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レナ・ナナセの素晴らしい日々に男は要らない  作者: 山梨明石
二人が出会うまでの六ヶ月
7/21

「朝の七時です、アラートモードをアクティベート。

深い眠りも、気絶も、分け隔てなく。"目覚めよ(ウェイクアップ)"」

「はっ!?」


 朝になって太陽の光を浴びて、肉体が自動的に活動を再開する。

 なんて生易しいものではない。

 例えるならば電源のオンとオフの切り替えのように、私は無理やり目覚めざるを得なかった。

 唐突すぎる目覚めに、気が動転する。


「わっ、なっ、ちょっ!?」

「おはようございます、レナ様。朝の七時になりました」

「えあ、え、七時? ……ああ、そうか、七時、か」


 普段の私であれば、眠たい眼を擦りながら洗面所へ重たい体を引きずったものだが、今はとても頭がすっきりとしている。

 すっきりとしすぎて、ついさっきまで寝ていたとは思えないほど。

 徐々に血流がよくなり、体が温まる感覚や、まどろんだ意識が覚醒に至る過程が存在しない。

 異常な目覚めだ。


「ト、トーキィ、一体何をしたんだ?」

「レナ様を目覚めさせただけ、ですが?」

「本当の、本当に?」

「ええ、本当にそれだけです」

「……そうか」


 釈然としないものの、トーキィがそう言うのだからそうなのだろうとひとまず納得した私は、ベッドから出た。

 一零二号室はあまり日当たりがよくないのか、ほのかに薄暗い。

 薄く開けてみた窓の外から、朝の清んだ空気が部屋に舞い込んだ。

 これで出来立ての朝食と合成ホットコーヒーでもあれば、文句はないのだが。

 そう思っていた矢先、部屋の扉が控えめにノックされた。


「はい」

「おお、起きとりましたか。朝食の準備が出来とるので、食堂まで来てくださらんか」

「わかりました、わざわざありがとう」


 ノックの主は、昨夜私に夕食を振舞ってくれた宿屋の店主たる老人だった。

 現金なもので、食事にありつけると知った私の腹が早速空腹を訴える。

 くきゅるるる、と可愛らしく鳴るこの腹はどうなっているのだろう?

 腹の虫までもが愛らしい泣き声になるとは、女性とは皆そうなのだろうか。

 謎は深まるばかりだ。


「レナ様」

「うん?」

「本日は何処にお出かけになるのですか?」


 そういえばトーキィには明日行く所があると伝えはしたが、場所を言っていなかった。

 冒険者ギルドを探す旨を伝えると、トーキィはある提案を私に告げた。


「"仮想結界"での訓練も大事ですが、レナ様の男っぽい口調と振る舞いはちょっとやそっとの事で

修正が効くほど、生半可なものではありません。

ですので、常日頃から女性の口調と振る舞いをするよう心がけてはいかがでしょう?」


 なるほど、トーキィの言い分ももっともである。

 昨夜、私はアリアーヌと対面しないトーキィとの会話においては、それなりに女性らしい口調で会話が出来ていた。

 私の外見年齢は、この世界で十五、六歳に相当するので……。

 歳相応の若々しく、それでいて愛嬌のありそうな口調で喋られるよう訓練を重ねた。

 例えば。


『私の名前はレナ・ナナセ! 趣味はテレビ観賞と来世のプランを考えること! 好きな()は女の人! よろしくね!』


 だったり。


『トーキィ! 私最近思ってる事があるんだけど、聞いてくれる?』

『何か悩みでもあるのですか?』

『うん、最近他の人から、あなたって女の子っぽくないわね、って言われちゃってさ……ちょっと傷ついてて……』

『それは大変でしたね』

『本当だよ! 私は何処からどう見ても女の子でしょ!? 本当に信じられない!』

『まったくです』


 だったりする。


 なお、会話の流れにそって私は身振り手振りも女性らしく振舞えるよう、トーキィに指導を受けている。

 だが、この口調と振る舞いが"仮想結界"のアリアーヌを前にして披露された事は一度も無い。

 どれ程脳内シミュレートや、実際に口で話してみても、実際の女性を前にすると頭が真っ白になりどうにもならなくなるのだ。

 

