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2-3

・前回までのあらすじ

ダン・ロベルトの依頼達成の為、激しい戦闘の末デスグリズリーの肝を見事手に入れた元男の少女、レナ。

不審な出来事を残しつつも帰還すると、冒険者ギルドでは新聞記者のリリィ・エルノアがレナを待ち受けていた。

一悶着の後、気絶から目覚めたリリィは新聞記者として数日間の間レナを密着取材したいという提案をレナに告げ、レナはこれを快諾したのであった。

そしてレナは、リリィに勧められるままリリィ宅へ同行しお風呂に一緒に入る事に……。





 気がつけば、私はリリィの家に居た。

 いや、より正確に言えばリリィの家にたどり着くまでの記憶がほとんど抜け落ちているといった方が正しいか。

 何せ、私の頭はその間完全に加熱しきってショート状態。半ば夢遊病者のような有様だったのだから。


「ここが、私の家です」

「うん……。―――あえあっ!? い、家っ!?」

「わっ……。ど、どうしたんですかいきなり大声を出して」

「……い、いやいやいやなんでもないなんでもない!」

「そうですか……? とりあえず、立ち話もなんですからまずは中に入りましょうか」


 愚かなことに、私はようやっとリリィの家にたどり着いた事で己を取り戻したのだ。


 ―――リリィの自宅は第一都市の高級住宅街の一角にあった。二階建てで庭付きの、一人で住むにはかなり大きな家だった。

 彼女が勤める新聞社も同じ第一都市にあるそうだ。

 第一都市は第十一都市と同じく、もっとも王城に近い都市であり、その治安と居住する市民の平均収入は王都エクスバリアで一番良い。

 そうなると、彼女の身なりの良さも納得が行くというもの。

 彼女が履いている"エルメス革靴店"謹製の高級ショートブーツは言うに及ばず。

 第六都市辺りに住んでいる市民が何十年働いた所で済めそうにもない高級一軒家に、ローン払いとはいえ女身一つで住めるというのも、流石は第一都市といったところだろう。


 なお、これらは私がおぼろげな記憶から辛うじて引っ張り出してきた、彼女が語った身の上話の集約結果である。


「少し散らかってますけど気にしないでソファーに掛けてくつろいでいて下さい。私はお茶を淹れて来ますから」

「………………う、うん」


 促されるままお招きに預かる。リリィの自室かどうかは分からないが部屋に通された私は、黒革のソファーに腰掛け、またその柔らかさに驚きつつも、現実感のないままにリリィの遠ざかる背中を見送った。

 彼女が部屋を後にして遠くに行った事を確認して、私は呆然と呟いた。


「……こ、これは現実なのか?」


 思わず口調が男のそれに戻ってしまう。それほどまでに私は動揺している。

 この降って湧いたような状況に対し、私という存在はまるで対応しきれていない。

 "仮想結界"の訓練でも一応想定していた事態ではあるが、あまりに唐突すぎて脳の処理が追いついていないのだ。


「……女の子の家に、招かれて、しまった」


 そう口に出してみると、今置かれているこの状況がいかに凄まじい物であるかが、ずっしりとした重みを伴って私の心にのしかかってくる。

 じっとりとした汗が滲み出て、心臓の鼓動が激しくなり、顔が熱くなってくる。

 ―――信じられない。まさか出会って一日目にして自宅に招かれると言う急展開っぷりを見せるだなんて。


「ううう」


 ど、どうしよう。私はどうしたらいいんだろう。

 くつろいでいて。と言われはしたが、私としてはそれどころではないのだ。

 柔らかいソファーのすわり心地も楽しめないほど、身体がカチコチに緊張してしまっているのだ。

 先ほどから鼻孔に香る、リリィの生活臭とでもいうべき甘い香りがズキズキと脳髄を甘く刺激してきて、ゆっくり出来る状態じゃあないのだ!

 ああっ! もうっ! ああっ! あああっ! なんで、なんでこんなにいい匂いがするんだっ!


