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青い魔神と碧の煌めき  作者: 伊那
第一部 凶刃と帝国の都
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8 帝都アブヤド

 ガンナーム帝国――古くは北方の遊牧民族に端を発する、現在は大国ハイダルに迫る程の発展を見せる多民族国家である。以前からガンナームは隙あらば他国の地を支配しようと狙っており、機運が許せばそれを実行してきたが、四代前の帝王(スルタン)は特に異国の要所占領に傾倒した。特にこの帝王は武に優れた者の身分や生まれを問わず登用し、ガンナームが実力主義に傾向するきっかけを作った。辺境の地マルバスの仮面の男を自軍に組み込む程に、強さを重んじた。一代前の帝王は外国人を多く含む特殊な常備歩兵軍まで作り、その血に拘らず王家に忠誠を誓えばよしとされた。

 その侵略は未だに衰えを知らず、ガンナーム帝国は強い軍事力でもって栄えていた。しかしその繁栄を支えるのが武力だけと考えるのは間違いだ。商業用の道を整え、陸路や海路で貿易を行い自国を潤わせ、その宮殿を飾るのに莫大な資金を動かした。宮殿だけではなく巨大な礼拝堂(モスク)を建てるのにも力を費やし、独特の製法で作られる美しいタイルでもってそれを彩った。

 一国の主の住まう場所は一ヶ所ではなく、夏の離宮や別荘がたくさんあったが、現王のバヤジット二世は殊のほか“真珠の宮殿”と呼ばれる住まいを愛した。実に広い庭園を備え、二百の部屋があり、大小十五の建物を内包していた。帝国の最高政務機関がいかに広く、いかに贅を尽くした空間か、実際に目にした者は圧倒されて言葉をなくす。

 帝国を統べる帝王が宝石や金や絹をまとい、動くたびにじゃらじゃらと鳴る豪奢な宝飾品を見せつける姿さえ、他者は気圧されるに違いない。

 いいや、あの方はその身に贅沢品一つ身につけていなくとも、他者を威圧する。サウードは知っていた。彼が(いくさ)で部下よりも多くの武功を上げ、それでいて策に長ける素晴らしい才能の持ち主だと。

「サウード」

 重い呼びかけだ。バヤジットにしてみれば忠臣へのただの声がけかもしれないが、サウードにとって主君の(めい)にも等しい重みを持つ。床に口付ける自分の頭を更に下げたくなる、力ある声。

「“ザフラの指輪”はまだ見つからぬのか」

 その意は指輪そのものではなく、ザフラの後継者その身を表す。サウードも直々にその目で見た、アシュラフの事をバヤジットは言っているのだ。

 ザフラ王の身柄をおさえ帰国したサウード将軍はすぐに主君に現状を報告した。ザフラ王アーディルは牢に捕らえてある。その身を案じてアシュラフが指輪を携えてくるのが先か、サウード配下の者たちがアシュラフを捕らえるのが先か。事態は至極簡単なものだと思えていたが、なかなかどうしてサウードはアシュラフの存在を捕捉出来ない。

(やはり、あの魔神か……)

 偉大なる帝王に何かを隠すつもりなどないサウードはザフラ王宮で起こったすべての事を話した。魔神が存在したなどと戯言を、と一笑されるかと思いきやバヤジット二世は魔神については何一つ言及せず、アシュラフを逃した事だけを咎めた。アシュラフがどういった経緯で逃亡に至ったかは帝王には問題ではないようだった。あの水差しから出てきた魔神が、圧倒的な力でサウードたちを傷つけたならまだしも、ただ逃げただけだ。無力だと見なされたのだろう。

