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気恥ずかしいもののいそいそと身支度を整えた私は、今更ながら先ほどのきょうせ……いや、ちょっとした騒ぎ声が
近所迷惑になってやいないかと心配になった。
防音性に疑問があるものの一応の対策としてガラス戸は締め切り、部屋の扉には閂がかけてある。
そうしたのはあのじ……自己調査に熱が入る前にそうせねば手遅れになると思った末での行動だ。
自分で言っておいてなんだが何が手遅れだと言うのかまったく。
自分では声を抑えたつもりだったが、私の今の声音は高いし部屋の造りも古代ファンタジー文化に伴って粗い箇所が散見される。
隣室、あるいは床下か天井上に部屋があるのならば、恐らく私の声が届いていた可能性がある。
「あまり気は進まないが……」
自らの軽率な行いに反省しつつ、簡単に身なりを確認した後背嚢を背負って扉の閂をあけた。
ゆっくりと慎重に扉を開けると戸のたてつけが悪いのか、ぎぃ、と音を立てた。
その瞬間。
「やべっ逃げろ」「行け行け行け!!」「早く!」
複数の足音と共に、男たちの焦る声が遠ざかっていく。
脱兎の如く恐ろしい速さで彼らは消え去り、恐らく彼らが聞き耳を立てていたであろう扉の前の廊下は、むわっとした人の熱で温かかった。
「…………ふ、何。これくらい想定の範囲内だ。あれだけ大騒ぎしたんだから誰だって気になっても仕方ないな、うん」
言い訳がましい私の言葉は、誰も居ない廊下の何処かへと吸い込まれていって。
冷静を装う口調の私の顔は、火が出るんじゃないかと思うくらい熱かった。
気恥ずかしくて、まともに外を歩けたもんじゃない、本当に。
私は、その後再び部屋に戻り扉に閂を下ろして窓を閉め、ベッドにもぐりこんで不貞寝をした。
「初日から何をやっているんだ私の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿…………!」
悲鳴に近い私の叫びは、ベッドの中くぐもった唸りとなって他所の人に聞かれる事はなかったのだった。
・
「よし、気合を入れるんだ私」
翌日、私は手鏡を前に自らを鼓舞していた。
昨日はあまりの恥ずかしさから部屋の外へ出る事叶わず一日を寝台の上で過ごすという、
前世とさほど変わらない情けない一日を過ごしてしまったからだ。
これでは何の為の最終救助なのかわかったものではない。
頬をぱしんと叩いた私の表情は、何処となくあどけないものの活力に満ち溢れている。
これがつまり『とても美しい少女の顔』なのだなと、市役所担当窓口アンドロイドの言を借りてみた。
「決めたじゃないか、私は目一杯新たな人生を楽しむんだって」
私は前世で最終救助嘆願書が受理されるまでに描いていた、仮想世界の楽しみ方を思い出した。
七瀬蓮もとい―――レナ・ナナセは生きたいように生きる。
人の為に生きるもよし、悪行に手を染めるもよし、全ては自己責任。
『異世界ウォッチ』で見た天かける飛竜に跨り平和を誓っていた、かの披最終救助者のようにこの世の平和を守る勇者となるのも良し。
とても人間とは思えない漆黒の翼を生やした、凶悪な風貌の魔人と化してこの世を絶望に叩き落す闇の魔王となるのも良し。
それとも大きな街で二十世紀スタイルの日本料理店を開業して、日々訪れる個性豊かな人々との語らいや笑顔を楽しみにする料理人になるのも良し。
私はきっと何にだってなれるし、そうなれる力がある。
そして、夢の成就。
既に一つは叶えられている、無論女性になるという夢だ。
であれば、叶えるべきはもう一つの夢……女性との恋愛。
地球の歴史を紐解けば、かつて同性愛は様々な国家で大々的に排斥されてきた。
現代日本では同性愛を禁じる法律はないものの、日本がそうだからといって他国もそうだとは限らない。
私が今居る文化圏で同性愛が認められているかそうでないかで、夢の成就にかける道のりが大きく変わってくる事だろう。
女性とお付き合いするのならば、男のままでよかったのでは? などと微塵も思わない。
あれほど望んだ女性の体だ、嬉しく思うならばまだしもこの体を疎ましいなどと誰が思うものか。
むしろ性別云々の問題は―――望む所だ。
老体に鞭打つ人生は終わりを告げ、私は輝ける新しい人生の一歩を踏み出すのだ!
