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青い魔神と碧の煌めき  作者: 伊那
第一部 凶刃と帝国の都
8/24

7 対決

 主が去ったと知って、スィラージュは肩の荷がおりた。どうやら仮面の男は、小さな子供を追うつもりはないようだ。彼はガンナーム所属の人間で、それでアシュラフやスィラージュを追っているのだと考えたが、違うのだろうか。男の服装や仮面が異国のものである事から導き出される答えは、彼は彼なりの理由で動いているだけ、という事。アシュラフがガンナーム帝国と事を構えているからと、常に帝国からの干渉を念頭に置いていたスィラージュだったが、ただの危険な旅人だという可能性もあるだろう。

(それってどんな物騒な世の中、って感じですよね)

 自分で考えておいて嫌な可能性だとスィラージュはため息を吐く。

 いずれにせよこの男は危険だ。理由が何であれここで食い止めなければならない。スィラージュに彼を倒す事は不可能でも、一時的な足止めをする事は可能だ。

 いつの間にか仮面の男の無差別な攻撃は止んでいた。おそらくこれまではスィラージュに戦いを避けられないものだと教えるための攻撃だったのだろう。主を逃がしたとはいえ自身は留まるスィラージュに満足したのか、男はこちらの出方を伺っている。

 人より長い時間を生きるスィラージュは、この手の人間と過去に出会った事がある。仮面の男もそうなのかもしれない、と推測出来た。彼はおそらく武を求める人間。己の身体を鍛えるためだけにどんな荒事にも首を突っ込み、そして強い者と戦いたがる――強さを望む命知らずたち。それがこの仮面の男の正体なのだ。

 スィラージュの推測は一部では正解していたが、一部は違った。仮面の異邦人は帝国に雇われ、ある任務――王族の一人と指輪を探す――に就いていたが、自分が撃ち落としたものが目的のそれとは知らずに戦いを挑んでいた、ただそれだけだった。

 相手が人間ではないと知って、仮面の男は一層この戦いをよろこんだ。男がどこの所属であれ、武を求める限り魔神の前に立ちはだかるのは、神の決め事と同じようなものだった。

 男が、槍を構え直す。

 彼が戦いを愛する人種なのは理解した、だがスィラージュにとってみれば厄介な相手でしかない。ああいう手合いは時に負けを認めずしつこく食い下がってくる時もある。面倒で仕方がない。

 だが。

「水差し魔神なめないでください」

 こちらには魔術がある。

 にやりと笑い、魔神は茶色い瞳を赤く光らせた。不敵な発言にも仮面の男は無反応。構わずスィラージュは片手を振る。にごった色の煙が辺りに広がる。男とスィラージュを隔てるほどに視界は悪くなった。

 スィラージュは魔術を扱うのが上手くない。魔術の使い手が自身の持つエネルギーを魔術へ換算するような力を魔力というが、たとえば普通の魔術の使い手が一の魔力を消費して自分を浮遊させられるとしたら、スィラージュは五の魔力を必要とする。一つの事を成すのに、スィラージュはもっと上手の魔術師よりも力を消費しなければならない。あまりほいほいと魔術を使う気になれないのは、このためだ。自分で空を飛ぶ事も出来るのに、空飛ぶ木馬をわざわざ選んだのはこういった理由もあったからだ。

 しかし今の今までこの煙のような魔術を出し惜しみしていたのは、スィラージュの燃費が悪いからではない。この魔術がアシュラフ(あるじ)にまで影響を与えてしまうからだ。

 自分だけは煙から抜け出し、スィラージュは仮面の男の気配が動かないのを確認する。男の刃を受けたせいで群青色の上着の袖はあちこちが避けていて、赤くない血がにじんでいた。この血を止める事も出来るが、スィラージュは浅い傷ばかりだからと後回しにする事にした。

 男はしばらく動けないはず――敵は完全に沈黙したものだとばかり思っていた。本能的なものがスィラージュを無理矢理突き動かす。

 煙を斬るように、突き出された刃。あと一瞬反応が遅かったらかなりの致命傷になっていた。スィラージュの腕の肉をえぐった仮面の男は、何事もつぶやかずに更に魔神に襲いかかる。

