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青い魔神と碧の煌めき  作者: 伊那
第二部 花の王国
14/24

2 国王の出立②

 ザフラ王国――古くはハイダル王国の領地であった小国だが、昔から商隊(キャラバン)の重要な拠点になってきた土地だ。経済力をつけた頃から、どこの大国にも与せず適度な距離をもって中立を貫いてきた。それも豊かな資源のおかげだ。

 そんなザフラ王国の富の象徴である王の住まいは美しいものだった。彩釉(さいゆう)タイルに描かれた草花文様の壁の廊下を抜ければ、中庭に出る。

 長い服の裾をひるがえし、わき目も振らず歩く少女。

 黒く艶やかな髪がわずか被り物(ヒジャーブ)の下から覗く。健康そうな褐色の肌。つり上がり気味の目に宿るは(みどり)の輝き。豪奢な衣装を身に纏えば、彼女は高貴な生まれの娘にしか見えなかった。

 彼女こそが現ザフラ国王アーディルの一人娘、次期後継者であるアシュラフ。

 アシュラフは周囲を睥睨するかのように少し顎をあげる。中庭には人工的に作られた泉になみなみと清い水がたくわえられている。水面が太陽の光を反射して、時折アシュラフの視界の端でちらりと輝いた。

 アシュラフには見慣れた景色だが、ついこの間中庭を眺めた時と今とでは、自分の気持ちは変わってしまっていた。今は少し、この居心地のいい自分の生家が狭く感じる。

「シュラさま~。待ってくださいよ、どこに行くんですか?」

 もう少しで感傷にひたれそうだったアシュラフを現実に引き戻したのは、背後からの声。まったくもって陽気な声の持ち主である。

 アシュラフは今、ザフラ王国がどういう状況にあるか、よく分かっていた。王女である自分も王である父アーディルも、今しばらくは療養のため事を動かせなかった。

 現在独立した地位を保っているとはいえ、ザフラの繁栄はハイダルという大国の後ろ盾があっての事。かといってザフラはハイダルのものではなく、どこにもつかぬと決めた国だった。しかし、それは過去のものとなろうとしている。大きな国であるハイダルと並ぶほどのガンナーム帝国が、他国を吸収しようと台頭してきた。アシュラフの住むザフラにも、ガンナームの使者が訪れた。帝国の使者が自国のものになれとザフラに迫った時、ザフラ王はそれを拒否した。するとガンナームの使者はザフラ王に斬りつけ(かどわ)かし、王国を譲れと脅した。

 ガンナーム帝国は手段を選ばなくなっていた。あるいは、小さな国であるザフラであれば御し易いと考えたのか。アシュラフはガンナームの手からなんとか逃げのび、魔神であるスィラージュの力を借りザフラ王を救い出した。

 こうして、今やザフラはガンナームの敵となった。

 きっかけを作ったのは、アシュラフだ。父王を助けるためだったとはいえ、アシュラフはガンナームの宮殿にのりこんで帝王(スルタン)の前で不服従の意思をあらわにし、逃げ出した。このまま小国のザフラがガンナーム帝国と事を構えたのでは、敗北するのが目に見えている。

 故にザフラ国王は今度こそは誰かに頼らなければならない。父王アーディルは、いったいいかなる決断をくだすのか。まだ年若いアシュラフには、簡単にその思考の奥までは読み取れない。

「父上のところだ」

 ガンナームに囚われていたアーディルの容態は誰よりもひどかった――。ザフラ王は意識はあっても床を離れられない日々が続いた。アシュラフも本調子ではなかったので、父の快癒に障ってはいけないと考え、父王の寝室にはあまり出向かなかった。

 だがアシュラフは、父王がしろと言うのなら、外交使節の名代にだってなろうと考えている。彼女自身の体調はだいぶよくなった。アーディルが動けないのなら、アシュラフが彼の手や足になろう。そう考えてアシュラフは父王の部屋に向かっていたのだが、宮殿を歩くうちに見えてきたものに目を見張る事になる。

「父上!」

 つい昨日まで床に伏していたような男が、廊下を歩いている。アシュラフは慌てて父王のもとへと駆け寄った。

「どうしたのですか、何かあれば召し使いやわたしに」

 見ると、アーディルの後方に何人もの召し使いや近衛兵が心配した顔つきで追っている。我が子の到来にアーディルは立ち止まるが、それはむしろ疲れて足をとめたかのようにも思えた。アシュラフが父に手を貸そうとすると片手で制されたので、召し使いも同じようにあしらわれたのだと分かった。

 アーディルは、既に寝巻きから着替えていた。まるでどこかへと行こうとしているかのように、余所行きの服を着ている。アシュラフの顔はこわばった。父王は未だ病人のような顔色をしており、眉間のしわはとれそうにもない。しかしその(みどり)の瞳は屈伏するのを拒むかのような、強い意志をともしている。

 立ち止まったアーディルは、少し背をのばすとふうう、と威嚇する獣のように長い息を吐いた。

「……お前の気配りも、自身の体調も、分かっている。だが、我らに残された時間(とき)は少ない」

 アシュラフには、ほとんど父王のしようとしている事が分かりかけていた。このままではザフラは大国(ガンナーム)に呑み込まれてしまう。そうなる前に――手を打たねば。アーディルはそう言いたいのだ。

「おやめください。なにも、父上自ら動く必要などありません。名代であれば、わたしが」

 恐らくアーディルはハイダルに助けを求めるつもりなのだ。しかしそんな事は、他の信頼のおける臣下か、あるいは次期後継者であるアシュラフにでも頼めばよいではないか。ハイダルの王の住まう都は、万全でない体調で向かうにはあまりにも遠すぎる。

