行こうか。」と里子ちゃんに言うと「やった。」と歯を出して笑った。


「それじゃあ無事着いたってお母さんに電話しとくから着替えてきなさい」とおばさんに言われ、私は荷物を持って二階にあがった。階段は急で、のぼるとギシギシと音を立てた。



 里子ちゃんの部屋は二階にあって広い。


 私は荷物から水着を出してタオルを腰に巻いて着替えようとしたけど、里子ちゃんが気にせずにスパッツとパンツを脱いでいるのを見て、タオルを巻いていることがなぜか恥ずかしくなってしまって、里子ちゃんと同じように着替えることにした。


 里子ちゃんが裸になると水着の部分だけが白く、どれくらい日焼けしているかが分かる。そのことを言うと里子ちゃんは誇らしげに背中とおしりを見せて笑った。




 私も里子ちゃんも水着を着て、おばさんに借りたビーチサンダルをはいて家を出た。水着を着て道を歩くことにちょっとドキドキしながら、里子ちゃんと海へ向かった。


 海にも人はいなかった。泳げる浜に人がいないというのは現実感が無く、絵を見ているみたいだった。でも里子ちゃんがサンダルを脱いで海へ向かって走り出した時、それが目の前にあって手の届く風景なんだと思い出した。




 里子ちゃんと泳いだり、水をかけあったり、浜辺で相撲をしたりして遊んで、家に帰ったらお昼を過ぎていた。里子ちゃんと私は水着のまま縁側に座って、おばさんが用意してくれたそうめんとスイカを食べた。




 お昼ごはんの後、里子ちゃんと私はTシャツに着替えて縁側の横の畳でねっころがってお話をした。

 そのうちに里子ちゃんは寝てしまった。おばさんは「しょうがないわね。」と里子ちゃんにタオルケットをかけて、私に「疲れたでしょう。一緒に寝ちゃっていいのよ。」と言って私にもタオルケットを渡してくれた。いつもと違う洗剤のにおいがすタオルケットにくるまれると、私もうとうととしてきた。一人旅の緊張と、海で遊んだことと、おなかいっぱい食べたことと、ここにいる安心感で、私はすぐに眠りに落ちていった。






 起きた時、一瞬どこにいるのか分からなくなって、横でまだ寝息を立てている里子ちゃんを見て、ああ、そうだ、里子ちゃん家に来たんだって思い出した。



 ぼうっとした頭と身体が感覚を取り戻す中で、下半身に違和感を感じた。パンツの中、おしりと、前。



 つめたい。



 手で触ってみる。



 ぬれてる。



 おしっこ。



 私、おねしょしちゃった。



 しばらくの間、私はそのまま横になっていた。

 家の中はしん、としている。他の部屋からも人の気配はしない。おじさんもおばさんもでかけたんだろうか。人がいないとこの家はいつもこんなに静かなんだろうか。里子ちゃんは一人でいる時は何をして過ごすんだろうか。



 そういうことを考えていても、パンツの濡れた感触は消えなかった。やっぱり、私はおねしょをしてしまったのだ。

 何をしたらいいんだろう。


 そうだ着替えないと。

 パンツと何かはくもの。替えを二階に取りにいかないと。

 ちがう、まずふかないと。おしっこをふかないと。でもタオルはどこだろう。

 私は起きあがって見回してみたが、ふけるものはなかった。かりたタオルケットでふくわけにもいかない。

 下半身を見ると前の部分が少し濡れていた。そんなに出てないのかもしれない、そう思って畳からおしりを上げると、ショートパンツのおしりは大きく丸いシミができていた。 そして畳の上。おしりのよりも大きく、畳の色が変わっている。

 どうしよう。よその家でおねしょして、畳汚しちゃった。どうしよう。


 寝た時に見た夢のせいだ。海で里子ちゃんと泳いでる時におしっこがしたくなって、でもトイレが無いからこっそりと海の中でおしっこをしたんだ。きっとその時におねしょしちゃったんだ。




 里子ちゃんが起きるまで、私はそのまま動けずに固まっていた。しんとした家の中で、里子ちゃんの寝息だけが聞こえ、日が少しずつ傾いていった。パンツは少しずつ冷たくなっていった。


