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武器シリーズ  作者: 久楽
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武器カタルカタル

 

 魔術軸第三分岐第六世界『黄昏庭(たそがれにわ)』。

 その世界は、たった一つの大陸にたった一つの国。

 国民達は争いを好まず、極めて平和に平和に暮らしていました。

 言ってしまえば、〝心〟がなかったのです。

 こう改善してみよう、とか今の方法ではここがいけないと思う心が。

 だから自然科学は勿論、魔術軸にありながらも魔術もほとんど発展していません。


 この国は『タソガレ』と呼ばれます。

『黄昏王国』でも、『黄昏国』でもなく『タソガレ』。

 タソガレには四季が無く、雪は降らず、焼けるような灼熱の太陽もありません。

 農業を続けていれば飢えることもないこの世界では、人間同士の戦は過去の話となり、戦と言えばいつのころからか現れた魔物との戦を表すようになっていました。

 同時にこの国は、魔術軸のみならず他の軸にある異世界とも交流し、変わり者が異世界の文化…書籍や日用品を取り入れたりもしていました。

 この国では、異世界の存在は一般人にも知られていたのです。

 魔術の発展していないと先に申し上げたこの世界で、数人の魔法使いが暮らしています。

 異世界から見れば魔術などとはいえない、不格好で不完全な《それ》。

 しかしそれは、異世界の誰も持ってはいない奇妙で特殊で目を引くものでもありました。

 彼らの《それ》は学問として成立した魔術ではなく、彼らが普通に生活する内に自然と発生したものでしたから、それも当然かもしれません。


 Ladies and Gentlemen!

 そろそろ始めることにしましょうか!

 これから紡ぐは武器と青年と鍛冶師と世界の物語。


 武器、カタレカタレ

 想いを、悩みを、嘆きを

 そして何より大切な所有者を。

 彼ら彼女らと共に歩んでいくために。

 同じ《世界》にいる為に!


 今日お話しする物語の主人公は

 《銀の意志》と《蒼き宝》。

 二人はここに問いかけをひとつ。


 いつまで、あなたと共に歩いていける?


 ◇


 銀色の彼はいつも、いつも思っていました。

 いついつまでも、今まで共に歩んできた彼と共にいられればいいと。

 それでも彼は知っていました。

 いつか別れが来る事を。

 だからせめてその時まではと


 独りきりの世界で考え込みました。


 ◇


 第三の月、十と三日。

 王国ほぼ中央に位置した首都ヴィスベルから南東の方向。

 街の中全てを駆け巡る水路が大きなシンボルとなった水の街『キーモス』。

 そこで気まぐれに学校の先生をしたり、野菜を作ったりして暮らす魔術師がいた。もどきだが。

 多くの異世界の本が詰まった本棚に囲まれて、机に向かう青年の名はレノン=コール。

 キーモスの民には青系統の髪色の者が多いが彼もその例に漏れず、ふわふわとしたどうとも説明のしようのないぼんやりとした空色の髪と、意志の弱そうな濃い海の瞳を持っていた。

 その瞳を覆うシルバーの眼鏡は角縁。

 ほっそりとした肉のつかないからだに、だぶっとしたジャケット。

 どこからどう見ても徹夜続きの学者のようで、戦闘技術には疎そうである。

 その彼は異世界から持ってきたのであろう万年筆で何かを紙に書き付けていた。

 普通この世界で話される言語はこの国で生まれた公用語、フィール語だが書かれていく文字はこれもまた異世界からの輸入もの、漢字である。

「十と三日…レイピアのシュトーナク、修理は順調明日依頼主に返却。えーと…ランスのベリルガント、依頼主は西のワイスのパン屋リンガーロンさん…今日から修理開始、と…」

 ぼそぼそとフィール語で言葉に出しながら書き付けていく。

 これは彼の数ある癖の一つといえることだった。

 一通り書き終わったことを脳内確認、コツコツとペンで机を叩く。

 快い音だと思う。

「書いておかないと覚えていられない頭だからね、僕の頭って…」

 そうして、換気扇の回る薄暗い部屋で振り返った。

 視界に映る埃っぽい部屋、本棚。

 本棚にはありとあらゆる、異世界から輸入した本がぎっしりと詰まっている。

 一切窓のあけられていない密閉された空間。

 レノンの視線が噛み合うのは壁際、木箱の中へ入れられた鈍く光る金属だ。

 強く意思持つ、彼の愛する金属。

 今入っているのは二本。一本は自分の刀、宗久(むねひさ)

 そしてもう一本が昨日来たばかりの新入りだ。

 カタカタ、カタカタ。

 静かな部屋によく響くこの音。

 彼がここに来た理由である、『独りでに震える』という現象がここでも起こり音を生み出していた。

 レノンの目にはこんなところに主と引き離されて連れてこられて、どこか戸惑っているようにも見える。

「これから暫く宜しく、ベリルガント。君がまた働けるようになったら、すぐにリンガーロンさんのところに返すからね」

 その戸惑いを解すためか、レノンは穏やかな声を投げかけた。

 パン屋を営むようになるまで王国軍として働いていた…つまりは魔物との戦いを専門として行っていたリンガーロンがここへ持ってきたベリルガントと銘のあるそれは、軍用槍(ミリタリーランス)だった。

 まっすぐで飾り気のない刃を持った、百七十センチメートルもないレノンの身長より長い百八十センチメートル前後の全長を持つ、シルバーのごくシンプルなランスだ。

 ただ戦うことのみを考えた設計、鑑賞用の美しい武器のように飾り立てていない、凛とした鋭い美しさがある。

 その装いに不似合いに、刃の本に取り付けられた赤い布がある。

 血の赤よりもっと鮮やかなその布はもう十数年昔にある戦に勝利した際記念に付けたものだというが、少し古ぼけているだけで大きな破れやほつれは見当たらない。

 物が壊れぬよう保護できる力をもった魔術師がいたはずだから、おそらくその者の力がかかっているのだろうと推察し、訊いてみるとやはりそうだった。

 幾多の戦いを経ても同じ布が残るようにと術を施してくれたらしい。

 ベリルガントと自ら名をつけたこのランスと、何百、何千もの戦いを共に生き抜いてきたと語るリンガーロンの口調は誇らしげで、レノンはそこに自分と宗久の間にある一種の信頼関係のようなものを感じ取った。

