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レナ・ナナセの素晴らしい日々に男は要らない  作者: 山梨明石
二人が出会うまでの六ヶ月
2/21

 私こと七瀬蓮(ななせれん)はよぼよぼの体を引きずりながら、国立最終救済センターのとある一室を目指していた。

 足取りは重い。

 杖をついて歩かなければ歩行もままならない程、私の肉体は老衰が進んでいる。

 けれども、今の私の心境はとても晴れがましいものだ。

 ほんの僅かしか進む事の出来ないこの一歩一歩が、私を楽園(パライソ)へと導いてくれるのだと思うと年甲斐もなく興奮してしまう。

 くつくつと笑う私の声は廊下に響いたが、それを聞く者は誰もいない。

 老体を支えてくれるような家族も、友人も、ましてや妻も。

 五十五年(・・・・)もしぶとく生き残ったのだ、逆に連れ合いが存命している方が珍しいだろう。

 三十五も生きられれば長生きのこのご時勢、私は長寿すぎるのだ。


 先週、私が市役所に提出した最終救助嘆願書は受理された。

 最終救助とは、端的に言えば肉体の自殺願いである。

 単語としての自殺との違いは、ただの自殺は死ねばそれで終わりだが、最終救助は今現在の肉体は死亡するが精神は生き続けるという違いがある。


 四十六世紀の現在、人類の発展の為世界に尽くす事が、人間が生涯を送る上での責務になっている。

 この世に生を受けた人類はすべからく遺伝子操作されており、肉体が高速成長する因子を授かり育つ。

 人口増加の一途を辿る人類が打ち出した、人減らし対策の一つだ。

 その効果は絶大で、二十世紀から三十世紀までの間二十歳が成人とされていた時代と比べ、現代では十歳が成人に値する年齢であると定義されている。

 そうして高速成長した我々人類はその頭脳や肉体、才能を駆使して人類がより発展し存続する為働く。

 無論、高速成長する我々は老化も早く二十代で早逝する者も珍しくない。

 その分世界への貢献度は高度な水準が保たれているのだが、かつて百年も寿命があった時代と比べると明らかに寿命が短いと言わざるをえないだろう。


 そこで人類が編み出した新技術が、最終救助制度。

 早々に老いていく肉体に宿る精神を電子情報化、国営の仮想世界生成サーバーに電子化した精神を送り込む。

 肉体から精神が離れた時点で、肉体の死亡が認められ精神はサーバー内の電子世界で新たな命として生まれ変わる。

 多少の制約があるものの、辛い人生の最後に待ち受けているご褒美とした側面を持つ最終救助は、いわば第二の人生の始まりというわけだ。


 精神を移行させる仮想世界は多岐に渡る。

 伝統的かつ人気がある定番ものの仮想世界といえば、剣と魔法が主役の古代ファンタジー世界だ。

 理不尽、不平等、ままならぬ事ばかりの現実世界とは違い、最終救助された人々はその世界で主人公になれる。

 私も、恥ずかしながら国営テレビ放送局が放映する披最終救助者達のその後を映す、

『異世界ウォッチ』で見た剛剣を振りかざし、巨大な竜や化け物達を鎧袖一触の元に切り伏せていく披最終救助者たちの勇姿に我が目を奪われたものだ。

 二十世紀初頭日本のような文化レベルの、地を這う車や電車が往来する世界も人気が高い。

 文化的な学生服に身を包み、学校という教育施設で携帯型接触端末機器を片手に友人と他愛ない会話に興じる少年達の姿は、とても心温まるものだった。


 私も、彼らのような披最終救助者達の例に漏れず古代ファンタジー世界を選んだ口だ。

 五十五年における生涯で捧げた人類への貢献度は、かなり高い。

 先に取り上げた多少の制約と言うのがそれで、今生で得た人類への貢献度に見合った報酬として披最終救助者は第二の人生が優遇される。

 仮想世界での身体的強度の増加、技術や知識の習熟促進、身分というヒエラルキーの優遇といったものがそれに当たる。


 私が選んだ仮想世界は『第五百十一・世界共有型幻想種区分』。

 魔法という超能力の存在は勿論の事、外宇宙にも存在が確認されなかった龍が空を飛び、力さえあれば世界の支配者になる事も不可能ではない古代ファンタジー世界をモチーフとした王道の仮想世界だ。