「精神攻撃は効かないんですか」

 あの煙に包まれた者は、過去の封じ込めたい記憶を呼び起こされる。煙は執拗に相手を苦しめ、しばらくは出てこられないはず。彼にはそんな思い出したくない過去などないとでもいうのか。ますます人間らしくない様子を見て、スィラージュはやっと焦りを感じてきた。

 円形にほど近い月は中天から地平線へと体の向きを変えていた。月のない夜よりは明るいが、まるで昼間のように動き回れるスィラージュと仮面の男は、どちらも人間とはかけ離れた場所にいるからだろう。

 記憶の檻に閉じ込められたところを、武装解除させ縛り上げ動けなくさせ、それでスィラージュは逃げ出そうと思っていたのだが、そう簡単には行かないらしい。

 ならば単純に体の自由を物理的に奪うだけだ。魔神の瞳が赤く輝いた。左手を体の前に差し出して、スィラージュは何かを握るように指を折る。不可視の力によって仮面の男の体が動かなくなる。顔を動かして、男はスィラージュを見たようだった。一心に見つめられていると思うと、木彫りの面が不気味に移る。月の黄金の光を受け陰影を作る異国の仮面。

 男が目には見えない力を振り払おうともがき続けるから、スィラージュは魔術を持続させるために意識を集中させなくてはならなかった。魔神の額に汗が浮かぶ。膂力(りょりょく)対魔力。強い魔術師であれば人の持つ筋肉の力など、簡単にねじ伏せる事が出来る。しかしスィラージュは魔術師としては一流とは言えない。

 気配を感じたと思った途端、槍の細い切っ先がスィラージュの眼前に迫っていた。頬に高温で熱した棒を押しつけられたような感覚。男は唯一の自分の武器を投げて来たのだ。あともう少しで眼球を串刺しにされるところだった。さっきからスィラージュは危機一髪の危ない目にばかり遭っている。

「戦うのとか苦手なんですよね……」

 避けるのに精一杯で、スィラージュは自分が地面にうずくまっているのにも気がつけなかった。口の周りに砂がくっついて、頬から流れる血で顔がべとつく。意識を他所に逸らしてしまったから、スィラージュの魔術は解けてしまった。自由になった仮面の男が近づいてくる。だが、彼は自分の得物を自ら放り投げたはずだ。スィラージュはせめて相手の元にそれを返さないようにと槍を探す。

 が、男には特に武器も必要なかったようだ。

「……ぐっ」

 顎の骨を砕くような男の拳。スィラージュは仮面の男が武器なしでも強いという事を身をもって知る事になる。次の拳もその次の蹴りもスィラージュは避ける事は出来なかったが、その次くらいは魔術の盾で相手を怯ませる事が出来た。

 ばちり、と弾かれたように男の拳は離された。魔神が魔術を扱うと知っていても反応は遅れてしまうのか、男に一瞬隙が出来た。砂地を蹴って、スィラージュは相手との距離を取る。さっきの殴打で顔や腹部が鈍く痛むが気にしている場合ではない。思い出したように敵の得物を探そうとすると、スィラージュは振り出しに戻った事を知る――仮面の男は自分の槍を手にしていた。

 振り出しなんかではなかった。スィラージュはこれだけみすぼらしい格好をしているというのに、相手に傷一つつける事も、仮面一つ外す事も出来ていない。皮肉った笑みが魔神に浮かぶ。自分が役立たずなのは知っている。だから何年も倉庫で眠っていた。誰にも顧みられずに。

 ――お前は、名はあるんだろう

 疲れて、涸れた喉で、切れ切れに問いかけてきたひと。

 あの時の気持ちを何て言おう?