 暫くベリルガントを見てそんな経緯を思った後、レノンは紙を巻いてぱんぱんと膝を払いながら立ち上がる。

 もう昼が近いが、朝に来るよう呼んでおいた友が来ない。

 友は親子五代続くという馴染みの鍛冶師で、新しい武器がやってきた時《外部的な傷み》がないかいつも診てもらっていた。

 レノンが診ることができるのは、《内面の傷み》のみで、彼に鍛冶師の心得はない。

 困ったもんだねぇとぼやき、その友人の家であるこの街唯一の鍛冶屋へ向かった。


 ◇


 何度来てもむっとするような熱気には慣れない。

 レノンはふと、異世界の夏というのはこんな感じよりもっと熱いのかなと思う。

 鉄を打つ音が聞こえ、彼の父に挨拶をして奥へ入る。

 勝手知ったるなんとやらで、勝手にずかずか入っていくのが常だった。

「ジョシュア!!ジョーシューアー!!」

 危ない危ないと注意されるので余り炉には近付かず声を張り上げて呼ぶと、ううん?と唸りのような奇妙な返事が返ってくる。

 耳を叩きつけてくるような金属と金属がぶつかる音と、熱気が益々堪え難くなった。

 赤々と燃える金属を鎚で叩く男の髪は燃えるような赤毛、レノンとは正反対に、焼け焦げたりほつれたりした服を着てはいるもののとても活動的に見え、捲った袖から出た腕は筋肉隆々に鍛え上げられていた。

 しかし彼は振り向かない。

 自分が誰だか解っていないなと思ったレノンはまた半ば叫ぶようにして声を出す。

 大声を出すのは好きではないのだが、仕方がない。

 炉が燃える音と金属が叩かれる音で声が消されてしまう。

「ジョシュア!!朝の呼び出し、忘れたかい!?」

 その言葉にようやく合点いったように、びくんと彼の肩がふるえた。

「レノン!?」

 あたふた、と鎚が冷却用の水に浸されると暖められたものが急速に冷えて白い蒸気が一気に上がり、音を立てる。

 打たれていた金属はそのまま置かれそれからはゆるやかに冷却体制に移った。

 そうしておいて額に浮きだした汗を首にかけたタオルでぬぐって、ようやく振り向き目を合わせた。燃えるような赤い目は、ジョシュアの一族の男性が皆引き継ぐ色なのだとレノンは知っていた。その目の色が特別魔力が強いことを表す世界があることもレノンは知っていたが、今のところ、彼に魔術の素質はないと判断していた。

「いやーマジ悪い。つい仕事で忘れてた」

「毎日忙しいところ悪いけど、僕もジョシュアしか近くに鍛冶屋がいないんでね。頼むよ」

 男、ジョシュア=エビルソンは長年の付き合いだけにすぐに頷いた。

「よっしゃ、行こう。だけど一ヶ月前みたいに瀕死の剣を押し付けられても困るぞ」

「いや、今回はジョシュアも喜ぶんじゃないかな。綺麗なランスだから」

 一ヶ月前緊急でやってきた剣はそりゃあもうすごかったのだ。

 刃が真っ二つ、装飾玉も割れていた。

 何でも魔物と戦っているとそれまで傷一つなかったそれが突然折れたと。外面は勿論、内面も瀕死の重体だったがジョシュアの素晴らしい働きによって刃も玉も戻ったし、魂もレノンが修復に成功した為今は無事依頼主の許へ帰っている。

 しかしその剣を丸一晩かかって修復した後、ジョシュアが言ったのは『もう勘弁して下さい…』のみでその後ぶっ倒れた。

 それほど酷い損傷を受けた剣をまた押しつけられないかと心配しているのだろう。

 その友は、綺麗なランスだと告げるレノンの声に顔を輝かせた。

「ああよかった!!また殺されるかと思った!」

「相当嫌だったらしいね…」

 少し小高い所にある鍛冶屋を出、下っていく。

 六番水路の傍がレノンの家、鍛冶屋に近い側から一番水路、二番水路…となっていて、今ようやく二番水路に差し掛かったところだった。

 今日もいつものように空はぼんやりと青く、温かい風が吹いている。

「お前のせいでもある。あんだけ壊れてるものをなるべく他の金属を使わずに直せだなんて無茶もほどほどにしとけって」

 いかにもげんなり、といった調子で言った彼に、あははと笑いながら答える。

「うん、ごめん。でもジョシュアも武器の気持ちになって考えてよ。……自分の体に、得体の知れない何かが融合するんだよ?」

 ジョシュアは言葉に一瞬虚を突かれた顔をして、ああそういうことかと得心いったようだった。

「でも、他世界にゃ『臓器移植』だとか『人工心臓』って技術があるらしいぞ?それについてはレノン先生はどうお考えですか?」

 対してレノンは茶化すように言った彼の腰、服の裾をくいと引っ張る。

 途端に彼は歩いていたペースを崩した。

 どうにもいつもペースを奪われがちなレノンは彼の調子を物理的にではあるが崩してやったことで、してやったりとにやりと笑む。

「この世界にはないけどね。……僕は嫌だよ、そんな自分と他との境がわからなくなるの」

 途端に陰を帯びたレノンの顔に、普段彼が常に温和な笑みを浮かべるかぼーっとしているのを見慣れているのと、彼の事情を知っているのとで事の重大さに気が付き、げ、地雷踏んだかな?とジョシュアがあせったちょうどその時。

「レノンせんせーい!!」

 前からピンクのリボンが目立つ女の子が走ってくる。

「ゾフィーヌ!もう帰っていたんですね。お帰りなさい」

 彼女を認めるとレノンの顔は目に見えてぱっと明るくなり、駆け寄る彼女に腰を屈めて身長を合わせた。

「ジョシュアお兄ちゃんもこんにちは!」

「おう、お帰り」

 くりくりした、モモやイチゴの飴玉のように綺麗な桃色の目で見上げてくる彼女、ゾフィーヌはレノンともう数名の教員で教えている学校の生徒で、今年八歳の二年生。

 数字に強くすぐに四則計算を習得してしまい、意欲もあるので先生たちも彼女はきっと異世界へ頻繁に渡るような識者になるのではと思っていた。(この世界では珍しい人種だ。『意欲』があるというのは)