「ようは慣れですよ、慣れ。

女性相手でしどろもどろになってしまうのでしたら、まずは()同性である男性を相手に試せばよいのです」

「そうか! その手があったのか!」


 トーキィのアイデアはまさに天啓だ。

 確かに私はアリアーヌを目の前にしてしまうと、動悸、息切れ、発汗、胸の締め付け等、酷い有様になってしまう。

 だが、これが男性を目の前にした場合であればどうだろう。

 今まで男性は飽きるほど見てきた、緊張する可能性など万に一つもない。

 男が相手なら、私は何の問題もなく女性らしく振舞える筈だ!


「すごい、すごいぞトーキィ! まずは小手調べということだな!?」

「その通りです。しかる後、本命である女性―――今のところはアリアーヌさんと、日常会話を行えるレベルにまで到達しましょう」

「よし、そうと決まればまずは実践だな!?」

「その意気です、レナ様」


 新たな目標も見つかり、目的に一歩踏み込んだ気がして私はうれしくなった。

 陽気な気分と共に、扉を開ける。

 そういえばあの老人は、食堂まで来て欲しいと言っていた。

 気持ちのよい一日はまず朝ごはんから、だ。

 私は意気揚々と、食堂へ進んでいった。



 食堂はそこそこの広さがある一室で、横長のテーブルが二つと、そこに座るための椅子が部屋の隅に

いくつも重ね置かれてある。

 食堂からは調理場が一望できる。

 調理場にあるかまどの中では、ぱちぱちと音を立てて木炭が燃え、その上には小さな鍋があった。


 椅子を一つ拝借し、適当な位置に置いて腰掛ける。

 少し待つと、先ほど私に声をかけた老人が前掛けをつけて食堂に入ってきて、そのまま調理場にたった。

 調理人の類はおらず、恐らくは店主が兼業しているのだろう。

 なれた手つきで食材を取り出し調理をする老人の姿は、きびきびとして精力的な動きだった。

 しばらくして、食堂においしそうな匂いが立ち込めたころ。


「お待ちどうさま」


 老人は盆に載せた朝食を、私の元に運んできてくれた。

 待つ間、客は他に誰も来なかった。


 朝食は焼いた肉の腸詰|(驚くべき事だ、初めて見た! 前世で食肉は十世紀以上も前から禁じられていたのだ!)が三つと、焼きたてのパン。

 それに湯気を立てる芋のスープが、今朝の朝食だった。

 フォークで突き刺した腸詰を口に入れて噛み千切った途端、なんと言えばいいのか、生物としての本能が揺り動かされた気がした。


「む!」


 合成食品でもない、肉風味でもない、本物の肉の味と食感に驚きつつも、私ははしたない程度に急いで食べた。

 ぱきょりと口の中ではじけた腸詰の肉汁が、脂が、うまい。

 口の中に広がる肉の脂と味が、脳を刺激する。

 食う、というよりも、喰う。

 本能に従いつつも、なんとか勢いを緩めつつはぐはぐと腸詰を齧る。

 私は老人が居る事も忘れ、ひたすら目の前の食事に夢中となった。


「ごちそうさま……」


 唇をぺろりと舐め上げ、付着した脂を舌で舐めとる。

 すっかりと腹が膨れて、私は満足がいった。

