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レナ・ナナセの素晴らしい日々に男は要らない  作者: 山梨明石
二人が出会うまでの六ヶ月
5/21

 私は内から湧き上がる極度の興奮と、激しい有酸素運動で上昇した熱を抑える為に両膝に手をついて息を整えていた。

 気がつけば、私は相当長い時間走り続けていたらしい。

 街には夕日が走り、橙色の空と長く伸びる影が、どこかノスタルジィな雰囲気を醸し出していた。


「はあっ、はあっ、はあっ」


 体から吹き出す汗と、それを冷やす風が心地いい。

 どくん、どくんと跳ねる心臓が、痛くて、気持ちがいい。


「急激な運動停止は体によくありません、しばらくの間軽く歩行して体のクールダウンを行って下さい」


 トーキィが私の身を案じてくれた。


「……はぁっ……んっ……はあっ、っ、うん、わかっ……た」


 息切れしつつも、なんとか返事をする。

 唾を何度も飲んで、ぜえぜえ呼吸をして、また唾を飲み込む。

 それでやっと落ち着けた私は、姿勢を正して軽く歩き始めた。


「はぁ……はぁ……はぁ……ここは……どこだ……?」


 興奮冷めやらぬまま、私は辺りを観察する。

 逃走ルートに従うままに走り続けてきたが、ここはどうやら終着点のようだ。

 私が今居る場所は、中央に大きな噴水がある巨大な広場だ。

 何かの作業終わりか仕事帰りなのか、家路に着く人々の姿がまばらに映る。


 緑の矢印は噴水の手前を指し、その地点に3Dホログラムで『逃走に成功』と文面が表示されてあった。

 その場所に歩んでいくと、軽いBEEP音と共に表示が消えた。

 次いで、私の視界を少し占有していた地図表示が消えて、私は頭の中から何かが消えて行った感覚を覚えた。

 急激な脱力感に、ふらつく。

 脱力感は直ぐに消え去ったが、気持ち悪さが残っている。

 まるで記憶を無理やり抜き去られたような、そんな感覚だ。


「逃走成功に伴い、逃走支援用プログラムが停止しました。

今レナ様が覚えた感覚は、一時的に習得した技術(スキル)の消失に伴う脱力感でしょう。

先ほどまで扱えた技術(スキル)は、あくまで一時的なものです。

また使おうと思っても、使う事は出来ません。

技術(スキル)を習得、使用したい場合は技術(スキル)に応じた能力を有した上で、

技術(スキル)の訓練や必要な知識を得なければなりません、ご注意下さい」


「……なるっ、ほど」


 あくまで支援用プログラムというわけだ。

 トーキィが言う技術(スキル)とはすなわち、"兎の逃げ足Lv1" "軽業師の心得Lv3"の二つの単語を指しているのだろう。

 一時的に習得した、という説明にも納得がいく。

 現に、私はついさっきまで行っていたあの軽快な走り方と、神業級の受身の取り方を忘れている。

 たしかに走った、受身を取った事は覚えているのだが、やり方がわからない。

 記憶の中の、走ったとき、受身を取った時の映像がぼやけてモザイク処理されて、詳細がつかめなくなっているからだ。

 あの華麗な身のこなしを是非記憶にとどめておきたいと願ったが、いくら記憶を引っ張り出そうとしても無駄なので、私は諦めた。


 しばらくするといくらか呼吸も落ち着いてくる。

 私は噴水の淵に腰を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。


「お疲れ様でした、レナ様」

「ああ、疲れた―――けれど、とても楽しかった。あれはいいな、うん」


 頬が緩むのが、止められない。

 ここに人の目が無ければ、私は狂喜乱舞でもしてしまいそうだ。

 ちょっとしたトラブルに巻き込まれたものの、先ほどから続く楽しい事ばかりの連続で、私の脳内はちょっとした快楽中毒だ。

 ドーパミンがどぱどぱとあふれ出て、止まる気配が無い、止まろうともしない。

 

