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青い魔神と碧の煌めき  作者: 伊那
第一部 凶刃と帝国の都
12/24

11 大事なもの

 バヤジット二世は半開きになった口で、目前で繰り広げられた光景を受け止めきれないでいるようだった。彼も剣を扱う一人とはいえ、そんな心理状況と豪奢な衣装と宝剣のみでは戦いに参加する事はかなわなかった。バヤジットはこれでいて案外頭が堅い。魔神のような存在を信じるには時間が必要だったのだ。じわりじわりと、バヤジットの手足に血が通って行くのが分かる。

 傷口から血を流しながらも娘を気遣うザフラ王。アシュラフも父と同じ日に同じ人間につけられた傷がふさがっている訳ではなかった。そしてスィラージュは今しがたもらった大きな穴を携えている。ザフラ側の人間は全員が深い傷を負っていた。

「何無茶してんだバカ」

 よろめいてアシュラフにくっつくスィラージュに、主はいい顔をしなかった。

「えへへー。シュラ様、けっこうがんばったからご褒美に何かください」

「調子のんな」

 さっきの罵倒より冷えきった声でアシュラフは言う。唇を尖らせて反論したいスィラージュだったが、ずっと安全圏で見物をしていた帝王が近くの兵に何やら指示を出しているのに気がついた。

「ってー、そんな場合じゃないですねー」

 へらりと笑ってスィラージュはアシュラフと共にアーディルの元に近づく。

 ガンナーム帝国が本気を出せば魔神といえどスィラージュのような存在はすぐに抹消されるだろう。何しろ人員の量が違うのだ。今より多くの兵を動員されてはかなわない。

「ひとまずここを出ましょう」

 アシュラフに支えられながらもスィラージュはアーディルに手を伸ばす。その腕を取った瞬間、スィラージュは一つの魔術を発動させた。

 出てきた時と同じように、その魔神は忽然と姿を消してしまった。今度は二人の人間も引き連れて。

 床に転がった臣下たちがいなければ、バヤジットは魔神たちの存在をそのまま記憶からも消してしまえそうだと思った。あまりにもあっけなくいなくなってしまったものだから、ガンナームの帝王は自分の思考から抜け出すのに他者の呼びかけを必要とした。




 帝都アブヤドを一望出来る丘に降り立った三人は、真珠の宮殿の円蓋や礼拝堂(モスク)尖塔(ミナレット)を眺めて楽しむような余裕はなかった。全員が疲労しきっていたし、アーディルなどは既に意識がなかった。三人のうちの一人は死にかけていたのだ。

「スィラージュ……どうにかならないのか?」

 ひとまず草地に寝かせた父王を、うろたえた瞳で見つめるアシュラフは、言いながらも分かっていた。魔神の三つの願いはすべて他の事に使ってしまっていると。最初にスィラージュを水差しから出した時、倉庫から出してくれという簡単なものを願いの一つ目にされてしまった。二つ目はアシュラフの姿形を一目で彼女と分からないようにしてくれと願った。この事でアシュラフは年齢をぐんと若返らせる事になったが、帝国の人間に怪しまれる事もなく傷も隠せて一石二鳥だった。三つ目はガンナームの王宮に行って目的を果たす手助けをしろと告げ、それはもう果たされてしまった。

「傷を塞ぐ事は出来ますけど、失われた血は戻りませんからしばらく療養が必要ですね」

 あっさり言ってのけるスィラージュ。傷を治す魔術は使えないと言ってアシュラフを子供の姿にしたのではなかったのか。

「……わたしの時には、傷は塞げないって言っただろうが」

「シュラ様は残り二つの願いですべてを望んでいましたから」

 瞳を伏せるアーディルの体を動かして、スィラージュは意識をそちらに集中させる。青白い光が、アーディルの背にともる。しばらくしてスィラージュは立ち上がった。

「簡単な願いではシュラ様のやりたい事をすべて叶える事は出来ませんでした。だからこちらからシュラ様の傷だけを治す方法はあえて提示しない事にしたんです」

 魔神というのは主の願い事一つで使える魔術が変わる。本来の素質やなんかは別として、その願いに沿った魔術を使うのが普通だ。アシュラフはアーディルの無事の帰還を最初にスィラージュに頼んだのだが、残念ながら顔を知った相手でなければスィラージュはすぐには探し出せない。既にアーディルは捕らえられザフラから離れた場所にいたため、スィラージュは主を差し置いて捜索が困難な相手を探しにはいけないと言った。アシュラフの生命力が低下すると魔神の力も弱まるからとも告げた。これでアシュラフが自力で父を探さなければならない事が決定してしまった。案外魔神も使えないな、とこの時のアシュラフは思ったものだ。ならばまず自分の身を守ろうと、スィラージュの示唆した願いをそのまま口にした。彼は傷だけでなく見た目まで変える方法を教えてくれたのだ。

