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青い魔神と碧の煌めき  作者: 伊那
第一部 凶刃と帝国の都
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4 占い師

 市の立つような大きな通りから離れれば、道幅は狭くなり人気はなくなっていく。狭い窓から職人たちが何かを作る音がかすかにもれる。金属細工師が金属を打つ音や機織り機の音などで、人の声はほとんどなかった。

 西の空は燃えさかる火のような色に変わり、夕暮れが町を薄暗くしはじめていた。狭い道だからだとか、静けさが不気味だからとか、そういう理由ではなく、アシュラフはスィラージュがどこに向かおうとしているのか分からず顔をしかめた。

 二人の人間がすれ違うのにも狭い道にあっては、アシュラフはスィラージュ後について行くしかなく、その背中を見上げるしか他はなかった。上背のある父王の背中と比べれば肩幅もなく、なんと頼りない背中だろう。父を思い出す事がため息につながるなんて、かつてのアシュラフには有り得ない事だった。

 あの男はアーディルを生かすと言った、アーディルの無事を信じたい。しかし最後に見たザフラ王の姿はあまりにも、あまりにもアシュラフには重くて――死の面影をあらわにしていた。あんな悲愴な父の顔を見た事がない。あんな必死そうな、あんな、逼迫した、あんな――。

 服の下に隠した指輪を、アシュラフは衣越しに掴んだ。胸元をおさえて、身体からあふれる感情を押しとどめようとするかのように。

 王家の指輪がなければ帝国はザフラをいいようには出来ない、まだ希望はある。ザフラ王家の摂政になるには、王位継承者から指輪を託されなければならない。その指輪の受け取り方がどんな方法であっても、摂政が指輪を手にしていなければ摂政とは認められない。指輪の有無はハイダルの目をかいくぐれるような簡単なものではないのだ。

 そのためザフラを支配したいガンナームはアシュラフの持つ指輪が必要になる。だからザフラ王アーディルも殺さず、アシュラフに取り引きを提案したのだ。アシュラフが指輪を持って帝都まで行かないなんて事にでもなれば話はご破産、ゆえに帝国はザフラ王を必ず生かしておかねばならないのだ。

 理屈では分かっていても、アシュラフは不安で不安で仕方がなかった。闇のような負の感情に足を踏み出しかけた頃――、

「ここです」

 スィラージュが目的地に着いたと告げる。弾かれたように顔を上げると、アシュラフの目には一軒の質素な建物が飛び込んできた。

 日干し煉瓦を重ねた家の壁に、表面を滑らかにする粘土が塗りつけられているのがこの辺りで一般的な庶民の家だ。が、一般的ではない特徴がこの家にはあった。扉一面に奇妙な文字が書き連ねてあるのだ。紋様といっていいほどだ。

 とんとん、と木戸を叩くとスィラージュは声をかけた。

「占い師さん、居ますかー?」

 半分も言い終わらないうちに、扉が開いて何者かが飛び出してきた。

「待ってたのよ遅いわよ何してたの会いたかったわ!」

 黒く長い髪を結わえずに腰まで流した女がスィラージュに抱きついてくる。その化粧は濃く、室内に居たからだろう薄着であり、スィラージュに押しつけられた胸は柔らかかった。

「うふふふ、もう出ていかせないわよもう本当どこほっつき歩いてたわけまあこうやって帰ってきたから許すけど」

 抱擁されたスィラージュを、汚物でも眺めるように見上げるアシュラフ。それに気づくとスィラージュは慌てて女の腕を引きはがそうとする。

「よして下さい占い師さん、人違いです」

「女置いて戻らなかったクセに、しらばっくれるのか……最低だな……」

 女の敵を見る目のアシュラフに魔神はかなりの勢いで大慌て。完全にスィラージュと占い師を恋人同士と思い込んでいるようだが、そうではない。

「ち、違いますってシュラ! こちらは知り合いの占い師さんでただの知り合い、って占い師さん? あなたちゃんと目を開けて見てますか?」

 スィラージュは恋人同士ではない事を強調していたが、蔑んだ瞳をするアシュラフに効果はなかった。占い師の方は問われて、目を細めてスィラージュの相貌を確認する。

「……アラ? アナタたしか……水差し魔神さんじゃないのやだわアナタいつから居たの知らなかったわあそれよりアタシの愛しい人をどこに隠したの早く出しなさいよ」

 流れるように舌を回す女性は、興味を失ったようにスィラージュから手を離した。急な事にスィラージュは対応しきれず体のバランスを崩す。「うわっ」と叫びながら背中から地面に倒れこむ。巻き添えになったのは他ならぬスィラージュの主、アシュラフだ。

「……超うざい魔神(ジン)……どけ」

 子どもにしてみれば大きな身体にのしかかられ、アシュラフはひどく低い声で命じた。視力が悪い占い師だけは、目を細めて怪訝そうにしていた。


 占い師の一風変わった歓迎を受けたアシュラフとスィラージュは、羊毛の絨毯のある部屋に通された。手狭ではあったが、人が三人座ってもまだまだ余裕はある部屋だ。小さな蝋燭の明かりが室内を穏やかに照らし、アシュラフはその光を眺めていると心労が少しだけ和らぐような気がした。

