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「おいおいウルウェン、こいつぁとびっきりイカしたジョークだな!」
「ちげえねえ、腹がよじれて捻じ切れちまいそうだ!」
「おう嬢ちゃん、お前面白い事言うな? 飴でも食うか?」
この男共は何がおかしいのか、げらげらげらげらと笑う。
私は彼らがあまりにも痛快に笑って見せるものだから、一瞬あっけにとられた。
そして、馬鹿にされ……いや、虚仮にされたのだと気がついた。
な、なんなんだ、この、こいつらは。
ひじょうに、ふゆかい、きわまりない…………!
人の乳ばかりじろじろと見ておいて、その態度は、なんだ!
こっ、この、この、こいつら、今に見ていろ! きっとぎゃふんと言わせてやるぞ!
「あ、あなたたちは何がおかしいって言うの……!
私が冒険者になるって言った事の、どこが変だっていうの!?」
怒りのあまり、握り締めた手がぶるぶると震える。
猛獣男なんぞに負けないぞと意気込んで突入したのに、私は彼らに笑いものにされている。
これが悔しくなくて、なんだというのか! 怒り心頭ここに極まれり、だ!
「…………おい、嬢ちゃん本気で言ってんのか? 頭大丈夫か?」
高笑いから一転して、声のトーンを三段階ほど下げた禿頭が言う。
「私は、本気で、大真面目に、言ってるんです!」
私はやぶれかぶれになって、喚くように叫んだ。
ふーふーと息が荒くなる。
私の叫びを境に、場が静まる。
すると今度は、彼らのほうがあっけに取られた様子で、近くに居るもの同士でお互いの顔を見合った。
「…………マジか?」
「なんどだって言います! お・お・ま・じ・め。です!」
「あーあーわかったわかった、よーくわかった、だからそうキンキン喚くな耳が痛ぇ」
猛獣男が片耳を押さえながら、面倒くさそうに言う。
「おい、この世間知らずのお嬢さんにちぃと冒険者ってのは何なのかを教えてやれ!!」
猛獣男がそう言うと、男達は皆弾かれたように動き出した。
空いた酒瓶だとか、食べ物の食べかすだとか、壊れた椅子だとかが散らばっていた一室を、瞬く間に清掃していく。
年末大掃除の体を相した一室に、先ほどまでの剣呑な雰囲気はひとかけらも見当たらない。
私だけが、行き場のない怒りを抱えたまま、一人取り残されている。
ひとえに、困惑しっぱなしだ。
やがて小さなテーブルや掲示板、その他もろもろが壁際まで寄せられて、部屋に大きなスペースが空いた。
そのスペースに、男たちは何処からか大きな丸いテーブルと椅子を持ち出してきて、置いた。椅子は一つだけだ。
その動きはとても素早く無駄がなく、まるで統率され訓練された治安維持隊のような働きぶりだった。
「な、なに? ど、どうしたの?」
「嬢ちゃん、座りな」
「えあ、え? えっと……はい」
恐らくこの椅子は私の為に用意されたのだろう。
勢いに乗せられるまま着席を促された私は、小汚い冒険者ギルドの一室に似つかわしくない、クッション付きの椅子におっかなびっくり腰掛けた。
中々に、すわり心地がよかった。
何が何だかわからない。
呆気に取られてしまって、心に灯った怒りの火が急速にしぼんでゆくのを感じる。
急に座らされたと思えば、巨大な丸テーブルの周囲に居並ぶ男達は、皆腕を組み一言も発しない。
円の反対側、対面にあの猛獣男が立つ。
彼が目線で狼男に何事かを訴えると、狼男は一度頷いてこう切り出した。
「そんじゃあ、世間知らずのお嬢ちゃんに僭越ながらこのウルフェンが、冒険者とはなんたるかを説明させて頂こうと思う、異論のある奴はいるか?」
「「「異議なし!!」」」
「ひぃっ!」
男達の野太い声が輪唱して響く。
その声量があまりにも大きくて、腹に響いたものだから私は悲鳴をあげてしまった。
頼む、余計な事はやめてくれ。
半ば自棄になりながらも、怒りに身を任せて我が意を通すと踏み込んだばかりなのに、
そのエネルギー源たる怒りがしぼみつつある今の私では、怒声ともとれる大声を間近に聞いてしまうと、
その、ちょっと、怖くて、震えが、来ちゃうのだが。
「まず第一にだ、お嬢ちゃんは冒険者についてどんな事を知っている?」
ウルフェンと名乗った狼男が、質問した。
猛獣男ほどではないにせよ、獣たる狼の切れ長の黒い瞳が、私を捉える。
だ、だいじょうぶだ、私は怖くない怖くない平気だ平気、気をしっかりもてレナ・ナナセ!