 男としてもっとも盛りがあった十五歳の時分と比べて、我が身は小さい。

 あの時と比べて食事の量もずいぶんと少ないのだが、私は非常に強い充足感を味わっていた。

 ただ単に合成食品で腹を膨らまし、エネルギーを補充していたあの時とは違う。

 他の生き物の命を喰らい糧としているような、そんな充足感だ。


「そんなに美味しく食べてもらえると、わしもうれしいのう」


 それが私にかけられた声だと気がつき、顔を上げる。

 朗らかに笑う老人の存在に今更気がついた私は、赤面した。


「ああ、うまかっ……」

「うん?」


 危ない。

 私はぱしりと、口元を手で叩いて塞いだ。

 これではいけない、女性らしい口調、態度、振舞い方をせねばと決めたばかりではないか。

 私は抑えていた手を下ろし、淑やかに笑みを浮かべた。


「……とても美味しかったです、おじいさん。最高の朝食でした」


 これは世辞でもなんでもない、私の本心だ。


「……ほ?」


 老人は何かおかしなものでも眼にしたのか、目を点にしている。

 私は席を立ち、軽く一礼する。


「部屋も綺麗で、ベッドも寝心地がよく快適に過ごせました。

部屋の鍵はカウンターに返しておけばいいですか?」

「そ、そうじゃのう」

「ありがとうございます、また機会があれば、お邪魔させていただきますね」


 かつこつと音を立てて、優雅に歩む。

 食堂を後にし、廊下を進んだ所で。


「…………昨日とえらく雰囲気が違ったのう、うぅん? わしの気のせいか?」


 不思議がる老人の小さな声が聞こえた。


「………くふ、くふふ」


 思わずにやける。

 どうやら昨日の訓練の成果は遺憾なく発揮されたようだ。

 この分ならば、きちんと女の子らしい"レナ・ナナセ"と見られるようになる日もそう遠くないだろう。

 ―――いや、いやいやいや、私はまだこの長く険しい女道を歩み始めたばかりなのだ。

 あの老人相手に女性らしく振舞ったところで、気を大きくしているようでは先が思いやられる。

 勝って兜の緒を締めよ、だ。

 今のやり取りの何を持って勝敗を決したのか、それはまぁ気にする所ではあるまい。

 私が成長できたか実感したかどうかが重要なのだ。


「今のは中々よかったですよ、レナ様」

「うむ、うむ、うむ!」


 トーキィが下す評価に喜ぶ。私は僅かながらだが、女性に近づけた実感を感じた。



 用を足した私は、部屋に忘れ物がないか確認した。

 なお、余談ではあるが自力での排尿は二十年ぶりとなる。

 手洗いの為に溜められた、清んだ水の入った桶と、いわゆる汲み取り式と呼ばれる便所を前にして、私は興奮した。

 決して、決していやらしい気持ちになって興奮したわけではない。

 久方ぶりに、私はまともに自らの体を使って小便を済ませられる事実を前に興奮したのだ。


「…………ふぅ」


 人口排尿機を通した排尿と違い、自ら排尿筋に力を入れ小用を済ませられるのはとても気持ちがよかった。

 機械に吸い取られるよりも、自分の力で勢いよく排尿する事のなんと素晴らしき事か!