「よしっ!」
方針の確認は済んだ、後は前進あるのみ。
前日と同じように背嚢を背負った私は、扉に手をかけようとしたのだが。
「…………むむ」
ふと、扉に向けて視線を落とせば。
視界の半分を占拠した豊満な胸の先端が、伸縮性のあるシャツの生地もあいまって激しく自己主張していた。
「……これは、少し恥ずかしいな」
輝ける新しい人生の第一歩は、もう少し先延ばしになりそうだ。
背嚢を下ろし、改めて己の姿を確認してみる。
白シャツと、無地のズボン、以上。
人並みの美的感覚を持っているつもりだが、この見た目は女性としてどうか。
面倒だからと適当な格好で自宅で過ごしていた、私の情けない休日の姿そのものじゃないか。
いや女性を知っているかと問われれば、私の事以外は知らないのでこの格好が是か否かと言われれば断定は出来ない。
しかし、この共有ネットワークスペースの初期アバターにありがちな適当すぎる格好は……。
「参った、忘れていた。私は服装に関しては一言も言っていなかったな……」
前世の記憶が蘇る。
私は転生後の自らの見た目について、是が非でも美しい女性で頼むと文句を言ったが、服装に関しては一言も言ってない。
まさかそれがこんな所で尾を引っ張るとは思いもよらなかった。
仕方がない。
私は早速、前世の働きに応じて得られた補助の一つを使う事にした。
「Please help me」
何故呼び出し用の文言が英語なのか、と尋ねた覚えがある。
アンドロイドから得られた返答は"サービスプログラムを提供している会社がアメリカだからです"と言う至極真っ当なものだった。
私の言葉をキーにして、補助効果が発動する。
空中が一瞬歪んで見えたと思った次の瞬間には、その歪んだ箇所から白い丸い塊が飛び出してきた。
飛び出したそれは壁に激突するかと思いきや、壁を目前にしてUターンし部屋の中をくるくると旋回。
注意深く観察してみれば、その白い丸い塊はぼんやりとした光りを放ち、丸の半分側には六つの対に生えた薄い羽のようなものが生えていた。
羽ばたいてすらいないのにどうして飛行できるのか甚だ疑問ではあるが、
くるくると旋回していたそれは、光の粒子を部屋中に撒き散らしながら穏やかに私の目の前で静止した。
「お呼びでしょうか」
顔がなければ当然口もないその物体は、口が無いにも関わらず当然のように問いかけた。
「私はあなたの第五百十一・世界共有型幻想種区分における生活をサポートする、妖精型支援システムです。
お気軽にトーキィ、とお呼び下さい。初回起動時は本人確認が義務付けられています、お名前をどうぞ」
普通ならば明らかな異常事態に気が動転してしまうだろう。
しかし、私はこの物体が私の想像する物であると当たりがついているので、慌てる事無く返事が出来る。
自己紹介の通りになるが、彼女は妖精型支援システムトーキィ。
彼女。と称した理由は彼女の基本構成AIが女性的だからだと、転生前に説明を受けたからに過ぎない。
彼女は主に私が困った時や疑問に思った時に、対応可能な範囲内で私に解答を用意してくれる、いわゆるヘルプ機能だ。
見た目のファンタジーさや可愛らしさ(私は可愛いと思わないが)が日本でそれなりにウケているものの、開発元のアメリカではすこぶる評判が悪い。
"見た目がまるで辺りを飛び交う羽虫のようだから"、だそうだ。
私はそうは思わないが。
むしろ古代ファンタジー世界に登場する妖精の姿を上手に表現できているとすら思う。
「ああ、始めましてトーキィ。私の名前は七瀬蓮……」
トーキィの定型文に返答すべくついつい前世の名前を言ってしまった私は、思い返して直ぐに言いなおした。
「いや、レナ・ナナセだ。うん、私はレナ・ナナセ」
「七瀬蓮様ではないのですか?」
「前世の名前はそうだけどね、今の私は、レナ・ナナセだよ」
「少々お待ち下さい、データを照合しています」
白色だったトーキィは青色に変色し、小刻みに振動する。
この世界を構築しているサーバーにアクセスでもしているのだろうか。
―――もしここで『あなたは七瀬蓮ではありませんでした、よってあなたの存在をエラーとみなし消去します』と言われたら。
……怖いな、考えなければよかった。
「……………………合致しました、七瀬蓮様の登録ネームを変更、レナ・ナナセに変更しました。
改めましてレナ・ナナセ様、どういったご用件でしょうか?」
少々の沈黙の後、私の不安は払拭された。
思わず「はふぅ」と溜息が出る。
ってなんだこの「はふぅ」って私はこんな可愛い溜息が出るのかすごいぞ私!