「……凶悪な魔物を討伐して貴重な素材を持ち帰ったり、未開の洞窟や遺跡を探索して宝物を見つけたり、苦しみにあえぐ人々を助けてあげたり……?」
私は努めて平静を装って、前世で培った冒険者のイメージをそのまま口にした。
「―――畜生め、こいつは根が深そうだ」
「そのようだな、ウルフェン」
「またこの手の奴か…………」
私の答えを聞いた彼らは、皆一様に溜息をついてやれやれと言わんばかりに肩を竦めて見せる。
一体全体何だというのか。
先もそうだが、私が冒険者になりたいと言えばそれを笑い、冒険者のイメージを聞かれたから正直に答えればこの反応。
前世で就職活動中にめぐり合った、ネットワーク通信越しの圧迫面接を思い出す。
あの時の私は、担当面接官の失礼な物言いに我慢ならず通信回線を無理やり切断してしまった。
結果はもちろん不採用となったのであるが……。
この者ら、失礼が過ぎやしないだろうか。
また、ふつふつと怒りが湧いてきたぞ。
「ねえ、さっきから何でそんな反応ばかりをするの? 私の言っている事がそんなにおかしいの!?」
語気を荒げて、真っ向から言い放つ。
一方、説明役のウルフェンは呆れた様子でこう返した。
「そりゃあおかしいさ、だってな? お嬢ちゃんが言ってるような冒険者っつうのはな、むかしむかし、それもかなーり昔の黄金時代を生きた連中の事を言ってんだよ」
「おうごん、じだい……?」
その単語がどんな意味を指すのか分からず、オウム返しのように言った。
「いるんだよな、時たま。
御伽噺か吟遊詩人の話を真に受けたのかしらんが、えっちらほっちら田舎から一人身で王都くんだりまで出張ってきてよ、
歴史に名を残すだのと、ろくでもねえ夢見ながら、俺は冒険者になる!! つってこの掃き溜めみてーな場所の門を叩く奴が」
「掃き溜めは余計だ! ウルフェン!」
猛獣男がぴしりと言い放ち、ウルフェンは少し気まずそうにした。
「ま、まぁなんだ。お嬢ちゃんが言った事はあながち間違いでもねえんだ。
確かに実力のある奴は、富と名声を手にして貴族になったり、領主になったりした奴もいる。
救世の英雄だなんてもてはやされた奴もな」
だがよ。
ウルフェンは一度語句を区切り、迫力に満ちた声で続けた。
「そんなの奴らが居たのはもう二百年以上も昔の話だ。
今や未知の秘境、遺跡は殆どねえ、粗方調べつくされちまったよ。
あー……何代目だ? 忘れちまったが二百年前の保持者、リョウ・サカザキが
蒸気機関とかいう仕組みの、でっけえ荷車を創り上げてから人類の活動領域は大幅に広がった。
秘境は秘境でなくなり、馬車で半年はかかる遠地は、今や二週間もあれば着くんだよ。
当時は、距離の問題で探索の難しかった遺跡やらなんやらから宝物が沢山見つかって、そりゃもうウハウハだったらしいがな」
また知らない単語が飛び出してきた。
保持者とは何だろう。
いやそれも気になるが、リョウ・サカザキという人物が気に掛かる。
どう見ても日本人名の彼は、恐らく前の披最終救助者だろう。
今私が居る世界は『第五百十一・世界共有型幻想種区分』。
この世界区分の特色は、初めから個人個人の為にセッティングされた個人型仮想世界と違い、
一つの世界に、複数の披最終救助者が影響を与えられるシステムを持つ。
大抵の場合で、披最終救助者の生きた名残は救世の英雄だとか、歴史の偉人と言った形で世界に残る。
私の前に一体何人がこの世界に訪れたのかは知らないが、サーバー内時間において約二百年前、きっとさかざきりょうと言う名の日本人が居たのだろう。
世界共有型の醍醐味が、今ここに現れた。
さかざきりょう。彼が創り上げた蒸気機関を内臓した荷車とやらが、私はとても気になった。
私の内情をよそに、ウルフェンが続ける。
「まあ、宝物は取ったら無くなる、雑草みたいにぽこぽこ湧いてくるもんでもねえ。
あっという間に宝は取りつくされて、黄金時代は終わりを告げた。
当ての無くなった俺たち冒険者は、野良犬みてえに日雇いの仕事で口に糊をする羽目になった。
せいぜい俺らに残された仕事は、時々領地に迷い込む魔物を討伐してやったり、遠地に出かける荷車の護衛をしてやったりと、
後は薬の材料になる薬草の採取くらいか? それぐらいしかねえんだよ。
その上な、俺たちの仕事にゃしつこいぐらい、死がついてまわるんだ。
昨日仲良く話してたツレが、明日魔物に首を食われて、うんこしょうべん垂れ流しながら死ぬなんて日常茶飯事。
そのクセ、貰える金は二束三文、日頃の生活もままならない、命がいくらあっても足りゃしねえ、だからよ」
ウルフェンが一区切りして、言った。
「悪いこたあ言わねえ、お嬢ちゃん。
荷物まとめて実家に帰りな。そんでよ、いい所の兄ちゃんでも見つけて、そいつと恋をして結婚しろ。