 私は有り余る貢献度が許す限り、仮想世界で受けられる補助要項を書き連ねた。

 提出した最終救助嘆願書に書き連ねられたずらりと並ぶ補助要項が、私の第二の人生がバラ色の、いや黄金色に染まるであろう事を物語っている。


 私には、二つ夢があった。


 今生で、私は遺伝子的な欠落があると産まれて直ぐに判明され、恋愛と結婚が認められなかった。

 ただでさえ人口過密状態の地球には、劣化した遺伝子を次代に残す席は一つも存在しないからだ。

 私生活は厳しく監視され、今日始めて特例で訪れた国立最終救助センターを除けば外出した事は産まれてこの方一度も無い。

 目にした人間は、全て同性の男のみで『異世界ウォッチ』ですら男性しか表示されなかったほど。

 同性愛者になってもよかったのだが、私はそうなるつもりもなかったし生憎と魅力的な男性も居なかった。


 そんな私が持った夢、それは女性との恋愛。


 当然と言えば当然かもしれない。

 私が知る女性は素粒子ディスプレイに浮かぶ、電子生成された偽の女性像か、あるいは国営テレビ局が放映するニュース番組で

記事を読み上げる女性型アンドロイドくらいしか居なかったのだから。

 業務が終わる度いつも思うのは、女性についての事ばかり。

 産出管の中で産まれた私は精子と卵子の提供者である両親の顔を知らない。

 父はどうでもいいが、母とはどのような存在なのか。

 男である私の肉体は硬いが、女性は柔らかいと聞く。その柔らかさとは。

 体の大きさは? 匂いは? 声は?