「ああ、ダメだ。ワクワクが止まらない。ふふっ、素敵だ、最高だ。」


 耐え切れず、くすくすと笑ってしまった。

 涙腺も緩んで涙が零れてしまう。

 私は慌てて目元をぬぐい、つとめて笑みをこぼさないように努力したが、抗いがたかった。


「ふふふふっ……おっと、あれはなんだ? 事件でも起きたのか?」


 ふと、先ほどから視界の中でちょろちょろと駆け回る何かが気になった。


 視線の奥には、慌しく駆け回る金属製の防具に身を包んだ、ファンタジー然とした兵士が何事かを大声で言い合っている。

 その向こう側には、大きく頑丈そうに見える門があった。

 門の下には、数えるのも億劫になるほどの大量の人、人、人。

 兵士は、彼ら一人一人から何か板切れのような物を受け取って、それを一瞥した後に返した。

 板切れを返してもらった人は、足早に門を通り抜け街のどこかへ消えていく。


「事件か事故? いや、あれは見たところ門のようだから入場整理か?」

「そうよ? あれは日没ギリギリまで、王都の外でいかがわしい事をやってた連中が戻ってくる、第五都市名物の"冒険者の雪崩"よ」

「ほう? "冒険者の雪崩"、か、あれは確かに雪崩のようだな。あれを整理するとなると、なるほど。この慌しさも頷ける」

「でしょー? 何やってんのか知らないけど、兵士の人達からしたらいい迷惑よ。

ただでさえ胡散臭い連中なのに、そろいも揃って閉門間際に帰ってくるなんて何を考えてるやら」

「流石トーキィ、何でも知っているんだな」

「トーキィ? あたしそんな名前じゃないわよ? 何言ってるの?」

「いや君こそ何を」


 と、そこまで喋ってから気がついた。

 隣に誰かがいる。

 件のトーキィは、私の眼前に躍り出て、どう持っているのかわからないが、

半透明の看板を取り出していて、それを私に向けて掲げていた。

 "私は何も喋っておりませんよ"。

 日本語でそう書いてある。

 ほほうなるほどなるほど、ではお隣のお人は誰でありませうか。


「…………」


 ゆっくりと隣を向く。

 そこには、まるでドレスのような意匠の、白銀の鎧に身を包んだ金髪の女性がいた。

 腕には、幾何学模様を背景に、(ワシ)の刺繍が刻まれた腕章がつけてあった。

 眼と眼が合う。

 彼女の瞳は青く、その色の濃さは深海を思わせる。

 その瞳に吸い込まれて、溺れた光景を幻視した。


「――――――ぁ」


 息が詰まる。

 ばかみたいに口が開いたままで、ぱくぱくと動く。

 女性だ。先ほど出会った子供の女性ではない、大人の女性がいる。

 綺麗だ。うぬぼれるわけではないが、自分の顔もなかなかに美しかった。

 だが、目の前の女性はまた別の美しさがある。

 凛とした―――といえばいいのか、きりりと引き締まった表情は、美しさの度合いとして磨き上げられた貴金属を想起させる。

 アクアマリンと、ゴールドに、シルバー。

 眼とつややかな髪と鎧が、彼女という存在を象る。


「……ぁ、あの」


 女性だ、女の人だ、あれほど会ってみたかった女性が、こんなにも近くにいる、しかも、綺麗だ。

 何かを言わないと、まだ自己紹介もしていない。

 でも、何を言えばいいのだろう? 私の名前だけ? 年齢と所属も言ったほうがいいのだろうか?

 今日はいい天気ですね……いや、もう夜に差しかかろうという時刻だ、挨拶には適さないだろう。

 お綺麗ですね……いやいやいやいきなり相手の容姿を褒めにかかるなんて、変に思われたらどうする。

 どうしよう、どうしたら、私は何て言えばいいんだ。


「わわわわわたたたわた、わたしゅはでしゅね、レレレナとともうしまひゅ」」


 ろれつがまともに回っていない。

 顔が瞬間湯沸し器にでもなってしまったかのように熱い。


 ああもう、あれほど前世で練習したじゃないか私は!

 どんな女性を前にしたとしても、まずは何気ない挨拶から。

 "こんにちは、私の名前はレナ・ナナセです、よろしくね"。

 私はこれを飽きるほどくり返したじゃないか!

 だというのにこの体たらく! 我ながら呆れて物も言えない!


 というかもう、何、この人が悪いのだ。

 突然ぽっと隣に湧いたかと思えば、何気ない私の独り言を拾ってあれはこうだよ、と親切に教えてくれるなんて

世の中そんな人間がいるのだと、今始めて知ったぞ!