 その彼女は先週から南の牧羊地帯にある祖母の家へ旅行に行っていた。

 船を除き鉄道等、他の世界に存在する移動手段の殆どがないタソガレでは旅行はなかなかの大仕事になる。

「途中で怪我はしませんでしたか?」

「うん、大丈夫!羊さんがいーっぱいいてね、もこもこしてた!」

 牧羊は南の地域で主に行われていて、この近くでは殆ど見られない。

 彼女はいい経験をしてきたようだ、と思ってレノンは笑った。

「それはよかったですね。羊って近くで見ると大きいでしょう?」

「うん!思ってたよりずっと大きかった!でね、これお土産!」

 差し出された袋をジョシュアと共にのぞいてみると美味しそうなエクレアがあった。

「わあ、おいしそう。ありがとうございます」

 にっこり笑って礼をいえば、ゾフィーヌもうれしそうにした。

「じゃあね、先生!また明日ね!」

 今日は休日だが明日は学校がある日だ。

「はい、また明日」

 ばいばーい!と元気に手を振る彼女に眼鏡の奥、柔和な笑みを浮かべてレノンは手を振りながら立ち上がる。

 第四水路の傍にある家へ帰っていく彼女を見えなくなるまで二人で見送った。

「うちで食べようか、エクレア」

「ん?おう。つーか…」

 何?と見上げてくる背の低い友にジョシュアは呟く。

「お前、俺に対してだけ話し方違うよな?」

「気のせいだよ」

 いいや絶対に気のせいじゃない、と思いながらジョシュアは先行く友の背を追った。


 レノンの家は決して狭い訳ではない。

 なのに激しい圧迫感を覚えるのは何故か。答えは一つ。

 物が多すぎるのだ。

「なあ、また物増えたか?」

 以前来たときには見なかった花瓶やら置物やらが視界に入るのでそうジョシュアが訊くと、あっさりと友は頷く。

「いまや、世界を越えてお客さんがやってくるようになっちゃったよ」

「『前代未聞、武器のお医者さん』ってか?」

 その言葉にレノンは苦笑を返す。

「僕にはそんなつもりはないんだけどね……ただ話を聞いてるだけだし。でも他の世界にも武器と話せるなんて変人はいないみたいだ。っと、じゃあこれ皿とフォーク」

 差し出されたそれを受け取り、箱からエクレアを皿へ移したジョシュアはまた訊いた。

「で、ランスは?」

「あれだよ。名前はベリルガント。旧型のミリタリーランスを個人用に基礎から作りなおしたものだと思うんだけど……当たってる?」

「ああ、その通りだろ」

 二人とも銀のランスに視線をやりながらパクリとかぶりつく。

 甘い。当然だが甘い。

 生クリームとカスタード、二つのクリームが入っているようで、さすがは酪農盛んな南の土産だけあって濃厚な味わいであり……言葉では言い表せないねこれは、とレノンは思った。

 このエクレアがもたらした時間は、ジョシュアにとってもレノンにとっても至福のひと時だった。

 このあまり似ていない二人の共通点は甘ーい菓子が大好きだというところにある。

「四十数年昔のスタンダードランス、E-2nd(イーセカンド)が基礎だろうが……随分いじくりまわしてるな。ウリの軽量が影も形もありゃしない。使ってる、いや使ってた人はどえらい剛力だろう?」