 主が気にかけていなくとも、アシュラフを探す身のサウードは魔神の事がずっとひっかかっていた。

 魔術を扱う人間なら、サウードも見た事がある。以前訪ねた土地の貧民街にほど近い場所、路上で小さな物を浮かばせる人間を見かけた。種も仕掛けもある奇術(マジック)のようにしか見えず、サウードは記憶の隅に押しとどめた。だが、ザフラで見せられたあの魔術は本物としか思えなかった。未だ疑う心はあるが、現在、帝国内の多くの都市に兵を派遣しているにも関わらずアシュラフの噂一つ手に入れられないのは、魔神が関わっているからだという事に他ならない。

 あの、ラピスラズリ色をした魔神の人にあらざる空気ときたら。バヤジット二世も独特の“気”を持つが魔神とでは質が異なる。あの赤い瞳。幾度となく戦場に立っているはずのサウードですら怖気の立つ、えもいわれぬ存在感。

 見目はただの少年でありながらも、その本質はまるで異なるモノ。

 あれが魔神。

 あれが、神に力を与えられ、人と異なる生を許された存在。

 サウードの中で何かが燻っていた。

 標的であるアシュラフが見つからない事ではなく、もっと力強いものが――。

「サウード」

 今度の声は、非難がこもっていた。サウードは自分が思考に没頭していた事に気付かされる。思わず顔を少し上げ、帝王の足元を見つめてしまう。

「は、申し訳ございません。只今全勢力をもってして、あの指輪を探しておりますが……」

「言い訳はよい。次は余の前にあの指輪を持ってくるのだ」

 下がれ、との短い命令だけでサウード将軍の報告は終了させられた。




 前言の通り、空をゆく内にスィラージュは話しかけても返事をしなくなった。空が明るんで、人里に近づいてきて誰かに怪しまれる心配をしたアシュラフは何度も魔神に声をかけたが、何の答えもなかった。その代わりに、アシュラフの乗った巨大な怪鳥を空に見つけて大声を出すような存在も、撃ち落とそうとする人間も出ては来なかった。仮面の男の件で学習をしたのか、スィラージュが何か魔術を施したらしい。おそらく人の目にはつかないように工夫したのだ。

 二度目の空の旅はアシュラフにとって快適とは言いがたかったが、鳥の背中が広い分、窮屈な木馬よりはくつろげた。常にスィラージュが持っていた荷物の中には占い師のところでもらったフブズと調理されたハト肉とデーツが入っていたので、有り難くそれを頂戴する事にした。飛行の最初こそ高所に怯えていたアシュラフだが、そのうち慣れてくると暇を持て余すようになり、空腹も思い出していた。これからやろうとしている事を思えば、胃を満たす事だって準備の一つだろうと判断出来る。いざ帝国の人間と事を構える時になって空腹で力が出ないなんて事になれば情けなさすぎる。

 満腹になるとどうにも瞼が重くなるようで、アシュラフはしばし眠気と戦う必要にかられた。いくら慣れたとはいえ、ここがどこだか忘れた訳ではない。空飛ぶ鳥の背の上、常なら人の届かぬはるか上空。もう既に日が昇った空を間近に感じられる場所。

 軽口でも叩いていれば少しは気が紛れるのに、すっかり鳥になりきってしまったスィラージュを恨みがましく思いながらも耐えた。

 その容貌が下方に見えてきた時、実際には目にしていなくとも、アシュラフはその全貌を知っていたために心臓を大きく鼓動させた。

 ガンナーム帝国最大の都――アブヤド。

 王宮で父に見せられた事がある、アブヤドの都市景観を描いた木版画を。細部などは覚えていないし、実物との差異もあるだろうが、天下に名高い真珠の宮殿の円蓋と、礼拝堂の高い尖塔(ミナレット)の特徴的な姿は版画と変わりない。宮殿や礼拝堂の周りに広がる家々と、都から少し離れた場所にあるガラタ(さん)もまた、話に聞いた通りだ。

 アブヤドには真珠の宮殿以外にも立派な建物が存在する。二代前の帝王が建てた宮殿や礼拝堂(モスク)に、歴代帝王の廟や宗教学校(マドラサ)などの建造物がそれだ。帝王たるもの在位中に建築物の一つや二つ建てるべきであると考えているのか、とにかく為政者たちは大きな建物を造らせるのが好きだった。