 そのうえ話しかけてきた人間が女性となったら、もう混乱するしかないだろう!?


「ああ、驚かせちゃったわね、ごめんなさい。

ほら、落ち着いて息をゆっくり吸って?」

「は、はひ」


 ひっひっふー、ひっひっふー。

 おお、素晴らしい。

 彼女は聡明な人物のようだ。

 彼女に従い落ち着いてゆっくりと息を吸ってみれば、少しは気が安らいだ気がするぞ。


「それ赤ちゃん産む時の奴じゃないの、あなた本当に大丈夫?」


 どこか呆れた表情で、彼女は私を見た。


「私、だいじょうぶ、はい、問題ないあります」


 うん、言語機能も正常に戻った。

 素晴らしい。


「あるのかないのかどっちよ…………まぁいいわ、私の名前はアリアーヌよ。誰かは知らないけど、私はトーキィなんて名前じゃないわ」


 アリアーヌ。

 姿も美しければ名前の響きも美しいとは。

 彼女、アリアーヌは続けざまに問いかける。


「で、あなたの名前は?」

「わた、わたしのなまえ?」

「そう」

「レ、レナと、もうします」


 よし、よし、よし!

 今度は結構スムーズに会話が出来たぞ!

 うわっ、うわっ。私は今女の人と会話している! すごい、すごいぞ!

 両手を膝に置いて、かちんこちんに緊張したままの私ではあるが、内心はそりゃあもう舞い上がりっぱなしだ。

 その舞い上がりっぷりときたら空を飛べそうなほど。


「レナ、ね。いい名前じゃない」


 どこか遠い目でそう言ったアリアーヌは、私に向けた視線を逸らして"冒険者の雪崩"の方を向いた。

 アリアーヌは何を思うのか、それっきり急に黙ってしまった。

 場に唐突な沈黙が訪れる。

 な、何か、何か話さないと。

 私は気もそぞろに、もじもじと身をよじった。

 妖精型支援プログラムのトーキィが、どこか楽しげに私の周りを飛び交っていた。

 再び看板が掲示される。


 "まるで思春期の少年のようです"


 余計なお世話だ!

 私は、トーキィを張り倒したくなった。


 と、そこでふと気になった。

 明らかにアリアーヌの前を飛行しているトーキィの存在に、アリアーヌはまるで気がついていない。

 伺うようにアリアーヌの横顔を盗み見ると、眼前を通過したトーキィをまるで意に介さず、門を見つめ続けている。

 これはどうしたことか。


 "私はこの世界で、古代(エンシェント)精霊(フェアリー)と呼ばれる存在と定義されています"。

 "常人であれば視界に映る事はおろか、声も聞こえません。

ですが彼女は常人の枠をいささか外れている様子でしたので、このような形で会話しております"。


 心中の疑問に対し、トーキィは二つの看板を使って答えを示してくれた。

 成る程、あの男三人衆やエロガ……こほん、おませ三人組がトーキィに対し何の反応も示さなかったのはこのためか。

 人によっては見える見えない、声が聞こえる聞こえないの差があり。

 アリアーヌは声が聞こえる可能性がある、という事か。

 別段姿を隠す必要などないのでは? と思ったが、トーキィ自らが判断して行動したのだ、きっと深い理由があるのだろう。

 あるいは、私に余計なトラブルを呼び込まないために気を遣ったのか。

 トーキィの擬似人格は、急速な成長を遂げているようだ。


「レナ、あなたはどこから来たの?」

「ひゃひっ!?」


 考えに沈んでいた私を、清らかな声が呼び覚ます。

 おかげで情けない声を上げてしまった。


「ど、どこからって、その、わたしは、ええっと、その…………と、とても遠くから」


 何が遠くから、だ。

 もっと、それらしい言葉は思いつかなかったのかこの私め!