「……うー。……うぅぅー……。うぅー……」


 言葉にならないうめき声が虚しく響く。

 駄目だ。もうどうにもならない。頭と心が滅茶苦茶だ。冷静に考えられそうにもない。

 もしこの世界に神様とやらがいるのなら(まぁ本当に居るのかもしれないが)、ちょっとばかり待って欲しい。

 一分でいい。一分でいいから私に落ち着く時間を与えて欲しい。

 じゃないと、色々とはち切れてしまいそうだ。

 リリィの家に居る。という事実だけでこんなにも冷静さを失っているのに、ああ、なんてことだ。

 まだこの後、リリィと一緒に風呂に入るというビッグイベントが待ち構えているんだぞ!?


「ほ、本当にどうしたらいいんだ……?」


 緊張のあまり胃痛がしてきた。

 キリキリと痛む内臓と、呼吸をするたびに脳髄を直撃する甘い香りと、嵐のように散り乱れる思考が混ざり合って、もう私は一杯一杯だ。


「落ち着け、落ち着けレナ・ナナセ……。ただ友好を深めようという意図があって、共に風呂に入るだけじゃないか。何処にもやましい所なんてない、そうだろう……!?」


 そう。なんてことはない、ただリリィと共に入浴するだけのこと。

 今回はそれがたまたまリリィの自宅であるというだけだ。

 しかし、そうやって冷静に考えて落ち着こうとする私の脳内には、気を失って無防備になったリリィの胸を揉んだ時の感触やリリィの香りといった記憶が、

これでもかと言わんばかりにフラッシュバックしている。

 それらの光景が私を平静にさせてくれない。胸を締め上げて落ち着かせてくれない。

 くそう。これは私がセクハラをしたことへの罰なのだろうか。

 もし胸を触ったりなんてしていなければ、今頃はきっともっとまともな精神状態で居られただろうに!


「くっ……かはっ……!」


 鼻血を噴出して倒れてしまいそうだ。

 そんなふうに苦しんでいると、心配そうな声が投げかけられた。


「どうかしましたか? お腹でも痛いんですか?」

「……あ」


 リリィだ。いつの間にか、不思議そうに私を見つめるリリィがいた。

 ティーセットと山盛りのクッキーが載ったお盆を持ちながら部屋に入ってきたリリィは、それを机の上に置いてから私の側に近寄ってきた。

 身を屈めた彼女が、つぶらな瞳でもって私を覗きこむ。

 近づいてきた彼女から香る、この部屋の香りを凝縮したような甘い香りが私の鼻孔を駆け抜け―――。


「う、ううん! 大丈夫、なんともないから! ……ちょ、ちょっとお腹が空いてるだけだから!」


 私は滅茶苦茶に首を振ってから、そう言った。

 さもなくば、彼女の香りに誘われるまま抱きついてしまうかもしれなかったからだ。

 それぐらい、今の私に余裕はない。―――私は猿か! まったく!


「そうですか……?」


 リリィは私の様子を多少不思議に思ったようだったが、私から離れて向かいのソファーに座った。

 ああ、よかった。少なくともこれで急に襲い掛かるような真似はせずにすむ。


「でも、それならよかったです。冒険者であるレナさんにはちょっと物足りないかもしれないけれど、よかったらこのクッキーを食べて下さい。

ついこの間、連絡通路のあたりでオープンした"フリューリング"というお店のクッキーで、とても美味しいんですよ?」


 彼女はそう言いながら手早く茶の用意をし、小皿に色も形も様々なクッキーを取り分けて私の前に差し出した。

 その鮮やかで手馴れた手つきに目を奪われつつも、気の利いた返事が出来やしないかと脳みそをかつて無い程フル回転させてはみるが、情け無い私の口からは大して気の利いた返事が出る事は無かった。


「へ、へぇっ! そうなんだ!」


 上ずった声音で返答できたのもこの程度である。


「私、甘いものに目が無くて……レナさんもきっと気に入りますよ?」


 リリィが朗らかに微笑む。そこには打算的なものが一切無い、純粋な好意からくるものであり、花が咲くようなという表現が一番合いそうな笑みだった。

 ただただ、自分が味わったこのお菓子の味を共有してみて欲しいという意図だけがそこにある。


「…………っ」


 もし私が十代後半の時分に(今もそうと言えるが)こんな表情を向けられていたら、間違いなく恋に落ちていた。

 いや、もしかすればすでに今落ち掛けているのか……?


