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8.私の侍女にバレました



「貴女に羞恥心はないのですか!」


「羞恥心?可笑しなことを仰るのね。アリシア様の寵愛を戴く事の何を恥と思うのかしら」


「寵愛!?呆れました…貴女に痴女の自覚がないだなんて。私は貴女を買い被っていたようですね」


アリシア・ディータ(肉体年齢2歳2ヶ月)は目の前で繰り広げられる口論を目の前にして、まるで現実逃避をするかのように遠くを見ていた…――。




エルザを自分付きの侍女にするよう両親に求めてから早1ヶ月。2人は元々同僚ということもあるのか、急な話にもかかわらず即座に仕事を分担し、エルザが来る前と同様の仕事ぶりを発揮した。いや、むしろ分担して負荷が下がった分、仕事の質は向上していた。分担の内容は多岐にわたるが、大雑把にまとめると教育関連をマリーナ。身の回りの雑事をエルザが請け負うことになっている。

今日も今日とて、エルザの冷たい声で目覚めの悪い朝を迎え、その後朝食を取り、エルザと入れ替わるように部屋に入ってきたマリーナに魔法を教わる。


マリーナは格好から入るつもりなのか、いつしか授業の時には緑ブチの眼鏡をかける様になった。

正直に似合うと褒めると「うふふ、この眼鏡はアリシア様の瞳と同じ色なんですの。もちろん、アリシア様の瞳はこの眼鏡とは比べ物にならないほど美しい輝きを放っておりますが」と、眩しい笑顔を浮かべる。

それに呆れたように言葉を返しながらも、仄かに嬉しかったのは私だけの秘密だ。



今日は精霊魔法について学ぶらしい。初めての科目だし、なにより精霊という単語には未知なものへの興奮からか、胸が熱くなる。精霊魔法については分かり易い子供向けの本がないらしく、今日はマリーナ特製の冊子を用いて勉強することになった。

しゃん、と仕事モードに入ったと示すように、マリーナの背筋が伸びる。



「まず、精霊についてご説明いたします。精霊とは大気中に存在する魔力の集合体です。その姿は動物を模したものから人間のような姿のものまで様々です。精霊がどのようにして生まれるのかは未だに解明されておらず、ただ精霊は個体によって意思の有無、魔力上限、適正魔力が異なります」


「せいれいまほうは、せいれいがつかうまほうのことをさすの?」


「そうです。精霊は莫大な魔力を保持しており、精霊を召還し契約を結ぶことで、契約した精霊が使用する精霊魔法を行使することができます」


「てきせいまりょくは…?ひととおなじかんがえでいいのかしら」


「はい。精霊にも魔法適正は存在し、個体によって異なります。その種類は人のそれと変わりません。そして契約した精霊が自分が持ち得ない魔法の適正を持っていた場合、契約者も同様の魔法を使用することができます」


マリーナの言葉を噛み砕きながら、考える。

つまり、水属性と火属性に適正のない私はその属性の適正を持った精霊と契約すれば、どちらも使えるようになると…。正直ここしばらくの特訓で伸び代の限界が見えてきていた私には嬉しい知らせだ。

自分の壊滅的なまでのファイアとウォーターの習得具合を思い出し、思わず口元が綻ぶ。



「ただし、分不相応な契約者に精霊は従いません。もしもアリシア様が精霊と契約を為すのなら、アリシア様自身が風の上級魔法を使いこなせるほどに魔法の熟練度を上げた後の方がいいでしょう」


少しだけ浮かれた私を嗜めるようにマリーナは言葉を重ねたが、まぁそうだよね、と彼女の言葉に頷く。

簡単に精霊と契約が結べ、難しい魔法が使用できるならば、そもそも魔法の特訓という概念が存在しないことになってしまう。これまで通り、己を鍛えていくことは必要だろう。

それでも、全く成果の見えない適正のない魔法を極めるよりは特訓すればするほど能力の向上が見える風魔法を極める方がやる気も持続するというものだ。


しっかりとマリーナの瞳を見つめて頷くと、赤毛の麗人はふわりと華やかに笑った。


精霊魔法の基礎講義が終わると次は精霊の召還方法や契約方法など具体的な内容へ話は移った。

…精霊召還とかまさにファンタジーの世界って感じがしてワクワクするよね。

いつか必ず召還するつもりではあるけれど、果たしてどんな精霊と契約できるのだろうか。まだ見ぬいつかのパートナーを想像しながら目を眇める。もちろん、耳はマリーナの講義の内容を聞き取りながら。



