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青い魔神と碧の煌めき  作者: 伊那
第二部 花の王国
23/24

11 魔法の泉⑤

 白い砂漠は宵を迎えた――。

 月はまだ出ない。日没後、裁きの場にいる二人の男女の様子を見に行く。そう、村の長は言った。

 村の男たちは誰もがラハマーンの言葉を疑っていた。本当に長は地下の扉を開けるのか? 禁じられた行為ではないが、罪人を放り込む時以外は誰も近づきたがらない場所だ。夜になっても家に入らない男たちに、女たちも不安になって窓や戸口から顔を出す。

「明かりを持て。もっとだ」

 ラハマーンの声は大きくもないのに一際通る声だった。男たちは仕方がなしにといった表情を隠しもせずに長に従った。

 男たちの文句や不安や疑惑は大きくなるばかり。中でもラハマーンに反抗的なサンダルは苛立ちを顔いっぱいに表現して、長を睨みつけていた。

 ラハマーンが地下へと続く扉に手をかける。村人たちは息を呑んだ。

 好奇心旺盛な子供たちだけでなく、女たちの中にも外に出てきた者がいた。不安がる村人たちをよそにラハマーンは扉を開き、その身を地下へとおろす。

 かがり火に照らされた地下道は、簡単にはラハマーンの求める答えをくれなかった。だが彼が地上から見えなくなってしばらくののち、アシュラフたちの姿が見当たらない事を知った。

「……人影はない……」

 長のラハマーンが一度戻ってくると、村人たちは安心したように息を吐いた。ラハマーンに何かうしろ暗いところがあるとは思えないが、裁きの炎に焼かれはしないか心配だったのだ。

 一方でアシュラフとスィラージュは悪人だと信じきったサンダルは、勝ち誇ってラハマーンに近寄った。

「ほら見ろ! やつらはうしろ暗い事があったんだ、裁きの炎に焼かれて死んだ!」

 この若者ほどいかなくとも、今回のラハマーンの行動に疑問を抱く男たちは、賛同を得たように頷いた。

「そうだ、何をおかしな事がある」

「やつらの事は忘れてしまおう。罪人だったのだ」

 (みな)がラハマーンの事を説得するよう集まりだした。彼らにはラハマーンの、カハフに伝わるしきたりや掟に反する行為が理解出来なかった。長年守られてきた事柄は、今後も守るべきもの。綻びが生じようとも、きちんと謂われがあって行っている決まり事――それをわざわざ疑うなどと、村の長がするべき事ではない。

「裁きの炎に間違いはない」

 男の一人が断言した。

「それはどうかな!」

 若く張りのある男の声がした。ラハマーンたちが集まる地下扉から離れた場所からだ。

 見知らぬ男の姿がある。相手はランプを手にしているが、暗くて顔も分からない。サンダルは鋭い目を向けた。

「誰だ?!」

 ラハマーンが視線をやると、男の一人が察して、かがり火を手に闖入者に駆け寄る。男の方もラハマーンたちのところへ歩いてくる。

 ランプの光よりも大きな炎でもってその男の姿を照らすと、彼は少し眩しそうな顔をした。

「お前たちが穴蔵に放り投げた“罪人”だよ」

 フード付きの外套をまとった男は、確かに昼間“裁きの場”に放り込んだはずの青年だった。傍らには、その時一緒だった妙齢の娘もいる。

「そんな、まさか……」

 思いもよらぬアシュラフの登場に、村人たちは動揺する。

「何故地上に?」

「裁きの炎を逃れられるはずが……」

 男たちは口々にうめき、女たちは子供を呼んで家の中に入って行く。ただ一人、村の長だけは静かな眼差しをしている。アシュラフとスィラージュの前まで来て、正面から彼らを見つめる。

「何があったのか、話してくれないか」

 ラハマーンの目にアシュラフたちを悪人と見なす気配はない。それどころかアシュラフのたどって来た道をほとんど知っていて、確認したいかのような顔つきだ。

 アシュラフはその場にいる者たちを改めて見回した。

 もしかしてこの村の長は、地下の事も、泉の事もすべて分かっているのではないか。村人たちの様子からすると長以外何も知らないように見える。村人たちに隠していた事柄をアシュラフが暴露してしまっていいのだろうか。