 思わず溜息が出るというものだ。


 しゃがみ込んでの排尿と、性器を紙で拭く、という貴重な体験を終えた時、私は女の階段を一つ登った。

 男としての生き方を一つ捨てた、とも言い換えられる。

 満タンだった膀胱が急激に空になったことで、ほのかに膀胱がちくちくと痛んだが、私の心はどこか晴れやかだった。


 さて、と。

 貴重な体験の回想も済んだ所で、どうやら忘れ物はなさそうだ。


 私は部屋を出て、宿屋のカウンターに鍵を返し、宿を後にした。

 朝方の街は、どこから湧いて出たのか、人の山に溢れている。

 宿に面した道を行く彼らは皆、各々の目的があるのか歩みに迷いがない。

 私は雑踏の中に飛び込もうとしてみるものの、人の流れが速く思うように入り込めなかった。


 仕方がないので、街を行く人々の見た目をチェックしてみる。

 胸当てやすね当てをつけて、大きな身幅の大剣を背負う男は、まぁ剣士であろうと察しがつく。

 とんがり帽子をかぶって、先端が渦を巻いている木の棒を杖代わりにして歩く、体のラインが出る黒ローブを身に纏う線の細い女性は、恐らく魔法使いか何かか。

 そんなファンタジックな背格好の老若男女が、数え切れない程居る。


「まさに異世界、ファンタジーだ…………!」


 私は自然と頬が釣りあがるのを感じた。


「レナ様、あちらの方の後に続きましょう」


 トーキィが入り乱れる人ごみの中から、赤色の逆巻くオールバックの髪型をした、かなり体格のいい男の近くに飛んだ。

 男の表情は厳つく、自身と覇気に満ち溢れている。

 筋肉が盛り上がり、腕や足はまるで丸太のように膨れている。

 まるで猛獣のような男だ。

 見れば、彼の姿を見た者は大抵驚いた後、すごすごと道を譲っている。

 彼が進む度に人の海が割れていく様は、災害時に瓦礫を撤去して進む特殊大型重機のようだ。

 人々が彼を避けてしまうのも当然だろう、私も特別な理由でもない限り、あんな筋肉達磨には近づきたくも無い。

 だが、トーキィは彼の上を緩やかに飛行し、「早く来てください」などと私を急かしている。


「彼の後ろなら、この雑踏でもスムーズに進めるという事か?」


 ぽこん、と私は自分の頭をこづいた。


「……あの人の後ろだったら、この人ごみの中でも簡単に進められそうね」


 女性らしい口調を維持するには、かなり意識していかなければ厳しいようだ。

 私は軽く頭を振って、二足歩行の猛獣男を刺激しないよう、慎重に後をつけて歩いた。





 ちら。


「…………」


 ちら、ちら。


「…………………」


 ちら、ちら、ちら、ちら、ちら、ちらちらちらちらちらちらちら。


「…………………………」


 私は針のように突き刺さる、大量の視線に無言で耐えていた。

 それらは主に、私の胸に注がれている。


「………………ふん!」


 けれど、私は威風堂々とした態度でもって、大量の視線に反抗して見せた。

 胸が見たいのならば、とくと見るがいい!

 その程度で私が臆すると思うたか! 刮目(かつもく)せよ!

 どうだ! これが私の自慢の胸だ!


 私はこの建物に足を踏み入れてから、男たちを前にそのような応酬を繰り広げていた。





 時をほんの少しだけ遡る。

 私は海を割って見せたモーゼのように、人の海を割り突き進む猛獣男の後ろをこそこそと歩いていた。

 猛獣男を見てぎょっとした人が、続く私を見て更にぎょっとして、哀れんだ視線を向ける。

 彼らがどのような発想に至って私を哀れむのか、少しばかり問いたい気分になる。


 猛獣男に無理やり付いてこさせられている可哀想な少女、といったところか?