 里子ちゃんは起き上がると部屋を見回して「お父さんとお母さん出かけたの?」と聞いた。

「そうみたい。」

かすれた声が部屋に響いた。


「私の部屋で遊ぼうか。」

目をこすりながら里子ちゃんが言う。


「里子ちゃん。」


「なあに。」


「私ね…私…おねしょ…しちゃった。」

またかすれた声が出た。


里子ちゃんは「え」と言って私のショートパンツと畳の上を見た。


「ごめんなさい。畳、よごし…ちゃった。」

喉の奥からひねり出した声は、つぶれて、裏返っていた。




 里子ちゃんは絞った雑巾を持ってきて畳を拭いた。

「おねえちゃん、お風呂で体洗って。」

畳を拭きながらこっちを見ないで里子ちゃんが言った。


 私は脱衣所で服を脱いだ。ショートパンツもパンツもおしりのところが大きく濡れていた。上にTシャツを着て、下は裸のまま洗い場でショートパンツを洗った。

 お風呂で自分の体も洗って脱衣所に出ると里子ちゃんがいて、「干すからかして。」と洗いたてのショートパンツとパンツを受け取ると、バスタオルと着替えを私に渡して出ていった。



 体を拭いて着替えを済ませて脱衣所を出ると、おじさんとおばさんが帰ってきていた。

 私はおねしょをしてしまったことと畳を汚してしまったことをおばさんに伝えてあやまった。あやまっている途中で涙が出てきてしまった。おばさんは「疲れちゃったのよね。お父さんとお母さんには内緒にしてあげるから。」と言って私の頭をなでた。




 夜ご飯の時も、里子ちゃんと二人で二階で過ごす時も、私はほとんど顔を上げることができなかった。里子ちゃんはずっと、いろんな話をしてくれた。

 私を気遣ってくれているのが伝わってきて、そのやさしさに応えなきゃと思えば思うほど、何を言ったらいいのか、何を言えるのか、わからなくなってしまって何も言えなかった。


 電気を消して、布団の中に入った時にやっと私は「里子ちゃん、今日はありがとう。」と言うことができた。里子ちゃんは「ううん。」と言った。


少ししてから里子ちゃんはつぶやくように言った。

「気にしないでって言っても無理かもしれないけど。」

ゆっくり、言葉を探しながらしゃべる里子ちゃんはいつもとは違う雰囲気だった。

「いいんだよ。おねしょしちゃっても。おねえちゃんがしちゃっても。」


 その言い方がおかしくて、私は「ふふ」と笑った。


 暗闇の中の里子ちゃんがほっと息をついたのが分かった。


「いいの?」

「いいんだよ、おねえちゃんかわいいから。」

「はずかしいよ。」

「そりゃそうだよ。おねしょしたんだから。」

「ひどーい。」

「スイカ食べたからおねしょしちゃったのかな。」

「そうかもしれないけど、夢のせいかも。」

「夢?」

「うん、夢の中で里子ちゃんと海で遊んでてね、おしっこしたくなったんだけど、はずかしくて言えなかったんだ。でもどんどんしたくなっちゃって、こっそり海の中でおしっこしちゃった。きっとその時におねしょしちゃったんだよ。」

「あー、わかる。私もトイレでおしっこする夢を見た時におねしょしちゃったことあるよ。小さいころだけどね。」

「どうせ私は中学生でおねしょしちゃった子だよ。」

 私がふくれた声を出すと里子ちゃんは笑って「明日もあそぼうね。」と言った。




 次の日からは、おねしょのことを里子ちゃんにいっぱいからかわれた。


 毎日寝る時に「トイレ行った?」と言われ、起きるれば「おねしょしなかった?」と言われ、食卓にスイカが出れば「食べ過ぎたらおねしょしちゃうよ?」と言われた。

 私がおねしょをした畳を指して「なんかここ濡れてるね。」と言ったり、「さとこちゃーん、わたし、おねしょしちゃったあ。」と私の泣きまねをしたり、色えんぴつで私がおねしょした時のへたくそな絵を書いて「これ自由研究にする。」と言ったり、海に遊びに行ったときに遠くから大きな声で「おーい、おねしょたれー」と呼んだり。