 最後の願いはアシュラフも熟考した。魔神の力が万能ではないと知って、それでもなんとかスィラージュに旅の同行をさせようと考えだしたのが“ガンナームの王宮に行って目的を果たす手助けをしろ”というもの。何かあればすぐにアシュラフのために身を砕き、帝国兵に見つかる事があれば魔術なり何なりで切り抜け、帝都に着いてもアーディルを探す手伝いをしろ、そういったすべてを込めた願いだった。

 問題は、何故アシュラフの目的が果たされた今でもスィラージュは離れないでいるのかという事だった。アシュラフは小難しいアスピス哲学の本でも手渡された子供のような顔をする。

「……よく分からんが、何故まだわたしの手助けをする?」

「願い事ってけっこう拡大解釈出来るんですよねー」

 遥か昔、悪さをした魔神たちは偉大なる魔術師でもあるソロモン王に封印された。スィラージュも“封印されし魔神”の肩書きを持って久しい。やろうと思えば気に入った主にしばらくついて行く方法を既に見つけていたのだ。

「シュラ様の目的が何かは聞いていませんでしたし」

「……それってつまり……」

 “願い事”は主人と魔神の間で絶妙なバランスをとっている。自分の望みを叶えるために愚かな願いをすれば時に主人の不利に働く事もあり、反対に魔神の有利に働く事もある。それを少なからずコントロール出来るのは、“封印されし魔神”の身に慣れた者だけ。

 すべては言わないつもりだった。スィラージュはアシュラフを利用したいのではなく、ただ一緒にいたいだけなのだから。

 占い師は言った。

『アナタも……このままだと、大事な資格を失うわ』

 今、スィラージュは“大事な資格”とはアシュラフの従者であるという身分の事を指すのではないかと考えている。これまでの主には感じなかった事をたくさん教えてくれるアシュラフに、仕えるための大事な身分。これを失うのは嫌だと思った。

 自分にとって占いの内容がこの事なら、アシュラフの占いも自分の事だといい、なんてスィラージュは都合のいい事を思った。

 “大切なものをなくして、大事なものを手に入れる”――大切なものは水差しの魔神という便利な道具で、大事なものはもっと人間らしくて血の通った身分。友人とか、臣下とか、親友とか、あるいはその他の何か。アシュラフがそう思ってくれたら、スィラージュはうれしい。

 にこにこと微笑み続けるスィラージュは、自分が微笑めば微笑むほどアシュラフの顔が怪訝なものになっていくと気がついていなかった。それどころか自分の主の腹部に異常があると目を剥いた。

「ってシュラ様! 腹の傷やばいじゃないですか。やっぱり占い師さんの薬をもらえばよかったのに」

「あんなうさんくさいの信用出来るか! つうか人の話を聞け。……って何してやがる?!」

 小さな子供のサイズじゃないのに抱え上げられて、アシュラフは肩を怒らせた。

「えー、治りょうぐふっ」

 相手の顔面に拳を埋めるとスィラージュは抱き上げるのはやめたが手は放してくれない。幼子の姿をしていた時からスィラージュの子供扱いには辟易していたのだ。アシュラフは自分がかわいいとか小さいとか言われるのが好きではないし、女子供にするような態度はやめてほしい。

 真剣な顔をしている時には彼になら背中を預けてもいいとすら思えたのに、ずっとへらへらされたり子供扱いをされるとスィラージュの事が少し嫌になる。彼がまだ自分の元を去らない、というような事を言った時にはそれを好ましく思ったのに。腹の傷を心配してくれるのは分かるが接近してこないでほしい。自分だってひどい傷を受けているのに。アシュラフのために無理をしないでほしい。

 強く力を込めて手を突き出すと、アシュラフはスィラージュを碧の瞳で見上げた。

「いいから、早くザフラに帰るぞ」

 その言葉には主の自分について来いという意味が隠されていた。魔神の願い事の件に納得がいっていてもいなくても、アシュラフはスィラージュに帰ろうと言ったのだ。

「はい。あなたの仰せのままに、アシュラフ様」

 ラピスラズリの少年は、困ったように眉を寄せて、震えそうになる頬を持ち上げてアシュラフ(あるじ)に従った。

 風が吹いて草を揺らす。そのうちのいくつかが風に煽られて空に舞い上がる。紺碧の空で踊って、遠く離れた砂地を空から見下ろして、いつしかどこかへ消えてしまった。

 少年と少女の旅路はまだはじまったばかり――







  第一部・完

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