 レノンはエクレアをフォークで小さくしてから口へ運びながら、依頼主…リンガーロンを思い出し、そうだねと笑った。

 第一線を退いて尚、リンガーロンは如何にも戦いの似合う男といった体つきをしていた。

 短いゴワゴワとした茶の髪に鋭い茶の瞳。

 頬に傷があり一見とても恐ろしいが、話してみると気さくな人だった。

「…おそらくそうだと思うよ」

「え?何、バケモンみたいな人なのか?」

 その問いに、うん、それに近いとレノンは返す。

 へぇ……と妙な動揺があったらしいジョシュアはしかし、すぐに再びベリルガントへ目をやった。

「よかったじゃねぇかお前。E-2ndなんてそっけない名前じゃなくてカッコイイ名前つけてもらえてよ。ベリルガントの方がよっぽど男前だぜ」

「あれ?男かどうかなんてまだ僕にもわからないよ?」

「いいや、絶対男だ。この厳めしい作りからして野郎っぽさがマンマンだろ?」

 ははっと笑ったジョシュアはすでにエクレアを食べ終わって、からんとフォークを皿の上へ投げ出した。

 立ち上がってベリルガントのもとへ向かう。

「綺麗なもんだな全く。よく手入れされてる」

 木箱から持ち上げて、軽く両腕を使って振った。

 やはりかなり重いなと顔をしかめる。

「俺が手を出すとこはどこもない気がするぞ。逆に悪くするのが関の山だ。刃も傷んでないようだし…柄もまだ十年は持つと見た」

「どこも直すところがないのはいいことだね。でもわざわざ来てもらったのに、御免」

「や、別にいい。面白いもの見せてもらったし、エクレアも食えたしな」

 そう言って、ジョシュアは仕事も忙しいだろうに一向に立つ気配を見せない。

 とうとう、沈黙に業を煮やしてレノンが問うた。

「……もしかして話を聞きたいの?明日でも聞かせてあげるのに」

「ここで待ってりゃすぐ聞けるだろ?ベリルガントは久しぶりに興味の持てる武器なわけだしな」

 早くやってみろよと言われ、レノンは最後一口のエクレアを食べてフォークと皿を置いた。

 再び木箱に戻されたベリルガントに歩み寄る。

「まあいいけどね……じゃあ、君の話を聞こうかな。ベリルガント」

 銀の柄に触れる。瞼を閉じれば一瞬で闇が来る。

 同時に魂が震えるような例の感覚が来た。


 ◇


 次に視界が晴れると、周囲は奇妙な世界だった。

 広い広い世界、そのどこにも動物が見当たらないのに、その他は現実の世界と全く変わらないのだから奇妙という他ない。

 声も聞こえない。

 ある音は風の音だけ。

 爪痕のある樹。

 殺伐とした風景。

 金属臭。

 遠く眼前、風で巻き上がる砂煙。

 何処までも続く、固い大地。

 人がいないのは当然だ。ここはベリルガントの世界。

「成程……いくら持ち主が引退しても、ベリルガントの世界はやっぱり魔物との戦場なんだね」

 呟き、歩く。

 どうやらこの様子では、多くの《武器》達の世界同様彼を探さねばならないらしい。

 何のことはない。

 この世界で出会える『人』、それが間違いなくベリルガントだ。

「さて、どこにいるのかな」

 探す事は簡単でも、歩いて辿り着くのに時間がかかるだろうなあとレノンは思った。


 暫く行った。多少疲れを覚える頃、森の中で開けた場所があった。

 木が切り倒され、広場のようになっているのだ。

 そしてそこに、一人の人物が立っていた。

 鋼の色、シルバーの直毛。

 射抜くような明るいシルバーの瞳。

 黒いハンチング帽を被り、飾り気のない灰のマントを着ていかにも戦士らしく、同時に狩人のようにも見える姿。

 森の緑の中映える、少し年月を経て見える《長い赤のマフラーを首に巻いた》中年から初老の男。

 彼は不思議そうな視線をこちらへよこしていた。

 間違いようもない。

「ベリルガントですね」

「……ああ。驚いたな。本当に武器と話をする人間がいるとは」

 リンガーロンによく似た、低く凄味のある声だった。

「どんな仕組みでこんなことができる?」

「僕が聞きたいですよ。生まれつき出来たんです。武器に触れるだけで」

 ベリルガントの意外な質問に、レノンは苦笑しながら答えた。

 そうとしか言いようがないのだから仕方ない。

 本題に入った。

「リンガーロンさんはあなたを僕の所に連れてきた時に『全体がカタカタと独りでに鳴るし、どうも握ってみても変なんだ』と言ったんです。握った時の感触がおかしいって。何か心当たりは?」

 そう訊かれベリルガントは、可笑しそうに笑った。

「なんだ、悩みが『体』に反映されることがあるのか?」

「ええ、ありますよ。僕がそういった話を聞いて、やることはたった一つなんです。ただあなたのような武器の『魂』に話を聞くこと。それだけで、武器の『体』は大きく変わりますから」

「成程。俺達は同胞とも所持者とも、誰とも話ができんからな。お前を除いてはらしいが。人間風に言えばストレスというやつか?」

「かもしれませんねぇ。ともかく、ただこうして僕と話すだけで大概は異常が治ってしまうんです。だから何か悩みがあるなら話してみませんか」

 ベリルガントは暫く沈黙していたが、それもいいかもしれないと思ったか、座れと心地いい短い草の生えた大地へ座ることを促す。

 荒野の中でこの辺りだけにこの芝生のような草が生えていた。

 レノンはそれに従って彼と隣合って座る。

「リンガーロンは、パン屋をやってるだろう」

 レノンは口を挟まず、続きを待った。

 この場所には人はいない。

 動物もいないが植物や風や空、太陽は全く本当の世界そのもので、温かい風が吹いている。

 ただ、あえて言うならば、レノンはこの世界に理由の分からない悲しさを抱いていた。

 そしてそれがベリルガントの『心』が反映された結果だとも知っていた。

「もう歳なんだし、戦いに出ないのは解る。その方が安全でいいとも思う。だが……俺は本当の意味で納得できなかった」

 この世界の青い空を眺めてベリルガントは笑う。

「正直馬鹿らしいとは思う。あいつが楽しそうにパンを焼いて、買いに来た客に誇らしげにそれを手渡すのを見るのも楽しい。だが、俺はまだリンガーロンに……俺を使って欲しいんだ。使わなくても、ただ触れるだけでもいい。そう遠くないうちに俺とリンガーロンは引き離される」

