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武器シリーズ  作者: 久楽
2/2

武器ワラウワラウ

2話目は《巡りの朱姫》と《凱旋の女神》、その所有者の話。女の子可愛いです。所有者と周りは自分の書いてる他の話の登場人物です。

 魔術軸第三分岐第六世界『黄昏庭(たそがれにわ)』。

 その世界は、たった一つの大陸にたった一つの国。

 国民達は争いを好まず、極めて平和に平和に暮らしていました。

 言ってしまえば、〝心〟がなかったのです。

 こう改善してみよう、とか今の方法ではここがいけないと思う心が。

 だから自然科学は勿論、魔術軸にありながらも魔術もほとんど発展していません。


 この国は『タソガレ』と呼ばれます。

『黄昏王国』でも、『黄昏国』でもなく『タソガレ』。

 タソガレには四季が無く、雪は降らず、焼けるような灼熱の太陽もありません。

 農業を続けていれば飢えることもないこの世界では、人間同士の戦は過去の話となり、戦と言えばいつのころからか現れた魔物との戦を表すようになっていました。

 同時にこの国は、魔術軸のみならず他の軸にある異世界とも交流し、変わり者が異世界の文化…書籍や日用品を取り入れたりもしていました。

 この国では異世界の存在は一般人にも知られていたのです。

 魔術の発展していないと先に申し上げたこの世界で、数人の魔法使いが暮らしています。

 異世界から見れば魔術などとは言えない、不格好で不完全な《それ》。

 しかしそれは、異世界の誰も持ってはいない奇妙で特殊で目を引くものでもありました。

 彼らの《それ》は学問として成立した魔術ではなく、彼らが普通に生活する内に自然と発生したものでしたから、それも当然かもしれません。


 Ladies and Gentlemen!

 そろそろ始めることにしましょうか!

 これから紡ぐは武器と青年と鍛冶師と世界の物語。


 武器、ワラエワラエ

 己を、未来へと、過去へと

 そして何より大切な所有者を想い。

 彼ら彼女らといつかの約束を見る為に。

 同じ《世界》で明日を迎える為に!


 今日お話しする物語の主人公は、二人同じご主人様を持つ《巡りの朱姫》と《凱旋の女神》。

 二人はここにお願い事を一つ。


 あなたをだいすきでいて、いいですか?


 ◆


 巡り終わらぬ姫は深く一度息をつきました。

 自分の基礎を与えた《断罪》と

 自分の身体を作った《鍛冶師》と

 自分を振るい戦った《千刃鶴》。

 己の傍にいてくれた、大切な人を想いながら、息を深く深くつきました。


 ◆


 二人の青年が、その世界にはいた。

 正確には、二人きりしかいなかった。

「うーん…」

 雲一つ無い青天の空の下、唸っているのは二人横に並んだうち右に座った、ぼんやりとした空色の髪と、濃い海の青色をした瞳の青年。

 それを左の青年、漆黒の長髪に同じ色、切れ長の目を持つ青年が怪訝そうに見る。

「どうかしました?」

 先程まで取りとめもない会話を交わしていた所、突然空色の方が何か考え出し冒頭へ至ったのだが、漆黒の方には彼が何を考えているのかが解らない。

 漆黒の問いに、空色は彼の顔を見て。

「いや、今何時ぐらいかなーと思って」

 え?と漆黒は問い、数瞬中空を見つめて、あ、と声を上げた。

「ごごごごめんなさい!つい時間を確認するのを忘れていて…!今、朝の九時です…。それに…」

 それに?と訊いた空色に、漆黒が返す。

「お客さん、来ちゃってたみたいです…」

 え、と空色は返し、数秒間の思考停止。

 はたと我に帰って。

「…お待たせしちゃ悪いじゃないか!ご免、帰るね僕!」

「あ、はい、ごめんなさいマスター!」

 いってらっしゃい、という声を聞きながら、空色は目を閉じる。

「今日も…頑張ってください…」

 それが、空色がこの世界で聞いた最後の言葉だった。


 ◆


「………」

 一人の男が、その部屋でどうしたものかと思案に暮れていた。

 バランス良く鍛えられた長躯、濁った赤の短髪に、同じ色、怒っているかのように見えるつり目。

 漆黒のスーツ、紺のネクタイを身に着けており歳は四十後半から五十半ば程と見える。

 おかしな所といえば、寒くも無いのに濃緑の長いマフラーを首に巻きつけているところぐらいか。

「―――――」

 彼の口から放たれた言語はこの世界のものではないが、苛立ちの感情がはっきりと読み取れる。

 いらいらとした様子で彼は部屋を見回した。

 この家、上司から教えられた《武器の病院》にやってきたのは無論依頼があるから。

 まだ時間が早いようなら暫くどこかで時間を潰そうと思っていたのだが、玄関は開いていて。

 小奇麗に片付けられた、応接間然とした一角…その奥にはごちゃごちゃと乱雑に様々なものが置かれている。

 花瓶や置物、ぬいぐるみなど、本当に雑多なものが積まれていた。

 正面にあるドアの先には居住スペースがあるのだろう。

 更に目を引くのは一面の壁に敷き詰められた重厚な本棚と、それを埋め尽す分厚い本。

 右を見ても左を見ても、本ばかりだ。

 その光景に男は僅かに眉をひそめ、左を向いて視線を止めた。

 まないたやティーポットなどがのった机やシンクがある。客に何か出すための一角だろう。

 そうしておいて、もう一度目の前へと視線を放る。

 一対のソファー、左側に座った青年。

 空色の肩までの髪、眠っているように閉じられている目だから目の色は解らない。

 角縁の眼鏡をかけた、線の細い青年だ。

 両の腕を絡める長い長い漆黒は刀だった。

 なんの飾りも無い無地漆黒の鞘に収まった、長刀。

 まるで刀が使えそうには見えない体格をしている青年が刀を抱いて眠っている光景に、男はどうしたものかと思っていたのだ。

 先ほど肩に手をかけ、揺らして見たが起きようとしない。

 あまりに静かなので死んでいるんじゃないかと脈を計ってもみたが、どうやら生きてはいるようだった。

 これからどうしていいか解らず男がただただ途方にくれていると、唐突に背筋に緊がはしった。

 人の気配。

 男が職業柄身構え降り返った時、玄関が開け放たれると共に声が来た。

「いようレノン!起きて…あれ?」

 男よりやや背の低い彼は、目の前に立っていた見知らぬ男に目をぱちくりとさせる。

 男よりも鮮やか、燃える焔のような赤を宿す髪と目。

 ややほつれの見られるベージュの作業着を肩までまくっていて、はいているのは登山用のブーツの様に見えた。

「ああごめん、お客さんか。さてはレノン、また宗久(むねひさ)と話し込んでたのか…。どうぞ?入って?」

 彼の言葉を聞き、漸く男は翻訳が必要という思いに至ったのか右手を顔の前に翳した。

 僅かな光がはしり、収まると口を開いた。

「すまん、もう一度言ってくれるか?今度は解る」

 ああ、翻訳の魔術でも使ったのか?と彼は頷いた。

「たいした事言ってないんだけどね。どうぞ入ってください。俺は鍛冶師のジョシュア=エビルソン。そこでちょっと《お話》してる武器のお医者さん、レノン=コールの友達だよ。レノンだろう?あんたのここまで来た目的はさ?」

 ジョシュアに導かれ、レノンと反対側のソファーに座った男はああと返す。

「上司に聞いてな、武器の不調を治す医者がおるって。…俺は鶴恩渡(かくおん わたる)、魔術軸第一分岐第一世界から来た、魔道界の警察官や」

 その言葉に、はい?と、紅茶を入れていたジョシュアは振り返る。表情は驚きだ。

「嘘だー!警察の人?正義の味方?」

 渡は眉をひそめ、溜息。

「よう言われるわ。寧ろその敵側に見えるて」

「だって、失礼だけど悪人面だもんなぁ…」

 人間見かけによらないものだと思いながらジョシュアが、淹れた紅茶を自分、渡、レノンと三つのカップに分けてそれぞれに配る。

 渡は礼を言って受け取ったそれを一口含むと、ジョシュアに向かって問うた。

「それで、レノンは今一体何をしとる?」

「ああ、えっと…あれがレノンの《治療》なんだよ。ああやって武器に触れて目を閉じて、どうやってんのか良く分かんねぇけど…意識の集中でもするとさ、自分と武器しかいない《武器の世界》へ飛ぶんだ。《武器の世界》ってのは、大抵が所有者の印象深い、あるいは普段暮らしている世界によく似てるけど武器の魂以外に生物のいない世界らしい。でも俺も行った事ないからなぁ。で、その世界で武器の魂と話して、武器の悩みを解決してやることで大抵の不調は治っちゃうらしい」

 ジョシュアに聞かされた話がよっぽど珍しかったか、渡は暫く黙り何かを考え込んでいた。

 先にジョシュアが問う。

「で、その問題がある武器は?先に見せてもらってもいいか?俺武器大好きでさ、異世界の武器とか凄く興味あるんだ」

 渡はジョシュアが先ほど、鍛冶師だと告げたことを思い出して、下手なことはしないだろうと判断。

「ああ、それはええけど」

 渡は右手を横へとさし伸ばし、少し意識を集中。それだけで亜空間が解放され、収められていた物が姿を表した。

 ずしりとくる重さを両手を使って支え、それを机に置いた。

 見事な桐の箱と、紅蓮の布に包まれた細長いシルエットの二つ。

 渡は二つの内、紅蓮の包みを取ると結ばれた紐を解いた。

 途端にこぼれ出てきたのは、見事な軍刀(サーベル)