いや一々自分に驚いている場合じゃないな、トーキィを呼び出した目的を忘れる所だった。
「今の私の体に合った服が欲しい。なるべくこの世界に適応した形のものがいいな」
「了解しました」
言うが早いが、トーキィは自らが出現した時と同じように空間を歪ませた。
恐らくサーバー内の数値を書き換えて、無理やり仮想世界に新たな物質を生成しているのだろう。
私の予想は的中し、歪んだ空間からどさどさと下着やら靴下やら靴やら服やらが落ちてきて、それはあっという間に小さな山を作った。
仮想空間だから出来る芸当とはいえ、質量保存の法則を完全に無視した光景に思わず笑みが漏れる。
まあ、魔法という奇跡が存在する世界に私は今いるのだ、こんな事を考えるのは野暮というものだな。
せっかくトーキィが用意してくれたのだ、早速服を着るとしよう。
「ありがとうトーキィ、それじゃあ早速服を…………」
だが、私は早速壁にぶち当たった。
「如何しましたか?」
「このブラジャーは、どうやって付けたらいい?」
私は、ブラジャーの付け方がわからなかった。
・
トーキィ指導の下、私は悪戦苦闘の末服の着付けという難事をやりとげた。
トーキィが生成した姿見には、落ち着いた色合いで裾が長めのワンピースを着て、腰をベルトで軽く縛っている動きやすそうな見た目の少女が、
体を捻ったりしておかしい所がないか確認に勤しむ姿がありありと映し出されている。
つまり私だ。
靴底が補強してある編み上げブーツでもって、床を何度か踏み鳴らしてみる。
ごつごつとした音は、編み上げブーツの靴底がいかに厚く硬いかを証明している。
長距離の移動にも問題なく耐えてみせるだろう。
「お似合いですよレナ様。どこからどう見ても街娘にしか見えません」
トーキィがどこか自慢げな声音で言った。
私という存在と短いながらも対話を行った結果、早速トーキィに擬似人格が宿り始めたらしい。
「そうかい?」
似合っているとの言葉に、私は安心感を覚えた。
AIプログラムだとしても、何もかもが始めてだらけの私にとって今の所トーキィは一番に頼れる存在だ。
「それではレナ様、私は休眠状態で待機しておりますので、また御用がありましたら再度お呼び下さい」
役目を終えたトーキィが姿見と共に姿を消す。
平坦だったトーキィの口調は、今や優しげで丁寧なものに変わっていた。
話し相手が消えてしまい、少し物寂しくなったがトーキィは居なくなったわけではない、心配しなくてもいい。
「ありがとう、トーキィ」
けれど、返事もない、というのはやっぱり寂しいな。
『Please help me』とまた言えばトーキィは姿を現すのだろうが、休眠状態に移行して間もない
トーキィを呼び出すのは、寝入った人をまた直ぐに呼び出すのと同じ様に思えて、私は止めた。
私は改めて己の姿を再確認したところで、いよいよ外界に向かうべく扉に手をかけた。
閂は外してある。
私は今、宿屋という商用宿泊施設の一室を三日分前借した珍しい客、という背景を背負っている。
支払いは事前に済んでいる為、金銭を使う必要は全くもってないのだが、それ以外私は何も知らない。
ここがどのような領域で、どのような人種がいて、どのような風習があって、どのような文化があるか。
知る事も可能だった、私にはそれが出来たが、あえてしなかった。
知らないまみれのこの世界に、私は飛び立ちたかったからだ。
事前に知っておくべき事など、ほんの少しでいい。
未知は愚かなりとも言う、事実私は下着の付け方も知らなかった。
けれど、それで良いと思う。
知りたくなったら私は勝手に調べて知るし、知りたくないと思えばあえて知る事もしない。
―――生きたいように生きると決めた。
だからきっと、これくらいが丁度いいのだ。
私は、ぐっと力を込めて扉を開け放った――――――。
「おっ、なんでぇ嬢ちゃん。今日はアンアン騒がなくてもいいのかい? ヘッヘッヘッ」
扉の向こうには、いかつい顔つきの、薄汚くいやらしい視線をこちらに向ける男が三人いた。
「ふふっ」
彼らの風貌があまりに凶悪そうに見えて、それがどこかおかしく思えて私は笑った。
そして扉を閉めた。
すぅ、と大きく息を吸い込む。
「PLEASE HELP MEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!!!!!」
許せトーキィ。
お前を呼ばないと言ったな、あれは嘘だ。
私はもうなりふり構っていられないのだ。




