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レナ・ナナセの素晴らしい日々に男は要らない  作者: 山梨明石
二人が出会うまでの六ヶ月
9/21

 第五都市の門にたどり着く。

 昨日あれほどいたはずの兵は一、二人しかおらず、さして呼び止められるような事態も起きず私はつつがなく街を出た。

 堀を流れる水の音を聞きながら、門の外の跳ね橋を渡る。

 建物に囲まれて閉鎖感のあった街中とは違い、街の外は開放感が広がるなだらかな草原地帯だった。

 人の足で踏み固められ、ぺんぺん草の一つも生えていない硬そうな街道が続いている。

 さらりと吹いた清風が、走った私の体の火照りを冷ました。


「トーキィ、この街道を進めばいいのかな?」


 赤い矢印は、依然として街道に沿って進むものの、私は確認の意味を込めてトーキィに尋ねた。


「ええ、その通りです。補足をすれば、街道を進んだ先、分かれ道の箇所に森があります、そちらが目的地です」

「ありがとう、トーキィ」


 視界の奥に、遠近法のせいで小さく見える森林地帯が広がっていた。

 あれでは分かれ道が目印というより、森が分かれ道の目印だろうな。

 距離にして、走るとどれぐらいになるだろうか。


「走るおつもりでしたら、体力配分に気をつけてください。

森にたどり着けば、敵性勢力のゴブリンとの戦闘が控えています」

「うん、わかってる、大丈夫だよ」


 トーキィの適切なアドバイスが、私に冷静さをもたらしてくれる。

 心配をかけたくない、と言いつつ冒険者ギルドを飛び出してしまった私のなんと浅慮なことか。

 もしかしたら、いや、きっと彼らは心配して私を探しに来ているかもしれない。

 思わず、背後を振り返る。しかし誰も居なかったので、私は安心した。


 悪い事をしたな、と反省する。

 だが、ああでもしないと彼らは絶対に、私が冒険者になることを認めてはくれないだろう。

 考えても仕方のない事だが、子供の駄々をこねるような私の我侭を押し通すのに、もっとスマートな方法は無かっただろうか。

 対話で分かり合えたかもしれない可能性を、私はわざわざ潰してしまった。


「……行こう、急がないと」


 なんにせよ、私は強行と言う手段を取った。

 それが正しい物であると証明する為にも、私はゴブリンの耳(結果)を手にしなければならない。

 私は森を目指して、走り出す。

 目的地は、遠い。



 多少の休憩を挟みつつ、私は森にたどり着いた。

 二股の分かれ道、街道の向こう側は鬱蒼とした森が広がる。

 森の入り際はなぜか、街道に迫るように弧を描いていた。

 まるで、森が街道を侵食しようと襲い掛かろうとしているようだ。


 走った事で荒い息を整え終えて、薄暗い森の様子を伺う。

 入り口らしい入り口もなく、木も草も各々好き放題に生え散らかしている。

 でろんと飛び出たツルのような植物が、人を森へ誘わんとする植物の手のように見えた。


「この森は、気味が悪いな。生きているかのようだ」

「そうですね、ですがレナ様、口調が戻っておりますよ?」

「おっと」


 いけないな、やはり私は緊張している。

 こういう時こそ、落ち着かねばならない。


 ところで、私が森にたどり着くまでの間、不思議な事があった。

 碌な走り方も知らず、道端の石ころに足を引っ掛けて転びかけていたような私だが、唐突に走り方が良くなった。

 体の無駄なフォームが消え、楽な走り方になった、といった感じだ。

 そのおかげで私は、思ったよりも早く森にたどり着く事が出来たのだった。


 その現象についてトーキィに説明を求めたい所だが、今は時間が押している。

 私は背嚢を下ろし、中身を探った。

 ごそごそと背嚢の中身をかき回す。

 頭に浮かべるイメージは、短い剣。

 二、三回転ほどすると、目的の物が私の手に触れた。

 硬いそれの、持ち手を掴む。ずしりとした重さが伝わる。

 ゆっくりと背嚢から引っ張り出すと、私の手の中には鞘に納められた短剣が握られていた。


 前世で申請した補助要項の二つ、支援用五倍体積背嚢と、支給物資の成せる技だ。


 支援用五倍体積背嚢についての説明は、それほど必要あるまい。