「…あぁ、上手に描けましたね。実際に召還する際はこの陣に魔力を注ぎ込みます。今回はまだ致しませんが、もう少し風魔法の練度が上がれば一度挑戦してみましょう」


「えぇ、そのためにも、まほうのとっくんをがんばらないといけないわね」


「アリシア様なら、きっとすぐに上級魔法もお使いになれますわ。…ではそろそろ休憩しましょう」



マリーナが描いた精霊召還の陣を書き写したところで、一旦ブレイクタイム。

今日の紅茶のお供はマリーナ特製のスコーンと苺のような仄かな酸味が特徴の果物を使ったジャムだ。



「ふふ、アリシア様は座学でも実技でも本当に楽しそうに学んでくださるので教え甲斐がありますわ」


「だってたのしいもの。まりーなのおしえかたも、じょうずだからたのしいのよ」


「アリシア様…」


にっこりと笑いながら日ごろの感謝も籠めてマリーナの教え方を褒めれば、マリーナは感激したように唇を震わせて、か細い声で私の名前を呼んだ。それに嫌な予感を覚えてしまったのはしょうがないことだと思う。


(あれ、もしかしてスイッチ入った…?ちょっと待ってよ。私は本当にちょっとだけ褒めただけだよ?)


しまった、と思ったときには既に遅し。マリーナの瞳は潤み始めている。

マリーナ暴走スイッチ。崇拝スイッチとも言うべきか。なぜか私のことを怖いくらいに溺愛している彼女は、時々倫理的にアウトな行動を取ることがある。そんなときの彼女の共通点として、瞳がとろんと潤んでいるのが真っ先に上げられる。今の状態がまさにそれだ。



「アリシア様…本日のスコーンは私の手作りです。お味はいかがですか…?」


「えっ!?あぁ、うん、おいしいよ」


「そうですか…。うふふ、今日のスコーンには私の愛情をたっぷりと注ぎ込んでおりますの。美味しいと思っていただけるのならきっとそれは私の愛の味…。ねぇアリシア様?もっと味わっていただけませんか?私の、愛を…」



アウトー!と全力で叫びたくなった。

しかしこういうときに限って喉が引きつって声にならない。

私はダラダラと滝のような汗を流しながら、ジャムをつけたスコーンを口に含むマリーナの行動を見つめていた。マリーナさん、口に含んだスコーンを租借しないのはまさかとは思いますが私へ口移しするつもりでしょうか。



「あ、あの…、まりー、な」


引きつった顔をしているだろう私の声にマリーナは目を眇めるだけで返した。思わず背筋がゾクリとするほどの色気は、きっと今出すものではないと切実に思うがそれを主張する勇気はない。

ばたばたした手はマリーナの手でひとまとめにされた。逃げようにも後頭部が掴まれているので退路は完全に絶たれた。

そもそも2歳児が大人の女性に叶うわけがないのだ。

マリーナが稀に見る美人であるということだけがせめてもの救いだろう。


(くっ…これまで唇が触れ合うだけのキスなら何度もされたけど、多分これからは舌を絡められる気がする…)


ステップアップの時期なのだろうか。微塵も望んではいないけれど。

どうしよう、どうしよう。…いっそもう諦めるかと、どうしようもない現状に疲れ果て暴れていた腕から力を抜き、そっと目を閉じる。視界が暗くなった瞬間、急に時間の経過が遅く感じられるなのはなんでだろうかなんてとりとめのないことを考えながら、そのときを待った。


そして唇に柔らかな感触が触れた瞬間、カチャリ、と扉の鍵が解除される嫌な音が耳に届いた。



「…っえ?」


差し込んだ光と、戸惑ったような声。聞き覚えのある澄んだ声は、この間私付きの侍女となったエルザの声だ。あっちゃー、と頭を抱えたくなるも、身動きができない現状ではどうすることもできない。

せめてこれを理由に更に嫌われることがないようにと願うことしかできなかった。


「――な、なにを。…お嬢様に、なにをなさってるのです!マリーナ・メッセ!」


衝撃から戻ってきたエルザはすぐにマリーナを叱咤した。その声にしぶしぶと私から離れていったマリーナ。ほっと安堵の息をついたところを、再度軽く唇を啄ばまれる。「マリーナ!」と激しい声音もなんのその。飄々とした様子のマリーナは、何か用かとでも言わんばかりに優雅な佇まいでエルザを睥睨した。



「なにを…?見れば分かることではありませんか。わざわざ私に問いかけるなど、エルザも無粋なところがあるのですね」



ここで、冒頭に戻るわけである。


その後もエルザとマリーナは口論を続けたが、結局お互い譲らず話は平行線を辿る形となった。

私は巻き込まれたくなくて遠くを見ていたから詳しくは知らないけれど、結局話し合いは不毛という結論に至ったのか、特にどちらの意見を受け入れるわけでもなくうやむやに終わったようだ。


エルザは私をマリーナの件に関しては保護対象と認識したのか、前に比べて少しだけ当たりが弱くなったことは僥倖だった。そして更に、エルザはマリーナの教育中もこまめに顔を出し、マリーナの暴走を阻むお陰でマリーナによる私への人的被害も軽減した。


とりあえず今回の収穫としては、エルザがマリーナの本性に気づいたことと、この世界の倫理観は私とそう変わらないと言うことが分かったことだと思う。





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