 武器達になく、人間にあるもの。

 それは寿命だ。

 武器は『体』的に見れば死ぬことはない。

 何度だって造り替えられる。

『魂』を見れば別だが、それでもその寿命は大概とてつもなく長い。

 しかし人間は、死んでしまう。

「そうやって俺が焦ってるうちも、俺はずーっと壁に立てかけられたままで……リンガーロンは俺のことを気にかけもしてないようだった。ここ数日を除いてな」

「寂しかったんですね」

 レノンはここで口を挟んだ。

「怖かったんですね。一人だけで、この世界に取り残されるのが。もっと正確に言えばリンガーロンさんじゃない誰かに、自分が使われることが」

 随分手酷く急所を突くな、とまた笑んだベリルガント。

 すいませんねと謝るレノン。

 べりルガントは発言の割には気にした風のない表情、続ける。

「そうだな……俺には、他の誰でもいけないんだ。俺に名をくれ、この布を巻いてくれたリンガーロンしか駄目らしいんだ。共に戦場を駆けたあいつでないと」

 そう言って、笑いながらベリルガントは昔を思い出した。

 幾度となく、幾度となく彼と共に……どんな魔物とも戦った。

 幾度となくこの体は壊れたけれど、それでも幸いだったのだ。彼と戦い続けた日々は。

 その始まりの、『昔』を思い出す。


 ◇


「ほら、出来たよ」

 馴染みの鍛冶屋である男から、改造されすでにE-2ndではなく全く別の存在となった、まだ名のなかったベルリガントが使い手となる男、リンガーロンへ渡される。

「……うぉ。こいつぁもうE-2ndじゃねぇな!」

「あんたが滅茶苦茶な注文すんのが悪い。御代もたっぷり頂いとくよ。名前をつけてやっちゃどうだい?もう全く別の槍だからね」

 そう言われて、いつも即決のリンガーロンが少しだけ迷って、でもやはり即、決めた。

「じゃあ、ベリルガントにしよう。柄にでも彫っといてくれ」

 もう一度リンガーロンの手から鍛冶師の手に槍、ベリルガントは戻る。

 その手の中から彼が見上げた主は、とても嬉しそうだった。

 何故だか知らないが、その時ベリルガントも共に嬉しくなった。

「意味とか、あるのかい?」

「ないさ。音感。ベリルガントって名が俺には呼びやすいんだ。かっこいいだろ?」

 そう言ってリンガーロンが笑った。

 はっはっは、と豪快に。

「きっと何度も呼ぶ名だ、意味なんかに拘って呼びにくい名をつけるよりは、呼びやすい名の方がいいだろう。よろしくなベリルガント」

 そう言ってリンガーロンのでかい手が、柄をなでた。


 それが、ベリルガントの知っているリンガーロンの最初の姿。


 それからベリルガントはずっとずっとリンガーロンの傍にいた。

 共に戦場を駆けた。

 苦楽を共にした。

 血のついた刃を拭ってくれたのは彼だ。

 傷む度に手入れを惜しまなかったのは彼だ。

 いつの間にか、三十数歳だった彼は老いた。

 五十歳で退役した。

 それでも傍にと思った。


 彼はいつからか、自分よりもパンや客にかかりきりになった。

 それが耐え難かった。


 彼の妻よりも、娘よりも、ずっと彼を知っているという自信があった。

 それでも、言葉一つ、伝えることはできなくて。

 感謝の言葉も何もかもを伝えることはできなくて。

 ただリンガーロンは一方的に与え続けてくれるだけで。


 ◇


「人間だったなら、俺はリンガーロンに言葉を伝えられた」

「……そうですね」

 唐突な言葉に、問い返してくるかと思ったが彼は問い返さなかった。

 ただ、受け入れて返答した。

「俺が人間だったなら、俺はリンガーロンと対等であれただろうな。ただ全てを与えられるだけの存在ではなく。俺はリンガーロンに戦場という居場所を与えられた。魔物を奴と共に倒し、人々に感謝されて存在価値を与えられた。大切に手入れされ慈しみを与えられた。だが俺は自分自身の言葉で感謝を伝えることも、奴に戦場以外の世界を与えることもできなかった。俺に出来たのは、魔物を倒す手伝いのみだった」

「ええ、そうでしょうね。でも」

 ひょい、と水色の頭が立ちあがった。

 眼鏡の奥の瞳は相変わらずぼーっとして掴みどころがない。

「あなたの考えは正しい。間違っていない。だから言います」

 振り返りと、笑みが降った。

「あなたが人間であったと仮定します。もしもあなたが人間であったなら、確かにあなたはリンガーロンさんに言葉を伝えられたでしょう。しかし……あなたがリンガーロンさんと出会える確証がどこにありますか。絶対に出会えていた、そんな風に断言できる人は存在しない。だから僕は言います。あなたは、ミリタリーランスとして生まれてよかった」

 今まで出会ってきた武器達のことを思い、レノンは笑う。

「自分の身を悔やまないで下さい。だってあなたは、大好きなリンガーロンさんに……槍として生まれたから出会えたんですよ?」

 レノンは手を差し出した。ひどく細い、白い指。

 けれどもその手は、確かに何かを掴む為にある。

「もうどうしようもない過去はいいです。今と明日を考えましょう。遠すぎて不安になる未来じゃなく、この手が届く未来を。僕にはあなたの言葉を伝えることができるんです。リンガーロンさんに。僕、僕の魔術は、あなた達武器と使用者の明日を創る力だと思ってるんです」

 だから、と目の前に手を差し出した。

 今なら確証を持って言える。

 彼が震えていたのは、泣いていたのだ。

 彼の『魂』も、『体』も。

 もうこのまま忘れ去られるのではないかと。

 戦いから退いた彼にとっては、自分は過去の遺物なのではないかと。

 そう恐れて、忘れられたくなくて泣いていたのだ。

「僕に、あなたとリンガーロンさんが望む明日を創るお手伝いをさせてください。僕に言葉を、托してください。もし一時、あなたがリンガーロンさんに言葉を伝えられる機会を得たらあなたは何を伝えるんです?」

 言った。

 自分が生まれてきた意味を、今のレノンは知っている。

 リンガーロンはあなたを忘れたりしないと伝える為に、言った。


「あなたの言葉を伝えてください。戦場を駆ける銀の意志よ」


 ◇


 ジョシュアはただ眺めていた。それしかすることはない。

 レノンはベリルガントの柄に触れ、そのまま目を閉じている。

 ただ目を閉じているように見える。

 でも、そうすることによりベリルガントと会話しているのだ。

 昔は手を触れてみた。揺すってみた。

 しかし何も起こりはしない。

 ただただ眠るように目を閉じ、静かに呼吸を繰り返しているだけ。

 彼の魂は奥深くまで潜り、ベリルガントと『会話』している。

「ほんと、変な奴だよなぁ」

 呟きは部屋に染み込んで消えてゆく。

 その時うっすらと、ゆっくりとレノンの目が開く。

「レノン!」

「ああ、ただいまジョシュア」

 ふるふる、と頭をはっきりさせる為か水色の頭が震われた。

「ありがとう、ベリルガント」

 柄を撫でながら、銀のランスに礼を。

 どうだったよ、とジョシュアに問われてレノンは苦笑。

「うん。ベリルガントはとても、とてもいい人だったよ。リンガーロンさんとよく似た人だった。今も、まだ戦っている人だった」

 ジョシュアがその言葉の意味を計りかねているうちに、レノンは言った。

「さて、リンガーロンさんを呼ばなきゃね。もうベリルガントが泣くことはないから」

 来た時には木箱の中、あれほどカタカタうるさく鳴っていたその体は全く動かなくなっていた。


 ◇


 一晩様子を見ての翌日。リンガーロンが来た。

「おはようございます」

「ベリルガントは直ったかい?先生」

 リンガーロンは開口一番そう言った。

 だからレノンは前に両腕を出して振った。

「いやいやだから先生はやめてください。今の僕は学校の先生じゃないんです。もちろん医者でもね」

 レノンと呼んでください。そう前置きして、続ける。

「ベリルガントと話をしました。彼はですね、寂しかったんです」

 は?とリンガーロンの表情が訝しげになる。

 レノンは、手を前で合わせる。

 さながら祈りのポーズのように指をからめ合わせて。

「ここのところパンにかかりきりだったんですって?」

 そう聞けば、リンガーロンは恥ずかしげに苦笑した。

「こんな大男がパン作りなんてと思うだろう?」

「いいえ、リンガーロンさんなら美味しいパンを焼くんでしょうね。手が、優しい人ですから。……えっとそうじゃなく。つまりはそれでベリルガントは寂しかったんです。魔物討伐の軍を退役して、もう戦場へ出ることもなくなった。自分をあなたが見てくれる機会はもう訪れないんじゃないかって。もうこのまま、あなたに忘れ去られてしまうんじゃないかって。そう思って、泣いていたんです」