 生憎と私は自発的に後をつけているだけで、これっぽっちもこの男との関係性は有していないのだが。

 ともあれ、始めはそんな哀れみの視線が気になって仕方なかったが、道行く誰もがそんな有様なので私はもう気にしなくなっていた。


「……ねぇトーキィ、この道で合ってるの?」


 意識して口調を変えて、小声でトーキィに尋ねた。


「はい、この男性に付いていけば間違いなく"冒険者ギルド"と呼ばれる建築物がある目的地にたどり着けますよ」


 トーキィは自信満々に言うが、私は段々と不安な気持ちで一杯になってきた。

 特に街の構造も知らないため、猛獣男の背後から離れれば私はあっという間に迷子になってしまうだろう。

 ましてや、外の世界に関しては素人の私なのだ、迷子にならないほうがおかしい。

 いざという時は、暴漢から逃走したときのようにトーキィの力を借りれば問題ないのだが、人間にとって

未知の領域は恐怖が常に隣席するものなのだ。

 なるべくなら、私はトーキィの手を借りざるを得ない事態に遭遇したくない。


「別にトーキィを疑ってるわけではな…………わけじゃないけど……」


 自然と口をついて出る元来の口調を修正し、もごもごと口ごもる。

 信頼のおける、心強い事この上ない相棒たるトーキィがいるのだが、どうにも私の心に覆いかぶさる不安感は拭い切れない。

 その不安の出所は、やはり。


「…………むぅ」


 視界の大半を占める、目の前の猛獣男にある。

 冒険者ギルドに行ってみたい、興味がある、という私の思いは今も変わりない。

 だが、いかんせんこのような巨体かつ筋肉質かつ凶悪そうに見えてかつ猛々しい男が、

冒険者ギルドに歩を進めているという事実が信じられない。

 まさかとは思うが、冒険者ギルドに名を連ねる冒険者は彼のような、人間と肉食獣の合いの子のような、人外じみた迫力を持った男だらけだというのだろうか?

