2.私は美人になりたい
「アリシアお嬢様、本日は奥様と旦那様がお見えになりますよ」
「ぅ?」
なん、だと…?
転生してから約1年。今まで顔を見なかった両親に会えるという。嬉しいような不安なような不思議な感覚だ。どちらかというと不安のほうが大きいかもしれない。
それが普通なのか知らないが、生まれたばかりの子供に対して1年も放置する親は禄でもない気がする。
(容姿だけでも、綺麗だったらいいな)
性格の良し悪しなんて今更どうでもいい。どうせ今まで関わることがなかったのならこれから先もそう変わらないはずだ。どうやら両親はお金持ちみたいだし、子育てはメイドに一任していくだろう。ただ容姿は重要だ。私の体は、両親のDNAを受け継いでいる。彼等の美醜がそのまま私に遺伝されると言っても過言ではない。
転生前の私は平均よりも低い身長にぽっちゃりとした身体。顔は一重のちっちゃい目にぼってりと大きい団子鼻。お世辞にも綺麗とはいえない、ブサイクな女だった。体型に関してはこれからの成長過程で細心の注意を払うつもりだが、顔の美醜についてはそうはいかない。
どうか見れる顔でいてくれ…。そんな私のささやかな願いは、その数時間後に裏切られることになる。
「あらあら、見ない間に随分と大きくなりましたね」
「おぉ、エレッサによく似て美しい。将来は利発な美人になりそうだ」
私、アリシア・ディータの母になるエレッサ。そして父のディゼットを見て、私は自分が話せないことに初めて感謝した。
そうじゃなかったら、私は両親を見た瞬間に相当失礼な暴言を口にしてしまっていただろう。引きつりそうになる口元を一生懸命動かして、笑みを作る。私はちゃんと笑えているだろうか。鏡がないから分からない。
(なんというか、あれだ。…豚とタヌキだ。)
私の両親は、どうやら2人とも恰幅がいいらしい。女性の方は大きな丸太のように太い身体に厚化粧。多分パッチリした二重だとか通った鼻筋を見ると、容姿はそれなりに整っているのに、顔に乗った脂肪がその美しさを台無しにしている。
男性のほうはでっぷりと出た腹に脂ぎった顔。ニタリ、と笑っているかのように見える表情はどう見ても実子の娘を見る顔じゃない。
ゾクリ、と背中に冷たい汗が伝った。
1年間、私が関わってきた人間はスタイルがよく美しい私付きのメイドだけだった。美しいものに見慣れてしまうと、ふと目の前に出された醜いものに対する嫌悪感がすさまじい。こんな風にはなりたくない。少なくとも容姿だけではそう思える相手だ。
「マリーナ。この調子で頼むぞ」
「はい、承知しております」
なにより、両親を前にしたメイドのマリーナは普段の麗しい笑顔をどこへやってしまったのか。人形のように熱のない表情は初めて見るものだ。その表情の理由は両親のせいだろう。どれだけ鈍感でも、それくらいは分かる。思えば今日両親がここに来ると言ったときも彼女の表情は憂いを帯びている気がした。
両親は私の顔をちらりと見ると、抱き上げることもなく部屋を後にした。いや、抱き上げられなくてよかったんだけれども。遠くで見るだけならまだしも、抱き上げられたら泣き喚く自信がある。しかしそんなことをしてしまえば、マリーナが責められることは必至だ。
「まぃーにゃ…」
「っ、お嬢様…?いま、まさか」
私が今まで二足歩行と平行して特訓してきた成果を見せるときがきたようだ。
未だに両親が姿を消した扉に向かって頭を下げるマリーナの名を呼べば、彼女は私の目論見どおり、瞬時にその顔を上げた。
「まいっ、にゃ」
「お嬢様っ」
思ったとおりの反応をしてくれる。嬉しくて、にっこりと緩む頬を自覚しつつ再度名を呼べば、感動したようにボロボロと涙を流すマリーナに抱き上げられた。
ふわり、薫る香りは私が物心ついたときと同じく、優しい花の香りだ。優しく、温かく、そしてなにより美しいマリーナ。
綺麗なものを愛でるのはすべての人間に共通する感情だと思う。マリーナのような美しいメイドを私に与えてくれた。その点に関しては、あの両親に感謝してもいいと思える。
「お嬢様、お嬢様…。私は侍女失格でございます。本来であればアリシアお嬢様が初めに口にするお言葉は奥様と旦那様のことであるべきなのに…、私は嬉しいのです。私の名前を最初に口にして戴けた事が、嬉しくて仕方がありません」
懺悔する様にかけられる言葉が心地いい。美しい彼女が私に傅き私の行動に一喜一憂する様に大きな優越感を感じた。先ほど両親を前にしたときは違う、興奮を伴ったゾクゾクとした感覚に酔いしれる。私は変態なのかもしれない。そしてそんな私の世話係となった彼女は不幸なのかもしれない。それでも一度手に入れたお気に入りを手放す気にはなれなかった。
「まいーにゃ、しゅき」
「…アリシア、おじょうさま」
「しゅきよ、まいーにゃ」
だからこれからも、私のことを考えて、私のことをなによりも欲して、私のために生きなさい。そんな想いを籠めて耳障りのいい好意の言葉を伝える。マリーナは私の言葉になにを思ったのか、どこか恍惚とした表情になると、私を視線が合う位置まで抱き上げた。私は真っ直ぐと私を見つめるマリーナの頬にそっと手を添えて、ちょっとだけ身を乗り出して彼女の唇に唇を重ねる。
じんわり、重ねた唇が熱を持つ。
その瞬間、マリーナの喉がゴクリと音を鳴らして。
なぜか分からないけれど、もうこれで大丈夫だと不思議な安堵感が芽生えた。