 話が進むたび、リンガーロンが目を見開くのが分かった。

「ああやって鳴ってたのが、泣いてたってことか?」

「ええ、そうですね」

 リンガーロンは苦笑ではなく、豪快に笑った。

 その突然さにはレノンもびっくりする。

 ひとしきり笑って、リンガーロンは言った。

「案外馬鹿だなあこいつも。俺に似たのかもしれねぇが」

 今ベリルガントは刃を布に巻かれた状態でリンガーロンの手の中にある。

「俺だってまだ戦場にいてぇさ。でもよ、考えてもみろ」

 リンガーロンは、遥か果てにある戦場を見ているようだった。

「俺がもし、誰も傍にいない状態で魔物に殺されてみろ。ベリルガントはどうなる?俺の体と一緒に錆びて、錆びて……んで壊れんのか?それがあんまりにかわいそうでよ……だからどうせならもう軍をやめて、ゆっくりさせてやろうと思ったんだ」

 何か間違ってたんだな俺、と言うリンガーロンに、いいえ、とレノンは返す。

「パンにかかりきりになってた所はあるな。面白くてよ。それでも、俺は一度もベリルガントを忘れたことはなかった。最高の相棒だからな」

 忘れられるはずもない、というリンガーロンにレノンは笑いかける。

「なぁ、ベリルガントはどんな奴だった?俺に似てたか?」

 レノンは、彼を思い浮かべて、言った。

「ええ。とてもあなたに似ていました。あなたのように豪快に笑う人で、あなたのように大きな心を持つ人で、あなたのように戦場が似合う人で」

 ふふ、と。

「あなたのように、よく物事を考えられる人でした。直毛の銀髪と銀の瞳で、あなたとよく似た低い声で、あなたにとっての幸せを純粋に考えている人でした」

 そうか、とリンガーロンも嬉しそうに笑った。

 だからレノンは続ける。

「僕からのお願いです。パンのことは大好きでいてください。……でも、時々はベリルガントに触れてください。忘れていないと教える為に。それから…」

 リンガーロンはただレノンの方を見ることで先を促す。

 レノンはリンガーロンの向こう、窓、更に向こうのうすぼんやりとした空を見て言った。

「ベリルガントより、伝言を仰せつかりました」

 昨日行った世界を思いだした。

 うすぼんやりとした空に、固い大地。

 青々と茂る樹。

 ベリルガント、彼にとっての世界は主と共に駆けた戦場だった。

 その世界はこれから変わるのだろうかと思った。

 これからあの世界が、パン屋さんの平和な空気へと変わるのかと。

 リンガーロンが、ベリルガントの世界をパン屋へと変えることのできる人ならいいと思った。

 ……同じ世界を見られること、それはきっと幸いなことですから。

 戦場を駆けた銀の意志を、貫きの意志であった彼の言葉を思い出す。



「『あなたが幸せである世界に、俺がいられること。それがただ一つの望む事だ』と」


 ◇


「なあ、ベリルガント。戦うってきっついなぁ」


(………………)


「でも俺は、お前でよかったよ。俺にはお前がぴったりだ」


(ああ、これからもお前の力となる。必ず。)


「退役したら、料理でもしよう。それで家族と幸せに暮らそう」


「子供たちに、お前と俺の武勇伝を語ってやろう。俺とお前がどれだけ最高のコンビだったか教えてやろう。だからその武勇、これから作りに行こう」


(……お前にとって、それが幸せならば)


 戦士と銀の意志、共に駆けた戦場。

 駆け抜けて、駆け抜けて、駆け抜けた。

 だからゆっくりと歩むことに歩幅が合わなかっただけ。

 お互いがお互いを向いているのなら、きっと

 またゆっくりと歩む世界で、歩いて、歩いて、歩こう。

 きっと、同じ世界で歩いてゆける。



「なあ、ベリルガント。家へ帰るか……俺達は、ずっと走り通しだったろう。だからそろそろゆっくりすることにしようや」

 戦士が、言った。

「お前にはゆっくりは難しいんだろうなぁ。だから仕方ねぇ、俺が合わせてやるさ」


 もう泣くのをやめたはずの槍が、震えた気がした。



(――― 一緒に)


(歩いていく、か。)


 ◇


 青い彼はずっとずっと考えていました。

 赤い主人の苦悩を。世界で一人きり、孤独である彼のことを。

 青い彼にとっては『世界』に一人でも、やっぱり赤い主人とその黒い相棒がずっと傍にいましたから、寂しくは無かったのですが……。


 青い彼は、主人にとって楽しいことをずっとずっと考えていました。

 楽しいことが大好きな、主人の為に。

 楽しい世界を、主人と一緒に作る為に。


 ◇


 やっぱり変わらずぼんやりと暖かい日差しの差す、キーモス六番水路沿い、レノンの家、仕事部屋兼応接間兼生活スペース兼書斎兼ジョシュアとのお話部屋。

 レノンはメロンパンを食べながら、手紙を読んでいた。

 幸いなことに漢字(と仮名)で書かれている為、読める。

「『剣の名は青宝絶音(せいほうぜついん)、度々、輪郭がぶれるような奇妙な症状が起こります。聞くより一目見てもらえば早いと思いますので本日そちらへ向かわせていただきます』……か。輪郭がぶれるねぇ」

