2-4
「今日はありがとね。リリィさん」
リリィ宅の玄関先で私はリリィに頭を下げた。
「いえいえ、私も楽しかったです」
楽しい時間はあっと言う間に過ぎてしまう。
リリィと共に入浴するというビッグイベントを終え、リリィと共に他愛ない会話や"洗濯機"の使い方を学ぶうちに、時刻は夜の九時を過ぎようかという頃合になっていた。
「でも、本当によかったんですか?」
「うーん……私も色々と準備したい事があるからね、ごめん、リリィさん」
セクハラに及んだ私が何を言うかと思うかもしれないが、これでも一応自分は礼節をわきまえている人間であると自覚している。
初めてお招きに与る人の―――それも女性の家にこれ以上お邪魔し続けるというのはいくらなんでも失礼というもの。
例えリリィが気にしていないという姿勢を見せたとしても、だ。
「……明日は、朝に冒険者ギルドで待ち合わせ、でよかったですよね?」
「うん!」
リリィの密着取材は明日から始まるという事で決まった。
待ち合わせ場所を冒険者ギルドとしたのは、どうせなら私が冒険者として依頼をこなす姿を取材して欲しかったからだ。
手ごろな依頼があれば冒険者ギルドで依頼を受領してそのまま外出し、取材と言う名を冠したデートを楽しめばよいし、無かった場合は仕方なく私の日常に付き合ってもらう……という取材の名を冠したデートが楽しめると言う寸法である。
どちらに転んでも私に得しかない。
「それじゃあ、また明日ね! リリィさん!」
「はい、よろしくお願いします」
名残惜しいがリリィに別れを告げる。可愛らしく手を振ってくれるリリィの姿に後ろ髪を引かれつつも、ガムラン氏が帰りを待つであろう"山鹿亭"へと足を進めた。
街を歩きつつ周囲を観察すると、第一都市の高級住宅街は南部の都市と比べ道も広く、街灯の数も多く、巡回の兵士も多い。
女一人で夜に出歩いても、身の危険を感じる事は少ないだろう。
北部の都市と南部の都市の格差を感じつつも、私はふと気になって、通りの角を曲がる前に振り返った。
小さく見えるリリィ宅。果たして、リリィはまだその玄関先に居て、私を見ていた。
「……ふふっ」
早々に家に引っ込んでもよかったろうに、私の姿が消えてしまうまで見送ってくれるつもりだったのだろうか。
こんな風に見送られた経験は始めてだ。
振り向いた私に気がついたのか、リリィが笑顔で手を大きく振ってくれる。
「……また、明日」
小さく呟きながら、私も笑みを返し大きく手を振って答える。
心地よい、暖かい気持ちで胸が一杯になる。
私はその熱が冷えてしまわぬうちに、宿に帰る事とした。
―――ほんの少し肌寒い街中を三十分程度歩いた後。
「ガムおじいちゃんただいまー」
随分と遅くなってしまったが、"山鹿亭"の明かりは私を迎え入れてくれた。
入り口近くのカウンターから、ガムラン氏がひょっこりと顔を出す。
「おおう、早かったのうレナちゃん。怪我はせんかったかい?」
「思ったより早く終わってね。大した怪我もしなかったよ」
「それはいい事じゃな。冒険者とはいえレナちゃんみたいな可愛い子が怪我でもしたら大変じゃからの」
「えへへ、そうかな?」
「うむぅ」
男性からの賛辞はたいしてうれしくもないのだが、今の私はとても気分がいい。
先ほどまでの幸せな時間を思い出すだけで、私の機嫌は急上昇していく。
素直な気持ちで喜びを顔に表せられるというものだ。
「ふふふ……。あっ、帰って来てすぐで悪いけれど、明日は朝早いから朝食はいりません!」
明日は早めに宿を出るつもりなので、先んじて朝食を断っておく。
ガムラン氏の朝食はおいしいのでなるべくならそうしたくはないが、仕方ないというものだ。
「おや、もう新しい仕事かの?」
「仕事というか……第一都市の新聞社の人から取材を受ける事になったんだ」
「おお! そりゃまた凄いの!」