「~~~っ! い、頂きます!」


 ―――ええい、もうヤケだ。あれこれと考えるのはもうやめだ。今はただ、流れに身を任せよう。

 考えて行動するよりも、今は"仮想訓練"や魔法使いのアナベルさん(十八歳)と交わした交流で得られた経験が、この状況に対して上手く作用する事を祈るしかあるまい。

 むしろそのほうが、私らしさ、と言う奴を上手にリリィにアピールできるやもしれないのだし。

 とりあえずなるようになれ、だ。



 そうして私はかなりぎくしゃくとしながらも、リリィと他愛ない話を交わした。

 クッキーの味の感想から始まって、好きなものは何だとか、趣味についてだとか、住んでいる都市についての事とかだ。


 話すうちに、少しずつだが緊張感が抜けてきた。

 口が上手く回るようになっていくと、私はリリィとの会話に夢中になった。

 単純に女性との会話が楽しいというのもあったが、リリィはなんというか、そう、会話の運びが上手なのだ。

 新聞記者らしく街の情報には目ざといのか、提供してくれる話題はまるで尽きる事がない。

 それでいて喋りすぎる事もなく、私が喋りたいと思った時にその場を譲ってくれる。

 彼女は聞き上手でもあり、話し上手でもあった。

 そのおかげか、私はすっかりと平時の調子を取り戻す事が出来たのだった。


「―――でね? 果物売りの親父に言ってやったんだ。"このリンゴが腐っていないって言うなら、あなたがリンゴを食べて証明してみてよ!"ってね。そうしたらあの親父、本当にリンゴを食べちゃったんだよ!」