 客へのもてなしのひとつとして用意された果物を、給仕されるのに慣れた手つきでアシュラフは手にとった。ほとんど無意識の行為だったが、デーツを口にして物を食べるのが久しぶりだと気づいた。デーツの果肉が口の中いっぱいに広がり、甘さと旨味を感じると同時に喉の乾きも思い出していた。デーツの他にはイチジクや干したブドウもあったが、杯に注がれた水もあった。アシュラフはごく自然に、しかし洗練された動作でそれを飲み、果物を咀嚼した。

 占い師もしばらく家のあちこちを移動していたが、やっと彼女も羊毛の絨毯に座れた。全員がひとごこちついた頃、魔神は仕事をはじめた。主のために道ゆきの支度をするのだ。

「改めまして、お久しぶりです占い師さん。今日は例のものを貸していただけないかと思って来ました」

 占い師はスィラージュの話を無視してアシュラフの頭を撫でくり回す。

「ねえねえ水差し魔神さんこの子どこの子かわいいじゃないのアナタの子なのまさかそんなワケないわよねぇそれにしてもちっちゃい子はかわいいわあ若さっていいわねええちょっと分けてもらえないかしらあ」

 かわいい、小さい、という嫌いな単語を連呼されてすこぶる不機嫌なアシュラフは、視線だけで象も殺せそうな顔で魔神を見た。

「えっとー、占い師さんその辺でやめといた方が……」

「うううアタシにもこんな時代があったのかしらああったわよねえあったはずよあったと言ってああ若返りたい」

「今も十分若いじゃないですか」

 褐色の肌にはハリがあり、両目はコール粉で黒く縁取られており、唇は赤く蠱惑的な女性。表情はころころと変わり溌剌としているのだが、目の周りの濃い黒のせいで子どもっぽくは見えない。この占い師の容貌はどこか年齢不詳だったが、まだ若い部類に入るはずだ。

「ええ本当にそう思うう? ありがとうでもねぇやっぱり最近徹夜も出来なくなってきたっていうか体力がないっていうか疲れやすいっていうか何これアタシもしかしてばばあ化してる? みたいな」

「いいかげんにしろ!!」

 完全に方向性を見失った会話を切り裂いたのは、幼子の一喝。

 驚いた顔をしたのは占い師だけで、予想していたスィラージュは立ち上がったアシュラフをなだめようと手を上げる。

「なんのためにお前みたいな魔神呼び出してまでわたしがガンナームへ行きたがってると思ってるんだ?! わたしはこんなところで時間を無駄にしてる暇はないんだ!! まだ貴重な時間を奪うというならわたしは一人で行くぞ!」

「待って下さいよシュラ様」

 小さな子どもは真剣そのものだ。今すぐ飛び出しかねない形相に、困惑気味のスィラージュは逃亡防止のためアシュラフの腕を取る。

「はなせ!」

「すみませんが占い師さん、とっとと“アレ”出してくれませんか? 早くしてくれないと旦那さんにある事ない事吹き込みますよ」

 主と従者のやり取りをただ鑑賞していた占い師は途端にびっくりした顔で慌てだした。

「や、やあねえもう水差し魔神さんったら! せっかちなんだから……ある事ない事ってなんなのよこれだから過去を知る男なんてもんはロクなもんじゃないのよねもう」

 ぶつぶつと言いながら占い師は廊下の方に消える。ようやくスィラージュの手から逃れたアシュラフは、彼女の消えた場所を見てつぶやいた。

「旦那いるのかよ……」

「どうかしました?」

 あの、破天荒ともいえる占い師につきあえるような存在がいたのかという、感心にも似た気持ちになりアシュラフはしばし怒りを忘れた。一時はスィラージュとの関係性を疑ったものだが、彼らは本当にただの知人のようだ。しかし占い師は、スィラージュと過去“仲良く”していたと言ったようなもの。あの占い師と恋仲だったのか? なんて聞く気もないが、代わりに「なんでもない」とアシュラフは言った。アシュラフの中でスィラージュはただの魔神、ガンナームの都に行くための道具にすぎないのだから、彼の過去まで詮索するような必要はない。

「ちなみに占い師さんは本名を教えてくれません。名前を悪用されたことがあるらしいので」

 しばらくするとスィラージュが占い師を職業にした場合に出会う不都合について語りだしていたが、アシュラフは聞いていなかった。再び座りこんで、淡い明かりが照らす漆喰の壁をぼんやりと見つめた。