「いつぞやみたいにひと月も空ける事はないと思うけど……。数日の間帰らない事もあるかもしれないから、その時はいつも通りよろしくね?」
「ほいほい、了解じゃよ」
以前から依頼の関係上宿に数日戻らない事がそれなりにあったので、ガムラン氏の対応もなれたものだ。
了承の意を示すガムラン氏を横目に私は一零二号室へと足を進める。
扉を閉めて鍵をかけて、簡単な部屋着に着替えた後ベッドの上に身を投げる。
そうやってうつ伏せになりながら、私は明日の予定―――リリィとのデートに思いを馳せながらも、もう一つの用事について考えていた。
「ダミアン。明日いるかなぁ? もし居たら、ついでに聞いておきたい事もあるし……」
―――深淵の魔術師ダミアン。
その大層な通り名が示す通り、王都エクスバリアの冒険者ギルドに所属する特級冒険者の中でも、特に「魔」に関わる事柄で彼の隣に立つ者はいない。
普段から酒盛りや駄弁りに余念が無い朝組み連中の一員とは言え、その実力は折り紙つきだ。
「確かにあれは人間の死体だった。それは間違いない筈なんだよね」
昨日の一件―――デスグリズリーとの戦闘前に見た光景を思い出す。
天高く助けを求めるように突き出された腕と、それを咀嚼するデスグリズリーの姿。
あれは紛れも無く現実だった筈だ。
しかし実際にはドルロムの街に死者は一人も出て居らず、ましてやトーキィですらも死者は居ないと断言している。
それがどうしても、私には納得できなかった。
だから明日の朝一番に冒険者ギルドへ訪れた時、ダミアンが居れば助言を請うつもりだったのだ。
「Please help me」
「お呼びでしょうか、レナ様」
だがそれとは別に。
一応念のために、確認の意味も込めてトーキィを呼び出す。
「うん。ね、昨日の事なんだけど……。デスグリズリーとの戦いが終わった後、ドルロムの街には死者は一人も居なかった、そうだよね?」
改めて問いかけると、トーキィは軽く上下に羽ばたいた。
「はい、間違いありません」
「じゃあ魔法が発動した形跡とかは?」
ダミアンに聞けばいいのかもしれないが、もしトーキィが答えられるのであればその必要は無い。
そう思って聞いてみたのだが、返ってきた答えはあまり芳しくないものだった。
「……それについては不明、としか答えられません」
「不明ってどういう事なの?」
「レナ様、私は基本的に今現在のような世界にアバターを構築している状況下であれば、常に周囲数百メートル範囲の情報を逐次収集しています」
初耳だが何気にトーキィが凄い事を言っているな。
そんな大量のデータを常に収集してるのに、内部記憶領域は大丈夫なのだろうか。
「ですがスリープモード状態で待機している場合は異なります。その場合収集している情報はレナ様の身体情報にのみ限定されます」
「……つまり?」
「私がレナ様の要請に応じて出現した時点で収集したデータ上では、魔法が発動した形跡は見られませんでした。また、死亡した人物は誰も居ませんでした」
ここまで聞けば私にだってトーキィが何を言いたいのか理解できる。
つまり、だ。
「それは裏を返せば―――私がトーキィを呼び出す"前"に何が起きていたかは分からない。実は魔法が発動していたかもしれないし、もしかしたら死者が居たけれどトーキィのデータ収集範囲外に移されていたかもしれない。という事なんでしょ?」
「Exactly」
「なるほど、ね」
トーキィは強力な妖精型支援システムだが、それに頼りきりにならないよう制限をかけて使用を控えているのは他ならない私だ。
なのだが、この時ばかりはトーキィを事前に呼び出して居なかった事を少しばかり後悔した。
事前に呼び出してさえいれば、あの不可思議な現象にもはっきりとした答えが出ていただろうに。
「お役に立てず申し訳ありません、レナ様」
「気にしないでトーキィ。それについて責めるつもりもないし、ただ確認しただけだったから」