 もしそうならば……私は自分の考えを少々考え直したくなってくるのだが、ううむ。


 ―――筋肉達磨だらけのむさ苦しい空間に、ぽつんと佇む私。


 そんな光景が頭に浮かんだ。それは嫌だ、とても嫌だ。

 嫌……なのだが、悶々とした思いを抱えつつも、私の足は止まらない。

 結局の所、うじうじ考えていても不安より好奇心のほうが勝っているのだ。

 私も中々に、度し難いおと……、女だな、うむ。


 さて、こそこそと猛獣男の後をつけていた私だが、どうやら周囲の雰囲気が変わり始めた事に気がついた。

 まだ朝も早いというのに、何処となく周囲の雰囲気は、暗い。

 世界をあまねく照らす太陽の光が、なぜかこの一帯だけしっかりと届いていないような印象を受ける。

 建物の造りが変わっただとか、所謂貧民層の集う地区に迷い込んだ、というわけでもないのだが。


 周囲の人通りは減り、今はまばらに目に付く程度。

 猛獣男の近くにいる必要はないなと判断した私は、猛獣男からかなりの距離を開けて歩く事にした。

 続けて周囲の観察に努める。


 どうにもこうにも、近寄りがたい雰囲気の人物ばかりのようだ。


 刃物ばかりを並べた露店に佇む、目つきの悪い男がいる。

 絵札? のような物を手に持った男が二人、樽の上に乗った山積みの銀貨を中心にして、何かの遊戯に興じている、恐らくは賭け事か。

 とある建物に掲げられた、女性のシルエットを映す看板の下。

 スリットの大きく開いた布面積の小さく生地の薄い、挑発的な赤いドレスを身に纏ったスタイルのいい胸の大きな女性が私にウインクした。


「―――っ」

「ふふふっ」


 やはりアリアーヌが相手でなくとも、女性を前にすると心が昂ぶってしまうらしい。

 私の反応が面白いのか、赤ドレスの女がくすくすと微笑む。

 幾分かマシではあるものの、朱が差した頬の熱さを感じながら、私は赤ドレスの女から視線をそむけた。

 あの建物はなんだったのか、あんな肌を露出させた格好をしてあの人は恥ずかしくないのだろうか。

 興味がむくむくと顔をもたげるが、別に今あそこについて調べる必要性はあるまい。

 いつか女性に慣れたとき、それとなく聞いてみようと私は心にメモした。


 距離を空けて猛獣男の後をつける。

 暗い雰囲気の街中を行き、通りを三度曲がった所で、猛獣男の頭越しに一つの大きな建物が見えた。

 トーキィが言った。


「冒険者ギルドに到着したようです」

「…………ほぅ」


 それは三階建ての、造りがしっかりとして頑丈そうな木造の建築物だった。

 入り口上部に掲げられた看板は、剣と杖が交差し、その中心を拳が突き上げている絵が描かれている。

 入り口は両開きのドアで、小さなガラス窓がついている。

 私は遠目にその小さなガラス窓から建物の中の様子を伺おうとしたが、窓ガラスは砂埃にまみれて汚かったので、早々に諦めた。


 猛獣男の目的地はトーキィの言うとおり、冒険者ギルドだったようだ。

 彼は入り口前の段差を跨ぎ、両開きのドアを―――開けずに振り向いた。


「っ」


 思わず身が竦んだ。

 正面からまともに猛獣男の視線を受け止めてしまった私は、金縛りにでもあったかのように動けなくなった。

 恐怖感と威圧感がない交ぜになったような重圧が、私に襲い掛かる。

 悲鳴を上げなかっただけ、私は自分の事を立派だと褒めてあげたい。


「嬢ちゃん、山鹿亭の辺りから俺をずっとつけてたようだが、何用だ」


 腕を組み仁王立ちした猛獣男が、鋭い目つきと共に言った。

 ああ、そうか。道行く人々が彼を見て道を明けた理由が身をもって理解できた。

 これは怖い、恐ろしい、恐怖のあまり腰が抜けそうだ。

 まるで―――どころではない。

 彼は、人の形をした猛獣ではないか。


「レナ様を必要以上に怖がらせる事はないと思い黙っておりましたが、初めからこの方はレナ様の存在を承知の上で黙っておりました」


 なぁ、トーキィ。

 なんでそんな大事な事を黙っていたのかな?

 むしろ私はそのせいで、今非常に怖い思いをしているのだけどなぁ。


「どうした、黙ってないで言ってみろ」


 猛獣男が顎をしゃくり、私に発言を促す。

 無茶を言わないで欲しい。

 今私はなんとかギリギリの所で持ちこたえているが、恐怖のあまり気を失ってしまいそうなのだ。

 だが、しかし。

 今更ここまで来て引くわけにもいかない。

 自由に生きると決めたのだ、これぐらいの重圧を前にしてどうにもならないようでは、この先が思いやられるというもの!