 そのたびに私は「もー、里子ちゃん!」とおこる。それはちょっとうれしくて、でもやっぱりはずかしかった。




 おねしょをした次の日も、その次の日も、私と里子ちゃんは毎日海で遊んだ。私も、里子ちゃんみたいに水着にそって日焼けしていった。毎日、着替える時に背中とおしりを見せ合った。



 家に帰る前の日も、里子ちゃんと海に行った。

 やっぱり浜に人はいなかったけど、もう現実感が無いと感じることはない。


 その日は里子ちゃんはいつもよりはしゃいでいた。それが次の日には私が帰ってしまうということを思い出さないようにしているようでつらくなりかけたけれど、しばらくすると里子ちゃんのはしゃぎっぷりにのまれて、しんみりした気分は忘れてしまって二人でふざけあって遊んだ。



 一通り遊んで、二人で砂浜に寝転がっている時、「おしっこしたくなっちゃった。」と里子ちゃんが言った。「帰る?」と私が言うと里子ちゃんは起き上がって、「ううん、ここでしちゃおっかな。」と言った。


「ここで?」私が驚いた声を出すと。

「そうだよ。」とにやにやしながら言う。

「おねえちゃんみたいに、海の中で、しちゃうんだよ。」

「それは夢の話だよ。」

「おねえちゃんもしちゃおうよ。」

「やだよ。私は家までがまんできるもん。」

「そんなこと言ってるとまたおもらししちゃうよ。」

「おもらしじゃないよ。おねしょだよ。」

「おなじだよ。パンツ濡らしてまた泣いちゃうよ。」

「もー、里子ちゃん!」


 そう言いながら、私は里子ちゃんの後にくっついて海の中へ入っていた。

「ここでしちゃう。」と里子ちゃんが口に出した時から、わたしも、うみのなかで、おしっこしちゃいたい、そう思っていた。


「ほら、ここでしちゃおう。」


腰まで水につかったところで里子ちゃんが言う。


私はだまってうなずいた。




 私も、里子ちゃんも、おしっこはなかなかでなかった。


 トイレでするみたいにしようとしても、あたまのどこかから「水着着てるのにだめだよ。」「またおねしょしちゃうよ。」と言われておしっこが出ない。


 でも、そのうち里子ちゃんが「ふぅ」っと息を吐き出して、表情を緩めて、恥ずかしそうに微笑んだのを見て、私も、少しずつ水着の中におしっこを出した。


 おしっこは少しずつ勢いを増していった。

 

 海の中でするおしっこはあったかかった。


 おしりも、おなかも、少しずつあったかくなっていく。


 そのあたたかさに浸っていると、「おねえちゃん、今してるでしょ。」と里子ちゃんの声がして私はびくっとした。

 里子ちゃんはもう終わったらしい。さっきみたいに、にやにやして私の方を見ている。


 里子ちゃんの前で、水着の中におしっこしちゃってる。

 急にはずかしくなった。


「ううん、でないみたい。」

考える暇もなく、無駄な嘘をついた。


「うそだあ。」

そう言って里子ちゃんは水の中を私の近くまで歩いてきた。

「だめだよ!」情けない声が出た。

里子ちゃんはもっとにやにやした。

「ほーら、しちゃってるんでしょ。」

「うん…」

「これも夢だったらおねえちゃんまたおねしょしちゃうね。」

何か言い返そうとするけれど、おしっこをしているせいで考えられなかった。

「こっちこない方がいいよ。きたないよ。」

「大丈夫だよー。海だもん。」

「はずかしいし。」

「まだ出てるの?」

「うん、でてる…」

「海ですると、きもちいいいよね。」

「うん…」


 おしっこがやっと出終わった時、体がぶるぶるっと大きくふるえた。

 それを見た里子ちゃんがぷっと笑って、私は真っ赤になって、里子ちゃんから逃げて頭から海に飛び込んで浜に向かって泳いだ。もちろん里子ちゃんは泳いでおいかけてきて、つかまって、砂浜で二人でとっくみあってころがって、わらった。





 次の日、みんなとお別れして、また何度も列車を乗り換えて自分の家に戻った。

 お父さんもお母さんも、一人で行って帰ってこれたことをすごくほめてくれた。


「もう大人だね。」


 そう言われて、私が思い出したのは、海の中でおしりとおなかがあったかくなっていく感覚だった。


「うん、でもね、わたしね…」


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