 中身が見た目の五倍だけ入る四次元空間付きの、感覚インターフェース内臓型背嚢というありきたりな背嚢だからだ。

 前世において、さして珍しくもない一品だ。


 一方の短剣は、転生直後に必要な物資をある程度支給してくれる、支給物資の品目の一つ。

 自分の身を守る為の護身道具、あるいは他者を殺傷するための、武器だ。


 公共、私有地の場を問わず、鋭利な刃物を免許なしに所持した場合、重罪だ。

 それはもちろん前世の話であり、今生においてはまったくもって違うのだが、

さすがに刃物を目の前にすると、神妙な気持ちになってしまう。


「…………よし」


 私は覚悟を決め、鞘を抜く。

 しゃらり、と人を誘うような音がした。

 抜き身の刃物は、太陽の光を反射して美しく光る。

 特別な装飾といったものはないが、しっかりと研がれて輝く短剣には、ひき付けられるような不思議な魅力があった。

 鋭い刃の先を、指でなぞってみたい衝動に駆られる。

 私は短剣の刃を、見つめた。


「怪我をしますよ」

「っぁ、そそ、そうだね」


 トーキィの声で、私は我を取り戻した。

 なるほど、人類が刃物を厳しく取り締まった理由が理解できた。

 これは人を狂わしかねない。危険な道具だ。

 私は短剣を鞘に納め、腰のベルトを少し緩めて左腰の位置に無理やり括りつけた。

 激しく動かなければ、鞘ごと落っことす事もないだろう。

 他にするべき準備は、もうなさそうだな。あっさりとしたものだ。


「戦闘用支援プログラムを展開しますか? 今の状況において使用が推奨されますが、

依然説明した通り、支援プログラムはあくまで一時的に状況に応じた能力を得られるだけです。

恒久的な自らの能力にならず、また能力使用時における経験の蓄積も認められません。

ゴブリンの耳を持ち帰るため、万全を期すのであれば戦闘用支援プログラムを展開する以外の選択肢はあありません。

ですが、今後の生活の為に、戦闘とは何か、生き物を殺すとは何かを学ぶ良い機会です。

自力を鍛える為にも、一度支援なしでの戦闘経験を重ねてみてはいかがでしょう?」


 トーキィの提案に、少し悩む。

 厳しく管理され育った私は、暴力を振るった事がない。

 そもそも他人に危害を加えた時点で、禁固三十年近い罰則が与えられる為、暴力行為に走る人間など居なかった。

 無論のこと、生き物を殺害した事もない。

 一般教養として道徳を学んでいる以上、何でもいいが生き物の命を奪う事に、一定以上の忌避感が少なくともある。

 街を走った時に見かけた、鶏の斬首。

 あの時は脳内が過剰に興奮していてさほど気にならなかったが、今思えばあれは中々にグロテスクで、気持ちが悪かった。


 私はこれから、ゴブリンと呼ばれる生命体を殺さねばならないのに、鶏の斬首程度で気持ち悪がるようで大丈夫だろうか?

 いや、そもそも殺すという選択肢がどうか。

 ゴブリンという魔物は、得てして知性の弱い二足歩行の野生動物として描かれていた。

 だが、この世界のゴブリンはそうでないかもしれない。

 人と対話をこなせる知能を持っているかもしれない。

 もしゴブリンがそうだとしたら、私はゴブリンを殺せるか?

 止めてくれ、殺さないでくれ、死にたくないと叫ぶゴブリンに、短剣を突き刺せられるか?


「…………」


 悲壮な表情のゴブリンを思い、気持ちが悪くなった。


「ねぇトーキィ、平和的解決の手段として、金銭あるいは物品を提示して耳を切り取らせてもらうという方法は」

「無理です」


 即答されてしまった。


「それは、どうして?」

「そもそもこの世界における、魔物と総称される生命体に対話は通じません。

例外も存在するようですが、それはごく一部であり、そのごく一部はゴブリンではありません。

仮にレナ様が仰られた平和的解決を試みれば、レナ様はゴブリンに殺される可能性が非常に高いです。

数値にして表せば、九十九.九パーセント。零.一パーセントの可能性にかけてみますか?」

「―――ううん、かけてみない」

「私もそうしたほうが宜しいと思います」


 なるほど、つまり私は、どうやっても冒険者になるためには、生き物を殺さねばならないわけだ。

 ああ、くそ。

 思った以上に、私の中の殺害に対する忌避感は強かったらしい。

 参ったな、私はこの世界で、ちゃんと生きていけるのか?