 峰部分が真紅の色をし、刃と鍔が鋼色で、指と手の甲をカバーするように弧を描いた半月状の柄が黒。

 良く手入れの行き届いた、美しい刀だった。ただ、

「真っ二つ…」

 刀が、縦に真っ二つに割れているのだ。刃側と峰側、常識的にはありえない方向に。

「これが、異常?」

「ああ、いくら腕のええ刀鍛治に直させても一度とマトモに使わんうちにこれや。いうても割れ方はランダムで、刃が木っ端微塵の時もあるし、柄だけ折れる時もあるけどなぁ」

 ジョシュアはその言葉を聞きながら、まじまじと刀を見ていた。

 刃自体は綺麗なもので、砥いだばかりの新品にしか見えず刃こぼれ一つ見受けられない。

 割れた切り口も真に綺麗で、無理矢理の切断といった様子は全く無かった。

 と、そこで

「んあー……」

 頭を二度ほど掻いて、この部屋の主が覚醒。

 渡とジョシュアとは二人とも彼を見た。

 ぼんやりとした深い青の瞳が開く。

 と、客としてやってきている渡にも一言も何も言わぬまま、彼の表情はがらりと緊一色へと転換。

 息を呑むような表情で、割れた刀へと手を伸ばした。

「……!ごめんなさい、説明も何もしている暇がない、すぐに行きます。ごめんジョシュア、お客様に説明とかよろしく頼むよ」

 早口、一気にそれだけ言い切ると彼は目を再び閉じ、囁く。

 それは呼びかけの言葉だった。

「君の世界を、僕に見せて下さい」

 くん、と重力に従った僅かな身体の動きと共に、彼は再び眠り始めたように見えた。

 その手を、赤い峰と白い刃とに分かたれている刀の上に置いたままで。

 渡は今見た現象と、己の世界で行われるある魔術の術式が非常に似ている為おぼろげながら彼の行為を理解できた。

 渡は学問としての魔術は苦手、持つのは戦闘手段としての魔術力のみ。

 酷い言い方をすれば頭が悪い。

 頭脳派の上司ならもっと良く理解できるのだろうと思いながら呟いた。

「武器の持ってる"精神"と、自分の持ってる"精神"との共鳴か?いや…《武器の世界》に行くって言うたな。自分を武器に潜り込ませる?」

「さあ?」

 よくレノンを知り、何度もこの《治療》を見ている友ジョシュアは大げさに肩を竦め笑う。

 いつも通り、彼の特徴、誰に対しても等しく放たれるざっくばらんな口調で。

「やったことないし出来ないからわからんね。レノンにしか、いや、レノンにも多分何してんのか分かってないだろ」

 そうだ、と彼は立ち上がって、また台所となったスペースへ足を運ぶ。

「甘い物は大丈夫?なんかお菓子でも用意しようかと思うけど。なんと言っても…」

 振り返った手には二つのチョコレートケーキが乗った皿があり、なんとも言えない笑みも浮かんでいる。

「ちょっと長い二人のお話し合いになりそうだし。その間に色々聞かせてもらうぜ?」


 ◆


 ソファーに座っていたのだから無論座った姿勢…膝を曲げた格好だった己の身が、何時の間にか直立し地を踏んでいることに気が付いたレノンは、はっと目を開く。

 周囲に広がるのは紛れもなく武器の世界だ。

 それがすぐわかるほど、周囲の世界は変質していた。

「やっぱり……!」

 まるで、一枚のジグソーパズルが四方の端から崩れ落ちて行くように。

 ひらり、ひらりと風に舞う世界の欠片。

 風はレノンの髪をなぶる強さだが、不思議とその世界の欠片が身体のどこかしこに当たり痛いということがない。

 静かな夜の世界。

 きっと元の世界…あの赤い髪の所有者と共に暮らし、戦っていた世界の何処かの夜と同じ姿で、ただ生物がいないだけの世界なのだろうとレノンは思う。

 飛び散っていく正方形、三角、多角形、様々な世界の欠片達。

 皆、輝く月、静かに煌く星、闇の黒が描かれているのが見てとれる。

 中には暗い影の中にある杉の木や、何かの建物の一部だろう、硬質の灰色も見えた。

 急いで前後左右を確認すると、視界に入る範囲にはまだ壊れて行く場所は見えない。

 一瞬の安堵と思考、レノンはとりあえず前へ走り出す。

 武器の持つ世界は所有者の世界に影響され、大抵が所有者にとって重要な場所が基調となる。

 彼の前にあったのは、大きな大きな、白と赤の色味を持つ城だった。

「お城…まだ依頼人の名前も聞いていないけれど、きっとあそこだと思う…!」

 頼む、間に合ってくれと念じながら身体を酷使。

 どうかこの世界が崩壊する前に、と。


 ◆


 ジョシュアの手から渡に渡ったのはチョコレートケーキともう一つ…一枚の紙だった。

 丁寧な字で書かれた記入欄には、氏名、年齢、職種などという言葉が見え、渡は一緒に渡された万年筆で記入していく。

 なんでも最近始めた方法らしく、治療に有用そうな情報を纏める為に依頼者自身に必要な情報を書いてもらうそうなのだ。

 もぐもぐ、と顔に似合わずとてもおいしそうにチョコレートケーキを頬張るジョシュアは渡の書いていく情報を眺めている。

 並んでいくのは荒っぽそうな外見にやや反し、角張ってはいるが整った読み易い字で。

「『武器の形態・軍刀』『銘・在来業炎改(ざいらいごうえんかい)』『名称・輪風朱姫(りんふうあけひめ)』…ってどういうことだ?基礎魔力って訳の分かんないことも書いてあるし」

 ジョシュアの疑問に、渡は、あ?と恐らく素なのだろうが空恐ろしいような低い声で万年筆を止めた。

「銘いうんはどの鍛治師に打たれたもんかを示す名、名称は個人が武器につけた名や」

 かち、と万年筆で一度机を軽く打つ。

「俺達の世界では、作られる武器の殆どは魔道武器でな。魔道武器いうもんは…《外殻》になる武器としての形と、《内側の要素》になる基礎魔力で作られる」

 ジョシュアは暫く脳内で言葉を整理して。

「つまり、俺達の世界にある…この宗久のようなただの武器に、魔力ってのを付け加えると考えたらいいのか?」

 と言うと少し渡は黙って。

「いや、付け加えるいうか…武器を人間と考えた時、ただの武器を体とすると今お前の言うたんは服を着たり防具をつけるいうことや。そうやない。その体の奥、遺伝子に魔術の力を組み込むと考えた方が近いか。遺伝子の中に俺のような使用者の魔力を受け入れ、魔術を使い易うする情報を書き込む」

 一度言葉を切って続けた。

「その仕事をするんが鍛治師や。代々鍛冶を受け継ぐ家があって、この輪風朱姫の銘にある在来は東国の鍛冶一族の名。それで、その組み込まれる魔力が基礎魔力。これは別に鍛冶師の魔力を使う訳やなくて、普通使用者に武器を作ってやろうと思う依頼人か使用者自身の魔力を鍛治師が預かっておいて数週間かけてゆっくり武器の隅々にまで渡らせていく。鍛冶師自身はその過程で自分の魔力を使うて、依頼人や使用者の魔力を武器に組み込んでいく」

「あーっと、分かった。OK。でも話聞いてるとさ、そうやって作られる武器なら愛着も湧くんだろ?その輪風朱姫はどうやって出来たんだ?誰かに貰ったのか?」

 渡は沈黙、記入シートに視線を落として。

 これから書こうと思ったのに先に話すことになるのか、二度手間だと思いまあいいかと語ることにする。元来彼はそれが伝わるかどうかは別として己を伝えることを厭わない性格だ。

 指差されるのは記入シート、一つの名。

「ここに書いたように、基礎魔力を与え、俺にこの武器を寄越した男は白虎切言(びゃっこ せつごん)という名や。もう何十年も前、俺が魔術校の高等部を卒業して警察…魔道警察に入った時に渡された。切言は俺より十一上で随分歳は離れとるけど、同じ先生を尊敬して学んでた。そのことについては話すと長うなる。ともかく、白虎切言いう男が輪風朱姫の片親や。切言は俺に長う使える刀をと思うて東国の名門・在来の十七代目、在来官助(ざいらい かんすけ)いう堅物ジジイに己の魔力を渡して、『全てを注ぎ込んだ最高の一刀を』と依頼した。それで出来たんが当時の在来が最高とした一刀、在来業炎の改良型・在来業炎改。武器には女神の加護をて女性名をつける魔道警察の慣例に従って、切言が輪風朱姫と名を付け俺に渡した。名前が長いんで普段は輪風としか呼ばんけどな」

 それからずっとずっとの付き合いで、ほんの数日前までは実戦で使っていたのだ。

 全くなんで突然こんな不調が起こったか、ともう何度も思ったことを渡は繰り返す。

「輪風朱姫は切言の魔力を基礎においてるから風の魔力を宿してる。切言は一応えらい魔道士や、その魔力を持つ刀の輪風は今までおかしなったことは一度も無いし、折れたこともろくに無かった。それが数日前からこれや」

「なるほどね…そりゃ驚いたろ」

 まあな、と返して渡は回想する。

 驚いたなんて物ではなかった。

 魔道警察の仕事…異形(セル)と呼ばれる化け物の討伐にその日も赴いていたのだが、異形との乱闘中に突然輪風朱姫が砕けたのだ。

 ガラスの花瓶を落としたように、バラバラに砕け散った。

 なんとかその時には魔術と他の武器とで乗り切ったが、それからずっと輪風朱姫は様子がおかしい。

 何度鍛治師に直させても、すぐにどこかが壊れてしまう。

 初めは異形に何らかの術をかけられただけだろうと思っており、知人の魔道士や上司…いずれも世界でトップクラスの魔道士達に調べてもらったのだが誰の口から返る答えも『魔術的に見れば何の異常も無い』だった。

 完全に原因不明の事態で困っていると、上司が告げたのだ。

 武器の医者がいるそうだが行ってみるかと。

 人手が足りなさすぎる魔道警察にも関わらず、上司は行ってくるならニ、三日休みをとってやってもいいと言って来たのだ。

 それもこれも、自分がどれだけこの武器を大切にしてきたかを理解しているからだということが態度から読み取れた。

 だからありがたくそうさせてもらい、世界を渡ってここにいる。

 ついでに輪風朱姫ほどではないが多少調子の悪い武器がいるのでそれも診てもらうつもりだ。

「あ、ところで全然関係無いんだけどな」

 唐突にジョシュアが人差し指を立てた。

「あ?なんや」

「なあ、ちょっと暑くないかそれ?取ったら?」

 指差したのは渡の首にぐるぐると巻かれたマフラーで、渡は少し顔色を変えた。

「ああ、これは取らんほうがええんや。醜いもんを人に見せん為に付けてるもんやからな」

 ジョシュアがその言葉の意味を測り兼ねていると、渡はやや困ったように笑い。

「仕事柄、恨みを買うんでなぁ。今まで逮捕してきた魔道士の中の何人かに呪われとる。首にかかってる分が気味の悪い痣を作ってるのと、それを抑えて生き長らえられるように上司の封印錠がかかってるんを見えんようにしてるんや」