「本当ですか? それで、一体どうなったんですか?」

「勿論約束どおり、三倍の代金を請求されちゃった。でもね、一週間後にその露店の場所をみたら、誰もいなくなってた。変わりに立て札が一枚立ってたんだけど……」

「…………その立て札には、一体どんな?」

「"家主急病の為療養中につき、次の開店は未定"。だって!」

「あはははっ! じゃあ、やっぱり腐ってたんですね!」

「そう! もうその立て札見た時はお腹がよじれるくらい笑っちゃってさ! 商品の信頼性をアピールするためとはいえ、その根性は流石! って感じで」

「そうですね……第三都市商店街にはたまにしか行きませんが、そんな商魂逞しい人がいるんですね……」

「本当すごいよ? まだまだこんなの序の口ってくらい」

「世の中は広いんですね……。あっ」

「うん?」


 リリィが何かに気がついたかのように視線を向けた。

 その先には大きな窓がある。窓から望む景色には夕暮れを過ぎて、夜の闇に呑まれかけている第一都市の高級住宅街が映っていた。


「何時の間にこんな時間に……」

「あはは……。お話に夢中になっちゃってたね」


 私としても驚きだ。あまりに夢中で時が経つのもすっかりと忘れてしまっていた。

 思えばお茶も三回ぐらいおかわりしたような気がする。

 あれほどあったクッキーも、一欠けらも残さず私とリリィの胃の中に消えていた。


「ごめんなさい。私ったら、気がつかずに……」


 リリィが申し訳なさそうに謝った。


「気にしないで、リリィさん。私はリリィさんとのお話、すっごく楽しかったから気にしてないよ?」


 私の本心をそのままに告げる。


「そう言ってもらえるとありがたいです」


 時刻はそろそろ夜の六時過ぎといったところか。

 安堵した様子のリリィを満足感と共に見つつも、これから先のイベントを思うと私は身が引き締まる思いだ。


「ええっと、じゃあそろそろ……」

「そうですね。それじゃあ行きましょうか?」


 どこへ。と今更質問するほど私も馬鹿じゃあない。

 席を立ったリリィがこちらへ、と先導する。

 陽が隠れてしまったので屋内はほの暗いが、当然の事だがリリィはこの家の家主なので、何処に何があるか分かっている風に進む。

 私はその後ろをついて行きながら、高鳴る胸の鼓動を意識した。


「ここです」


 しばらく進んだ後、リリィが廊下の突き当りにあった扉を開けた。

 扉の先は脱衣所だ。大人が四人は川の字で寝てもスペースがありそうなほど広い。奥には風呂場へと続く扉が見える。

 脱衣所には脱いだ服を入れる篭と、大きな鏡のついた洗面所、折りたたみ重ねてある綺麗なタオルを載せた棚と、見たこともない奇妙な四角い大きな箱らしき物体が一つあった。

 最後の一つが一体何なのか興味が湧いた私は、率直に質問してみる。


「リリィさん、これって?」

「ああ、これは"洗濯機"ですよ。ちょっと高い買い物でしたけど、奮発しちゃいました」

「へぇーっ! これがあのリョウ・サカザキが開発したっていう……」


 始めて見る"洗濯機"を前に、思わずしげしげと眺めてしまう。

 リョウ・サカザキ、もとい、さかざきりょうといえば推定ではあるが、私の前にこの世界に訪れた披最終救助者の名だ。

 彼はどうやら数多の発明や新技術の発展に尽力したらしく、その名残はこの世界に多く残っている。

 この"洗濯機"もさかざきりょうの発明品の一つであり、私が前世で日頃利用していた洗濯機と名前も使い道も同じ物だ。

 とはいえ、見た目も機能もまるで違うのだが。


 そもそも前世の洗濯機は衣服を浄化チャンバーの中に投入してスイッチを押せば、零コンマ一秒の速さで衣服に付着した汚れや雑菌のみを消滅させるという、環境に配慮した機能を有していた。

 一方こちらの"洗濯機"は、魔石を用いた大量の水と熱と風力を利用して衣服についた汚れを落とす方法を用いるので、根本から違う。

 前世視点から見ればあまりにもローテクノロジーだが、今生の視点から見ればこの"洗濯機"はかなりのハイテクノロジーなのだろう。

 "洗濯機"、"冷蔵庫"、"電話"。

 ―――さかざきりょうが開発したこれら三つの神器と呼ばれる家具を持つという事は、エクスバリア王都における市民のステイタスでもあるのだ。


「ふぅーん……」


 魔石をセットする為の穴や、排水の為に"洗濯機"から伸びる壁に接続されたパイプ等を観察する。


「リリィさん、これって―――」


 一度動かしてみたい。そう思いながら観察するのを止めてリリィのほうへ振り返ると、彼女はいつの間にか衣服の殆どを脱ぎ終えて下着姿になっていた。


「おうふ」


 思わず変な声が出た。

 派手すぎず、細やかで品のいい薄青色のレースの下着。

 下着姿になった事であらわになった鎖骨のライン。小ぶりな胸。緩やかなラインを描く腰元。小さなお尻。すらりと伸びた脚。

 それら視覚情報が一斉に私の脳内目掛けて飛び込んでくる。


「ふふっ。気になりますか? レナさん」


 それはもう私の視線がリリィの胸元や股間で固定されてしまわないように、大変に気を使うくらいには気になりますとも。

 いやまあ、リリィが聞いているのは間違いようもなく"洗濯機"の事なのだろうが。

 私の視線はリリィの肢体に釘付けとなった。

 

「う、うん、とっても、きになる、よ?」

「よければ後で使ってみますか? 丁度洗濯物も溜まっていましたから」

「そ、それはいいタイミングだね、うん」

「ええ!」

 