 不安になってきた。


「お悩みのようですね」

「うん、すごく悩んでいるし、怖い」

「自らの中で答えが見つかるまで、考えをめぐらすのも宜しいですが―――」

「……うん? どうかしたの?」

「ゴブリンが一匹、距離にして約五メートルまで接近中です」

「えっ、うそっ」

「四メートル……三メートル……森の中に潜んでいます、構えて下さい、危険です」


 ちょ、ちょま、まて、まってくれ、まだ私は心の準備が出来ていない!

 何より私の中で生命の殺害と、それに対する罪の意識や生命の尊さに対する答えといった折り合いがついておら―――。


「二メートル……一メートル……来ます」

「と、とにかく剣! 剣!」


 慌てふためきながらも、私は短剣を鞘から引き抜いた。

 すると、思ったよりも重い短剣の重量を測り間違えた私は、手に込めた力が弱かったせいで短剣を取り落としてしまった。


「わわわっ、慌てすぎだ私の馬鹿!」


 急いで短剣を拾い上げる。

 そして、短剣を持ち上げたその時。


「え?」


 顔を上げると、そこには視界一杯に広がった醜悪な顔つきのゴブ―――。


 ごごっ。










 くぐもった音だ。

 これは、どんな音だろう。

 そうだな、察するに、何かを何かで叩いた音だ、それはわかる。

 音の出所はとても近かった、位置的には、私の側頭部かな。

 で、あるならば、この音が生じるには私が何かで側頭部を叩かれないと発生しない、ということだ。

 つまり、私は叩かれた、ということだな。

 簡単な論理的思考だ。



「――――――えう゛、げぶ、がふっ」



 頭が割れそうに痛む。

 吐き気がする。


「あづ―――いだ、い、なに、これ」


 視界が朦朧としている、前後左右がわからない。

 私は、何だ、どうなっているんだ?

 左側頭部が熱い、じくじくと痛む。

 右頬から、ひんやりとした冷たさを感じる。

 体がしびれて、動かない。


「ごほっ、ぼほっ、がほっげほっげほっ」


 だというのに、私は壊れた機械のように咳をくり返す。


「いた―――なに―――どう、なってる、の」


 息が細い、きちんと呼吸が出来ていない。


「ひゅー……ひゅー……げほっ」


 か細い呼吸が、頼りない、どうした私、しっかりしろよ。


「――――――ギギギ」


 肌が粟立つような、嫌悪感を含んだ引きつった声が聞こえる。

 視界に、緑色の足が入り込んだ。

 汚らしい足だ、所々土にまみれていて、不潔そうだ。

 その足は不思議な事に、壁に垂直に足をつけていた。

 なぜ壁に張り付いたままでいられるのだろう? わからない、どうしてだ?


「―――ギャギギ、ギャギャ、ギャ」


 緑色の足が、壁を何度も何度も蹴り上げる。

 いや、よくよくみれば壁は壁じゃない、土だ。

 では、私の右頬に当たっているのは、土か、地面か。

 やっと合点がいった、私はどうやら、地面に倒れているらしい。


「な、に……?」


 体の痺れが薄まってきて、私は視線を動かす事ができた。

 左に視線を限界まで向けると、粗末な腰みのを身に着けて、片手に棍棒を持った緑の小人が、悪臭を撒き散らしながら跳ね飛んでいた。

 緑の小人が、無邪気に喜んでいる、何がそんなに嬉しいのか、彼のジャンプは止まらない。


 腰みのが巻かれた股間が、隆起していた。

 あそこにあるのは、なんだっけか……そうだ、生殖器だ、生殖器がある。

 ペニスだな、その位置が隆起している、ということは、勃起しているのか。

 何故勃起している? 勃起する理由はいくつかあるが、代表的なものとしては性的興奮による血流の増加で海綿体が。


 いや、まて。

 私は、馬鹿か?

 何故こいつが勃起しているかの理由を、考える必要があるのか?


「げふっ、あ゛う、うう、はあっ」


 なにを、悠長なことを、考えている、おろかものめ。

 手を動かせ、早く、早く、早く、早く早く早く早く早くしろこの間抜けいう事を聞かないか!!!!

 侵される犯される冒される! 私の身が! おかされる!