 空から見たからこそ、その広大さがよく分かる。アブヤドは、ザフラ王国など比べものにならないくらいに大きい。もしかするとザフラの少ない国土がアブヤドの町一つにすっぽりと収まってしまうかもしれない。そう考えてしまうと、自分が相手にしようとしている存在がどれだけ力の差を持っているかを思い知る事になる。

 なんという無謀な事をしているのだろうか。アシュラフは今は物言わぬたった一人の従者だけ連れて、自身の身の安全だけでなく、父王を助け出し守ろうとしているのだ。あの町には人が何千何万といるだろう。下手をすれば宮殿の者だけでなく城下の者さえアシュラフの敵に回るかもしれないのだ。たった一匹のアリが、象の前に出て喧嘩を売っているのと同じようなものだ。

 気が遠くなりそうだ。

 そうこうする間にもスィラージュは翼を羽ばたかせアブヤドにぐんぐん近づいていく。

 震えそうになるのは、手や足だけではない。自分を奮い立たせる一言でも吐こうとした唇や舌さえ、静かに静止していられない。

 真珠の宮殿の円蓋が大きくなってくる。

 冷静に考えればアシュラフに勝ち目などないだろう。

 だからといって、アシュラフがここで怖気づいたら父アーディルの命は誰が救えるというのだ?

 あの帝国の使者が約束を違えてアーディルを解放するなんて事はあり得ない。

 援軍を待つような時間もない。父の出血は少なくなかった。策を弄する間にも彼の命は削られていくかもしれない。それにザフラの兵を動かすような事にでもなれば――尚更勝ち目などない。兵士の量が圧倒的に違うのだ。

 帝国の望みはアシュラフの身柄とザフラ王家の指輪だ。それを手にしている限り、アシュラフ自身が殺される心配はないはずだ。だからアシュラフが一人で上手く立ち回れば、戦争に発展するような事は回避されるし、父王は助ける事が出来る。例えガンナームに下る事になっても、誰かの命には代えられない。

 ザフラをガンナームの支配下に置く未来も考えてはいるが、それは最後の手段だ。

 ふと思いついて、アシュラフは王家の指輪を取り出した。指輪は金色の光を弾く。考えたのだ、このままだと小さな身体のアシュラフが捕まるのはごく自然な流れ。指輪だけを奪われてはかなわない、ならば指輪は隠しておいて交渉をすればいいのではないか。スィラージュの手荷物の中に、指輪を隠した。しばらく彼に預かってもらおう。帝国の者は指輪の在り処を教えるまではアシュラフを生かしておくだろう。そうなれば先に父王の拘束を解くように訴えるだけ。

 アシュラフは父を助け出し、二人で帝国を逃げ出すつもりだ。魔神にした願い事の内容を考えると、その時にはスィラージュはもう傍らにはいないかもしれないが――とにかく父王を救えれば、それでいい。

 ふわふわの鳥の背中を手で握るように触れた途端、ゆっくりとスィラージュは下降をはじめた。

 気がつくと、もう宮殿は目の前だった。上空でとはいえ、既に敷地内に入り込んでいる。大きな鳥は広い庭園を見つけるとそこに足を伸ばして降り立った。

 やはりスィラージュは何かの魔術を使ったらしい。大きな都の宮殿内に巨大な鳥が飛び降りても、騒ぎの一つも起こらない。色とりどりの花やきれいな水のあふれる噴水が、その庭園の立派さを主張するだけで、人が通ってもアシュラフを気にかける様子はない。

 鳥の背の上でまだ警戒を解かずに辺りを見回していたアシュラフは、ぐらりと鳥が揺れるのでわずかに慌てた。二本の足で立っていたはずのスィラージュは、その細い足で全身を支えられなくなり突っ伏したのだ。頭さえ地面にゆだねて、ぐったりとしている。