 一言では言い表わせないが、敢えて言うなら――うれしかった。

 水差しに閉じ込められた魔神をただの記号として扱うのではなく、個として認めてくれたのだ。あの時、主は死にかけていたのに、スィラージュは何故かひだまりのようにあたたかい気持ちに身を浸からせていた。

 だからスィラージュは、立ち向かう。化け物みたいな人間相手にも。あんなの、スィラージュでなくたって犠牲を伴わずに黙らせられない。スィラージュ一人の力では、あの男を大人しくさせられないのならば。他から力を借りるまで。

 とにかく相手の槍が届かぬ距離を保ちながら、目的のものの近くまで走り出す。だがスィラージュの目論見は男の高い身体能力で遮られる。あっという間に距離を詰め、その切っ先をかすめてくる仮面の男。本当に彼は何なのだろうか。戦う事に貪欲で、生きる事に貪欲な一匹の獣――。

 出来れば二度と、関わりたくない。

 スィラージュは目標のものを掴む事が出来た。

 魔神は瞳を赤く光らせて、右手を頭の上に掲げ、何かの取っ手でも回すように手首をひねる。そのまま右手を更に高く掲げる。限界に達すると、魔神は勢いよく右腕を振り下ろした。男は何ものかの気配に顔を上げる。彼は背の高すぎるナツメヤシの木の影がその身に落ちるのを知った。スィラージュの狙い通りなら、切れた木の先が男を弾き飛ばすはずだった。寸でのところで男が避けなければ。砂地に巨木が突き刺さっただけの結果に終わり、スィラージュはまた一つ汗を垂れ流した。

 しかし、男はナツメヤシがもう一本用意されているとは思わなかったようだ。

 上手く操る事が出来ず、木の腹で仮面の男の体をはね飛ばした時には、スィラージュの方も息を切らしていた。鈍い音と男のうめき声が聞こえ、ナツメヤシの木が地面に落ちる。少し上半身を折って、肩で息をしていたスィラージュは、しばしの間目を閉じた。

 スィラージュが次に目を開けた時、その瞳は人によくある茶色だった。

 顔を上げ周囲を見回すと長いナツメヤシの木が二本、無造作に転がっていた。そのうちのひとつは、人間の男を下敷きにしている。息を整えながらスィラージュは、仮面の男の元に近づいていく。男はうつ伏せになっており顔も見えない状態だが、指一本動かさずに気絶しているようだった。

 仮面を剥いでその素顔を見てみたいという気持ちがないでもないが、スィラージュにはそんな事をしている時間はない。だが相手の正体が分からないままなのが、気持ち悪かった。ただの武を求める旅人だったらよいのだが。

「これで帝国の人だったら、今後が怖いですね……」

 カウス・クザハから木馬を使った事で帝都にずっと近づいたとは思うのだが、まだ目的地には着いていない。このまま彼が砂漠で昏倒し続けてくれる事を願うのみ。

 まだ仮面の男を見張っていたいような気もするが、アシュラフをいつまでも待たせてはいられない。待ち合わせ場所も決めていないし、あの主が立ち止まる姿を想像出来ないが、それでも従者の帰りを待っているはずだ。

 今度はしばし後ろ足で歩き、男の復活を警戒しながらその場所を後にした。

 追っ手はもう、なかった。




 アシュラフの気配をたどる。人と違って魔神は便利だ。あまりにも離れているのでなければ、全くの見ず知らずの相手でなければ、近くにいない相手でも気配をたどる事が出来る。

 意識の中でそれをたぐり、そしてその元へと歩いていく。

 主の気配を感じる事が出来る。水差し魔神の主人である、アシュラフの気配。それはだんだんと実感を伴って近づいてくる。スィラージュはそれを認めると口角を上げた。

「シュラ様」

 月明かりがあるとはいえ、ちゃんとした明かりがあるのとないのとでは大違い。アシュラフは荷物の中から松明をともして歩いていた。十キュービットは離れた場所から声をかけると、アシュラフはびくりと身を縮こませた。振り返ってスィラージュの姿を認めると立ち止まってくれた主に、つい駆け足になってしまう。

「すみません、お待たせしてしまって」

 きちんと相手の顔の造作まで確認出来る距離にきてはじめて、アシュラフは安堵したように表情を和らげるが、すぐに眉を寄せる。

「様っ。てゆうか、お前それ大丈夫か?」

 一応自分の主に会うので血を拭ったり砂埃を払ったりしてきたつもりだが、先程の格闘でスィラージュの見た目はひどいものになっていた。特に切り傷がひどい。

「まあ魔神なんでなめときゃ治りますよー」

 その見た目に反して、このスィラージュの軽い事。ひどい苦戦を強いられただろうに、アシュラフのよく知るのん気な魔神の姿そのもの。肩から力が抜けそうだ。立って歩いているという事は、そこまでの致命傷はないのだろうが、それにしたって普段通り過ぎる。アシュラフは小さく息を吐いた。