「っう、ぐぅ、がっ、かっ、ぶはっ」


 がくがくと震える手を大地に這わせ、身をよじらせる。

 目の前の緑の小人―――ゴブリンはまだ私の様子に気がついていない。

 まだ間に合う、だから早く、急げ、早く!


「ふぅーっ…………ふぅーっ…………がふっ…………」


 動きが緩慢で、のろまで、政治家連中が採決を先延ばしにするための牛歩のように、進まない。

 けれど、まだ気持ち悪いし頭もガンガン痛むし涙が出てるが、体が動かせるようになってきた。

 左頬を垂れるぬるりとした感触が気持ち悪い。

 頼む、気づくな、気づいてくれるな、そのまま踊っていろ、頼む。


「ギャギャギャッ、ギャギャッギャ、ギャッギャッ―――ギャッ?」


 しかし、世界はそう甘く出来ていない。

 何事も思い通りに行く世界など、異世界にも存在しないらしい。

 ゴブリンが、私のナメクジのような動きに気がついてしまった。


 ゴブリンが、私の体に覆いかぶさってきた。

 馬乗りになったゴブリンの重みが苦しい。

 汚らわしいゴブリンの手が、私に伸びる。

 しかし、それでも私は這って動いた。

 まだだ、まだ諦めるには早い。

 手を伸ばせ、動くんだ、今ここでやらねばどうする、さあ、私! 動け! 動くんだ!


 その時、ゴブリンが私の胸に触れたと同時に、私の手にもまた、目的の物が触れた。

 私はそれを必死に手繰りよせた。

 手の中に納まったのは、握りやすいグリップだ。

 その先に何があるかは、もう知っている、ついさっき確認済みだ。

 私の体を犯そうという気持ちで一杯のゴブリンは、私がそれを手にした事に気がついていない。

 視野の狭いことだ。


 ゴブリンの気色が悪い緑色の手が、私の胸をまさぐる。

 ゴブリンの下腹部、隆起した腰布の先端から、青臭い臭いが立ち込めた。


「この―――」


 その時の私の心境? 思い出したくもない、最悪だった。


「汚い手で私の胸に触るな―――」


 下品な話になるが、三こすり半よりもあれは早かったね。胸揉んで達するって、どう思う?