「……あー…なんか悪い。イタイとこついっちゃったみたいだ俺」

 構わん、と渡は一度座る姿勢を直した。

「お前のその、かなり年配の俺にも口調を直さんとことか気に入ったわ」

 あ、俺これが素なんだけどなぁ…となんだか微妙な気分を味わいながらジョシュアはちらりと友を見る。

 輪風朱姫に手を乗せ彼女の世界に行ったまま、まだ帰ってこない。

「…じゃ、まだレノンは帰ってこないみたいだし今度はその『上司』の話、聞かせてもらえないか?渡さん、あんたをここに案内した人なんだよな?」


 ◆


「……ッ!」

 眼前の光景に、レノンは息を詰めて駆け寄った。

 赤の城の中はまだ外のように崩れ始めていない。

 城の中にはクラスと学年を表示したプレートが幾つもかかり、『職員室』や『特別教室』というプレートもあった。

 そう、赤い城は学校だったのだ。

 夜なのに火が灯っておらず、視界はいいとは言い難い。

 唯一明かりと言えるのは、未だ崩壊の侵蝕を受けていないのだろう、輝き続ける満月の光。

 こんな危急の事態でなければゆっくり鑑賞したんだけどね、と思いながらレノンは走っていた。

 そして発見した。

 学校の中を走り回り、自分以外にただ一人この世界にいるはずの『武器』を探したレノンは、漸くここで見つけたのだ。

 まず踏み入れたのは大きな四角い机が一つ、椅子が十脚ほどある会議室のような部屋で、

 奥に開いた扉。

 中へ踏み入ると、がらんとした部屋にグランドピアノが一台置かれていた。

 敷かれた赤い絨毯、幾何学の模様がうっすらと描かれたそれの上に『彼女』は身を投げ出し倒れ込んでいた。

 美しい鋼色の長髪は、頭頂部から半ばにかけて赤い色を宿しており後ろで一つにくくられていて、肌は病的なほど白い。

 纏っているのは髪の赤よりも朱色に近い赤の衣で、背側が見えているそれはゆったりとしたワンピースの形。

 腰の辺りに銀の、ベルト代わりの紐がついている。

 足は素足のままで投げ出されていて、やはり色が白く傷一つ見当たらない。

 レノンは彼女のすぐ横まで辿りつくと、彼女を抱き起こす。

 これで漸く見えた顔はよく出来た彫刻の像のように整った顔立ちをしており、

 ……まるで箱入りのお姫様のようですね…

 そんな事を考えながら、レノンは彼女の肩を揺すり声をかけた。

 自分しかいない世界で誰かが呼びかける。

 それがどういうことか、彼女には解るだろうと思い。

「お願いします…起きてください!!あなたの声を、聞きに来たんです……!」

 果たして願いは聞き届けられた。

 ゆっくり、ゆっくりと彼女の瞳が開く。

 予想されたその瞳の色は、やはり炎のような朱と赤の交じり合う、美しいものだった。

 その目は、ゆっくりとレノンの姿を捉え、ピントを合わせる。

「………あ……あな…た」

「僕はレノン=コール。あなた達と会話できる異能者です。あなたの所有者の方が、あなたがおかしいと思って僕の所へ連れて来てくれました。一目見て、あなたが余りもたないことが分ったからすぐにこちらへ来たので、その方のお名前も、あなたの名前も分からないのですけど」

 そうレノンが告げれば彼女は無邪気な笑みを作った。

 レノンと同じか少し上、充分に大人に見える彼女が作るには子供っぽい笑顔で。

「ありがとう……私は、輪風朱姫…輪に、風、朱色の朱で朱、で、姫と書くの。りんふうと、呼んで。私の、所有者は……渡さん、鶴恩渡さん。《鶴の恩返し》、で鶴恩、渡は…さんずいに一度の度よ」

 なるほど、とレノンは自分も知っている『漢字』、字面を考えて頷く。

「素敵な名前です」

 そう言えば、彼女は嬉しそうにありがとうと言った。

「………あなたと、…ながくお話したいけれど……時間が無いわ……」

「はい。分っています。だから」

 彼女の手を取った。

 小さな手、細い指だ。

 今から壊れて行く、小さな体だ。

「……あなたが渡さんに伝えたいことを、僕に託して下さい。僕は、あなたの思いを渡さんに伝えることができる」

 うん、うんと嬉しそうに彼女は頷いて。

「っ……」

 一つ涙を零した。

「話すより、こうしたほうが、早いから」

「え?」

 レノンが疑問の声をあげるが早いか、それは起こっていた。

 緑色の光の、複雑な幾何学模様の描かれた円陣が二人の周囲に起動している。

 これは?というレノンの声に、彼女は一度レノンの手を強く握って答える。

「……私は、魔術の…武器だから…私の記憶を、大切な思い出を、あなたに見て欲しいの……」

 今度は少し寂しげに、笑う彼女。

「私を作ってくれた……二人の人と……渡さんの……記憶を……」

 刹那、レノンの視界は白に染まった。


 巡る力持つ朱姫は思い出す。

 己を愛してくれた三人と、己の始まりを。


 気付けばレノンは、また別の世界に立っていた。

「え……」

 友のジョシュアの家にあるのと似た炉とハンマー、それに鋳型。

 鍛冶場だ。

 眼前、二人の男と少年が一人いた。

 彼等はレノンの上げた戸惑いの声に全く気付いていない様子で、気難しそうな黒髪短髪、手拭を首にかけた老人に、全く奇妙な色…真っ白の髪の上に虹色のフィルムをかけたかのように輝く、獅子のようにくしゃくしゃとした髪の青年が身振り手振りを交え楽しそうに話している。

 瞳はおかしな事に、左目は飴玉のような緑、右目は空の青色だった。

 初老は直線的なフォルムを持つ布、彩度を落とした青い着物を纏っており、青年は豪華絢爛な、白の上に銀で様々な刺繍が施された美しい羽織を着ているのに、その下には極々安物と見える濃緑の着物という不思議な服装である。

「それで」

 黙って頷いたり首を振るだけだった老人が声を上げた。

 低く、鍛冶場に響き渡る声だ。

「今日は渡の武器を取りに来たのではないのか馬鹿者」

 そう言われて、青年は目をぱちくりさせて、ああ!と手を打った。

 漸く気が付いたというように。

「そうだったそうだった!すっかり本来の目的を放置してた!」

 見守るレノンは、あの人はなんだかジョシュアに似ているなあと思う。

 いわゆる愛すべきお馬鹿さんジャンルだ。

「ねえー」

 唐突に声を出してみたレノンは、やはりと頷く。

 自分の声はこの世界の誰にも聞こえなくて、自分はこの世界の観客でしかないのだと気が付いて。

 では続けて見守ることにしようと思う。

 眼前では老人が青年に溜息をついて、背後から一つの箱を出した。

 穢れの無い細長い木の箱で、蓋に文字がかかれている。

 青年が少年を手招きで呼ぶ。

 背は青年より高く、つり上がった目をした赤髪と赤目の少年。

 軍服のような灰色の衣を纏っている。

 レノンは確かに、その少年に見覚えがあって。

 ……渡さん、ですね

 きっとそうだろう、と一人頷く。

 老人が木箱の蓋を取って、まずはその蓋の文字を指差した。

「在来が最高とされた軍刀、在来業炎。その後継刀として打った、わしの持てる技術全てを注ぎ込み作り上げた至高の刀。銘を『在来業炎改』という」

 躍るような力ある毛筆で書かれた文字は確かにその銘を書き、隣に鍛治師の名が記されている。

 在来十七代目、在来官助と。

 無骨な老人の手は箱の中へと入り、中のそれを取り出す。

 目を焼けつかせるような朱色の布に、青年がおおと声を上げる。

 そこにあった机に一度置くと、布が取り払われてゆく。

 現れたのはとても美しいその姿で。

 と、レノンは疑問を抱いた。

 これは彼女の記憶のはずなのにどうしてこうやって彼女が見えるのかと。

 あとで聞いてみる必要がありそうです、と思う。

 現れたその刀に、初めて少年が興味を示した。

 むっつりとしていた表情を変えた。

「さあ、振ってみてくれ」

 老人がその刀を差し出す。

 刀には、鞘が無い。

「鞘など、これには要らない。魔道警察に入るのならば亜空間に武器を封じることになるのだろうし、それに」

 老人の表情は、笑みだ。

 自信に満ち溢れた笑みだ。

「わしと《断罪》の合作の刀だ、斬ろうという強い意思にしか手を貸さない」

 少年は差し出されたその柄、くるんと半月状になったそれを一度撫でて、老人の手に重ねるようにして取った。

 ひゅ、空気を切る音と共に一度空を斬った。

「……名前」

 少年は、低く不機嫌そうな声で問う。

 すると答えたのは青年。

 彼は楽しそうに笑い、告げる。

「今、俺が考えてやったよ。彼女の名は輪風朱姫。巡って終わらない不断の力の象徴であり、(かいり)の野郎に通じる輪。風帝と称する俺の操る力、決して穿たれぬ自由の風。朱色は彼女の冠する色、お前の得意な焔の色。そして、野郎のパートナーっつったらやっぱお姫様だろう?」

 老人が一度満足げに頷き、良い名ではないかと呟く。

 少年はじっと刀を見て青年の方へ向いた。

 表情は、ふっと緩められた、僅かではあるが確かな笑みで。

「ありがとう、切言(せつごん)

 ははっ、と声を上げて切言と呼ばれた青年は笑い。

「渡に感謝された!明日は何が降るやら、怖い怖い」

 肩を竦め茶化すように笑って、その延長で少年に言った。

「頑張れな。俺と二人と、その上にも、遊凪(ゆうなぎ)にも負けない位に。お前は、俺達の中で一番浬を支えられるんだから。《先生》のいない世界で…浬の支えになってやってくれ」

 どうか、と青年はやや自分より背の高い少年の肩に手を置いて。

「どうか渡の未来が、自分の手で作られるものであるように。どうか輪風がその助けになるように。そうして願って、俺と官助のじいさんとで輪風を作ったよ。渡の好きにすればいい。好きなものを、好きなように斬って、好きなように護れ」


 その時、唐突に世界の終わりがやってきた。


 ◆


 気が付けばレノンは元の通り、彼女を腕に抱き起こした姿勢で周囲の陣も消え失せていて。

 彼女の顔を見れば、ふふ、と笑っていた。

「……見て、くれたでしょう…?…あれから…私と渡さんは…もう四十年近く、一緒に戦ったの…」

「はい。確かに、見せて頂きました。幸せな、記憶を」

「ええ、幸せだった……」

 はらり、流れた涙をぬぐう力は、もう彼女には無い。

「幸せが…ずっと、続くとは思っていなかったの………きっと、渡さんが先に逝ってしまうんだろう、って…よかった……一人で、私は寂しい思いをしなくても……いいのね……」

