1.私、転生しました
「あぅ…?」
さて、どうしたものか。
外見年齢0歳児、精神年齢24歳の赤子は、思うように動かすことのできない自分の体を厭いつつ現在のこの状況に至るまでの思考を巡らせた。
特別なことなんてない普段の日常だったと思う。いつも通り目覚ましの音で起きて、出勤して、職場の同僚にからかわれながら仕事して、帰って寝る。
そう、それだけだ。事故にあったわけでもないし、夢の中で神様のお告げがあったわけでもない。しかし目が覚めたら私は見覚えのない建物の中にいて、とっくに成人を迎えた体は赤子まで若返ってしまっていた。
(転生トリップ?…それとも、これまで暮らしていた日常が赤子の夢だったとか?)
前者だったら転生する前に死んでないんだけど、といるかもよく分からない神様に文句を言いたいところだし、後者だったら私と云う人格のあり方が分からなくなりそうで恐ろしい。24年、社会人生活を含めたその人生で酸いも甘いも味わった。その経験がただの夢といわれたら、今こうして思考している私はなんなのだろうか。考えれば考えるほどドツボに嵌まる気がした。
「ぅー…」
「お嬢様?」
泣いて人を呼ぼうにも、それが正解かも分からなかった私の前に現われた大きな顔。
赤毛に澄んだ金色の瞳。間近で見ても綺麗だと分かる整った容姿。着ている服はメイド服というものだろうか。
「ぁー、ぅー」
「ふふ、可愛らしい…。もうしばしお休みなさいませ、お嬢様」
もっと情報が欲しくてメイド服の女性に手を伸ばせば抱き上げられた。ぽんぽんと優しく背中を撫でられて、その心地よい刺激と服越しに伝わる温もりに瞼が重くなる。
ふわりと香る花のような甘い香りは彼女のシャンプーかなにかだろうか。いい香りだ。彼女のすべてが私を落ち着かせる。眠りに導くように与えられた優しい言葉に促されるように、ゆっくりと目を瞑った。
(――…なにも、変わらない)
眠って起きればなにか変わるかと思えば、そうでもなかった。私の体は赤子のまま。見える景色はどこか高級な品のある室内にメイド服を着た赤毛の女性。
たったそれだけが、私の生活のすべてだ。初めて赤子になってから1ヶ月は経ったと思うが、親らしき人物がここを訪れることはない。どうやらここはそれなりに大きなお屋敷で、私の世話はこのメイドの女性がすべて担っていて、両親は私の育成には関わってこないようだ。赤ん坊の体はすぐに眠気を催す。だからこそ知りえる情報はあまりに少なかったけれど、眠ることしかしない私にとって、少ない情報を吟味し考える時間は十分にあった。
「アリシアお嬢様…!その調子でございます」
「ぃ、ぁーうっ!」
十分に考えを巡らせた結果、とりあえず体が動かないことにはどうしようもない。ならば鍛えて、鍛えて、鍛えて。できうる限り早く動けるようになろうという目標を立てた私は早速行動に移した。だいたいの赤子は生後4ヶ月ぐらいまで寝返りをうち、その後生後6ヶ月くらいで座れるようになり、ハイハイ、つかまり立ちを得て二足歩行が可能になる。
私は生まれてから意外と時間が経っていたらしい。身体を動かしていく中で立つために必要な筋肉や骨ができていることは確認できた。よろしい、ならば特訓だ。
一生懸命励ますようにかけられるメイドの声に奮起しつつ何度もつかまり立ちに挑戦する。
寝返りや身体を起こして座ることやハイハイは思ったよりも簡単にできた。ただ二足立ち。これが難しい。
多分通常ならハイハイによって二足立ちをするための足の筋肉を鍛えるのだろう。しかしその辺りをぴょんと飛ばして立とうとするからなかなか立てないのだと思う。
もちろん頭が大きいためバランスが取り難いということもあるだろう。
「きゃうっ」
「あぁっ、お嬢様!」
ぽてっと尻餅をついた私に、メイドが悲痛な声を上げる。
まるで自分が怪我をしたかのように痛々しい顔をするメイドに、気にすることはないと伝えるように笑いかける。
赤ん坊の身体になってから、早8ヶ月。いい加減そろそろメイドの名前を知りたいな、と思いながら再度つかまり立ちに挑戦するために両足に力を籠めた。