 リリィは恥ずかしげもなく下着を脱いでいく。

 当然の事ながら私たちは同性なので、多少の気恥ずかしさこそあれどその点におかしな部分はない。

 故に、私は一糸纏わぬ姿となったリリィの姿をさも当然の権利を行使するが如く視界に納めたのだ。

 そして、なるほどと理解した。


「…………女神か」

「レナさん?」


 リリィが私を不思議そうに見ているが、眼が離せない。

 言葉を返すことも出来ない。

 跳ね回る心臓の鼓動音だけが、やたらとうるさい。

 呆けたように見つめているうちに、リリィがほんのりと顔を赤らめて胸元と股間を手で隠して言った。


「……あ、あのう。そんなに見つめられると少し恥ずかしいです」

「…………ソ、ソウダネ。ゴメンネ。ワタシモヌグネ」


 私はゆっくりと振り向いて、ぎくしゃくとした動きで服を脱いだ。

 鼻の奥がツンと痛む。


「わ、私先に入っていますね!」


 そう言ったリリィが足早に風呂場へと進み、扉を開く。

 扉が閉じられる音と共に、私の鼻孔からぬるりとしたものが垂れた。

 彼女の前で粗相をしなかったのは、奇跡だった。



 簡単な癒しの魔法で鼻血を止め、何度も何度も深呼吸を繰り返し、戦場に赴く直前のような覚悟を決めて私は言った。


「は、入るよ?」

「はーい、どうぞー!」


 くぐもったリリィの返答が扉越しに聞こえてくる。

 それを聞いた私は、唾をごくりと飲んでから浴室への扉を開けた。

 柑橘類のさっぱりとした良い香りが、熱い湯気のむわっとした空気と共に私を包み込む。

 足を踏み入れるとまず目に映るのは、大理石で出来た円形状のバスタブだ。

 それなりに大きい、というだけあって大人が詰めれば三人は入れそうなほどの大きさで、一人で入るには少し広すぎるぐらいだった。

 バスタブの中には乳白色の湯がなみなみと湛えられている。

 湯面にオレンジといった果物の類が浮かんでない事から、恐らく柑橘類の香りの正体は湯にあると思われた。

 入浴剤か何かでも使っているのかもしれない。


「公衆浴場には到底及びつかないですけれど、どうですか?」


 左側からリリィの声が聞こえた。

 なるべく自然に、しかしながら失態を犯さぬよう慎重にリリィの方へ向く。


「うん、私が想像していたのよりもすごくてびっくりしてる」


 本当に色々な意味で。


「それはよかったです」


 笑みと共に言ったリリィは、身体を洗っている最中だった。

 石鹸をもこもこと泡立たせたスポンジを、延ばした二の腕の上に滑らせている。

 その姿を見るとまたも鼻の奥が痛み始めるが、私は鉄の意思でもってそれを押さえ込みリリィの隣に座る。

 とりあえず、今のところは鼻血が出ていないので一安心だ。


「ちょっと待って下さい、もうすぐで終わりますから」


 既に大半の部位を洗い終えていたのだろうか、リリィは手早くスポンジで身体を擦った後、それを木桶の中のお湯で洗う。

 スポンジを洗いながら、リリィは躊躇いながら言った。


「あの……レナさんは、一緒のスポンジを使うのは嫌ではありませんか?」

「えっ?」

「実は、予備のスポンジが無かった事をすっかりと忘れていまして」


 ああ、なるほど。

 身体を洗うために使った道具を家族でもないのに使いまわすのは、確かにいい気分はしないだろう。