 もぐもぐもぐもぐ。咀嚼。

「食ってから喋れ食ってから」

「ごめん」

 そういうジョシュアはまたチョココロネに食いついた。

 本日の学校は昨日行われた地域と学校生徒との交流会…小規模な祭りのような物の振り替え休日、鍛冶屋の仕事もジョシュアの父が一人で行っているため、ジョシュアは休みだ。

「もうベリルガントが帰ってから一週間か。なんか聞いてるか?」

「うん。もう鳴ったりしなくなったってさ」

 このテーブルを埋め尽くす大量のパンは、リンガーロンからの報酬である。

 何を支払ったらいいのかと聞かれ、レノンがパン食べたいですと言ったのでこうなった。

 昨日郵便屋さんが持ってきたばかりのほやほやである。

「リンガーロンさんも考えたねぇ。ベリルガントを宣伝に使うとは……」

 手紙を読んだところによると、彼は体が動く限りベリルガントを使って豪快な槍舞を見せて客を呼んでいるらしい。

 子どもから大人まで大人気でなかなかの好評のようだ。

 彼の体躯であれだけの勇壮であるベリルガントを振れば、それは見ごたえあるものとなるだろう。

 その様子を想像して、レノンはふふと笑った。

 彼の言動に疑問を覚えたジョシュアが、なんだよ?と聞くので、その事を順を追って説明してやれば、そりゃなかなか頭使ったなぁ!と感心したようにジョシュアも頷き、笑った。

「また、見に行かないといけないね」

「ああ、また暇な時にな。お前一人でどこも行かせられねぇよ危なっかしくて。……で、その手紙はなんだ?」

「ん?突然の話題転換だね。うん、今白い鳩が持って来たんだ」

 そう聞いて、え?とジョシュアは耳を疑った。

「嘘だろ?」

 伝書鳩という技術は知っているが、この世界には存在しない。

 そんな魔術を使う者も知らない。

 だからジョシュアは我が耳を疑ったのだ。

「ううん。本当」

 まぐ、と更にメロンパンに食いつきながら、その手紙をジョシュアの目の前に広げた。

「?」

「差出人」

 言われ、縦書きの手紙の一番左の行に目をやった。

「魔術軸第一分岐第一世界『クインテット』…フェンデラム総合魔術校校長…静桐遊凪(しずぎり ゆうなぎ)って…ええええオイ!」

 魔術軸第一分岐第一世界。

 第一分岐という言葉が表わすのは世界の分岐。

 この数が同じなら、同一世界の過去未来という関係が成立する。

 この『黄昏庭』と『クインテット』は分岐数が違うから全く別の世界だ。

 第一世界とはその軸、つまり魔術軸にある世界のうちの世界の強さの順を意味する。

 数が小さいほど、魔術軸であれば魔術の威力、精度が高く学問として完成されているということとなり……

「第一世界って、魔術軸の最高世界じゃねぇか!」

「そうだねぇ。しかも静桐遊凪って、クインテットの代表だよ。基準軸と特殊軸を合わせ全ての世界で比較しても、最強って呼ばれてる。炎の魔術を操り、『世界を閉じる』力を持ってる真紅だ」

 うわ、とジョシュアは小さく声を上げた。

「副団長のガルフィーと比べてどうよ?」

「比べ物にならないね。第六世界の人間が第一世界の最高に敵うわけないよ」

 ガルフィーとはこの世界の炎を手から出す魔法使いだ。王国軍に所属し、魔物と戦っている。

 えらいの来ちゃったなぁ、と言葉の割にあまり困った風もなくレノンは頭を掻く。

「そんなどえらい先生も、武器がへそ曲げて困ってんのか?」

 くす、とレノンは笑った。

「言ったじゃない。僕しかこんなことができる人間がいないんだって。どこかから噂を聞いてきたんじゃないかな」

 まあとりあえず待ってようか、とメロンパン最後の一かけを口に放り込んで、来客を待った。


 ◇


 その来客がやって来たのはわずか五分後のことだった。

 自分とジョシュアが自己紹介し、慌ただしくお出ししたコーヒーを一口飲んでにっと笑う。

「こりゃ美味い。コーヒーにはこだわりがあるとお見受けしたぞ」

「ええ。コーヒーマニアですからね」

 見れば見るほど、不思議な男だった。

 歳は六十二と聞いたが、十歳は若く見える。

 確かに顔に皺は刻まれているがよく変わる表情や瞳に宿った意思、それに無駄なく鍛え上げられた長身などが、全く老いを感じることを許さないのだ。

 髪はレノンのものより鮮やかな空色に、光る紫。

 一瞬惑ったがそうとしか形容できないのだ。

 銀に紫を塗り重ねたような、メタリックと言えばいいのか、そんな紫が空色の髪にところどころ混ざっている。

 その肩を過ぎるなめらかな髪は赤いひもでポニーテールにされている。

 瞳は紫陽花を思わせる青紫で、はっきりとは言い表せないが『力』を持った視線を投げかけてくる。

 その目は小さな子供のように、絶えず爛々と輝いていて。

 着ているのは真っ赤な、目にいたくない程度に彩度の抑えられた丈の長い服。

 訊けば向こうの世界の魔道士の普段着である魔道ローブらしい。

 それに茶のショートブーツ。

 身長は百八十センチメートルを超えているだろうに、不思議と背が高いような気がしない出で立ちだった。

「俺の学校で教えてる先生にもマニアがいてな。中々舌が肥えてるんだが……でもこいつは美味しいな」

 声は脳に染みるように暖かい。

 リンガーロンの地を響かせるような低さではなく、高低の間を行くような微妙な低さで響く声だ。

「ん、そうだこれは土産。うちの相棒に作らせたものだ」

 どうぞどうぞ、と差し出された紙袋からそれを取り出してみるとそれは箱に入った美味しそうなチョコレートのシフォンケーキだった。

「おおお!」

 眼前に現れた菓子に、ジョシュアが反応。

 レノンは彼の腰をさりげなく殴る。

 がっつくなみっともない、との声と共にだ。

 大体いつものことなので友も大して気にしない。

「美味しそう。早速切りますね」

 うきうきとその箱を展開して、中のケーキにナイフを入れる。

 ふわふわとしていかにも美味しそうなケーキ。

 それを皿にのせて手渡し、自分とジョシュアの分も。

 手を合わせていただきます。

 口の中に広がる甘みは至福の瞬間だった。

「おーいしーい……」

 ジョシュアがうっとり、といった。

 大の男がケーキでうっとりとしているのはなんとも…とかいうと偏見になるのかなぁ、でも似合わないなぁとレノンは彼を見て思考。

「だろ?だろ?俺もケーキ類大好きでなー。自分で作るの面倒くせえから相棒に教え込んで作らせてんだ。ここのことを教えてくれた旧友が、お前さん達がケーキ大好きだって言ってたから」