「いいのか?」

 アシュラフが問うと、ラハマーンは黙って頷いた。面倒な事にならなければいいが、と思いながらもアシュラフは話しはじめる。

「話は簡単だ。“裁きの炎”なんてない。地下にあったのは……古い地下水路(カナート)だけだ」

 出し抜けに関係のない話をされたかのように、村人たちは唖然とする。

 地下水路(カナート)は、降雨が少ない砂漠に水を人工的に引く水路の事だ。概念としては知っているのだろうが、カハフの村人たちには関係のないもののようだ。

「カナート……?!」

 聞き間違えたのではと思っているような表情の者までいる。

「あの地下空間はお前たちが想像している以上に広い。どうやら使われなくなって久しいようだったし、村の者はカナートにつながっていると知らなかったのだろうが……」

 アシュラフとスィラージュは地下に閉じこめられてから、道とも言えぬ道を歩き続けた。途中に塞がれた通路があったが、その先を更に進むと――朽ちかけた地下水路があったのだ。

 その地下水路には今も水が僅かながら流れ、時々地上に繋がる穴があった。地上では、水を汲むところにあたる。アシュラフたちは好奇心も勝って、その地下水路がどこまで続くのかを見に行った。出口は他にもあるようで、アシュラフはその中から一つの道を選んだ。そして行き当たったのが、入り組んだ谷間だった。

 そこからザフラの王宮に戻ろうかとも考えたが、そもそも泉の力でアシュラフは男になってしまっている。一度女の泉のある場へ戻らなければならない。女の体の要領を掴んだというスィラージュの魔術の手助けもあって、アシュラフたちはカハフの村に戻ってきたのだった。

 つまり、村人たちが裁きの場と信じていた地下空間は、何て事ない、閉ざされた空間ではなく“逃げ道”であったのだ。

 ここから先はアシュラフとスィラージュが話していて思い付いた事だ。

「推測なんですけど、これまでに“裁きの炎”に焼かれて消えたという人は、私たちと同じようにカナートを使って地下から抜け出したのだと思われます。本当に何か嘘をついたりした人は後ろめたい事があるが故に、何とかして逃げ出したかった。死に物狂いで脱出する方法を探したからこそ、カナートにたどり着けたのでしょう。何も後ろめたい事がない人は逃げる必要がなかったから、その場にとどまった。これが“裁きの場”のカラクリだと考えられます」

 アシュラフたちが壊した壁はおそらく、長年の間に自然の手で塞がれてしまったのだろう。裁きの炎も長く伝えられるうちにもっともらしい逸話が付随していったのではないか。

 これがアシュラフとスィラージュの出した答えだ。しかし“裁きの炎”は本物と信じる若者がすぐに納得するはずがなかった。

「何を……さっきから聞いていればデタラメばかり!」

 サンダルが今にもアシュラフに掴みかかろうとしたので、スィラージュが口を開く。

「長!」

 悲鳴のような声がスィラージュを遮った。見ると、話を聞いていたはずの村の長がいなくなっている。騒ぎの元は、地下に繋がる扉にあった。

「やめてください、何故あなたが裁きの場に!」

 ラハマーンは地下水路がカハフ村の近くにあるなど、知らなかった。アシュラフたちの言葉を疑う訳ではないが、裁きの場の真実をその目で見たくてかがり火を手にした。

 駆け寄ったアシュラフたちに、ラハマーンは目を向ける。

「カナートの話が本当なら、どこまでつながっている?」

「正確な場所までは分からんが、遠目にザフラの城下町が見えるところに出たよ。出口は他にもあったが」

 この村の長は柔軟な考え方が出来るようだとアシュラフは小さく笑った。だが村人たちはそうはいかない。

「確認なら他の者に! 危険がないとは言い切れませんから!」

「あやつらの戯言を信じるなんて有り得ない!」

 男たちは口々にラハマーンの制止を図る。

 ラハマーンは、泉の真実を知っている。故に裁きの場についてもアシュラフの言葉を信じられそうだった。

「自分の目で見た事でもないのに、信じる方がおかしな事ではないのか」

 長きに渡る言い伝えがあるから、ただそれだけの事で本物を見失っていいのか。

「真実など、呆気のないものだ」

 言い終わる前にラハマーンの姿は地下に沈んだ。

「長!」


 夜明け前には長と男たちが戻ってきた。結局、村長(むらおさ)のラハマーンと三人の男たちが地下にもぐった。その中にはサンダルの姿もあった。

 アシュラフはさっさと帰りたい気持ちがないでもなかったが、長たちが戻り真実を伝える前に身を隠しては怪しまれると考え、カハフにとどまった。もちろん急に女に戻っても余計不審がられるので女の泉にも寄らなかった。