俺たちみたいなならず者みたいになって、つまんねえ事でむざむざ命を捨てるこたぁねえんだよ」
私を見るウルフェンの瞳は、優しかった。
周りの男たちも同じだ。
あろう事か、猛獣男ですらもだ。
私は、そこでようやく理解が追いついた。
彼らは、ただ私の身を案じているだけなのだ。
突き放すような猛獣男の態度、冒険者ギルドに入り込んですぐの、私をあざけるような笑いも。
全ては私を思っての事、冒険者などという愚かな道を歩ませないが為だ。
私は想像した。
きっと彼らは、こんなやり取りを何度もくり返しているのだろう。
冒険者ギルドの門を叩く夢見る少年少女に、お前たちの見た夢は絶対に叶わない、人生を無駄にする前に帰れと、態度は荒々しいものの優しく教え諭しているのだ。
だから彼らの部屋を片付ける動きは、あれほどまでに素早かったのだ。
「………………そうか、だから」
私は自分が恥ずかしくなった。
ただむかむかと来て、私の意志を貫き通す! だの無茶苦茶言っていた自分を張り倒したい。
穴があったら、入りたい。
見た目はあの暴漢三人組とさして変わらないが。
彼らは、立派で、誇りある、分別のついた男たちだ。
「お嬢ちゃん、考え直してくれたか? わかったら第五都市の中央まで送り返してやっから―――」
「……待って、最後に一つ、教えてくれませんか」
「……なんだ? 言ってみろ」
ウルフェンを遮るように私は言って、猛獣男が先を促した。
「冒険者になる、条件は?」
「おい嬢ちゃん、俺の話聞いてたのかよ!?」
「黙れウルフェン!! …………悪いが嬢ちゃん、それは教えられねえな。
みすみす無駄死にすると分かってて、嬢ちゃんを街の外にほっぽりだすわけにゃいかねえんだ」
「……そう、ですか」
私は嘆息した。
内心で、トーキィに問いかける。
(トーキィ)
「低級の魔物であるゴブリンの片耳を、二つ以上持ち帰る事が条件です」
無言のままの私の疑問に素早く答えるトーキィは、打てば響く鐘のようだ。
ファンタジーの魔物の代名詞であるゴブリン、か。
それだけ聞ければ、もう十分だ。
「わかりました、私は冒険者になる夢を諦めます」
その言葉に、男達は何も返さない。
―――返せるはずもない。
少年少女の夢をばっさりと切り捨ててきた彼らが、今ここで安堵の表情を一つ漏らしてでもみれば、
勘の良い子供ならば、きっと何かがおかしいと気づいてしまう。
わざと拒絶しているのだと気づかれれば、勘違いした子供が自らの実力を疑う事なく、外に飛び出していくだろう。
そして、死んでいくのだ。
彼らの姿勢は、とても立派だと思う。
自分たちの事を、ならず者だと称する彼らのどこに、このような他人を思いやる優しい気持ちが宿るのだろう。
私は、彼らの言うとおり冒険者になる事を諦めたほうがいい筈だ。
けれど。
私の視界に映る彼らは、見た目こそ凶悪じみて恐ろしくて、荒くれ者のように見える。
しかし、今は『異世界ウォッチ』で見た、異世界の英雄のような傑物然として、輝いて見えた。
「――――――というのは、嘘です」
彼らには悪いと思うが、今や私は彼らの思惑通りにいかず、冒険者への憧れや羨望の気持ちで一杯になっていた。
彼らのような、誇り高い精神性は賞賛されてしかるべきだ。
私も、彼らのようになりたい。
「――――――なっ!?」
「皆には悪いと思うけれど、やっぱり私は、私の思いを貫き通したいと思うから」
「じょ、嬢ちゃん、お前なぁ!」
ウルフェンが、狼狽した。
「背後に人影無し、敵性勢力無し、いつでも疾走出来ます」
トーキィが周囲の状況を教えてくれる。
私は微笑んで、来る台詞の為に息を大きく吸い込んだ。
充分な空気を肺に取り入れた私は、言った。
「冒険者なんて滅茶苦茶カッコよさそうじゃない! 皆が止めろって言っても、私は冒険者になるからね!」
右目の下瞼を人差し指で下げて、私はぺろりと舌を出した。
ぽかんとした表情の男たちを一瞥する。
貴方達の心意気を無駄にして、申し訳ない。
でも、私は。
冒険者になりたいのだ、自由に、生きたいのだ。
「ごめんね」
声にもならない小さな声で謝罪して、私は振り返り、勢いよく駆け出した。
「おい! 嬢ちゃん! 馬鹿な真似はよせ!!」
焦った猛獣男の声をバックに、両開きの扉を跳ね開け、冒険者ギルドを去る。
「支援プログラムのサポートは必要ですか? レナ様」
「ゴブリンの位置まで案内して。それ以外は、いらないから」
「了解致しました、レナ様」
視界の左上に、再び町の地図が表示される。
足元から伸びる赤色の矢印が、ゴブリンの居場所へと導いてくれるだろう。
「トーキィ、私、あの人達を心配させたくない。だから早々に済ませよう?」
「私も同意します、レナ様」
私は少したどたどしくも、街の外を示す矢印に従いながら、走り続けた。