「はい……。それでは、普段通りスリープモードで待機致しましょうか?」
「うん、お休みトーキィ」
「Good night」
トーキィが光の雫となって消え、部屋に静寂が訪れる。
―――結局、何も分からないという事が分かっただけだった。
「ダミアンに聞いてみるしか、ないか……」
私はベッドの中に潜り込み、瞼を閉じた。
・
翌朝の事。私は低血圧でぼうっとしつつも朝早くに目覚め、なんとかして準備を整えて山鹿亭を後にした。
普段よりも人の流れが少ない街を進み、冒険者ギルドへたどり着く。
ドアベルを慣らしつつ足を踏み入れると、普段より人数の減った朝組みの面々が私の顔を珍しそうに見ていた。
まだリリィは冒険者ギルドに来ていないようだ。
「おはよ……げっ」
とりあえず挨拶をするのだが、私は思わず嫌な声を発してしまった。
何せ一番に目に付いたのがギルバートだったからだ。
「おはようレナ……なんだ、今日はやけに早いな?」
昨日リリィに行ったセクハラを目撃された手前、私としては気まずいばかりなのだがギルバートは飄々としたものだ。
その目がいかにも「俺は何も見て無いし知らないぜ? だよなレナ?」とキザに語ってそうなのが無性に腹立たしい。
「……んー、まあちょっとね」
実際は違うかもしれないが私はそう判断した。
故に私も普段通りに返事をする。
「まぁそういう日もあるわな」
よくワーウルフのウルフェンとつるんでいるギルバートが一人で居るのは中々に珍しい光景だが、今はそんな事はどうでもいい。
冒険者ギルドを見渡す。すると目的の人物はすぐに見つかった。
「ああいたいた。ダミアン? ちょっと聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
奥まった場所で薄闇に隠れるようにして椅子に腰掛けていたダミアンが、ぴくりと身じろぎをしてこちらを見た。
「…………ああ、私でよければ」
朝っぱらだというのにダミアンの周囲は本人の格好も相まってかかなり暗い。
まさしく深淵の魔術師が醸し出す気配に相違ない。
ただ、そうやって不気味な雰囲気を垂れ流しているから誰も好んで話しかけようとはしない。
かくいう私もその一人である。
今日のような特別な事情が無ければ、積極的に話かけようとは思わなかっただろう。
「おい、レナがダミアンにアプローチかけてるぞ。珍しいモンが見れたな」
「早朝の銅貨。とはよく言ったものだな、うむ」
ギルバートとジャコウ(仮名)がこそこそと話し合っているようだが、人の数が少ないギルドホール内では声量を下げた声であっても良く響く。
そんな男二人共を意識の隅に追いやりつつ、私はダミアンのテーブルを挟んだ向かい側にある席に座った。
「聞きたい事、とは?」
ダミアンが黒いローブの中から丸太のように太い腕を出し、テーブルに両肘を付いて手を組ませた。
この男は魔術師の癖に肉体は武闘派のそれだ。
ギルド長のダン曰くダミアン程の強者ともなれば魔法だけに頼る事無く自らの肉体を鍛え上げ、魔法使いの弱点たる近接戦にも備えるもの―――らしい。
黒フードの中から覗くダミアンの視線―――時々私の胸をチラ見している―――を受け、私は簡単に昨日の出来事を伝えた。
勿論トーキィに関しての話は告げていない。
「―――というわけだから、ダミアンの意見を聞きたいなと思って」
「……ふむ」
ダミアンは何かを思案した様子で顎に手を添えた。
それから何か考えがまとまったのか、すぐに口を開く。
「考えられるのは三つ」
ダミアンが人差し指を立てた。
「まず一つ目。レナの見間違い」
「……だからそれは!」
「―――まあ聞け」
「…………むぅ」
ダミアンの指摘に不愉快になった私は思わず声を荒立てそうになるが、彼は私を制しながら話を続ける。
「どれだけ自信があっても人間の自覚というのはおぼろげで頼りないものだ。ほんの些細な事であるべきものをあると信じられなくなったり、また誤認する事もままある」