「ほんとかよ……。あいつは、どうなったんだ?」

「足止め程度に終わった気がしますが、しばらくは安心ですよー」

 突然にひょいと持ち上げられ、アシュラフはまた怒りの声を上げる。

「お前!」

「追っ手が心配です。すっ飛ばして行きましょう」

「え? は?」

 ふわりと青色の風が吹いたようだった。

 めきめきと音を立ててみるみるうちにスィラージュの体は人間のものから巨大な鳥の姿へと変わっていった。ラピスラズリ色の羽根に覆われた、巨大な鳥。その背にアシュラフは乗っかっていた。大人が二人乗っても狭くはないだろうくらいに大きな鳥だ。瞳は本来の色である真紅にすっかり戻っている。街に入る際に髪の色と共に人間らしい色に変化させていたのだが。

「飛ぶのに集中すると、話しかけられても応える事が出来ませんのでよろしくお願いします。それから、変化(へんげ)したらしばらく元に戻れませんから、帝都(アブヤド)に着いたらまず潜伏しましょうね、シュラ様。一人で行動しないで下さいね」

「……どういう事だよ」

 大きな鳥はわずかに悲しげに真紅の瞳を細める。

「私、魔術に関しては基本的に燃費が悪いんです。だから三流魔神として打ち捨てられていた訳でして。この姿になると私は半日くらいは人の姿に戻れませんので一人で先走ったりしないで下さいよ。あとさっきも言いましたが航行中は静かになりますから、そこんとこよろしくです」

「………無理、してるのか?」

 本当はもっとたくさん尋ねたい事がアシュラフにはあった。一番の問題は、スィラージュは魔術を使うのが負担になっているのではないかという事だ。急を要する状況だとはいえ、スィラージュに無理ばかりを強いているのか。アシュラフの碧の瞳が、困惑に曇る。

「大丈夫ですよ」

 ふわ、とくすぐったい感触。アシュラフの頬にラピスラズリ色の羽毛があたる。主を一撫でした鳥は大きな羽根を広げた。

「行きましょう、アブヤドへ」

 木馬に乗った時よりも、離陸の瞬間はあっという間だった。月はすっかり地上に近づき夜が終わりに近づいている事を教えている。

 ふかふかする鳥に乗って、アシュラフは目指すガンナームの都へ向かう。

 本当にいよいよなのだという気持ちが、不安と胸騒ぎと希望に満ちた体を巡る。

 ここまでしてくれた水差しの魔神スィラージュには感謝している。少々胡散臭いような鬱陶しいような面倒くさいようなところもあるが、アシュラフの願いをきちんと聞き入れてくれている。ザフラを出る時アシュラフは、ガンナームの王宮に行って目的を果たす手助けをしろと頼んだ。このように曖昧なもの言いをしたせいでスィラージュには魔術の及ぶ範囲が微妙なものになったと言われた。魔術の使用に単純ではない制約がついたらしい。それだけではなく、スィラージュは元々魔術に関してはあまり優秀ではないようだ。存在自体不思議な魔神だからと、無理を言い過ぎたのかもしれない。

 アシュラフは初めてスィラージュに同情的に思った。元来アシュラフは立場の弱い者に対して心を砕きがちで、守ってやらねばと思ってしまう。スィラージュは魔神だしどう見てもアシュラフより年上だが、魔神だからって傷がつかない訳でも、弱点がない訳でもないのだ。そう思うとアシュラフは申し訳ないような気持ちにさえなった。

 柔らかい羽毛の背を撫でながら、アシュラフは小さく「悪かったな」とつぶやいた。あまり素直じゃないこの子供の遠回しな“ありがとう”という言葉であると知る者は――本人を含めて――この場にはいない。

 風が冷たい。今の今までここが自分の苦手な上空だというのを忘れていたアシュラフは、下を見ないように全身で鳥にしがみついた。

「ここは高所じゃない高所じゃない……」

 きゅうと抱きついた大きな鳥の、ぬくもりだけがあたたかかった。

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