 私はほんの少しの、ちっぽけでも良いから勇気の炎が燃え盛るのを期待して、唾をごくりと飲んだ。


「こ、ここは、冒険者ギルド、ですか?」


 なんとか搾り出したそれは震え声ではあるものの、私は喋る事が出来た。


「……そうだが?」


 対して、猛獣男が続きはどうした? と言わんばかりの態度を示す。

 頼む、せめて私よ、失禁してくれるなよ。

 笑いかける膝を押し留めながら、私は続きを言った。


「……わ、私は冒険者になりたくて、ここに来ました」

「………………そうか」


 猛獣男は私の答えを聞くと、一度空を見上げ、深く息を吸い込み、吸った量と同じぐらい長い溜息をついた。

 顔を下げ、私を見る。

 射抜くような視線は和らいでいて、その瞳には他人を心配する情が宿っていた。


「あのなぁ、嬢ちゃん。悪いこたぁ言わねぇ、やめとけ。

そんで今すぐ自分のおうちに帰って編み物でもしてろ、な?」

「あ、あの……?」

「何をどう思ってここに来たのかは知らねえがな、ここは嬢ちゃんみてえな

女が居ていい所じゃねえんだ、わかるか? わかったらとっとと帰りな」


 猛獣男はそれだけ言い切ると、手をひらひらと振って冒険者ギルドへ姿を消してしまった。

 ばたん、と大きな音で開かれた両開きの扉の音は、拒絶の意を示している。

 人通りの無い、寂しいうらぶれた冒険者ギルド前に、私は一人取り残された。


「門前払いでしたね、レナ様」


 トーキィが、淡々と告げる。

 同時に、私に襲い掛かっていた圧倒的な威圧感が消え去り、身が軽くなる。


「どうされますか? もう一度出直しますか? その場合、私が街の中央に戻れるよう道を案内いた―――」

「いい」


 私はトーキィの言葉を遮るようにして、提案を断った。

 未だに、先ほどの恐怖で締め付けられた心臓がばくばくと悲鳴を上げているが、私はそんなものお構い無しに唸った。


「トーキィ、私言ったよね」

「何を、でしょうか」

「自由に生きるって」


 私は拳を握り込む。


「あんな一方的に突き放されて、はいそうですかと冒険者の道を諦めて―――そんなのが、自由に生きる者の姿と言える?」


 私の瞳の中に、炎が灯る。


「私はこの人生の為に、全てを費やしてきた。

生活の殆どを仕事の為に費やして、碌な娯楽も楽しまず、誰も望まない延命処理を受けてまで人類貢献度を蓄積してきた」


 心の中に渦巻く炎は、怒りに近い。


「―――その結果が、これ?

私は、認めない。あの猛獣男が何を言おうとも、私の事は私が決める。

その為の前世、その為の今生よ!

私が目指す自由とは、他人に縛られない、強制されない、自らの面倒を自らが看る、そういうものなのだから!」


 私は、きっ、と猛獣男が消えていった扉の先を睨みつけた。


「何を言われようとも、私は私の意志を突き通す、そうでないと、意味がない!」


 自らに刻み付けるように言い放った私の気持ちは、すとんと心の奥に落ち着いた。

 もう、体は恐怖に縛られてはいなかった。

 ずんずんと勢いよく踏み込み続け、両開きの扉の前に立つ。

 両開きの扉に付いた汚いガラス窓の向こう側に、人の気配がした。


「失礼します!!」


 ばかん、と、猛獣男のそれよりも大きな音を立てて中に入り込む。

 その瞬間、私に向けられたのは敵意と奇異と困惑が織り交ざった視線だった。



 まぁそれらの視線が、直ぐに胸に向けられるとは思いもよらなかったのだが。


 冒険者ギルドの中は、ものの見事なまでに世紀末じみた風貌の厳つい男ばかりがいた。

 上半身が灰色の獣毛に覆われた狼男や、義手を器用に動かして剣の手入れをする男。

 物静かで表情の読めない、筋骨隆々の黒フードを目深く被った男。

 ボロボロの衣服の破れた生地の合い間から覗く、蛇がのたうちまわったような刺青が全身にある男。

 片目を眼帯で覆った禿頭の男、顔面を横一文字に走る切創が痛々しい男、etcetc(エトセトラエトセトラ)


 彼らの視線は、巧妙に私を一瞥するように見えてその実、私の胸に向けられていた。

 表情がいかにも厳しくワイルドであるものの、私にその欺瞞は通じない。

 というよりも、女性は自らに向けられる視線について感づきやすい、と文献で読んだのはいいが

まさかそれが本当だとは思いもよらなかった、すごいぞ女体。


 私も女性を見かけたとき、まず顔、次いで胸や腰へ視線が泳いでしまうので彼らの事を言えた口ではないの、

彼らのきりりとしたポーカーフェイスは、流石に驚嘆を禁じえない。

 私であれば直ぐに顔に出るであろう気恥ずかしさや戸惑いが、彼らには見られない。

 それどころか、私を一瞥した後は、私に興味を無くしたかのように各々好き勝手な行動に移るのだ。

 私が男であったのなら、その動じなさは何処から学び得たものなのかご教授願いたいところである。

 ―――のだが、興味なさげな雰囲気を装っているものの、未だに私の胸をちらちらと覗き見るその姿が全てを台無しにしていた。


「…………はぁ、帰れっつったろ嬢ちゃん、何で来てんだ」


 入り口から見て奥、上等そうなソファに座る猛獣男が、呆れ顔で言って腰を上げた。


「冒険者になる、からよ」


 私は猛獣男を真正面から睨み、告げた。


「ハッ! 冒険者だって!? 聞いたかお前ら!?」


 狼男が、私をあざけるように声を上げた。

 途端、まるで予定調和であるかのように、部屋中に下品な笑い声があがった。

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