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青い魔神と碧の煌めき  作者: 伊那
第二部 花の王国
20/24

8 魔法の泉②

「……うわっ」

 地球儀を回し、目的の場所へと指を這わす。たったそれだけでアシュラフの眼前に、砂っぽい荒野が広がった。

 最初は、思わず指のみならず全身を地球儀から離した。すると荒野は消え去り、アシュラフは見慣れた自分の部屋の中へと戻ってきた。アシュラフは自分が目にしたものが幻だったのではないかと狼狽えた。

「こ、これは本物なのか? 今見えたのは、本当に町の外か?」

 アシュラフの心臓は早鐘を打っている。これまで不思議な物事にはいくらか出会ったが、この地球儀ほどアシュラフを困惑させたものはなかったかもしれない。

「本物でもあり、偽物なのでしょうねえ。目に見える景色は本当のものですが、触れる事は出来ない幻のようなものですから」

 達観した物言いのスィラージュに、しかしアシュラフは頓着しなかった。

 彼女は試しに一度高いところから見た事のある、ガンナームの都アブヤドへと指を動かす。

 ガラタ山と、家々に囲まれた宮殿や礼拝堂(モスク)は、アシュラフが大きな鳥(スィラージュ)の背に乗って見た時と寸分変わらない。本当に、アブヤドを見下ろしている。

「すごい……!」

 彼女が足を踏み入れた事のある真珠の宮殿、その円蓋まではっきりと見える。町中には小さな小さな人々が行き交う姿。

 アシュラフは面白くなって、他にも高名な都へと指を這わせる。人づてに聞かされた話や、木版画で見た景色など、地図の上では知っている場所を魔法の地球儀で堪能する。特に大国ハイダル第一の都イスバニールは素晴らしかった。円形の城壁に囲まれた都市で、写本で見た通りだった。

 ハイダルといえば――アシュラフの父、ザフラ王アーディルが向かっている地だ。彼がザフラを発った日から考えれば、まだアーディルはイスバニールに着いていないはずだ。アシュラフは父の姿を探すように、イスバニールからザフラへの道なき砂漠の道を指でたどった。時折、商隊(キャラバン)らしきものを見つけたが、ザフラ王と護衛十数人からなる隊列は見つからない。砂漠が広すぎるのだ。道のない場所を進む相手を探すのは、便利な道具を使っても難しい。

 アシュラフに穏やかな眼差しを向けていたスィラージュは、主の表情が曇ったのに気がついた。

「アシュラフ様、例の洞窟というのはどちらでしたっけ?」

 顔をあげたアシュラフは、何でもない風を装った。

「ああ、カリムに話を聞いて見当をつけた場所が地図に記してある」

 アシュラフは書き物机に置いておいた地図を取り上げる。城下町を中心に広がる、ザフラの領土がすっぽり収まる地図だ。ザフラの広くない領地は、何も都のある崖の周辺だけではない。植物も育たぬ荒れた地が多いが、小さな町や村も点在する。

 カリムの言った洞窟は、ザフラの町から北西に行ったところにあるようだ。近くに町はない。

「ふむふむ。この辺ですかねえ」

 地図を眺めながらもスィラージュは身を乗り出す。アシュラフも再びシャマルダルの地球儀に身を寄せる。

「いや、もうちょっとこっちじゃないか」

 彼らは夢中になるあまり、ほとんど体をくっつけて地球儀を見ていた。普段のアシュラフだったら体を離したかもしれないが、今の彼女の意識はザフラの王宮にはない。地図も手から放していた。

「こんなに近づいているのに、行けないのか……」

 それらしき洞窟はまだ探せていないが、手を伸ばせば砂漠に触れられそうだった。だがアシュラフは頭のどこかで自分が王宮から出られない事を知っていた。

 強い願いを、スィラージュは感じた。

「……あっ」

 何かを見つけたような声に、アシュラフはスィラージュを向こうとした。

 それは体が浮かび上がる感覚によって遮られる。

 次に訪れたのは、衝撃だ。

 反射的に目をつむったが、半開きだったアシュラフの口の中に砂が入り込む。彼女は全身を打ち付けた事が分かった。屋根の下にいたはずが、焼けつく日差しがアシュラフの服の下へと突き刺さる。

 一瞬我を忘れたが、アシュラフはとにかく体を起こして辺りを見回す。

 先程までいたはずの、アシュラフの部屋、そこにあった長椅子やお気に入りの深緑のクッション、書き物机や毛の長い絨毯、そんなものはどこにもなかった。代わりにあるのは、味気のない砂だけ。空は雲もなく薄い水色に塗られている。

「あれ。……やっちゃい、ました?」

 いつの間にか、アシュラフとスィラージュは王宮の外に来ていた――。


 辺りには建物一つなく、ナツメヤシの木が地平線の近くに見える。

 “シャマルダルの地球儀”には、その地に行けるという力はないはずだった。

「スィラージュ……お前」

 水差しの魔神は、遠い地へ移動する魔術が使える。以前も同じ要領でザフラ王宮から飛び出した事があるが、あの時は緊急時だった。今は王女が勝手に王宮を出る事は好ましくない。

「だって~シュラ様がすんごくお出掛けしたがって見えたから~。ほら、“手助けをしろ”っていうのが最後の願いでしたし」

 アシュラフの怒りを悟ってスィラージュは弁明した。スィラージュはアシュラフの“魔神への願い”が曖昧だからまだ願いを叶えきっていない、と彼女についていく。だがそこにはほとんど拘束力などないのだ。要は魔神の言い訳であった。スィラージュの方もほぼ無意識で魔術を使っており、気がついたらここにいたという気分だ。