「っ…でも、渡さんは寂しい思いをしますよ?」

 いいんですか?と問うレノンに、彼女、輪風朱姫は頷く。

「渡さんを支えてくれる人…私と同じような武器……どちらも、沢山いるから……。私には…渡さんだけだったけれど……」

 うん、と頷いて。

「伝えて、下さい……渡さんに…。浬さんといつまでも仲良くお元気で……と……」

 浬、という名前は物覚えの悪いレノンにも聞き覚えがあった。

 先ほど彼女の記憶の中で聞いた名だ。

 渡が支えになって欲しいと、切言という青年に望まれた名。

 忘れないように。

 脳に刻みつけてレノンは頷く。

「それから……私はあなたの為に望まれ生まれてきて、あなたと戦ってきて、本当に幸せでした、と……」

「はい。必ず、お伝えします。それから」

 まだどうか目を閉じないで、とレノンは願い、聞いた。

「あなたは、体をどうして欲しいですか?何処かに埋めて欲しいですか?海に沈めますか?それとも…」

 そうね、と考える吐息を吐いて、それから彼女は口にする。

「体を、綺麗に直して、それから……武器として、価値の無い私だけれど、使えない武器だけれど…傍に、置いていて欲しい…私は……渡さんの傍にいたい…」

 分かりました、とレノンが返して微笑むと、彼女も笑った。

 笑顔の美しい彼女だが、その笑みはレノンがこの世界で見たうち一番美しいものだった。

 それは、壊れ逝く儚さを内包するからなのだろう。

 ごめんなさい、もう、いくわ

 そう彼女が告げた世界を、崩壊が包み込む。

 一気に世界のピースが乱れ飛び、激しい風に目を閉じるその一瞬。

 ただその一瞬で、確かにレノンが立った地平、確かに存在した彼女の世界は一瞬にして崩れ去り


「!」

 かっ、と小さな音と共に、矢は大きく的を外した。

 世界は魔術軸第一分岐第一世界『クインテット』、位置は南国シャルドヴァイゼンに領地を持つ白虎家の庭。

 矢を射ったのは弓の名手と名高い諸肌脱ぎの老人、左目は緑、右目は青で、短く切られた白髪にはオパールのように虹色を宿している。

「どうしたのだ親父殿?外すなんて…」

 後ろから声をかけるのは息子だろう、額に飾り帯を巻いた、同じ色の髪に、左目が金、右目が青の男。

 しかし矢を射った男は彼に振り返らず、ただ呆然と空へと視線を逃がし、ふうと至極辛そうに目を細めた。

「そうか、輪風…お前、官助のじいさんのとこに行ったのか」

 弓を手放すと、不思議そうにこちらを見る彼は放っておき、手を組み祈りを捧げた。

「…俺達のお姫様、どうか君の騎士を天より護ってやってくれ。鶴が己で望んだ空から、決して落ちぬように」


 ◆


「あ………」

「レノン!帰ってきたのか?」

 顔を上げれば眼前、友人のジョシュアと依頼人、四十年の時を経て成長した少年、輪風朱姫の所有者がいた。

 己が手を置いた鋼からはもはや応答がなくて。

 全てが終わっていた。

 レノンは参ったな、と微笑んで。

「先ほどは失礼しました。鶴恩渡さんですよね?輪風朱姫、彼女にお聞きしました」

「……ああ」

 それでと聞く渡は、もしかしたら何が起こったのか知っているのかも知れないとレノンは思う。

「彼女の精神は今、亡くなりました。僕に、彼女があなたへと渡った時の記憶を見せてくれて、あなたへの言葉を託して。それを今、伝えます」

 一度言葉を切る。

 渡の赤い目がこちらを見ていた。

「浬さんといつまでも仲良く、お元気でと。それから、この体を直していつまでも傍に置いて欲しいそうです。もう武器として役に立つことは出来ない体だけど、と」

 それを聞いた渡は瞠目、そして、ふんと面白くなさそそうに言った。

「どいつも、こいつも……」

 告げられる言葉は、優しい悪態だった。

「俺に優しすぎるわ、阿呆」


(―――ずっと、私はあなたを)

(想い続けています…)


 ◆◆


 凱旋の女神はずっとずっと想っていました。

 ただ一人の主のことを。

 凱旋の女神は神聖な力、護りと再生の力を与えられていました。

 その加護の力は主の為に使われました。

 女神は己が生まれた日から、主の鶴を愛していました。

 鶴は皇帝陛下と鬼と、孔雀、獅子、断罪・制裁・鉄鎚の三人組、悲哀雷、それに、真紅…

 皆に囲まれて毎日を楽しそうに過ごしました。

 皇帝陛下はこの世を去って、それでも女神は皇帝陛下の願いを聞き届け遂行し続けていました。

 鶴を一人にしないように。

 鶴が鬼の為にいられるように。

 凱旋の女神は今も想い続けています。


 ◆


 月の輝く夜。

 かつん、かつん、鋼を打つ音。続く音。

 生み出すのはジョシュアで、ここは鍛冶師である彼の家の鍛冶場だ。

 彼が真剣な顔で手掛けるは、峰が赤く染まる軍刀…輪風朱姫。

 武器と話す友、レノン曰く既に精神が死んでしまった刀を、ジョシュアは直す。

 もはや彼女の体が勝手に壊れることはないのだから。

 精神の死んでしまった武器は、著しく攻撃の威力や使い勝手が落ちてしまう。

 所有者であり魔道士である渡が言うには、彼女の体と内部にある基礎魔力とが完全に乖離してしまっており、魔道武器としてまともに使うことは出来なくなってしまっているという。

 最早戦場に立つ必要のない体を、ただ所有者の傍にいる為に、ジョシュアは打ち直してやる。

 なるべく他の金属を足すことがないように、彼女自身の鉄を使って。

 何度か友に頼まれて武器の『死装束』を整えてやったことはあるが、何度やっても気分のいいものではない。

 …使われる姿じゃなくて、もう変わらない姿を作るんだもんなぁ…

「もう一つの方は、助けられるといいな」

 そう言って、あの友なら助けるだろうと彼女の手入れを続けた。

 一段落着けたら友の家へ行って、色々渡に聞きたいこともある。

 そう、レノンは輪風朱姫との対話で消費した気力を回復するのに一晩を必要とするので、彼の家に渡が泊まることになったのだ。

 明日、レノンの午前中の予定…学校での授業が終わった後、渡が持ってきたもう一つの武器の治療を行う事になっている。

 ジョシュアは告げられた彼女の名前をなんと言ったか暫く考える。

 なんだかごちゃごちゃとした名だった。

「ええと……」

 鉄を叩く手が止まって、そうして思い付いた。

「ああ、そうだ。トライアンフ」

 脳裏に描かれるその名はGodness of Triumph。

 冠する意を、

「《凱旋の女神》」


 丁度その頃、レノンは一つの武器を撫でていた。

 扉の奥、掃除が面倒なので普段使っていない部屋を片付け渡の泊まる部屋として、彼に先に風呂に入ってもらっている。

 全長は二十センチないぐらいの両刃の短剣だ。

 白い柄と金の鍔を持ち、その鍔はまるで車輪のように四つの穴がくり抜かれている。

 刃の根元に真紅の宝珠が嵌まり、最も特筆すべきは銀の鞘と刃として物を切り裂く部分より内側に共通して施された意匠だった。

 赤い色彩一色で描かれた、空を舞う一匹の鶴だ。

 そうしてレノンは左手の中にある紙を見る。

 渡が書いたこの武器の調査書だ。

『武器の形態・護刀、短剣』『銘・西国石塚白雲真改さいごくいしづかはくうんしんかい』『鍛冶師:西国石塚三代目・石塚旗章(いしづか きしょう)』『正式名称・Godness of Triumph 意を、凱旋の女神』『呼び名・トライアンフ、トリィ』。

 武器の特徴として綴られた次の文章にはこうある。

『内側に込められた魔力を消費することで所有者の身を護り、負傷次にはその傷を癒す。基礎魔力は先生と慕っていた《皇帝陛下》法師篤実(ほうじ あつさね)。補填魔力は完成当時は法師篤実のものだったが、完成から一年足らずで亡くなった為、その補填魔力が尽きてからは現在の魔道警察のトップ、同時に共に法師篤実を先生と慕っていた盟友、《悲哀雷》一世聖(いっせい ひじり)のもの』