「早漏ゴブリンッッ!!」


 私は闘争本能全開で、右手に持った短剣をゴブリンに向けて横一文字に奔らせた。


「ギャギ?」


 銀光の一線が、ゴブリンの腕の中心で煌いた。


 ゴブリンが、己の両手を不思議そうに見つめている。

 胸を揉んでいた両手はその動きを止め、せっかくの柔肌の感触を伝えてこない。

 そのことが気になって右腕を上げた時、ゴブリンは気がついた。

 肘の辺りから、腕が切断されていたことに。


 心臓の鼓動にあわせて、どくどくとどす黒い血が飛び出て行く。

 もう片方の左腕も上げてみれば、やはり同じくして切断されている。

 支えを失った両手は、私の胸を離れて地面に落ちた。


「ギャ―――」


 激昂したゴブリンが私の首筋に噛み付こうとして。


「――――――」


 そのまま、事切れた。

 大量出血による失血死、あるいはショック死か。

 どちらにせよ、ゴブリンは死んだ。

 私が、殺した。


「どき、なさい。おまえは、臭いん、だよっ!」


 力の入らない体でもぞもぞと動いて、覆いかぶさったゴブリンの体から逃れる。

 私の体はゴブリンの血で真っ黒だ。

 あんなに綺麗だったワンピースが、汚れてしまった。もうこれは着られないな。


「ぺっ、ぺっ、ぺっ、血が、口の中に、入った、くそ」


 悪態と共に、唾を何度も吐き出す。


「つっ」


 側頭部に走る痛みに手を添えてみれば、私の左手は赤い血で真っ赤に染まった。


「こりゃ、ひどいな、はは、ははは」


 なんだろう、私はどうして笑っているのだろう。

 人はあまりに非現実的な状況に直面した時、どうしようもなくなって笑ってしまうと聞くが、つまり今の私はそれなのか。

 まぁそれに間違いなさそうだな。


「レナ様」

「…………トーキィ」


 今になって、私はトーキィの存在を思い出した。

 そして、同時に怒りが湧いてきた。


「トーキィ、どうして私を助けてくれなかった」

「……」

「答えろ、答えるんだ! トーキィ!」


 私はまだトーキィに対し、戦闘用プログラムの使用の如何について答えていない。

 とはいえトーキィは私の支援プログラムだ、あの状況ならトーキィは私を助けてしかるべきだっただろう。

 トーキィの返答次第では、私は今度のトーキィとの付き合いを考える必要がある。


「―――申し訳ありませんでしたレナ様、何故レナ様を手助けしなかったのかについての釈明は?」

「してくれ」

「ではお答えします、レナ様に根付いた生命体の殺傷に対する忌避感は、今後冒険者という身分で行動する

際の邪魔になるだろうと、私は判断しました。

この世界において冒険者とは、常日頃から暴力や殺害、命のやり取りに身を置いています。

ウルフェンさんの言葉は真実であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

そのような世界に身を置こうとしているレナ様が、殺しや暴力について思い悩む事は結構です。

ですが、戦闘中そのような思いに捕らわれると、身の破滅を招きます」


 トーキィは一旦話を止めると、事切れたうつ伏せのゴブリンのほうを向いた。


「あのゴブリンは、レナ様に襲い掛かり、身動きの取れないようにした後生殖行為を行い、連れ去る、あるいは殺して食べるつもりでした。

ゴブリンは、初めからそのつもりでした。

対してレナ様はどうですか? 心中で思い悩み、ゴブリンを殺すべきか殺さざるべきか、あるいは別の方法はないか。

そのように考えておりましたよね? つまりは、意識の違いなのです。

相手は初めから危害を加えるつもりでいて、レナ様はそうでなかった。

だからレナ様は短剣を取り落とし、相手に不意打ちを許し、挙句犯されかけたのです」

「………………だから?」

「だから、私はあえて手助けを行いませんでした。

身を持って危機を体験し、いざという時に相手を殺す事を躊躇しなくてすむように、

レナ様に戦闘と、そして生物の殺害を、体験して頂きたかったのです、学んで頂きたかったのです」


 つまり、あれか。

 トーキィは、何処までも私の事を考えていたわけなんだな。

 私の前世で培われた道徳教育の結果が、こちらでの生活に良く作用しないと知ったから。

 獅子が息子を谷底に突き落とすように、あえて死地に私を送る荒療治を行った、と。

 でもな、トーキィ、そういう大事な事は。


「なんで先に言ってくれなかったんだ」

「時間がありませんでしたので、加えてプログラムの使用の可否についてのお答えもいただけておりませんでしたから、自己判断です」

「…………はぁ、わかった、わかったよ、そういう事なんだな? かなり腹立たしいが、私は納得した、それでいいか?」

「はい、レナ様」


 何てことだ。

 よく気が回るし、私の思いに先んじて行動してくれているトーキィのAIプログラムは、ついに主人の命令を受けなくても自発的行動に至るまで成長した。

 大丈夫か? このAIは、ロボット三原則を破る可能性はないよな?