「……まあ、来てしまったものは仕方がない。ここはどこだ?」

「多分ですけど、シャマルダルの地球儀で見ていたまさしくその場所かと。遠方に移動する魔術って、一度行った場所か目に見える場所でないと使えないんですよ。しかも一度行った場所でも、あまりにも離れ過ぎてると一回では行けませんし」

「ザフラからそうは離れていないのか」

 スィラージュはたぶん、と頷いた。アシュラフの(みどり)の瞳はいたずらっぽく光った。

「魔術でならすぐに王宮に戻れるだろう? ちょっとの間なら、探索してもいいな」

「……そうですね!」

 失敗したと思ったスィラージュだが、アシュラフがご満悦なので嬉しくなった。


 遮る雲一つない日差しのもと、二人はひとまずナツメヤシの木がある方向を目指した。スィラージュが日除けにと自分の上着をアシュラフに貸した為、彼女はそれを頭からかぶっている。王宮から出るつもりのなかったアシュラフは薄着のため、上着一枚借りたくらいでは日差しをすべて防げなかったが。

 もう少し進んだら戻ろうかとアシュラフが思った時、足元の砂の大きさが少し大きくなっている事と、色が黒っぽくなっている事に気づいた。アシュラフはなんの気はなしにその濃い色を追って歩いた。

 するといくらもしないうちに、朽ちかけた石の柱がいくつも建っているのが見えるようになる。直線に並ぶ石柱たちは明らかに人工物だったが、使われなくなって久しいようだ。

「昔の建築物の名残、ですかね」

 砂地の間に忽然と現れたのは、遥か昔の文明の跡。様式からして遠い北西に起源のあるウェール帝国が、ザフラまでその手中に収めていた時代の建物と分かる。

「ウェールの時代のものだろう。話によると、今のハイダルとガンナームを足したよりも広い領域を支配していたから、ウェール時代の建造物は世界のあちこちにあるらしい」

 ウェール帝国の様式を用いた建造物は、本国のみならず支配の及ぶところならどこにでも建てられたという。それだけの力がウェール帝国にはあり、また広範に渡って権威を示せるものこそ建築物だった。

 しかしウェール帝国は滅び、今では不要と見なされた建物も少なくないとアシュラフは聞いている。素晴らしい栄華を誇った帝国もいずれなくなる。それが世の常だ。

 アシュラフが聞きかじりを話してやると、スィラージュは感心したように改めて石柱を眺めた。

(いにしえ)の帝国の建物が今も残っているなんて、すごいですね。ウェール時代なら私もたぶん生まれてませんよ」

「そうなのか? というかお前いくつ……」

「あっ、アシュラフ様、あれ泉じゃないですか?」

 アシュラフはそれなりに気になっていた事を訊ねたが、スィラージュは足早にその場を離れた。わざとなのか偶然かアシュラフには分からなかったが、スィラージュは年齢を隠したがっているのかと疑問になった。

 とはいえアシュラフも泉があるのは歓迎。スィラージュの進む先は、やや黒い色の岩の山の麓だ。彼に遅れてそこまで行くと、確かにスィラージュの言葉通りにせせらぎの聞こえる泉があった。

 黒ずんだ岩の間から澄んだ水が湧き出て、足元に水溜まりを作っている。暑さに疲れたアシュラフの気持ちが、少しゆるんだ。

「ここで一息ついて、王宮に戻るか」

 話に聞くだけだった遺跡も見れた事だし、少し休んだらもう王宮に帰るべきだとアシュラフは思った。ここらが潮時だと。

 スィラージュはアシュラフの言葉に頷いて、主が先に水を飲むのを待っていた。アシュラフは膝をついて、おいしそうな水を手ですくって口に運んだ。喉がとても渇いていたので、そのおいしさは一入(ひとしお)だ。

 もう二口、と喉を潤したアシュラフは体中に水分が行き渡るのを感じられそうだ。顔をあげてスィラージュを見れば、遺跡のあるあたりを眺めていた。アシュラフは彼にも水を勧めようと声をかける。それを受けたスィラージュは一度、目だけでアシュラフを見た後、勢いよく振り返った。その目は驚愕に見開かれている。

 アシュラフが立ち上がってスィラージュの様子を伺うと、彼は一歩後退りした。

「どうした、スィラージュ?」

 自分の声が喉を痛めたかのように低くなっているのに、アシュラフはすぐに気づけなかった。咳払いをして、今のは本当に自分の声だったのか確かめようとする。

「ん、声が」

 まただ。アシュラフの声はまるで変声期を終えた男性のように低い。

「あ、……アシュラフ様……声だけじゃなく……」

 彼にしては珍しく、スィラージュが狼狽えている。アシュラフは訝しげに眉を寄せ、彼に何事か訊ねようとした。

「すっ、水面を見てくださいっ、水に映るご自身のお姿を!」

 先にスィラージュに水溜まりを示され、釈然としないまま湧き水の溜まり場を覗きこむ。

 鏡のように物を映す水面を眺めた時、アシュラフの前には見知らぬ者が現れた。

「なっ」

 しっかりした顎、太く凛々しい眉で、丸みのない顔の輪郭をした――若い男がそこにいた。碧玉の瞳と褐色の肌の色、黒い髪などはアシュラフのものなのに、まるきり別人のような男性が水に映っていた。

「なんじゃこりゃああああッ!」

 アシュラフが叫ぶと、水の中の若い男も大きな口を開けていた。

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