「それは、そうだけど……」
「いくらお前が見たと言っても、それを他に見た者が居ないのであればお前の話は全てが真実であると保障出来ない。だが私はお前の話を同じギルドの仲間として信じよう、だからあくまで可能性の話として聞け」
「……わかった」
ダミアンの言ももっともなので私は素直に頷く。
彼は人差し指に続けて中指も立てる。
「では二つ目。何者かが発動した魔法による幻にデスグリズリーが引っかかった」
「それは私も考えてた。というか多分それなんじゃないかなって思ってる」
この世に魔法は無数に存在する。
私が使用した光の魔法の一つである「"ひかりあれ"」や、魔石を溶かして塗る事でその性質を武器等に付与する「"付与"」などがそうだ。
その中には幻を生み出す魔法も存在するらしい。
そういった物もあるのだと魔法使いのアナベルさんから学んでいた私は、もしかしたらその魔法がこの件に関わっているのではと疑っていた。
「"幻影"か、"幻覚"か。いずれにせよ幻を生み出す魔法は高等魔法の一種だ、もしもそれを成した人物が居るのであれば、只者ではないだろう」
「……だとしてもどんな理由でそんな事を? まさか、悪戯に街を混乱させるためだけに?」
「さあな。それは私のあずかり知らぬ所だ」
ダミアンは軽く鼻を鳴らし、薬指を立てた。
「そして三つ目。"人身御供"の可能性だ」
「"人身御供"?」
初めて聞く単語に私は首を傾げる。
だが、語感的なものから嫌な予感しかしない。
ダミアンは重々しく語る。
「"人身御供"とは呪術の一つ。あまりにおぞましさ故に闇の彼方に葬り去られた術の一つであり、それを扱える者は今日では居ないとされている」
「ふぅん……でもねぇダミアン。扱える者が居ないなら、それはもう可能性云々っていう問題じゃあない気がするんだけど……?」
扱える者が居ないのならば可能性も何もない。そう私は思ったのがどうやら違うらしい、ダミアンは首を横に振り声を潜めて言った。
「私は使える」
ここだけの秘密だが。
ダミアンはそう付け加えた。
「……じゃあもしかして、ダミアンが犯人だったりする?」
私は若干頬を引きつらせながら、なんとかそう答えた。
「そうする理由も無ければ必要も無い」
「だ、だよねぇ」
ほっと胸をなでおろす。
ダミアンはあまりに不気味なのでもしかしたら……と思えなくもないからだ。
「……レナにとっては不服かもしれないが、"人身御供"の詳細を語る事は出来ない。だがそれが行われた可能性があるかもしれない事と、"人身御供"の言葉だけは覚えておくといい」
「それはいいけどさ……なんで教えてくれないの?」
「"人身御供"を知る事は、即ち災いを招くからだ」
ダミアンは断ち切るようにそう告げると、もう答えられる事はないとばかりに口を真一文字に結んだ。
私としてもこれ以上聞く事はもうない。
彼以上に魔に関わる事柄に詳しい人物は他に居ない以上、私の疑問の答えは先の三つの可能性のどれかである、という結論で納得するしかないからな。
「ありがとう、ダミアン」
頭を下げた私にダミアンは目礼で返す。
丁度その時、冒険者ギルドの扉が開いたのかドアベルの音が響き渡る。
その音に振り返ると、ギルドの入り口にはリリィが立っていた。
「皆さんおはようございます。すいませんレナさん、お待たせしてしまったようで」
「ううん、私もついさっき来たばかりだから気にしないで?」
席を立ちリリィの元に寄って行く間、ギルバートが意味ありげな視線を飛ばしてきたがそれを無視。
私は飛びっきりの笑顔を浮かべながら、リリィに握手を求めた。
「今日はよろしくね、リリィさん!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
もしかしたら急いで来たのかもしれない。
リリィの頬はほんのりと赤く染まっていた。