「ふぅん、それはどれくらいの?」

「と、とにかく遠い所から、です」

「そっか」

「は、はい」


 再び会話が途切れる。

 アリアーヌにとっては違うかもしれないが、私にとってこの沈黙は痛い。

 何か気に障ったのではないかと、不安でたまらない。

 腋から染み出た汗がじとっとして、気持ち悪い。


「…………ぅぅ」


 私は打開策をひらめかないかと、アリアーヌの視線の先を追う。

 眼前の"冒険者の雪崩"いつの間にかは勢いを弱め、人と人との隙間から向こうの景色が見えるまでに落ち着いていた。

 一息つけた様子の兵士たちが、樽や木箱の上にどっかりと腰を落ち着けている。


 広場は、雪崩から抜け出た人達に溢れいつの間にか喧騒に包まれていた。

 太陽が地平線の彼方に消えかけて、街が暗くなる。

 その時、広場にかなりの距離をあけて等間隔で並ぶ鉄棒の天辺にある、四角い透明の箱のようなものの中にぽつぽつと光が宿った。


 あれは、街灯か。


 見れば、天辺が光っていない鉄棒の足元で兵士が、鉄棒に向けて手のひらをかざしている。

 掌から白い霧のようなものがにじみ出て、それが鉄棒にまとわりつく。

 次いで、どのような仕組みなのか、鉄棒の天辺の箱の中に光が宿る。

 同じように手をかざして街灯を点灯させる者が、何人もいた。


「…………美しい、な」


 私はその光景に見とれながら、我知らず呟いた。


「あなたも、そう思う?」

「えっ?」


 アリアーヌが、優しげな瞳で街灯を見つめる。


「あたしもね、この光景が好きなの。

太陽が沈んで街が暗くなるころ、ぽつぽつと灯る街灯の明かりが綺麗でしょ?

第五都市は、十二ある都市の中で一番街灯が多い。

だから、高い所から見る点灯作業は、まるで光の行進のように見えて、綺麗なの。

―――その理由が、犯罪防止のためっていうのは気に入らないけどね」


 ぼんやりと光る街灯の明かりが、アリアーヌの瞳に反射してきらきらと光る。

 アリアーヌは、かしゃりと音を立てて立ち上がった。


「……あの第五都市名物を知らない、ってことはレナ、あなたは最近ここにきたばかりみたいね。

宿の当てはあるの? 女が身一つで居るには、ここは少し危ないわよ?」


 アリアーヌは私を心配しているのだろう。

 その瞳から、私を心配する気配が伝わってきた。


「衛兵の巡回路に近い宿屋は、あの道をまっすぐいって突き当たりを右に曲がってすぐの"山鹿亭"よ。

もし宿が決まっていないなら、そこに泊まりなさい、安全は王都警備隊が保障するわ」

「あえ、あ、その」

「いいから遅くなる前に行きなさい、あなたが誰かに襲われてしまってからでは遅いから」

「は、はい」


 アリアーヌから伝わる妙な迫力に、私は思わず頷いた。

 満足がいったのか、アリアーヌは一度頷くと、遠方からこちらの様子を伺っている兵士の集団の元へと歩みだす。

 ―――が、アリアーヌははた、と止まって振り返った。


「それとね、レナ」

「な、なんでしょうか」

「あなたのさっきの話し方、ぜんぜん女の子っぽくなかった(・・・・・・・・・・)わよ?

まるでいい年したおじさんみたい。せっかくいい顔してるんだから、もっと女の子らしくしないと損よ?」


 それじゃあね。

 そう言い残して、今度こそアリアーヌは私の元から去った。


「――――――な、なん、だって」


 おんなのこっぽくなかった。

 そのワードは驚愕を伴って、千の刃と化し、私の胸を貫いた。

 完全に女性になれたのに、おんなのこらしく、ない、だって…………?


「そんな、ばかな」


 一体どこがおかしかったというのか。

 見た目も完全に女性の服装だし、何より中身も完全に女性だ。

 至らぬところがあるとは思えない。

 私はあまりのショックに、しばらく茫然自失としてしまったのだった。


 "明らかに口調が男性のそれでありますし、残念ながら当然では?"