 戻って来た男たちは皆神妙な顔つきをしていた。まるでこの世の終わりでも見てきたような、茫然とした表情だ。

「この者たちの話は真実であった」

 ラハマーンははっきりと宣言した。

 同行しなかった村人たちに改めて動揺が走ったが、ラハマーンを疑う者はほとんどいないようだ。

 アシュラフは何と言ったらいいか、スィラージュと目配せをしていたら、ラハマーンの方から声がかかった。三人で話したいと言うので、アシュラフたちは長の家へ行った。

 用意されたのは簡単な料理で、アシュラフとスィラージュは簡素とはいえもてなしを受けているのだと分かった。

 あたためた野菜のスープ(ムルヒーヤ)や、デーツ、干したイチジクなどの果物、そして黒い色の飲み物が供された。アシュラフには飲み物が珍しくてならない。香ばしいにおいは不思議なくらいだ。だが嫌なにおいではない。

「これは……見た事がないな。飲み物か?」

 (さかずき)を手に取って覗いてみても、底は見えぬくらいに濃い色をしている。

「少し前に商隊から買った、特別な豆を使った飲み物です」

 ラハマーンの言葉に、アシュラフはどんな味かも想像出来なくて、早速試してみる事にした。

「苦い!」

 この液体は喉をなめらかに通るのに、どろりとするかのように苦味がある。しかしその苦味の中には深みを感じさせる何かがあり、またほのかな酸味も存在した。

 もう一口と飲んだところで、アシュラフはラハマーンが話を進めたがっていると気づいた。ひとまず、黒い液体の杯を置く。

 長は少し居住まいを正した。

「泉の事も、知っているのでしょうね」

 ラハマーンは、薄く笑った。自分を間抜けだと知っているかのような笑い方だった。

「知っているも何も。わたしたちはあの泉のせいで困った事になっている。泉にこの村の者が来て、更に面倒な事になったと思ったよ」

 あのままアシュラフは女の泉で元に戻れるはずだった。今も男のまま。しかしそれをあえてラハマーンに長々語る必要もない。

「村の者が失礼した。本当に迷惑をおかけした」

 長は眉を寄せ深い後悔の念をあらわにした。

 確かに散々だったが、アシュラフとしては裁きの炎に焼かれる事もなく、大した被害はなかったのだから気に病むほどではなかった。

「誤解が解けたのだからそれでいい。個人的な問題としては夜になる前に帰宅できなかった事にあるな……」

 後半はひとりごとだ。アシュラフが半日以上見つからなければ王宮は騒ぎになる。万一夜にアシュラフの不在が知れなくとも、朝になればさすがに気づくだろう。既に夜は明けている。

「本当に申し訳ない……何かお詫びの品でも渡したいところだが……」

 ラハマーンは一度アシュラフを見やった。

「あなたはどこか名のある家の者でしょう。所作で分かる。そんなあなたに差し上げられる物など、このカハフの村にはない」

 狭いとはいえ共同体を束ねる役には観察眼が備わるらしい。アシュラフは自分がどんな動作をしているかなど注意を払っていなかったが、見る者が見れば分かるのだ。王女とまでは知られていないようだが、アシュラフの身分を見抜くとは。

「そんな事は気にしないでくれ。わたしもこの村のしきたりをかき乱した。詫びたいのはこっちも同じ」

 村人たちに敵視されたのは、彼らの決まり事を知らずのうちに破ったからだ。その上、地下水路の存在まで明るみにした。裁きの場はもう使われないか、これまでとは違う目で見られるだろう。アシュラフが来なかったら、有り得なかった結末だ。