 ちょっと、いやかなりとても不安だ。

 一度落ち着いて考えたほうがいいかもしれない。


「レナ様?」

「……なんだトーキィ、まだ何かあるのか」

「いえ、森の中から血の臭いをかぎつけてきたゴブリン四体が接近中です、距離七メートル」


 私は大きく息を吸い込んで、空を仰いだ。

 雲ひとつない快晴だ。

 ―――なんなんだ、もう勘弁してくれ。


「トーキィ」

「はい」

「戦闘用支援プログラムを起動してくれ」

「かしこまりました」


 私はやるせない気持ちを抱いたまま、ふっきらぼうに言った。

 私の体の真ん中を中心に、光の輪が出現する。

 腹の辺りで展開された光の輪は、上下に二分割され、下方は足裏まで、上方は私の頭の天辺まで到達すると光の粒子となって消えた。

 光の輪が消えたと同時に、私の脳内に濁流の如く、知らない経験が飛び込んでくる。


「――――――前回よりは、気持ち悪くないな」

「戦闘用支援プログラム展開完了。

"短剣(ショートソード)使い(マスタリー)Lv3""戦闘技能Lv3""体力回復Lv2""戦神Lv1"を習得しました。

戦闘用局所マップとトレーサーをレナ様のHU(ヘッドアップ)(ディスプレイ)に展開します」


 脳に詰め込まれた情報は整理され、既に身につけた経験として私の身に宿る。

 視界にも変化が訪れ、周辺の詳細な地図情報が視界の左上に表示された。


「ゴブリンまでの距離、約三メートル」


 ゴブリン達の距離が近づくにつれ、地図上の四つの赤い丸が青い丸の私に近づいてくる。

 視界を森に向けた時、私は驚いた。

 森の中、黄色い線で描かれたゴブリンのシルエットが四つ、私のほうに向けて進んでいる姿が

森をキャンパスにして描かれていたからだ。


「トーキィ、これは」

「トレーサーの効果です、本来は壁向こうに潜む敵性生物を補足する際に使うトレーサーですが、

今回は森が壁の役目を果たしておりますので、対策としてトレーサーを導入いたしました」


 なるほど、これでゴブリンが何時何処から飛び掛ってくるかが、こちらからは丸見えというわけだ。

 何だこれは、酷いチート(ずる)だ。


「過去の軍隊が有していた時代おくれの技術ではありますが、ゴブリン相手ならば充分に活躍するでしょう」

「そうだな、私も本当にそう思うよ」

「距離二メートル……一メートル……来ます」


 目の前の森から、ゴブリンが二匹飛び掛ってきた。

 その事前動作と飛び出す位置は、トレーサーで丸見えだ。


 二匹のゴブリンが飛び掛る姿が、スローモーになって私の視界に映る。

 私もこれにやられたのだろうか。

 姿が隠せる森の中からの奇襲、か。

 きっとゴブリンがこうした戦法をよく行う、といった事前情報をしっていれば、あんな事にはならなかったのかもしれない。

 恐らく、それを教えてくれるのは冒険者ギルドにいた彼らのはずだ。

 私は自分のわがままを通す為とはいえ、それを聞かずに飛び出したのだ。


 ―――やっぱりというかなんというか、私のとった行動は間違いだったらしい。


 ままならないものだ。

 自由に生きるということは、誰にも縛られず、強制もされず、自らの責任を自らが持つということ。

 私が自らに求める生き方に反しているわけではない。

 けれど、自由に生きるって。

 大変なんだなと、私は身に沁みて学んだ。


「ギャギャッ―――!」「ギャギーッ―――!!」

「うるさいよ」


 左右から飛び掛るゴブリンに向けて、踊るように回転しながら短剣を切り払う。

 手に伝わる手ごたえは、殆どない。

 ゴブリンの合い間を縫って抜けた私は、背後で空中衝突する四つの肉塊の音を聞いた。

 どちゃぶちゃ、という音と共に、地面に肉塊が転がる。

 ゴブリンの上半身が二つと、下半身が二つだ。

 熟練の短剣使いである私は、たかがゴブリン二匹程度同時に両断する事なぞ、造作もないのだ。


 体中を襲っていたまひも、疲れも、痛みももう消えた。

 わざわざゴブリンを待ってやる理由もない、私は森の中へと飛び込む。

 まずは左から。

 トレーサーではっきりと位置が見えていたゴブリンの前に躍り出て、短剣を切り下ろす。

 切り上げる、切り下ろす、切り上げる、切り下ろす、切り上げる。

 都合六回の剣腺がゴブリンの肉体に奔る。

 その動きはあまりに素早く、私もどうして人間の腕がこんなに早く動くのだろうと不思議でしょうがなかった。


 ゴブリンは、数えるのも馬鹿らしいほどの細切れの肉になった。

 さて、後は一匹だろう。

 こいつは逃げ足が速いというか、察知能力が高いというか、既に尻尾を巻いて逃げている途中だった。

 既に私の目の前からは消え去っているが、ゴブリンが森の木々の向こうにいる様子が、トレーサーを通じて見て取れる。

 私は、目を良く凝らした。

 木と木の隙間を凝視する。

 小さくなっていくゴブリンの背中が、何本もの木々に阻まれた中、奇跡的に覗く一つの隙間の中に見えた。

 ここだ。


「せぇ…………のぉっ!!」


 私は短剣を投げた。

 理想的なフォーム、理想的な力加減で投擲された短剣は、寸分の狂いもなく、木と木の間の隙間を通って、ゴブリンの後頭部を打ち抜いて破裂させた。


「……くさい」


 戦闘開始から二十秒。

 犯されかけ、殺されかけ、地面を這いずり回った一度目の戦いと比べて。

 二度目の戦いは対複数ながらも、圧倒的過ぎる幕引きとなった。


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