 思えば思う程、女性への興味は尽きなかった。

 私は女性という存在に、愛情や羨望に似た感情を抱いていた。

 そんな思い焦がれて止まなかった女性と、第二の人生でやっと合い間見える事が出来る。

 これが喜ばしくなくて何だと言うのだろう。

 私は一人の人間として当たり前のように、恋愛に興じられるのだから。


 そしてもう一つの夢、それは。


「お待ちしておりました、七瀬様。どうぞお入り下さい」


 ―――まあいい、それもじきに叶う。

 私はいつの間にか目的の一室に到着していたようだ。

 しわまみれの顔が引きつるのを感じながら、出迎えてくれたアンドロイドに礼を言った。


「ありがとう。これが、最終救助装置ですか?」

「ええ、その通りです。どうぞ横になってください」


 無機質な一室には、植物の根を思わせる大量のカーボンケーブルが繋がれたベッドが一つ、ぽつんと置いてある。

 ベッドの上、丁度人間の頭部が重なる位置には、カーボンケーブルの一端が所狭しと接続された頭部スキャン装置が鎮座しており、それは起動の時を今か今かと待ち受けていた。


 もう二度と使う事の無くなった歩行用杖をアンドロイドに手渡し、ベッドの上に横になる。

 静かな駆動音と共に、頭部スキャン装置が完全に私の頭を覆い隠し密閉した。

 じきに私は神経麻痺を促すガスによって眠りにつき、その後速やかに致死性の薬品で心肺を停止させられるだろう。

 不安はない。

 万が一にも施術が失敗する可能性はない、それはここ数百年施術に失敗した記録はないと言う証拠を裏付ける最終救助処理の統計を見ても明らかだ。


「最終救助措置を開始します」


 優しげな声音のアンドロイドの言葉がきっかけとなって、ガスが装置内に充満し始めた。

 途端にまどろみ始める意識の中、アンドロイドが言った。


「七瀬様、貴方の第二の人生が光り輝ける物となるよう、幸運を祈っております」


 祈られなくとも、そうなるさ。

 そう返そうとした時にはもう既に、私の意識は闇に沈んでいて―――。

 私は、この世を去った。





 目覚めた私の視界に飛び込んできたのは、老眼でぼやけたのとは違うクリアな世界だった。


「――――――」


 何度か瞬きを繰り返し、目の前の光景を改める。

 夢の類でもなければ、幻覚の類でもなさそうだった。

 体全体を覆う布を払い体を起こす。

 ただそれだけの動作が、痛くも鈍くも不快でもなく軽快に動く事が嬉しい。

 上体を起こした私は、周囲の把握に努めた。

 現代日本ではもう見る事の出来ない木造建築の一室には、今私が座っているベッドと、簡素な木製の箪笥が一つ。

 薄く開けられたガラス窓の外から清風が舞い込み、嗅いだ事のないさわやかな香りを鼻元まで届けてくれる。

 ベッドの脇には、収納ポケットが幾つかついた小さな背嚢が一つ。

 背嚢の収納ポケットの一つに、手鏡が顔をのぞかせていた。


 何から何まで、私が望んだ旅立ちの光景と合致している。


 最終救助措置に手抜かりはない。

 私の心臓が、どくんと跳ねた。

 期待に満ち溢れる私の胸は今にも張り裂けそうだ。

 これがかつての私なら―――いや、もうそんな考えはよそう。

 私は新たなる希望の第一歩を今踏み出そうとしているのだ。

 無粋な考えなど、必要ない。

 私はベッドから抜け出て、背嚢の収納ポケットから手鏡を引っ張り出した。


「っ!!」


 躊躇う事なく手鏡を眼前に掲げ。


「…………あぁ…………なんて…………素敵なんだ」


 私は自らの口から発せられる、初めて耳にする高く柔らかな声を聞きながら、

喜びのあまり顔がくしゃくしゃになっている女性(・・)の顔を見た。

 目尻が熱くなり、じわりと涙が出て頬を伝う。

 止め処なく流れる涙をよそに、私はそれをぬぐう事もせず鏡を見つめ続ける。


「私は、本当に女性になったんだ……!!」


 鏡はただ私の姿を映すのみで何も応えてはくれないが、鏡面に映る姿が紛れもなく私の質問の答えを映し出している。


 これが、私の二つ目の夢。

 女性になること。


 いつからそれを望むようになったのかはわからない。

 ただ、女性に焦がれた気持ちがこじれてしまったせいだと私は思っている。

 女性を望み続けた私は、とうとう女性自体になりたいという同一願望を抱くまでになっていた。


 だが、技術の最盛期を迎えたと言われる現代ですら、人間の性転換技術は未だ確立できずにいた。

 と言うよりも、"そんなものは必要ない"と日本国が方針を打ち出して以来性転換技術の発展の道が閉ざされただけなのだが。

 諸外国では性転換可能な技術を持った国家もあるそうだが、私は日本国から外国へ行く事はおろか、日本国内でも外出を許されていなかった。

 欠落遺伝子を所有する私は、日本国はもとより外国の法律に照らし合わせても異性との接触が禁止される身分にあった。

 ともすれば、残された手段はあと一つしかない。

 最終救助。

 文字通り私に残された一縷の望みはそれだけだった。

 精神だけの世界に至るまでの間、肉体の改変は容易となる。

 現実の肉体を手術するのではなく、データ化した私の数値を変更するだけでいい。

 だが、それに掛かる費用たる人類への貢献度は生易しい数値ではなかった。


 だからこそ私は必死に働き、死にたい、だが死にたくない一心で五十五まで生き延びたのだ。


「ふふ…………これが、私なんだな…………」


 怪しげな呟きと共に頬に手を当てれば、柔らかくみずみずしいもちもちとした弾力でもって私の指を押し返す。

 張りと艶のある肌に、皺の一つも見られない。

 私は女性の顔を見た事がないのだが、市役所担当窓口のアンドロイド曰く『とても美しい少女の顔』との事。

 肩口まで伸びる黒髪に手櫛を通してみれば、さらりとした髪は引っかかる事無く気持ちのよい感触を伝えてくれた。

 流れるように落ちた手を受け止めてくれたのは、むにゅりとした柔らかい豊満な胸。


「おお、これが女の乳房か……」


 感嘆と共にその触感を確かめる。

 下着ごしに手で握るように揉んで見れば、とにかく柔らかく弾力性がある。

 おお、おお、と知らず知らず声が漏れる。

 言い表しにくいが、さわり心地がよく揉んでいて飽きがこない。

 数分ほど続けて、感じた事のない変な気分が体の奥底から湧いてくるのを感じて私は胸を揉む事を止めた。

 感じた事がないのだが、きっとこれがおそらく性感というものだろう。

 性欲はコントロールしづらい物だと過去の文献で学んでいる私は直ぐにそれに感づいて、手を止めたのだ。


「堪能した……」


 胸を揉む。

 というだけの単調な行為が何故こんなにも充足感を味わわせるのだろう。

 やはり私の精神が元来男の体で育った物だから、女性の体に触れる事自体を本能的に求めているからだろうか?

 謎は尽きないが、女性の体というものは本当に興味深い。

 私は降って沸いた知的好奇心を満たすため、満足が行くまで己の体について調べる事に決めた。


「そうと決まれば、だな」


 私は大きな胸を押さえていたシャツを脱ぎ去り、紐で縛るタイプのズボンと穿いていた下着を脱ぎ捨て一糸纏わぬ姿になった。


 そして、性欲のコントロールがいかに難しい事かを私は思い知る事となる。





「女の体って…………すごい」


 鏡に映る気の抜けた表情の私は、そう呟いた。

 何がどうすごかったのかは、心の内に秘めておく事にした。

 部屋中に散らばった私の衣服とベッドの乱れようから、察して頂きたいと思う。

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