 私も、自分の歯を磨く道具は木を削りだして作ったつまようじを使っているが、これを他人の道具でやれと言われたら絶対に嫌だろうし。

 とはいえ、スポンジ程度ならば私は気にしない。


「ああ、そういうことね。全然大丈夫、気にしないよ?」


 私はリリィにそう言った。


「ありがとうございます、レナさん」


 安堵したリリィが、石鹸が洗い落とされたスポンジを差し出す。

 私はそれを受け取り、石鹸をこすって泡立たせる。

 もう十分だなと思った私は、リリィのスポンジで体を洗い始めた。


「…………ふうむ」


 どことなく神妙な顔つきになってしまう。

 このスポンジが果たしてどれだけ使用されていたのかは知らないが、リリィの身体を清めていたのは事実。

 みずみずしい健康的な地肌は勿論のこと、身体の内側や胸、股間と言った部分もこれで洗ったのだろうか。


(って何を考えているんだ私は)


 こんな変態的な事を考えているのだと知れたら大変な事になる。

 これ以上邪な考えに頭を支配されないうちに、さっさと身体を洗ってしまおう。


「…………んっ」


 隣ではリリィが頭からお湯を被り、身体についた石鹸の泡を落としている。

 何度かくり返して満足がいったのか、リリィは一言、先に入ってますね、と私に告げてバスタブへ浸かった。

 ほぅと息をつくリリィの気配を背で感じながら、私はやや乱暴に身体をこする。

 あまり肌によくないのだが致し方ない。

 一通りさっと洗い終えて―――もちろん頭も―――何度か湯を被り、身体についた石鹸の泡が全て流れ落ちた事を確認してから、私もバスタブへ向かう。


「失礼しまーす……」

「ふふ、どうぞ」


 湯に濡れてしっとりとしたリリィにどきどきとしつつも、湯の中へ。

 足のつま先からじんわりと駆け上る温かさに、思わずぶるりと震えてしまう。

 思えば丸一日以上風呂に入っていなかったし、デスグリズリー討伐の件での疲れもあってか、湯が私の体に染み入るようだった。


「……はぁー……きもちー……」


 沢山の客でごった返す公衆浴場と違い、とても静かだ。

 私とリリィが立てる僅かな水音以外、音は殆どしない。

 静寂に包まれた中、柑橘類のさわやかな香りも相まって、リラックス効果は抜群といえよう。

 加えて視線の先には、私好みの美少女が共に入浴しているという事実。

 これで癒されないほうがどうかしている。

 まあそのリラックス効果以上に、刺激的な光景でもあるのだが。


「お風呂って、いいですよね」

「そうだね、ほんと、そう思うよー……」


 二人して湯に身を任せる。

 残念なのか喜んでいいのか、乳白色の湯のせいでリリィの胸から下は完全に隠れていた。

 本当ならば合法的に色々と見て楽しみたい所ではあるが、それが叶わない今の状況は逆に助かっている。

 今リリィの裸体を直視したら、せっかくの乳白色の湯を私の鼻血でピンク色に変色させかねないからだ。

 そう思うと、少し自分が情けなくなる。


「けいけんち、たりてないなぁ」


 女性に話しかけられただけで舞い上がっていた六ヶ月前を思えば、今の私はかなり成長していると言える。

 女性の裸体も公衆浴場でいくらか見慣れているし、会話も簡単にこなせるし、この分なら女性との恋愛もさして遠い未来の話じゃないなと最近は思っていただけに、少しばかりショックだ。