 それとも、アシュラフにはまだ任せられないとの考えだろうか。王のしたためた書簡を携えハイダルの都へと赴く。事の重大さを思えば誰にでも任せられるような仕事ではないが、次期後継者の証を持つアシュラフならば、王の代わりになれるはずだというのに。アシュラフは、次期後継者にのみ与えられる王家の紋章の入った指輪を、服の上から握る。

「お前には留守を頼む」

 言うと、アーディルは歩き出した。彼の動きに合わせて背後の召し使いたちもぱたぱたと足音をたてる。一拍遅れて、アシュラフも父王を追いかけた。その後をアシュラフの従者である魔神が追っていたが、誰も彼には注意を払わなかった。

「ハーフィドはどこだ」

 厳格そうな声でザフラ王が言うと、背後の人影の中から応じる声がある。

「アズハル将軍なら、西の詰め所にいるはずです」

 ハーフィド・アズハルはザフラ国王がもっとも信頼を置く武人で、ザフラ王国の軍人を束ねる将軍職に就いている男だ。アシュラフは声につられて、アーディルの取り巻きたちの方へと視線を向ける。なんとなく声の主を探していると、あちらも視線を感じたのだろう、青年がアシュラフを向いた。目が合いそうになったところで、あちらから視線をそらされる。見た顔だったが、すぐに名前が思い出せない。青年の服装から近衛兵だとは分かったが、それだけじゃなくもっと何かがあったような気がしてアシュラフは記憶の糸をたぐろうとした。が、また別な声によってその意識は遮られる。

「おやおや。いかがなされましたかな。アーディル様がこんなにも共の者を引き連れて歩くなどと」

 どこかユーモアを携えたような声に、アシュラフはぱっと顔を上げると彼のそばに寄った。

「ハーフィド将軍」

 たっぷりとした顎鬚と眉の白い、恰幅のいい中年の男。若白髪とでっぱりはじめた腹のせいで武人とは思われない事もあるが、彼こそがザフラ軍を率いる勇猛果敢な(つわもの)、ハーフィド・アズハル将軍その人だ。

 彼はザフラ王より年上で、王が幼い頃から仕える臣下だ。アシュラフもこの将軍には幼い頃から世話になっていて、父親のように接してくれるハーフィドを、アシュラフは慕っている。

「将軍も父上を止めてください。父上はまだお体が悪いのに、出かけようとしているのです」

 アシュラフは父王が信を置く将軍の説得があれば、考えを変えてくれるだろうと思っていた。

 が、ハーフィドが何かを言う前にアーディルはアシュラフに向きなおる。

「アシュラフ。これは私がなさねばならぬのだ」

 ザフラ王は、傷口が痛むかのように眉を寄せた。

「自分の手で絡ませた糸は、自分の手で正さねばならん」

「そうはおっしゃられましても、道中お加減でも悪くなりでもしたら……」

 アシュラフはまだ父王が向かおうとしている道が平坦なものではないと分かっていた。

 聞く耳を持たぬ父王に、アシュラフはすがるようにハーフィド将軍を見上げた。目が合うと、彼は軽く肩をすくめて見せる。

「アーディル様は時折頑固者になりますからなあ。わしが言っても聞かんでしょう」

 味方が増えたと思ったのに、ハーフィドはあっさりと降参してしまった。アシュラフは顔を引きつらせたまま将軍に恨みがましい目つきを送った。

 父王が時に頑固になるのはアシュラフだって知っている。だがアーディルは弱った体で苦難に飛び込もうとしているのだ。誰かが止めなくては。他にアシュラフの味方はいないのか。誰か一人くらい彼女に賛同してくれる者はいないのかと、床を睨みながら思考を巡らせようとした。

「宮廷医も同行致します。勿論、選りすぐりの精鋭が陛下の護衛を」

 突然口を開いたのは、若い男性だった。傍らのハーフィドが顔を動かしたのが分かり、アシュラフもそれに倣う。

 黒色(こくしょく)の近衛兵の制服に身をつつんだ、二十歳ほどの青年がザフラ王のすぐそばでアシュラフたちの方を見ている。凛々しい眉と揃いの黒い髪は短く、仕事に感情も私情も挟み込まない、といったような体温を感じさせない表情をしていた。彼はつい先ほどアシュラフと目が合った青年だった。

「ですから、ご心配なきよう。王女殿下が危惧するような事は何一つとしてありません」

 青年はアシュラフを安心させるような事を言いながら、道理の分からぬ子供を見るような目をして彼女を射抜いた。声音も、硬い。

 アシュラフが青年の真意を探るように見返すと、また先に視線をそらされた。今話し合うべき事は他にあると、アシュラフは彼を後回しにしたが、スィラージュは違った。少し眉を寄せ、近衛兵の青年をじっと眺める。

「そういう事だ。ハーフィド、後は頼んだ」

 話はこれで仕舞いだとでもいうように、アーディルは歩き出す。

「で、でも……」

 今度のザフラ王は立ち止まらなかった。聞く耳を持たぬと言っているのだろう。アシュラフが無理矢理に国王に命令をする事など出来ない。近衛兵や召し使いを連れて立ち去るアーディルに、アシュラフは追いかける事も出来なかった。

 せめてアシュラフも父王と共に行きたい。だが王国の主不在の地を、一体誰が守るのか。ただ父を待っているだけしか出来ないのか。それほどまでにアシュラフは未熟なのか。二の句を告げられなかった唇を閉じて、彼女は拳を握った。

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