 それにしても、あの女の泉に関してはアシュラフも口を挟みたくなる。

「裁きの場の真実を暴いておいてなんだが……あの泉だけはこれからも禁忌にした方がいいだろうな」

 裁きの炎と違い、あの泉には本当の魔術が込められている。生まれた時に定められた性別を簡単に変えてしまっては揉め事の元になる。

 ラハマーンも、言われなくとも分かっていた。彼は村で唯一、禁忌の泉の真実を知る者。何故禁忌となったかまで知っているのだ。

 その昔、男があの泉で女になった。すると元々その男を好きだった別の男が、女になった彼をもっと好きになってしまった。男ならばと諦められたものを、女であれば――。しかし彼には結婚を控えた許嫁があり、女になった男をめぐって血なまぐさい争いが起きた。

 時代をさかのぼると、そんな話はまだまだあった。刃傷沙汰に殺人にまで――どこまでが本当かは知らないが、ラハマーンは泉がもたらす不和を前の長からよく聞いていた。何よりラハマーンは女の泉で女になった男が村を出て行ったのを見た事がある。幼い頃の記憶ゆえ不確かな点もあるが、カハフ村を出て行く理由にはなる。

 ラハマーンは村人には決して禁忌の所以を話さぬ誓いを守り続けた。男が女になれる泉だと知って、怖いもの見たさに泉に近づかれては困るのだ。

 しかしラハマーンは女の泉があるのなら男の泉もある、とは知らなかった。二つの泉の存在は、本来魔神のみが知る事実。たまたま彼らは魔法の泉の近くに住んでしまっただけで、片割れがあるなど微塵も思わなかった。

 男が女になって、戻らぬ泉。そんなものは誰も知らなくていい。

「そのつもりです」

 言って、ラハマーンは自分の杯を傾けた。


 太陽が天の高いところに昇る前にと、アシュラフは暇乞いを告げた。ラハマーンはまだ何か侘びの品を持たせたがったが、アシュラフは気にするなと笑った。

「もし、今後何かあればあなたの助けになると誓いましょう」

 代わりとばかりにラハマーンはひどく真摯に言い募る。

「何らかの問題が生じたらこの村に逃げ込んでも構わない」

「そうさせてもらう」

 しかしながら問題が生じるのはこれからだ。ザフラ王宮ではアシュラフを糾弾する者が待っている。逃げ込むなら今であろう。そうはいかないと分かっているから、苦笑するしかない。

 カハフ村を出る時、ラハマーンと数人の男たちがアシュラフを見送った。あの若いサンダルは見当たらなかった。自分の信じてきたものを打ち砕かれ、悶々としているのかもしれない。


 アシュラフとスィラージュは女の泉と男の泉に立ち寄って、それぞれ元の姿に戻った。

 アシュラフは女らしい丸みをおびた体や顔つきになり、声も高くなった。なんとなく、体をめぐる血も変わったような気がするから不思議なものだ。男の肉体を持つのも悪くはなかったが、今の体の方がよりしっくりくる。

「これはこれで落ち着くな」

 横目で男に戻ったスィラージュの姿を見て、アシュラフは自分の事以上にほっとした。スィラージュの三つ編みがなくなっている。取り戻した、女の時より骨ばって固そうな体つき。

 アシュラフはささやかな音をたてて息をつく。

「やっぱりこれですね」

 元の自分の体を確かめるように手を開いては閉じていたスィラージュは、楽しそうに言った。

「シュラ様も、今のお姿が一番素敵です」

 主と目が合うと、水差しの魔神はくちもとをほころばせた。

 麗しい乙女だった時と比べ、今のスィラージュには守ってやらねばと思わされる空気はない。しかしアシュラフはその笑顔を見ると落ち着けなくなった。

「うるさい黙れ」

「えっ」

 不当な処分を食らったみたいに悲しい声を上げるスィラージュ。アシュラフは、彼がいつもの捨てられた子犬みたいな顔をしているのが見なくても分かった。だが振り返る訳にはいかない。どうも、いつものように苛立つ顔だとは思えそうにないのだ。これも、スィラージュが女だった時の名残だろうか。

「とにかく、帰るぞ」

 アシュラフが努めて強気な声を上げると、スィラージュは「はいっ!」と兵士みたいに素早く返事をした。


 そして彼らを待っていたのは、案の定王女の不在に気を揉んだ者たちの、歓迎。

「アシュラフ様!」

 ハーフィド将軍の顔は心配も表れていたが、お堅いナバートに関しては怒りしかなかった。

「貴女という方は!」

 今にも自分のターバンを床に叩きつけかねん勢いでナバートは、アシュラフに王宮を抜け出した事によって生じる問題点を上げはじめたのだった――。

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