 軽快な足音が近づいてきて、占い師が顔を出した。

「じゃんじゃじゃーーん! これが水差し魔神さんご希望の、」

「それ違います」

「アレ? んんっ? あらまあ本当だわ間違えた~~」

 占い師の目が悪いのは知っているが、それ以前の物品を出され、スィラージュはわざとやってるのではないかという気持ちになる。

「水差しさん、コレ?」

「いいえ違います。私が探してるのは空飛ぶ木馬です。あと水差しさんって呼ぶのやめて下さい……」

「ああハイハイ」

 ぽんと手を打つと占い師はまた戻って行った。今度は長く待たされ、それでなくとも問いただしたい気分でいっぱいのアシュラフは魔神に詰め寄った。

「ちょっと待て、くそうざい魔神(ジン)。わたしの聞き間違いだと思いたいんだが、今、空飛ぶ木馬と言ったか?」

「言いましたよ」

 何て事のない様子のスィラージュを、アシュラフは張り倒したい気分になった。

 空飛ぶ木馬の話なら、誰でも聞いた事があるだろう。本物の馬と見紛うばかりの黒檀製の木馬だ。ねじをひねると空高く舞い上がり、反対側のねじをひねれば地上に舞い降りる。さる国の王に献上され、王子を乗せ大冒険の末に壊されてしまったという――寝物語の乗り物である。おとぎ話の、空想の産物にすぎない。

「まさか、あのおとぎ話の空飛ぶ木馬か? そんなものあるわけないだろ、そもそも、空を飛ぶのは鳥や虫だけで人間には不可能なんだ」

「花粉も空を飛びますが、鳥ではないですよ」

「揚げ足を取るなッ黙れええ!! いいかお前、おとぎ話なんていうものはな、」

「お待たせいたしましたあ~~。コチラが魔神さんご所望の品、“空飛ぶ木馬”で~~す」

 あらわれたるは、本物の馬と同等の大きさの木製の馬。立派なたてがみ、ふさふさの尻尾、黒い身体は丈夫そうだ。おとぎ話と同じ黒壇製らしい。身動きひとつしないから偽物だと分かるが、豪華とはいえないが簡素ともいえない鞍まで付けて、まるで本物の黒馬のよう。

「ありがとうございます」

 占い師は元より、スィラージュも取り出されたそれにごく自然に対応している。暗がりであれば本物の馬と見まごうばかりの精巧さだが、その用途にアシュラフは一言申さねばならない。何しろこれはただの観賞用ではなく、移動手段に使うものだと言うのだ。しかも、有史以来誰一人として成し遂げた事のない、空中を飛行するという奇っ怪な事を可能にするというのだから!

「ちょっと待て! こんなものが本当に空を飛べるとでも思っているのか? ありえないだろ! しかも何故一介の占い師がそんなものを持ってるんだ」

「アタシ趣味がいわくつき骨董集めなのよ~この間なんかね、」

「今いわくつきって言ったな?! そんなもの乗れるか!」

 例え本物の“空飛ぶ木馬”だったとしても“いわくつき”と言われては乗りたくもなくなる。狼狽や困惑というよりも怒りさえ顔に出してアシュラフは両手を振り上げる。

「大丈夫ですよーシュラ様ー。こないだ私も飛んでるの見ましたし」

「じゃあお前一人で空でも飛んでろ! そしてわたしは駱駝で行く!」

「駱駝といえばこの前このくらいの小さなサイズなんだけどしゃべる駱駝の陶器があるって聞いて」

「あんなうさんくさい事言ってるぞあの占い師! いいのかあんなヤツ信じて!」

 のんびりと自分のペースで話す占い師を勢いよく指さしてアシュラフは更に声を大きくする。

「大丈夫ですって。占い師さん自身は分かりませんが、持ってるものには信頼がおけるものですから」

「持ち主にも全幅の信頼を置いてるぐらいの事言ってみろ! 逆に怪しいだろ!」

 わあわあと舌戦が続く中、ただ一人それに参加せずに占い師はデーツなんかつまみながら自分の“いわくつきの品”について語らっていた。

 なかなか折れないスィラージュに、アシュラフは声を荒らげるのも疲れてきて息を整える事にした。

「……とにかく! わたしは反対だ、こんな木で出来た馬のハリボテなんか信用出来るか」

 どうしても譲るつもりのないアシュラフ。父王を助けるためならどんな苦難も厭わない、そんな言動をしていたはずのアシュラフの様子はどこかおかしく思えた。

 その魔神の思いつきは、本当にただの想像だった。

「もしかして、シュラ様は高所恐怖症?」

 ぴたりとアシュラフの動きが止まる。しかし何て事のないように顔を上げると、敵の兵士でも見るような顔になる。

「様をつけるなと言ってるだろうが」

「え、そうなんですか? 高いとこダメなんですか」

 顔をそむけるアシュラフに手を伸ばして追いすがるスィラージュ。

「黙れ! そんな事あるわけないだろう!」

 勢いで言ってから、しまったとアシュラフは思った。

「じゃあ大丈夫ですね。試験飛行してからガンガン行きましょう」

 すがすがしいほどの笑顔でスィラージュはアシュラフの肩を軽く叩く。

 頬をひくつかせながら、怒りと戸惑いに満ちた顔でどうしたらいいか分からないアシュラフは、魔神を止める事が出来なかった。

デーツ……ナツメヤシの実

コール粉……目のまわりにつける黒っぽい粉。天然の硫化アンツモンを粉にして植物油でといて作る

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