 トーキィの看板が、踊っていた。





「アリアーヌ様!」


 居並ぶ兵士たちの中から、年若い青年の兵士が代表して、敬礼と共に緊張した面持ちで女を出迎えた。

 アリアーヌと呼ばれた、白銀の鎧を身に纏った女が手を上げて青年を制した。


「いい、訓練所ならばまだしもここは街中だ、堅苦しいのはよそでやれ」

「ですが、エクスラディア姫様の親衛隊隊長であるアリアーヌ様に対して、敬礼をしないというのは」

「私がいい、と言っているんだ」

「し、しかし」

「二度同じことを言わせるな」


 アリアーヌの鋭い睨みが、青年を貫く。

 青年はすっかり萎縮してしまい、二の句が告げず、静かに手を下げて敬礼を止めた。


「それでいい」


 特に大した感慨も浮かばない様子のアリアーヌが、淡々と告げる。


「ドリストはどこだ」

「あちらで警邏の指揮を執っております」


 青年が視線を向けた方向、住宅の脇で、兜に赤い羽根をつけた壮年の男性が何事かを兵士に伝えていた。

 

「連れてこい」

「はっ!」


 青年が弾かれたように駆け出して、壮年の男性の下へあっという間にたどり着いた。

 続けて、壮年の男性が一人、小走りでアリアーヌの下へ駆け寄った。


「お呼びでしょうか、アリアーヌ様」

「ああ。ドリスト百人隊長よ。本日は無理を言って済まなかったな」


 ドリストと呼ばれた壮年の男性は、敬礼をする事なく丁寧な口調で返答した。


「いえ、何を仰られます。親衛隊隊長のアリアーヌ様はもとより、エクスラディア様たってのお願いとあっては、我々警備隊に断る理由などありませんし、もってのほかです」


 本日、アリアーヌはエクスラディア姫の護衛の任務から外れ、街の巡回任務に当たっていた。

 姫直属の親衛隊隊長が、ただの街の巡回。

 その衝撃的ニュースは、兵士たちの間を雷鳴の如く駆け抜けた。

 第一都市から第十二都市全てを巡回する兵士は、ローテーションを組まれている。

 不幸にも本日巡回の担当となった兵士は、神を呪った。

 遥かに格上の身分の"お偉いさん"が、日がな気ままに街の散策気分で行う巡回について回るからだ。

 サボり、買い食い、ナンパは当たり前の兵士たちにとって、この異常事態はまさしく不幸であった。


「して、アリアーヌ様、どのような用件でしょうか」

「うむ、つい先ほど姫様から命ぜられた任を終えた所でな。そろそろ姫様の下へ戻ろうかと思う」

「おお、そうですか! では我々は」

「ああ、通常の任に復帰してくれ、迷惑をかけたな、ドリスト百人隊長」

「はっ! 了解致しました!」


 アリアーヌの言葉に、ドリストは心底安堵してみせた。

 現在、ドリストとアリアーヌとの身分の差は恐ろしい程の差がある。

 アリアーヌはエクスラディア姫直属の親衛隊の、それも隊長。

 一方ドリストは木っ端兵士百人を束ねる隊長である。

 力の差は歴然としていて、アリアーヌは言葉一つでドリストを降格させることも、昇格させることも出来る。

 あるいは、首を刎ねることも。

 実の所、ドリストは内心で震え上がっていた。

 長いキャリアに裏打ちされた、隊長としてのプライドがそれを表に出す事を許さなかったが、

長い一日を終えて、臨時の上司から通常任務への復帰が言い渡された瞬間の気の緩みは、流石に隠し通す事が出来なかったのだ。


「……そこまでびびらなくてもいいでしょーが」


 アリアーヌの小さな呟きはドリストの耳に届かなかった。

 アリアーヌはドリストを一瞥して、颯爽と歩みだす。

 白銀の鎧がかすれて、かちゃかちゃと音を鳴らす。

 しばらく歩み進んだ後、アリアーヌの背後、兵士たちが安堵の溜息を一斉に漏らした音を、アリアーヌは聞き逃さなかった。


「ふん」


 次の合同訓練の時、覚悟することね、とアリアーヌは決意した。


「それにしても、レナ、ね」


 アリアーヌの目的は、勿論ただの街の巡回などではない。

 エクスラディア姫の有する"未来視Lv5"が、とある未来を視た。

 それは保持者(ユーザー)が今日街の何処かで顕現し、世界に何らかの変革をもたらすであろう、という未来だ。

 保持者(ユーザー)が何処の誰で、変革が何であるかはわからないあやふやな未来視ではあるが、その日エクスバリア王家は慌しさに包まれた。