 危険な任務に赴く時懐に入れているとあり、付け加えるか否か迷っての末だろう、やや行が空いて、あった。

『トリィは所有者である自分だけのものではなく、魔道警察西国支部の皆に支持される女神である』

「人の子を護る、優しき女神様か…」

 レノンはきっとまた素敵な人なんだろうね、と一人で頷いた。

 彼女、トリィの体はそれはそれは美しい。よく手入れがされているのもあるが、護り刀ということで実戦では用いられず元から痛む機会がないからということもあるだろう。

 それでも、輪風を見た時にも感じた事だがよくよく手をかけられて大切にされているのが伝わってくる気がした。

 それは渡が己の武器をただの武器、道具としては考えていないということで。

「もしかしたら僕と渡さんは似ているのかもしれませんね」

 そう呟いて、レノンはソファーの背もたれに身を預けた。

 今日、輪風の世界で経験した彼女の死は普通に話をするのよりずっと堪えた。


「……」

 なんやこのデジャヴは、と風呂から上がった渡は思った。

 レノンがソファーに座ったまま寝こけている。

 デジャヴとは言っても、あの時とは違いレノンは武器と話してはおらず普通に寝ているようだが。

 とりあえず顔に似合わずなんだかんだで優しい性質を持つ渡だ、放っておくわけにもいかず周囲を見て毛布を発見。

 適当に広げてかけてやった。

 すると

「あ…すいません」

「…なんや、起きたか」

 レノンは慌ててかぶりを振り、渡をその目に映して眼鏡を上げて眠たい目を擦った。

「つい寝ちゃってたみたいです…じゃあ、僕もお風呂に入りましょうかね」

 風呂上りの渡は白いワイシャツ姿で、首元を覆っていたマフラーは無かったが一番上のボタンまできっちりと留められていて。

 ふと目をとめたレノンは、そこに異質を見る。

 白いシャツを透けて猶も届く異質の色。

 焼け爛れたようなどす黒い皮膚が、首元、蛇が巻きついたが如くの歪な螺旋状に走っているのが分かる。

 レノンの視線に気が付いた渡が、はっとして咄嗟に右腕を上げ首元を覆う。

「悪い、マフラーでも巻いとくべきやった」

「え、いや、あの僕こそごめんなさい」

 レノンもジョシュアから聞いていた。

 彼の首に刻まれているのは、警察官の彼を恨む魔道士達がかけた死と苦しみの呪い。

 それを上司が封印錠なるもので押さえ込んでいるから、彼はまだ生きていられるのだと。

 そのことを思って、レノンは言う。

「あの、明日はトリィの治療の前に、まずお話を聞かせてください。何か役に立つこともあるでしょうし」

 何のだ、といった疑問を表情に出した渡に対して言葉を足す。

「ここに書かれた二人の人物、それに、渡さんをここへ案内した上司の方のことも」

 それを聞いた渡は確かに、ああ、と頷いた。


 ◆


 翌日はからりと晴れた。

 この町の学校で先生をしているレノンは朝早く起きて授業の準備をし、渡と、昨日の晩やってきて結局泊まっていった友ジョシュアと共に朝食を摂り学校へ出かけた。

 今日は昼で学校が終わりなので、昼に帰ってきたら三人昼食を食べて凱旋の女神の治療に取り掛かることにした。

 その話をした後ジョシュアは本業、町の鍛冶屋として父を手伝う為に鍛冶場へと帰り、渡はと言えばあてがわれた部屋で眠っていた。

 普段年中無休で働いているので、寝られる時に寝ておこうとの判断からだ。

 すると突然彼の耳の中でその音は響いた。

 笛を強く鳴らしたような、高い音。

 それに渡は顔をしかめると、がばと起き上がり懐からシンプルな、ペンのようなサイズの黒い筒を取り出す。

 これは魔道警察で使用されている型の、渡の世界での連絡機器である。

 ホログラム表示も可能な代物だが、現在設定は音のみにしている。

 耳の中の音が途切れると同時、その音は男の声に変わる。

『連絡もよこさんでええ度胸やなおい』

「ああ、そら悪かったな。で、なんや用件は」

 相手は渡の一つ年上の上司…渡をここへ案内した上司だった。

『それがですね長官!』

 唐突に割り込んできた声があった。それは渡の部下の青年の声で。

『鶴恩長官がいないと、支部長がどうも調子出ないんですよ。俺達じゃあご飯食べてくれませんし…』

『始終イライラしてて近づきづらいですし!』

『ちょ、やかましいわお前等!黙っとけ!!』

 上司の低い怒鳴り声、部下達がひぃと声を上げて黙った。

 暫く沈黙していた渡は多少怒りを覚えながら。

「……お前……昨日の晩何食べた」

 答える声は当然、というように。

『チョコレートケーキ』

「他には」

『以上』

 渡は頭を抱えるようにして溜息。

 この上司は中学生時代からの付き合いで、その頃から食は細かったがその頃はまだ普通の食生活だった。

 それが世界でも一、二を争う劣悪な労働環境の職場、魔道警察に属してからは体調が常に微妙に悪い状態で(まあ原因はそれだけではないが)、食欲がほぼ無くなっている。

 普段は自分がなんとかして食わせているのだがその自分がいなくなるとすぐこれである。

 基本が優等生で他に困った行動をしない彼だから、余計それが異常として目立つ。

「…今日帰る。俺が帰るまでになんか食うとけ」

 その言葉に、相手があからさまに舌打ちするのが分かった。

「それで、なんや用件は」

『切言さんが言うてた。…輪風が《死んだ》って、本当か?』

 一瞬渡は驚くが、切言が輪風朱姫に魔力を与えた人間だから分かったのか、と思う。

 そういうこともあるのかもしれない。

「ああ。レノン…武器の医者が言うにはそうらしい。割れてたんはこっちの鍛冶師に直して貰うたけど…基礎魔力と金属が乖離してる。もうマトモに武器としては使えんな」

 そうか、と一言相手は返す。

『分かった。後トリィ直したら早う帰って来い。頭悪いのでも、おらんと手が足りんからな』

 何か返す間も無く通話は切れて、渡は暫く何故彼が大した用でも無いのに通信を送ってきたかと考えてすぐにそれを放棄。

 自分より頭のいい彼の考えなど分かるはずが無いと、もう一度眠りに落ちた。

 輪風を亡くして、いい気持ちはしていないだろう彼を元気づけよう(?)としてかけてきた上司の気も知らないで。


 ジョシュアを連れて帰ってきたレノンはすぐにチャーハンとスープを作って二人に振る舞った。

 その昼食を終えると、ブラックコーヒーを淹れた。

 渡は何も淹れずに飲んだが、二人は二人ともぽちゃんぽちゃんぽちゃんと沢山の角砂糖を落として、ミルクもたっぷりと。

 …それだけ甘うするんはコーヒーへの冒涜や…

 渡はそう思ったが口には出さなかった。

「それで…」

 ティースプーンでかき混ぜ、角砂糖を溶かしながらレノンが言った。

 眼鏡が湯気で曇り、どうもやりにくそうである。

「お話を聞かせてもらってもいいですか。治療へ入る前に。武器の世界は所有者にとって大切な場所が投影されます。恐らく、トリィの持つ世界も渡さんにとって大切な場所。なら、先にお話を聞かせてもらった方が世界で彼女を見つけやすいんです」

 渡は一度頷いて、コーヒーのマグカップを一度置いた。

「レノン、お前に聞いた輪風の世界…赤い城は俺と、これから話す奴等とが一緒に過ごした《皇帝陛下》の学校や。西国の魔術校グラルデーン。ソーサラー、魔剣士を育てる騎士の校」

 皇帝陛下?とジョシュアが首を傾げる。

「偉い人か?」

「そう呼ばれてた。王様のおる世界で、その人柄から呼ばれ名が《皇帝陛下》やったんや。グラルデーンの校長先生、数多くの魔道士を育てた大先生や」

 一息をついて、どう話したものかと思考。

 そして考えるのが面倒だと思い、右手に意識を集中。

 周囲に現れたのは蒼の光を放つ陣。

「レノンが、輪風の世界で遭ったのと同じ、記憶の再現や。術名は回想…俺の世界の見え方で、俺とは違った視点を持ち俺の記憶を見る。これで見せたるわ。白虎切言、一世聖、法師篤実、それから」

 光がより強くなる。

「鬼島浬、俺の上司との記憶を」

 一緒にいって来い、というわけの分からない言葉と共に、二人の視界は同時にブラックアウト。


 ◆


 レノンが気が付いた時には、そこはある部屋だった。

 見覚えが…ある。

 輪風朱姫の世界、彼女が倒れていたピアノの部屋の一つ手前、会議室のような部屋だ。

 明るい日差しの中の会議室らしいその部屋に二人は立っていた。

 そう、隣にジョシュアがいる。

「うおおおお!?何、なんだこれ?」

「あー、うん。僕は一度輪風に見せられたよ」

 慌てまくって自分をがくがく揺すってくる友に、レノンは言う。

「この世界では僕達…この記憶から言う《部外者》達の声はこの記憶の人々に聞こえないし、姿も見えないんだ。僕達は記憶の観客でしかない。渡さんが見せたい記憶が終われば、元の場所へ戻れるよ」

 レノンの説明を聞いて落ちついたのか、そうかとジョシュアは頷いた。

 すると聞こえてくる音がある。

 ピアノだ。

 滑らかに流れるピアノの音。

 行ってみようとレノンが声をかけて、二人で奥の部屋へと向かう。

 扉を開けばグランドピアノを弾く初老の男がいた。

 腰まで届く長髪は氷のような薄青、笑んでいるような優しい瞳は濃青。

 腰に剣を帯びれば完全な騎士の姿となるだろう、赤のマントを纏った姿。

 城の内装、マントを含む衣服と周囲の全てが赤系統の世界で、青い彼の頭だけが異質に思われた。

 なだらかに、頭を撫でられているような優しい音が耳を刺激していく。

「……ジョシュア、この人が」

「ああ。多分、この人が《皇帝陛下》だ」

 そう思わざるを得ないような、大きな力を二人は無条件に感じていた。

「でもさ、どうしてこれが俺達に見える?」

 ジョシュアがレノンに問う。

「『違った視点で、俺の記憶を見る』って渡さんは言ったよな?でも違った視点でもなんでもさ、渡さんがいなきゃ《記憶》じゃないだろ?」

 ああ、そのこととレノンは笑う。

「よく気付けたね?」

「あれ?俺馬鹿にされてる?」

 さあね、とレノンは楽しげに。

「僕も…輪風の世界でも思ったんだよ。でも何故こうなのかは分からない。渡さんに聞いてみないとね」

 と、ピアノを弾く彼に近づく者がいた。ジョシュアとレノンとが通ってきたそのドアから入り、その男の傍に来て、肩を叩く。

 ふわりと輝く金の短髪と、同じ色の瞳を持った青年。

 手を止め、彼を振りかえった初老は笑う。

「今日は君が一番だよ、聖」

「よかった、急いで来たんですよ。おはようございます法師先生」

「おはよう」

 交わされた名に、レノンとジョシュアは顔を見合わせる。

「じゃ、やっぱピアノを弾いたのが法師篤実で」

「金髪が一世聖…魔道警察のトップってことは、僕等のとこと階級が同じなら警視総監だね」

 さて、じゃあお茶を淹れようかと椅子から立ち上がる篤実とそれに続く聖。

 と、そこへ飛び込んできたのが三人いた。

「ちっ!!聖兄に負けたか!」

 いかにも悔しそうに言ったのは茶の着物、茶の長髪を一本のみつあみにした聖より若そうな青年。

「急いだのになぁ、残念だ」

 残念と言いながら何処か楽しそうに肩をすくめたのは白い髪に虹色を重ねた、白い着物の青年。

 これはもうレノンは一度見ている姿で、彼は白虎切言だとジョシュアへと教えた。

「…おはようございます、法師先生」

 前の二人の言葉を受けるようにして言った声には、渡と同じイントネーションがあった。

 ダークレッドの混じる黒の長髪を下の方で二つにくくっており、同じ色の憂いを帯びた瞳を持つ青年。体の線が前の二人よりも細い。

 その三人を見て、篤実は笑って。

「ああ、おはよう。少し残念だったね、煉喜(れんき)、切言、桐明(きりあけ)。おうちの仕事は大丈夫かい?」

 そう聞かれ、一番細い彼が答える。

「大丈夫です。出てもいいか聞いてきましたから」

 そう、と篤実は笑って、彼らを伴い会議室然としたその部屋へ。

 座っているように指示すると、自分は出ていった。

 茶を淹れに行ったのかもしれない。

 彼らの歓談を聞くうちに、二人はみつあみが煉喜、細いのが桐明、白髪が無論切言と理解した。

 やや間があって次に現れたのは黒の短髪に紫暗の瞳を持つ筋肉隆々の男と、緑の短髪と瞳の女性。

 彼女は女性にしては背が高く、髪の切り方もとりあえず短ければいいといったボーイッシュなもので。

「おう、どうやら俺達は遅れちまったか」

「先生はお茶を淹れてくださってるの?ヒジリ」

 言いながら、上座を空けて聖の隣へと二人揃って座る。

 女性に聞かれた聖は柔和な笑みで答える。

「そうだよ。随分久しぶりだけど…初樹(はつき)は今、正規魔術教員目指して修行中だっけ?」

 ええ、と女性が頷く。

「色んな学校で色んな先生に学んでるの。今は北国。次で研修終わりにして、一度試験受けるつもりよ」

「初樹が先生ってなんか変な感じだなぁ…で、(かおる)はフリーでうろうろか。いいよなあ気楽そうで」

 そう言う煉喜に、黒い短髪の男、薫は肩を竦め。

「そうでもねぇんだなこれが。結構苦労も多くてよぅ」

 苦笑と共に告げた言葉の頃、突然階下から怒号が聞こえた。

「遊凪ー!!死ねこんのド阿呆が!!」

「え」

「遊凪って…」

 あの遊凪さんだよな、と聞いてくるジョシュアにレノンは多分、と頷く。

 前に青宝絶音(せいほうぜついん)という名の曲刀を見て欲しいと連れてきた老人の名である。

 彼は水色でメタリックパープルの混じる長髪をポニーテールに結い上げ、目は紫陽花色。衣服は赤のローブという姿だったが…。

 しかしその怒号のことを考えている内に、二人の背後で戸が開く。

 ピアノの部屋へ通じる部屋から、目を擦り擦り一人少年が出てきた。

 この校の制服なのか、赤いマントのような姿をした衣服。

 濁る赤の短髪と、同じ色のつり目。

「渡さんだ」

 レノンが言った。漸く彼の記憶であるはずのこの世界に彼が現れたのだ。

 煉喜が声を立て、みつあみを揺らして笑う。

「一体どこいたんだ。お前眠そうじゃんか」

「…朝から奥で寝てたんや」

 くく、と薫も笑う。

「午前中授業あったんだろう?またサボりかお前。魔術剣の授業しか出てねぇって浬に聞いたぞ?」

「勉強は嫌いや。武器を握ってるだけがええ」

 きっぱりと告げたその口調。

 あらあら、と初樹が苦笑して。

「なーんにも言わないなんて、先生も何だかんだでちょっとばかし、ワタルに甘いわよね」

 渡はその言葉に何も反応せず随分と年上の仲間達を見て、疑問の表情を作った。

「……浬はどうした?さっき魔力感じたけど」

「まあ待て。すぐに来るわ」

 ふ、と桐明が無表情だった表情を崩して花が開くような美しい笑みを作る。

 三人組の中央に座っている彼に、両側から残り二人が同意。

 渡が、訳が分からないといったように首を傾げた時、ばん!と戸が、廊下から通じている戸が開いた。

 大きな音に、レノンとジョシュアも視線をそちらへと放る。

 現れたのは、

「やっぱり遊凪さんだ…」

 二人が会った時よりもずっと若い、二十代のころの彼だった。

 悪戯っぽく光る瞳が印象的な青年。

 彼、静桐遊凪が真紅の魔道ローブを翻して会議室へ飛び込むとすぐに追ってきた姿があった。

 やはりこの学校の生徒なのか、渡と同じ衣装を着た少年。

 青が濁った色のややつり目、それと同じ色の濁る青の短髪。但し、今は白い粉をかぶっている。

「ぶっ!おま、それどうしたよ?」

 それに噴き出した薫。心外だ、とばかりに少年は言う。

「遊凪のド阿呆が、俺の部屋の入り口に黒板消し挟んどったんや!それ避けたら…」

「ふふふ、一発目は避けられると思って足元にニ発目の起爆剤、糸張っといたんだよ!うまーくプチンと切ってくれてな!おかげで浬の頭にクリティカル★ヒットだ。凄ぇだろう!」