「おい……?」

 鳥の背中から降りたアシュラフは、スィラージュの様子を見る。瞳まで閉じた大きな鳥は、随分と疲れているらしい。やはり彼には無理をさせてしまったようだ。申し訳ない気持ちと、彼の恩に報いたいという気持ちでアシュラフはいっぱいになる。

「……お疲れ」

 アシュラフが鳥になったスィラージュの顔の辺りを撫でると、彼はうっすらと瞼を開けた。赤い瞳が言いたい事が何か、アシュラフにだって分かる。後ろめたい気持ちを隠しながら安心させるように頷くと、鳥は目を閉じた。

 しばらくスィラージュを見ていると眠ったようだった。元の姿に戻るための力をたくわえているのかもしれない。荷物は鳥の足にゆるく縛っておく。

 飛び立つ前のスィラージュの言葉を忘れた訳ではないが、魔術が切れないうちに行動したい。幸いまだアシュラフ自身の姿が見える人間もいないようで、庭師らしき男が近くを通っても不審に思われる事はなかった。

 心配性のところがある従者が目を覚まさないうちに――アシュラフは庭園から離れた。


 帝都を空から見下ろした時も思ったのだが、アシュラフは自分の王宮でも立派なものだと思っていたが、規模が違うもっと豪奢な宮殿が存在するのだと、まざまざと思い知らされた。滑らかな表面が光を反射させるタイルに目を奪われている場合ではないのだが、自然と目に入ってくるから仕方がない。

 大国との差を見せつけられ、アシュラフは自分がどれだけ小さな国にいたのかを理解するしかなかった。

 長く天井の高い廊下を歩きながら、周囲の様子に気を配るのをやめないアシュラフ。

 この宮殿のどこかに、父が居る。今はただその事だけを考えればいい。庭園とは違い、さすがに建物の中に入れば人の出入りは多くなる。念のために物陰に身を隠しながら移動しているが、今はまだスィラージュの魔術が効いているらしく見つかってはいない。

「父上……」

 アーディルは今どこに閉じ込められているのだろう。出来ればこのまま姿を誰にも見せないままで父王を助け出したい。そうすれば誰の血も流さなくて済むし、アシュラフもアーディルも傷つけられるような事にはならないだろう。

 しかし――そんな都合のよい望みは、すぐに打ち砕かれる。

「そこのお前、どうしてこんなところにいる? どこの子供だ?」

 柱の影に身を寄せていたアシュラフは、誰の目にも映らない状態だった自分に慣れきっていて、その声が自分の事を咎めているのだとすぐには気づけないでいた。

 宮殿にだって小さな子供ぐらいはいるだろうが、アシュラフはその身を砂埃で汚していて、とても身分の高い者とはいえぬ身なりをしていた。警備兵に怪しまれるのも道理だったが、アシュラフはその気配が近づいてくるまで行動に移れないでいた。

 警備兵という名の危機がアシュラフに向かってきていると理解した途端、アシュラフは柱から離れて駈け出した。

「待て!」

 スィラージュの魔術が切れたのだ。真珠の宮殿があまりに広すぎるため、まして不慣れな場所であるためアシュラフの目論見通りに父の姿を探す間もなく、兵士に見つかってしまった。しかも彼は、アシュラフを賊か何かと思っているかのように険しい声を上げている。

 短い子供の足で大人の男を引き離すのには工夫がいる――だがその工夫を思いつく前に、アシュラフは大きな手に首根っこを捕まえられてしまった。

「くそっ、はなせ!」

 強い力に簡単に持ち上げられ、アシュラフはもがくがびくともしない。

「……城に侵入する者があれば逐一報告しろって、サウード将軍が言っていたな」

 警備兵の男は子供を抱えて歩き出す。アシュラフはザフラに来た帝国の使者の名前を覚えていなかった。もし覚えていたら自分が誰の元に連れて行かれようとしているのかを知る事が出来たのだが、そうでなくとも幸先の悪さに苦虫を噛むしかなかった。

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