10.私の家に厄介者が来ました
「アリシア、この子はシュヴァリエ・ラ・ノワール。侯爵家の次男です。しばらく屋敷で預かることとなりました。失礼のないようになさい」
「かしこまりましたわ、おかあさま」
事前の連絡もなく、朝早い時間にそれは訪れた。髪色と同じ赤いドレスに身を包んだふくよかな貴婦人は、お腹の贅肉をゆさゆさと揺らしながら現われたかと思うと、私と同じくらいの身長の子供を私の前に差し出した。私はその様子をどこか客観的に見つめながら、赤いドレスの貴婦人…、もとい、エレッサの癇に障らないようにスカートの端を持ち上げ愛らしい令嬢然とした礼を返す。
「…本当に、賢い子。あとは任せましたよ」
エレッサは私の従順な様子に気を良くしたのか、ふ、と目元だけを柔らかく緩めるとそのまま子供を置いて私の部屋を後にした。私はそれを頭を下げたまま音だけで感じ取る。
侯爵。しかもノワール家と言えば、王都で幅を利かせている上級貴族だ。いくら私の家が中級貴族とはいえ、こんな国の端の偏狭な地へ大事なご子息を引き渡すものだろうか。疑問に内心首を傾げながら顔を上げる。
(――…あぁ、なるほど。)
エレッサが連れてきた子供を目の当たりにして、すぐに気づいた。侯爵家の次男が、こんな偏狭の地へ飛ばされた理由。そしてノワール家と間を取り持つために使えるだろう子供を、部屋から出ることも叶わない私へと押し付ける理由。
「はじめまして。わたしはありしあ・でぃーたともうします」
「……」
「しゅうぁりえさま。…もうしわけありません。わたしはまだくちがよくまわらず、はつおんがじょうずではありません。しあさまと、よんでもよろしいですか?」
「……」
なんか喋れやクソ餓鬼。
もともと子供が好きではないアリシアは、だんまりを決め込む幼児に苛立ちを覚えるが、それを表に出さないように微笑む。
しかしそれを感じ取ってしまうのが子供なのだろう。ビクリと体を震わせたシュヴァリエは、子供らしくない冷めた目を伏せると、アリシアを拒絶するように視線を逸らした。
(なんかいろいろと面倒そうね…、こいつ)
厄介事。アリシアはシュヴァリエをそう評価した。
一見黒にも見える深紫の髪。それはこの国では滅多に見ない暗い色合いだった。
瞳こそ澄んだアメジストのように美しいものの、黒を厭うこの国で、その深い髪色はこれ以上ないほど嫌悪される。この子供は捨てられたのだろう。上級貴族のノワール家は、殺すわけにもいかず、それでいて傍に置いておきたくないこの気味の悪い子供を自分達の意に逆らえない中級貴族に体よく押し付けたのだ。
そして私の両親は、押し付けられた気味の悪い子供を私へとたらい回しにした。
この子に侯爵家の人間としての権力はないはずだ。しかし下手に扱えば、ディータ家を蹴落とすいい材料になる。厄介な爆弾をもってきてくれたものだ、と毒づく。
「しあさま、ちょうしょくをともにいただきませんか?」
「……」
「むごんはこうていとうけとりますわ。…まりーな!」
「畏まりました、アリシア様」
先ほどまで部屋にいなかったはずなのにいつの間に、と思わなくもないけれど、アリシアはその疑問を心の中に仕舞った。尋ねたところで彼女は意味深な笑みを浮かべるだけだ。マリーナクオリティなのだからしょうがないと納得するしかない。
すぐさま部屋を後にしたマリーナが用意した朝食は日本食でいうところのお粥のような、胃に優しいものだ。病気などで弱ったときに食べるシンプルな味の野菜の煮込みスープ。
シアは侯爵家の子供にしては嫌に痩せている。私だって、両親に疎まれている身だ。マリーナのように信頼できる侍女がいなかったら、彼のように痩せ細っていたかもしれない。他人事のようには思えなかった。
「……しあさま?」
食事を前に、シアは微動だにしない。
嫌いなものでもあっただろうかとシアの様子を伺い、そうではないことを悟った。
シアは美味しそうな食事を前に、まるで焦がれるような表情をしていた。それでも食事に手をつけないのは、白くなるほど握り締められた拳になんらかの意味があるのだろう。
考えられる可能性としては、食事をまともにとれば叱られたか。もしくは毒を盛られた経験でもあるのか…。食べたいけれど、食べられない。そんな風になる理由なんて、数えるほどしかない。
私は席から降りて、シアの方へと向かう。
その私の動作に合わせてイスをもう一脚取り出し、シアの横に添えるエルザ。…うん、マリーナといい、君といい、いつの間に来ていたのかな。いい仕事してくれるから文句はないんだけどさ。
「……、?」
「よいしょっと…」
私の行動に困惑するシアを尻目に、私は少しだけおばさんくさい掛け声をかけながらイスに上る。
そしてスプーンを手に取ると、シアの食事を一口食べた。うん、今日も美味しい。
そのまま、2、3口と食べる。
そして、私は同じスプーンでスープを掬うと、シアの前に差し出した。
「おいしいよ」
「……」
にこり、と笑ったけれど、シアは表情を微動だにしなかった。
おかしいな。私の笑顔を見たマリーナが視界の隅で腰砕けになったのが見えたから、完璧な笑顔だったと思うのだけれど。
「…ど…して?」
(どうして?どうしてこんなのことをするのかって質問かな?)
本音を言えば、侯爵に潰される弱みを作りたくないから優しくするだけだけど。それを言えばシアに幻滅されることは考えなくても分かる。そうなると、彼の世話をする上で面倒さが増すだろう。
なんて答えるのか正解か。少しだけ逡巡して、私は一度スプーンを皿の中に戻し、彼の髪を梳く。
「しあさま。しあさまは、よるのいろをしっていますか?」
「……」
「ふかく、おだやかな…。ひとのこころによりそう、やさしいいろをしているのですよ。――…しあさまのかみのいろといっしょですね」
シアが、目を見開く。驚いた表情は、無表情なんかよりもよほど愛らしく、幼い。
私は綻ぶ口元を押さえつつ、スプーンで掬った食事を、彼の前に差し出す。
おそるおそる、私の顔色を伺いながらスプーンを口に含んだシア。
美味しいでしょ?と尋ねれば、彼は目元を綻ばせて微笑んだ。