「黙れ死ね!!」

 むきになって怒る少年に、ちょっと悪い大人の仲間達は大笑い。

 それがまた恥ずかしいやらなんやらで、神経質そうな表情だ、生真面目融通が利かないタイプなのだろう少年は彼らにも怒る。

「っ~渡!!お前まで笑うな!」

 見れば、渡もまた口元に手をやり、堪え切れないというように笑っていた。

「いや…浬がそんな間抜けなことになってんのが、珍しゅうてな」

「だ・ま・れ!人事やと思うて…!」

「こらこら、そこまでにしなさい」

 その時、廊下側から笑みを湛えた篤実が帰ってきて、青い髪の少年、浬は渡の胸倉を掴んでいた手を離す。

「先生!遊凪が…」

「うん、じゃあ話はお茶を飲みながら聞くよ。ほら、美味しそうだろう?」

 彼が浬に示したお盆にはレモンティーが人数分と、一本のロールケーキ。

「素敵!先生が作ったの?」

 そう聞く初樹に、篤実は頷いて。

「今日の為に、昨日の夜作ったんだ。浬と渡に手を貸してもらってね」

 柔和な笑みを湛える篤実は、浬に盆を示していた左手をそのまま彼の頭の前へ持っていく。

 するとぱちん、と小さな音がして水泡が弾けた。

 その水泡は霧状に弾けて浬の髪を包み込み、それが失せると、綺麗にチョークの白い粉は無くなっている。

 その光景に、レノンとジョシュアとは揃って釘付けになった。初めて見る《完成された》魔術だ。

「ほら、綺麗になった。じゃあ|《皇帝の子ら》《エンブリオ》の久しぶりのお茶会を始めようか、ねぇ、浬?」

 そう言われて、渋々といった様子で浬が頷く。

「……はい、先生」

 かくして、篤実の手でレモンティーが配られ、篤実に指名されて《長兄》の聖がロールケーキを切り分ける。どちらも全員に行き渡ると、じゃあと篤実が言った。

「浬、遊凪のした事だけれど、どうしてだと思う?」

「どうしてもこうしても…!」

 上座の篤実に問いかけられ、同じく上座に立つレノン、ジョシュアと向き合う形だった浬は机の向こう側、上座から聖、煉喜、桐明、切言と並び一番下座に座っている遊凪を睨んだ。