 二百年以上途絶えていた保持者(ユーザー)の顕現である。

 エクスバリア王家は長らく、保持者(ユーザー)の身柄をどの国家よりも先んじて保護し、その恩恵に与り成長してきた国家だ。

 経済産業が停滞しかけていた王都エクスバリアにとって、絶えて久しい保持者(ユーザー)の出現は願ってもない好機であった。


 保持者(ユーザー)がこの街で顕現した事実を受けて、エクスラディア姫直属の親衛隊は密命を受けて街中を探し回った。

 ある者は隠れて、ある者は大々的に。

 アリアーヌは、後者であった。

 とはいえ、素性も性別も何一つわからないままでは、誰が保持者(ユーザー)か分からないし、気がつけば保持者(ユーザー)が街から出ていた、という事態もありうる。

 そこで、アリアーヌは一計を巡らした。


 百人の巡回兵を、十二ある都市に一つずつある門に振り分け配置させ、あえて人と物流を滞らせたのだ。

 普段は流れ作業で出入りを簡単にチェックしているが、今日に限ってそのチェックが厳重になった。

 市民証、冒険者ならギルドカード、荷物があればその中身の詳細。

 時間にしては僅かでも、王都に出入りする人間の数は途方も無く程多い。

 アリアーヌの狙い通り、門は人の出入りでごった返した。


 その間、半閉鎖された街中を、力を感じ取れる能力に長けた精鋭達が探し回る、というのがアリアーヌのとった方法だった。


 本人もまた力に自身があったので、部下に任せるままを良しとせず、自ら街を歩き回った。

 日が暮れかけて、とうとう見つけられなかったか、とアリアーヌが気落ちしかけたとき、アリアーヌは信じられない物をみた。

 "冒険者の雪崩"のせいで、他の都市よりもより一層門がごった返す、汚らしい冒険者達が蔓延る第五都市の噴水広場。


 その噴水の縁に腰掛けた、胸の大きな美しい少女の周りを精霊が飛び回っていたからだ。

 しかも、自分の魔力と比較して推し量るのが馬鹿馬鹿しくなるほどの、濃密な魔力を持った古代(エンシェント)精霊(フェアリー)が、だ。


 大当たりだ。

 アリアーヌは一瞬ほくそ笑み、そ知らぬ顔をして速やかに少女の下へと近づいていったのだった。


「あの看板、何事かが書かれていたようだったけど、まるで読めなかったわ。

始めてみる言語だけど、あれはもしかして古代語か何か?

それが読めるようだった彼女もまた、只者ではなさそうね」


 古代妖精―――トーキィの予想ははずれ、アリアーヌにはトーキィの動きの全てが見えていた。

 トーキィが視線に入っても、それを自然に眼で追うことをしなかったアリアーヌの演技は、完璧だった。

 AIプログラムの探知に気づかれない程に。


 そしてレナ、と名乗った少女の一挙手一投足は、全てアリアーヌに見抜かれていた。

 アリアーヌを見て慌てふためきしどろもどろになり、赤くなる様子や、

アリアーヌを見てもじもじして、何か言葉を探そうと口を開いたり閉じたりしている様子も。

 アリアーヌは、このタイミングで彼女に全てを伝える気は毛頭なかった。

 まずは、レナという少女の人となりをみて、エクスバリア王家に害をなす存在であるか否かを見極めようとしたのだ。

 もし前者であるとアリアーヌが判断した場合。

 レナは睡魔を呼ぶ魔法で眠らされた後、王城の地下深く、永久牢獄と呼ばれる堅牢な牢屋の中に運び込まれ、

その牢屋の中でエクスバリア王家に忠誠を誓わせる、呪いの首輪を嵌められる予定だった。

 アリアーヌの判断は、今の所は、後者。

 レナは、自らの知らぬ場所で恐ろしい未来を回避していた。


「あの子―――レナの事は、是が非でも姫様に伝えないと」


 古代(エンシェント)精霊(フェアリー)と共にあったレナは、間違いなく普通の人間ではない。

 保持者(ユーザー)であっても、そうでなくても、エクスバリア王家に忠誠を誓わせる事が出来れば、王家にとって大いなる力となる。

 その為に、まずはエクスラディア姫に意見を伺う必要があった。

 アリアーヌは使命感と共に、悠然とした足取りで、王城へ続く道を進んでいった―――。


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