 少なくとも、いかな状況であれ女性に興奮するあまり鼻血を噴出すというのは、あまりよろしくない。


 ―――いざ。という場面で事に及ぶ前に鼻血を噴出して、場のムードが白ける。そんな未来は確実に避けてしかるべきだ。


「けいけんち、ですか?」


 言ったつもりはなかったのだが、言葉に出てしまっていたらしい。


「いや、なんでもないよ。こっちの話」


 不思議そうなリリィに答え、話題の転換も兼ねて気になっていた事を質問する。


「ところで、このオレンジっぽい香りは入浴剤か何かを使っているの?」

「ええ、ある方から貰った試供品なんですが、何でも最新の技術を使って作られた入浴剤らしく、富裕層向けに販売が決まっているそうですよ」

「へぇー……そうなんだ。だからこんなにもいい香りがするんだね」


 こんな香りのする風呂で一日の疲れと汚れを落とせたら、さぞ気持ちがいいだろう。割と真面目に購入を考えてしまいそうだ。

 とはいえ、懐に余裕のない貧困層や、ある程度余裕がある中流層からしてもまるで関係のない話だ。

 ……つまり、今のところの私には無縁の長物である。


「はぁ……」


 小さく吐いた溜息は、湯気の中に消えていった。



 それから暫く湯を楽しんだ私達は風呂から上がった。

 バスタオルで身体の水気をふき取り、髪の毛の水気もしっかりと拭い取る。

 髪に関してはリリィが手伝ってくれたおかげもあってか、普段よりもそれは手早く終わった。

 お返しにとばかりに、私もリリィの髪の水気を丁寧にふき取ってあげたのだが。


「…………」


 風呂上りで色っぽいリリィを前に、鼻血を噴出さないように堪えるのに大変な苦労を要した。


 軽く着替えた後、リリィが私の髪を櫛で丁寧に梳いてくれた。

 冒険者ギルドの依頼で泊りがけで出かけたりすると、髪の手入れをしている余裕はまるでないのだが、王都でゆっくりしている時はなるべく髪の手入れを心がけている。

 その旨をリリィに伝えると何故かいたく感激されたのだ。

 よければ私に櫛を通させて欲しい、とも。


「私の友達に一人いるんです、せっかく綺麗な髪をしているのに、手入れをちっともしない罰当たりな()が」


 私の髪を櫛で梳きながら、リリィはそんな愚痴を漏らす。

 思うところがあるのだろう、口調からは件の友人を心配するような気配が感じられた。

 私はその愚痴に相槌を打ちながら、髪の間を通る櫛の心地よい感触に身を任せる。

 ―――なんだか、今日始めて出会った間柄にしては中々打ち解けた関係になれたのではないだろうか。

 私自身に少々情け無い所がありはしたが、リリィというよき美少女と出会えた今日という日に感謝をしないとな。

 穏やかに目を伏せてそんな事を思っていると、いつの間にか髪の手入れは終わっていたのか、リリィが私の肩を優しく叩きながら「終わりましたよ」と言った。


「わ、すっごいサラサラ……ありがとう、リリィさん」

「いえいえ、私としても楽しかったです」


 ニコニコと笑みを浮かべるリリィだが、してもらうばかりというのも何だか悪いだろう。そう思い私は提案する。


「ね、よかったら私も梳いてあげようか?」

「えっ、いいんですか?」

「いいも何も、私だけしてもらったんじゃあリリィさんに悪いからさ」


 そう言うとリリィはほんの少し悩んだ後。


「……それじゃあお願いしますね、レナさん」


 控えめにそう言ってくれた。


「はい! お願いされました!」


 そうして、私はリリィの髪をゆっくりと丁寧に梳いた。

 腰元まで伸びる長い髪の手入れはさぞ大変だろう。

 私の髪はあまり長くないから比較的早く手入れが終わるが、リリィの髪は長い分結構な重労働だ。

 髪を美しく保つには日々の手入れが欠かせないが、リリィの艶やかな薄青の髪の状態を見るに、毎日手入れをしているに違いないだろう。

 髪を梳きながらそんな予想を立ててみる。


「……誰かに髪を梳いてもらうなんて、始めてです」


 リリィは目を細めながら、嬉しそうに言った。


「本当? 私もリリィさんにしてもらったのが始めてだよ?」

「ふふ、そうすると私達、始めて同士ですね」


 はじめてどうし。

 …………いや、何を変な意味で捉えているんだ、私は馬鹿か。

 なんだかリリィと出会ってから、やたらと脳内がピンク色の方向に意識を持っていかれているな。

 一体全体どうしてしまったのだろう。

 まったく。

 まったく。


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