「遊凪は俺をおちょくって楽しいだけです!」

「そうとは限らんぞ副会長殿?」

 にやにや、そんな擬音付きで笑いながら声を上げたのは煉喜だ。

「お前、端から見てどれだけ力入ってるか分かってるか?俺達が生徒会長だった時以上だぞ」

「当主見習いの今も力入ってないやろ」

 冷静に隣、桐明につっこまれ、まあな!と煉喜は認める。

「レンのいう事は後半無視な。あと力入れてなかったのこいつだけだ。レンは高等部時代色惚け全開MAXでさすがの俺達も手に負えなかった」

「ちょ、セツ!酷さにも限度がある!あと高等部のことは春陽(はるひ)が可愛すぎるのが罪作りだ」

 は?と思考が停止した浬に続けるのは切言で、彼の言動を酷いというのは煉喜。

 煉喜は、春陽はあの時もうほんと可愛くてなぁ、あ、今は美人だ。などと素でのろけた挙句に桐明に後ろ頭をぶん殴られて黙らされた。

「相変わらずあんた達三人、仲良しねぇ…いいことだけど。ま、つまりそういうこと」

 薫を挟んで、初樹が浬の顔を見て言った。

「まぁねぇ…超の付く問題児、渡と同室だから苦労も絶えないんだろうけど…あ、昨日も乱闘騒ぎだったそうじゃない?」

「悪かったな問題児で」

 むっつり、腕組みの姿勢で渡が返す。そのまま彼の目は浬を捉えて。

「邪魔やったらいつでも出てくぞ」

「出てけなんて誰も言うてへんわ阿呆。第一、好き好んでお前の世話する奴なんて俺の他におらんやろ」

「あーあーこらこら止めろって」

 そう薫が言いながら浬の頭をホールド、自分の方へ引っ張って渡から引き離す。

「なんで浬は、渡とはすぐ言い争いになんのかね」

「喧嘩するほど仲がいい、と言うやつさ」

 そう言って笑む聖はロールケーキを口に入れて幸せそう。

 ははは、と皆を一望する篤実は声を立てて笑って。

「分かったろう、浬。ここにいる皆して、新しく生徒会の副会長になり心労が増えて、最近顔色も悪い気がする君を心配していたんだ。誰よりも遊凪と…渡がね」

 その言葉に浬は驚いて隣を見るが、渡は目線をふいと窓の外へ。ぽつりと言った。

「…同室の人間に辛気臭い顔されたらこっちの気が滅入るわ」

 その様子に、本当によく似た二人なんだよなぁ、と篤実は苦笑。

 一口レモンティーを含んで言った。

「渡はその心配な気持ちを、浬に率直に言う方法がわからなかった。そういうのに慣れてないからね。それで私に教えてくれた。無論私も気付いてはいたけれど…」

「私達もそれを聞いて心配してたんだ。体を壊しはしないかって。浬は少し真面目過ぎるからね」

 言葉を接いだのは聖で、彼も優雅な動作でレモンティーを口にしながら。

 ね?と問いかけるのは目の前、初樹だ。

「ええ、そう。なんでもカイリ、高等部一年も首席修了だったそうじゃない?ほぼ満点で。どーせまた根詰めてくそ真面目に勉強したんでしょ?」

「自称女の子が『くそ』とか言うんじゃねぇよう」

 おいおい、といった口調で注意する薫に、悪かったわね、と言い返して続ける。

「あんまりご飯食べないって話もワタルに聞いて、お姉ちゃんはカオルと電話でどうするか話し合ったりしたのよ?」

「おうよ。遊凪がやってなきゃ俺が何かしてたかもなぁ。こう、なんかぱーっと笑えるのを」

 先越されて残念だ、と言って、だが嬉しそうに笑う薫はもうロールケーキを食べ終え銀のフォークを置く。

「ふむ。私個人としては得意の幻術でなんか笑わしたろと思うてたんやけど」

 そう言う桐明に、そうそうと切言が。

「一週間休学させて俺達の東の別荘で強制休暇って案がそのあと有力になったんだよなぁ」

「素敵なタイトル付だったよな!」

 煉喜の言葉を聞いて遊凪が頬杖の姿勢、無邪気に問う。

「で?そのタイトルって?」

 桐明が真顔で答える。

「『東国別荘シリーズパート4・春から夏へ…花見温泉湯煙殺人事件』」

「聞かなかったらよかった!」

 ひぃ!と多少ビビリの聖が。

「それ完全トラウマ物だよー!癒す気皆無だよ!なんでシリーズ化してるの!?」

 うむ!と煉喜が何故か誇らしげに。

「一週間の休学のはずが、永遠の休暇になる!永遠に俺達の別荘で癒し続けてやるぞ!エンドレス癒しだ!」

 この面子中唯一の女性、初樹は苦笑して。

「あーうん。あんたたち三人、脳の検査受けてきなさい。常人と九割構造が違ってると思うわ」

 その時だった。

 ぷっ、と浬がふきだして、それはそのまま声を上げての笑いになる。

 止まらず笑えて泣けてきたようだ。それがひとしきり続いた後漸く喋れるようになった浬が言った。

「皆、最高や。なんか、全部アホらしゅうなるぐらい」

 ありがとう、と彼の口から告げられた遊凪は、それはそれは嬉しそうに一つ笑顔で頷いた。

 それをとても楽しそうに見ていた篤実が、浬にふと一つ聞いた。

「渡には、いいのかい?」

 そうすれば浬は、にや、と笑って隣の少年を見て答えを返す。

「ええんです。下手に礼言ったり褒めたりしたら…俺とコイツの距離は逆に開く」

 そう言った浬の顔は実に晴々としていて、目を逸らしたままの渡の顔も心なしかいつもの仏頂面から柔らいで見えた。

 そうか、と篤実は笑って。

「じゃあ今日は魔術談議は無しだ。後の時間は…」

 少し溜めを置いた篤実に、皆の視線が集中。

 なんだろう、と予想したのは二人同じだったようで、レノンとジョシュアはそれぞれの考えを述べる。

「ゆっくりこのまま雑談じゃないかな?というか、魔術の談議とかしてたんだね、普段。結構堅いなぁ」

 そうレノンが言うと、いやいやとジョシュアは腕を組んで。

「俺の個人的希望としては模擬戦がいいな!」

「超個人的希望来たね」

 しかし篤実の口から来た答えは、どちらとも違った。

 予想もしなかった答えで、でも彼らにとっては当然の答えだった。

「歌おうか。浬の肩の力をもっと抜く作業だ。皆、協力してくれるね?」


 皆が席を立って向かうのは奥、ピアノの部屋。

 レノンとジョシュアもついていく。

 奏者の席につくのは篤実で、彼の周りを皆が囲むがそれは大体年齢で固まっていた。

 聖、初樹、薫の年長組、煉喜、桐明、切言の三人組、それに遊凪、浬、渡の年下組だ。

 一番歌うことを楽しそうにしているのは遊凪だった。

「な、先生最初何からいくんだ?」

「ん?うーん、そうだね…こうして皆と一緒には久しぶりだから、まずは皆で歌える歌がいいね。せっかくここで歌う一曲目だから、私の作った曲にしようか」

 篤実の細い指…騎士然とした服装からして剣士なのだろうがそうとは思えない綺麗な指が鍵盤に載り、なだらかに動く。

 初めはでたらめに。

 そして一つの旋律を紡ぎ始めた。

 優しく流れる、起伏には乏しいが几帳面に編まれた織物のような曲調。

 そこから突然アップテンポに入って、跳ねるような元気さを得て。

 レノンとジョシュアとが見る皆は、それが何の曲だかすぐに分かったようだった。

 体でリズムがとられている。

 音が消える一瞬の後、入った。まずは全員の声量が来る。

 男声が多く、女声もハスキーボイスの初樹のものだから、自然歌声は低く。

 だがそれ故に重厚な響きを持って部屋を鳴らした。


『――もしも私が神様ならば』


 次に来るのはソロ、テノールの聖のパートだ。

 真摯な態度が基本姿勢の《皇帝の子ら》の長兄は無論高貴この上なく麗しい声で紡ぐ。

『世界は優しく 暖かい思いやり溢れていて』


 ソロのパートは続く。初樹だ。

 女声、アルトパートで歌う彼女は力を込めて、だが女性特有の華やかさを付加して歌う。

『戦争もなければ 餓えもせず』


 続くは更にアップテンポ、明るいパート。

 歌うは地を震わすバスのパート、薫だ。

 彼は楽しそうに紫暗の瞳を煌かせ。

『誰も彼もが夢をもって』


 次はソロパートではない。三人組はやはり三人組。

 桐明がバリトン、煉喜がテノール、低音の切言がバスパートを担当する。

 中等部時代に出会ってからというもの、互いを魂の片割れといって憚らない三人だ、息の合い方は言うまでも無い。

 完璧なハーモニーが奏でられた。

『誰も彼もが楽しい そんな世界にするだろな』


 次には真剣、力の篭る叫びのようなパート担当するのはバリトンの遊凪。

 彼は右の拳を握り、それが彼の本心の言葉であるように歌い上げる。

 なんでも出来てしまう天才と呼ばれる彼は、無論歌唱力も並以上であり。

『子供だって願える単純な願い』


 叫びは続く。受け継がれた先は同じくテノール浬で。

 彼は遊凪と対称的に胸に手を。理性的に。

『そんな全部を叶えたいのに』


 ソロパートを締めくくるのは静かな、静かな呟きにも似たバス、渡のパートだった。

 渡は静かに目を閉じて。

『どうしてだろう? どうして私は 強くなれないんだろう?』


 後は全員一緒に、強く歌い上げる。

 ただ終わりに向かって、全員が気持ちよく互いに響き合う音の場だ。

 その音に囲まれ弾く篤実が、一番気持ちよさそうな顔をしているようにも見える。

 彼の声もまた歌を紡いだ。


『どこまでも どうしても 弱い身体が 軋む心が 求める 

 強くなりたいよ 明日笑えるよう 

 でもやっぱり 神様はいいか 

 君と出会えて思えた 君と同じ 哀れな人の子で

 私はそれでいいや 君とでなきゃあ、―――』


 曲が終わり伴奏が途切れて。最高!と遊凪が嬉しそうに叫んだのを終わりにして、レノンとジョシュアは世界の転換に巻き込まれた。


 ◆


「…お?お?」

 暫く先ほどの歌に二人は放心状態だったが、我に返ったジョシュアから疑問の声が上がる。

 周囲の世界は変わっていた。

 あのピアノの部屋ではない。

 どうやら周囲の世界は赤い城の中ではないように思えた。

「それで」

 後ろで響いた声に、二人で振りかえる。

 浬と渡との姿があった。

 やや成長したようで、二人とも軍服に似た灰の服…レノンが輪風の世界で見たのと同じ服を纏っている。

「お前も来るんか、魔道警察に。それも俺と同じ本部勤務かい」

 そう訊いたのは浬、答えるのは渡だった。

「元々俺が魔道警察へ行くんは決まってたことや。戦いしか能のないような奴やしな。お前が行ったんがおかしい。配属先はどこでもええって言うたら、聖に勝手に決められたんや。なんでも、自分の目に付く場所に置いときたらしくてな」

 そうか、とだけ浬は返した。

 また転換が起こる。随分早い、とレノンは思った。


 世界が変わった。

 どこかの建物の中、夕焼けが照らしている。

 今度は二人の前に、浬と渡とがいた。歳をとって、壮年と呼ばれる頃合だ。

 衣服は互いに濃灰のスーツで、浬は椅子に座り渡は立っていて二人の間に重厚な机と大量の書類がある。

 他に変わった所と言えば、浬の短髪がオールバックになり、手には白い手袋、頬に傷があった。

 渡の首にマフラーが巻かれている。

「渡」

「あ?なんや、わざわざ呼び出して」

 浬は一時沈黙して、意を決したように。

「西国支部を任されることになった」

「は?」

 訳がわからない、というように聞き返した渡に、浬は続ける。

「来月聖さんの警視総監就任が決まった。それで、右腕として使ってきた俺をどっかの支部長に据えることにしたんや。丁度西国支部の落影(らくえい)支部長が今月一杯で隠居したいって言っててな。それで、西国支部が空くんなら俺を西国支部長にってことらしい」

「……そうか」

 渡は一度頷く。

「で?俺は本部勤務のままか?」

 やや寂しそうに見えるその表情に、浬は一度笑みを浮かべる。

「聖さんが言うてくれたんや。本部だけでなく、どこの支部からでも好きな奴連れて行けって。俺の信用できる人間、俺が力を認めた人間を西国支部へって」

 射抜くような印象的な視線で、渡を見つめる。

「誰でも選んで連れていける、その権限を初めて行使する。来るか?俺と一緒に、正義と騎士の国へ。先生の教えてくれた正義を果たしに行く鬼に…鶴はついて来るか?荒れ模様、辛い空を…空を飛べん鬼の代わりに飛ぶ覚悟はあるか?」

「訊く意味があると思うて訊いとるんか」

 間髪入れずに返せば、立ちあがった浬が渡の横を抜け、この部屋を後にする。

 渡に背を向けたまま、言葉が飛んだ。

「鶴恩渡。お前が来月から西国支部の刑事長…実働部のトップ、支部長の右腕や」

 刹那、世界の転換が襲ってきた。おかげで、渡がどんな表情をしてどう答えたのかは二人には分からなかった。


 ◆


「見たか」

 は、と気が付けばそこは元の部屋。

 レノンの家のリビングだったり応接間だったり色々な部屋で、コーヒーを飲みながら渡がこちらを見ている。

 見れば、自分のマグカップからはまだ湯気が立ち上っていて。

「はい…あの、歌…とても素敵でした」

 素敵な仲間ですねと言えば渡はばつが悪そうに、記憶の中で見たのと同じように視線を逃がした。

「でも、なんで歌を?」

 そのジョシュアの問いにはすぐに答えが返る。

「俺達の世界、魔道士の世界では舞いと、それに歌を付加する文化があってな。卒業・入学式とか昇進の祝いとか、とにかくめでたい席で舞われるんや。その舞いと歌とが上手い奴が重要な地位を得てた時代があったらしい。今はもうそんな露骨でもないけどな…まあ下手より上手いほうがええやろ。それで先生が俺達にみっちり教えてたんと…先生の趣味が作曲やったんで、先生の趣味ってのも関係するか。俺の取り得が戦闘技術と音楽しかなかったんもある」

 へぇーとしきりに感嘆するジョシュアに渡は、止め止めと言うように左右に手を振り。

「トリィに関係ありそうなこととかの解説、いるか?記憶見ただけやったらちょっと足りんやろ」

「お願いします、あ…えっと」

 なにやら言いたいことがありそうなレノンに、渡は口を挟まないことで続きを促す。

「僕達が見たのは渡さんの記憶なんですよね?何故初めの記憶で、渡さんは眠っていたのにその間の皆さんの記憶が見えたんです?」

 ああ、その事かと一つ頷いた渡は軽く左腕を広げる。

 一瞬のイメージでそれは来た。

 魔力の可視化である。

「うわっ!?」

 ジョシュアが思わず眼前の光景に声を。

 透き通った赤い何物かが、渡の身体を中心として発散、ジョシュアとレノンの身体を貫き部屋一つを埋め、それは壁を突き抜け外へと出ていて。

 まるで焔のように揺らいでいる。

「俺の発散してる魔力をお前らにも見えるようにした。俺らの扱う魔力いうんは、要は生命力や。生きてるもんは動物でも植物でも持ってて、人間はそれをきまりに従って定められた呪文で増幅させたり調整したりして術の形にする。慣れたら集中だけでも使えるけどな。病や術の使い過ぎで魔力を使いすぎたら、命にも関わる」

 もう一度の集中で、赤い光は消え失せた。

「|《回想》《リメンバーストック》は、正確には使用者の魔力が記憶してる物を他の奴に見せる術らしい。俺は頭が悪いんで詳しくはよう分からんけどな。さっき見せたように、魔力はなんもしてなくても勝手に結構な範囲に広がる。他の奴に見せんようにする事は出来ても、全く出さん事は無理や。まあ、そういうわけやな。あの時俺は奥の部屋で寝てたけど、魔力の届く範囲内に先生や他の奴らがおったからそれが記憶として残った」

 一度喋り疲れたか言葉を切って。

「犯罪操作にもよう使われる術や。不便なんは自分の記憶に自分で入れんこと。俺も初めの記憶の中、俺が起きてきてないとこの記憶は勿論無い。浬に見てこさせて、それを聞いたから大体は知っとるけどな」

 こんなとこで分かったか、と聞くとレノンは頷いた。

 ジョシュアはまだ唸っていたが、レノンは相棒が難しい事を理解できないのはいつもの事なのでさっさと進める。

 渡は次に記憶の中、トリィに関わるかもしれない話へ。

「それで…三人組の中の白髪の男が白虎切言、輪風の半身を作った男。水色の長髪、年寄りが法師篤実先生、金髪のふわふわしたのが一世聖。静桐遊凪には会ったんやったな」

 はい、とレノンが返す。

「そこからあの三回ともに出てきた、鬼島浬にレノンの話がいっててな。それを浬が俺に教えて、今俺はここにおる」

 遠くを見る眼で、続けた。

「調査書に書いたように、トリィの基礎には篤実先生の魔力があって中に魔力を注入してある。その魔力は先生が亡くなってから暫くで尽きてな。その代わりに、俺達…記憶の中で見せた、先生を慕った集団、《皇帝の子ら》の長兄、聖がトリィに魔力を入れた。エンブリオって名は確か記憶中に出てきたな」

 どう続けたものかと思案、続ける。

「先生は正義を愛した人やった。己が絶対に貫きたい思いを正義と定めた人やった。俺達は自分の正義をもって、その時から生き続けてる。その正義が、俺には大切な人間の道を護る事や。俺は…最初の記憶で見たような調子や。浬と妙に気が合うような合わんような感じで、何十年も浬の道を護る為に戦ってきた。その俺を助け続けてくれたんが、トライアンフ…|《凱旋の女神》《ゴドネス・オブ・トライアンフ》」

 はい、よく分かりましたと頷いてレノンは破顔した。

「今こそ、僕はトリィと話しにいこうと思います」

 頼む、と渡が言うとレノンは右手を机の上へ。

 Godness of Triumphの上へと乗せた。

 刹那、視界が黒に染まりレノンは武器の世界へと飛んで行く。

 意識だけの存在となって。


 ◆


 え、という戸惑いの声が落ちる。

「これ、は」

 赤の城のどこか一部だろう。似たような色彩と床だ。

 眼前には、撒き散らされた白い画用紙。

 そしてキャンバスに向かう少女がいた。

 真っ白な布で構成されたふっくらとした衣装はそれこそ女神のそれを思わせ、同じく白い紐をベルト代わりにして腰の辺りで縛っている。

「……」

 彼女は無言で振り向いて。

「あなたは勘が、いいんですね」

 金の長い髪に碧眼、天使のように愛らしい少女の姿に違わず可愛らしい声だった。

「なんでもお見通しみたい。篤実先生や聖さんや、他の皆のことを知らなかったら、このお城の中でお勉強してもらおうと思ったんだけどな。渡さんの周りの人のことを知らない人と話すの、嫌だもの。でもさっき渡さんの過去で勉強したものね。だからここに直接連れてきてあげたの」

 レノンは暫く驚いていたが、彼女にキャンバスを示されて声を思わず漏らす。

「あ…それは…」

 彼女が描いていたのは、渡と仲間の姿だった。

 中央に立つのが法師篤実、両脇に聖と初樹がどちらも笑顔で。

 初樹は篤実の右腕に己の腕を絡めていて、篤実はそんな彼女に苦笑を見せている。

 初樹の隣で、座っている遊凪の頭をくしゃくしゃと撫でる薫。

 止めろと言っているのだろう、両腕を上げ彼を止めようとしてやはり笑っている遊凪。

 聖の隣には三人組がいて、煉喜と切言に挟まれた桐明が年齢につりあわないほど幼く純粋な、こぼれそうな笑顔を向けている。

 幼い子を護るように両脇の二人も笑みを見せる。

 薫の更に隣に、記憶中の姿で渡と浬がいた。

 浬は両手に何やら書物を持って微笑しており、渡は肩に刀を担いで、珍しいことに確かにその表情は笑みだった。

 皆に頭上から、雨の如く降り注ぐのは桜の花びら。

 桜の花言葉は、『善良な教育』という。そう、絵を描いた彼女が口にした。

「同時に、桜は桐明さんの花でもあるの。私が好きだから描いたって理由もあるけど」

 とても明るい、楽しい気分になる絵だった。

 少女のような彼女の外見に似合わず、精巧な絵でもあった。

 素敵な絵です、とレノンが褒めれば嬉しそうに彼女は笑った。

「私はいつもここで、こうして色んな渡さんに関係する絵を描いてる。この絵は、もう少し修正したら完成だよ」

 完成した所も見てみたいと思いながら、レノンは言う。

 ここに来た真の目的の為だ。

「僕がここに来た目的のことなのですが、お話していいですか?」

 その言葉に彼女は頷いて、いいよと言って筆を置く。

 キャンバスからレノンの方へと身体を向けた。

 だからレノンは聞く。

「あなたは、昨日の晩渡さんに訊いたところ…最近急に聖さんの魔力が入らなくなったそうですね。その不調を、僕は治しに来たのです」

 その言葉に、あ、と彼女は顔を赤らめる。

「私…」

「ええと、何か心当たりが…?」

 こくん、と少女は頷いた。

「渡さんが、大好きで、それで…」

 かあと顔を真っ赤にして告げられた言葉、凱旋の女神が告げるその全てをレノンは聞き届け、覚えて。

「成る程、分かりました。確かにお伝えします。西国の騎士達を護る、凱旋の女神よ」

 全て聞き終えてそう言えば、トリィは安心したようにぶんぶんと縦に首を振った。

 幼い笑みが浮かぶ。

「ありがと。私、あなたに会えてよかった」

 僕も、あなたに会えてよかったです。

 そう、レノンは笑った。


 ◆


 凱旋の女神は思い出す。千刃鶴(せんばづる)と呼ばれ、無双の強さを誇る主と歩んできた日々を。

 多くの怪我をした主を癒しきれないこともあった。

 護りきれないこともあった、それでも。

 それでも主は感謝してくれた。

 俺の強さはお前のおかげや、と。

 主は友と共に西国で戦うようになって、多くの部下に囲まれるようになって。

 そうして、そのうちに自分は西国支部の女神と呼ばれるようになった。

 飛び続ける鶴を天より守護する女神。

 そう、呼ばれるようになった。

 とてもそれは幸せな事だった。

 武器としてではなく、彼のパートナーとして認められたようで。

 とてもとても、幸せ。

 凱旋の女神の記憶は主の姿と共に、大きな幸せに満ちたものだ。


 ◆


 回帰の感覚。レノンは再び帰って来て、閉じられた瞳を開く。

「ただいま帰りました。ありがとう、トリィ。確かに伝えるよ」

 そう言って、一度鍔を撫でた。

「嫌に早かったな。俺と渡さんが話す時間も無いぐらいだぞ?」

 驚いたようなジョシュアに、笑ってレノンは頷く。

「渡さんに記憶を見せて頂いたのがよかったみたいです。捜す必要無く、彼女から僕を呼んでくれましたから」

 さて、とレノンは座り方を直して。

「彼女の不調は、多分簡単なことで治りそうです。えっと、僕が不調に心当たりはと訊いた時の彼女の答えをそのまま口にしようと思います。僕のような男が口にするとちょっと気持ちが悪いかもしれませんけど。…トリィは金の長髪に青い瞳、白い…天使のような衣を着た、可愛らしい少女ですからその辺りを考慮しながら聞いてください」

 ああ、と渡が返したのでレノンは始めた。

「『渡さんが大好きで、それで…渡さんの役に立てるだけで嬉しいのに、でも…他の武器達が手入れとかよくしてもらってるのに、私はあんまりそれが無くて。護り刀だから痛むことが少ないんだから当たり前なんだけど、でも羨ましくて。なんだかもやもやした気持ちになっちゃってた。だから、それが多分影響してるんだよ。渡さんを一人占めしたいような気持ちになる。悪い子だよね、私。でも、大好きなの』」

 一度言葉を切って。

「って、こういう感じなんですが…どうしました?怖い顔で」

 眉をひそめ、レノンを睨むように見る渡。

「……なんやその痒うなりそうなのは」

「だってトリィがそう言ったんですもん」

 あはは、とジョシュアが笑う。

 酷く彼は面白そうだ。

「お医者様でも治せない恋の病ってか」

 レノンが肩を竦め。

「でも、解決はある意味簡単でしょう?渡さんがトリィのことを大切にしてるって、ちゃんと示せば解決すると思います」

 さあ、どうするか考えてくださいね?とレノンに言われ、渡は複雑な表情で溜息。

「……女は苦手や。記憶で見たやろ、初樹っていう緑の女…って女は一人しか出てないか」

 ええ、と頷けば心底嫌そうな顔で。

「アレがとんでもない女でな。他にもとんでもないのしか周囲におらんかったから、完全にトラウマや」

 さてどうしたものか、と頭を抱え、そして暫しあって顔を上げた。苦笑の表情。

「帰ってから、俺より頭のええ上司に聞いてみる」

 それで、と聞く。

「輪風はさっきお前がトリィのとこに行ってる間に受け取った」

 指差された机には、確かに輪風朱姫の包みがあった。

 そのまま渡は右手でそれと、トリィも一緒に拾い上げて。

「それで、浬が早う帰って来いって言うてたから帰ろうと思うけど…報酬はなんや?菓子か?」

 遊凪の時の話を聞いていたのだろう、そう聞いてきた渡にレノンは返す。

「あ、では、お願いできますか」

 二本の指を立てて。

「いつでも構いませんから、出来次第で…二つ、刀か剣の魔術武器を作ってもらえませんか。僕とジョシュアに一つずつ。勿論、渡さんの魔力を使ったものを。魔力のない僕達でも有するだけなら大丈夫でしょう?」

 予想していなかった答えか、渡は驚いたように目を見開く。

 レノンは続けた。

「魔道武器っていうのが、凄くいいものだと思ったんです。だって鍛冶師と基礎魔力を提供する魔道士、両親が揃ってるんですから」

 渡はレノンの答えを聞いて、それから僅かに笑う。

「ああ、分かった。出来次第送る」

 ではと別れを告げると一瞬で、その姿は風に包まれ消え失せて。

 そうして、彼とレノン達とは別れた。


 ◆


 それから、一ヶ月ほど後の話になる。

 砂糖・ミルクがどばどばのコーヒーを飲みながら、レノンとジョシュアが語らっていた。

 机の上には二つの武器が乗せられている。

 一つはとても細身の刃を持った、短めの剣。

 金の茨と青い宝珠があしらわれた優美な物で。

 もう一つは刃の幅だけで二十センチもあるかと思われるほどの大剣で、角張った無骨なフォルムと赤い宝珠が特徴的だった。

 レノンが同封の手紙を手に話す。

「銘はこっちにあるけど、後で見てよ。名は、僕用の細い方が『ルミネ』、ジョシュアの太い方が『ガルゲルダ』。両方とも、渡さんが作った武器だから女性名をつけたらしい」

「ガルゲルダか…じゃあ呼び名はガルだな。よろしく」

 やーいい剣だ、と武器オタク入った表情でガルゲルダを眺める友。

 それをちょっと嫌だなあと思いながらレノンは先を読み進めて、手紙を読んでいない友に聞かせる為に喋る。

「輪風は部屋に置くことにしたって。それから」

 ふっ、と表情が緩んだ。

「トリィには、あの車輪のようになった鍔にリボンをつけてあげたんだってさ。部下の皆さんや浬さんと話して。結構彼女にリボンをつけてあげるの人気みたい。若い部下の人を中心に、浬さんも加わって…色んな人がつけ替えてくれて、殆ど日替わりの状態なんだって」

「よかったじゃんか!それって、トリィの世界ではちゃんとトリィ自身がリボンで髪結ってたりすんだろ?」

 ちゃんと話を聞いていたらしい友が、そう返すのにレノンは頷く。

 そう、武器の体に施した装飾は精神にも影響を与える。

 柄に赤い布を付けてもらったある槍は精神の世界では首に赤いマフラーを巻いていた。

「それでね、その日替わりの方は一本で…もう一本はずっと同じリボンをつけてるそうなんだ。それが…渡さんの髪と同じ、濁った赤色のリボン。渡さんが自分で買って来て、結んであげた物だって」

 レノンには、くるくる替わるリボンと、替わらない濁った赤色のリボンとで髪を二つにくくり幸せそうに微笑む、小さな女神が見える気がした。

「これからもずっと…渡さんと一緒に幸せに。トリィ。ちゃんと渡さんは、あなたを見ていてくれますから」




(――ありがとう、渡さん)


(ずっとずっと、大切にするよ!)




黄昏庭(たそがれにわ)』に存在する唯一の国、タソガレ。

 そこに一人の青年がいます。

 武器と話す青年が。

 全ての世界において一人しか持たない異能の彼は

 今日も全世界の人々の、問題を起こした武器と話します。

 武器、ワラウワラウ

 幸せに、苦しんで、楽しく、一人で、想って

 思って



 今日も明日も、お客さんは絶えません。

 だけれどこの物語は、ひとまずここでグットアンド トゥルーエンド。





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