「美味しいですーありがとうございます本当」

 じーん。

 美味しいケーキに感動するレノンに、言葉は唐突に投げかけられた。

 空間の変化と共に。

 遊凪が右腕を何もない空間へ伸ばすと同時、風がその腕を包むように巻き起こり、

「!」

 大きく湾曲した鋼色の刃を持つ剣だった。

 澄んだ深い輝きを放つ、宝石であろう青い玉が柄に埋め込まれ、取り巻くように銀で施された装飾は蔦だろうか、あちこちに木イチゴのような塊も見られる。

 何か、周囲の空気を重くさせる剣だった。

「こいつが青宝絶音。目に見えぬ音さえも絶つ青き宝、って大層な名のついた剣だ。こいつを見て欲しくてな」

 皿を置いてそれを受け取る、と。

「重っ!」

 がくん、と体勢が崩れ慌ててもう片方の手もやって支える。

 遊凪があまりに軽々と持っていたので油断したが相当に重い。

「おお悪い。こいつは魔術のかかってる剣でな、他の世界のものとはちょいと違うんだ。自分の魔力を馴染ませると、ものすごく軽くなるんだ。そうしなきゃ普通に重い」

 成程なぁ、と思いながら刃を見た。

 透き通るような美しさを持った刃だ。

「?」

 違和感を感じた。

 実際に字面の通り、透き通っている。

「え?」

 ぶぉん、といった音が似合いそうだった。

 脈打つように、振れるように、輪郭がブレているのだ。

 ブレた部分が透明に透き通って、まるで幽霊のよう。

「それなんだ。困ってんのは」

 苦々しげに遊凪が言いながら、コーヒーを啜った。

「俺も自分の世界で全国の名高い魔道士に診させたんだが、原因が全く分からない。弱り果ててた時にレノン、お前のことを旧友に教えてもらってすぐにここへ来たんだ」

 レノンは刃を見つめていた。

 こんな現象は初めてだなぁ、と思いながら。

「頼めるか?」

「ええ、もちろんです」

 返答は笑みと共にで、横で二つ目のケーキを食べる友人を半目で見た。

「青宝絶音について、なるべく多くのことを教えてくれますか?」

 そう訊けば、やや考えるような表情を見せ遊凪は口を開く。

「俺にはもう十八年、一緒に学校を支えてきた相棒がいてな。何年か前に魔道士達の集まりから俺が表彰を受けて別にいらねぇ名誉を貰った時、その相棒が『あんたの為に作ったもんだ』って言ってくれたのがこの青宝絶音だ。それの基礎には俺じゃなく相棒の魔力が使われてる」

 にい、と笑う。

「俺と相棒の相性がばっちりだから、その魔力で作られてるこいつとの相性もばっちりだと思うぞ。この謎のブレ現象が起こるまでは他の剣みたいに折れたり、変にへそ曲げることもなかったしな」

 成程成程と忘れっぽい自分を知っているのでレノンはメモを取ることを忘れない。

「ありがとうございます。必ず元通りにしますね」

「頼む。この状態だと折れたりするんじゃないかと思って迂闊に使えなくてなぁ」

 じゃ、悪いけど一回帰るな。できたらこれ押してくれと渡されたのは透明な緑色のプレートだった。

 真ん中にある赤いスイッチを押せということらしい。

 そうしておいて、遊凪は自分の世界へ帰って行った。

 一方、残された二人。

「……こんな症状は初めてだねぇ」

「なぁ、レノン」

 長い付き合いになる友人だ。大体考えていることは読める。

「押しちゃ駄目だよ」

「だ、だってっ……こんな押してくれって感じの突起具合なんだぞ?俺が押さずに誰が押す?」

「いやいやまだ青宝絶音に会ってすらないし。駄目だからね絶対」

 凄く心配なので彼の手からスイッチを奪い取って自分の近くに置いた。こんな時レノンは友人が愛すべきおバカさんというキャッチフレーズが似合うのではないかと真剣に考えてしまう。

 いや、流されるなと思い直した。

「じゃあ、早速行ってくるね。直すところもないだろうし」

 つまりそれはジョシュアには仕事がないということで。

「あ、じゃあ俺残りのケーキ食べて待ってていいか?」

「……全部食べないでね」

 それだけ言い残し、レノンは青宝絶音の刃に触れて、目を閉じた。

 旅立った彼を見ながら、ジョシュアは呟く。

「最近、俺いい武器によく逢うよなぁ」

 うんうん、と頷く。

 バランスのとれた美しい青の剣。

 この世界にはないタイプの装飾に、恐らく魔力の影響なのだろう、氷のような闇のような冷たい力の印象。

 これは恐らく…と思考と共に、その内容をジョシュアはそのまま口に乗せる。

「こいつ、多分『魂』は育ちのいい坊ちゃんじゃないか?俺やレノンぐらいの」


 ◇


 はっと気が付くと、ひんやりとした空間に立っていた。

 固い足元を見下ろせば、

「タイル……じゃあここはまさか」

 周囲を見渡してみる。

 タイルの広い廊下、広々と抜ける空間に部屋の列。

 1-Aと書かれたプレートのかかった部屋。

 向こうには1-BやCやDが見え、中には机と椅子の広がる空間。

「間違いない、ここが遊凪さんの学校……確かフェンデラムだ」

 全体的に、オレンジを強く感じる。

 おそらくオレンジが校色なのだろう。

 探すべき青宝絶音は遊凪の剣だ。つまり

「普通に考えれば、校長室にいるはずだよね」

 さて、校長室はどこかなと幸いにもすぐそばにあった案内板を見て進み始める。


 ◇


剣核(けんかく)

『クインテット』、フェンデラムの校長室で声が生まれていた。

「剣核ー」

「うっせえ黙れ。人が仕事してるんだ」

 紙飛行機を折りながら投げかける遊凪の言葉に応える相棒の声はそっけないというより並々ならぬ怒りが込められたもの。

 遊凪は気にした風もなく続けた。

「武器と話をするって、すげえよな」

「あ?ああ、あの俺に手土産にするから焼けって突然シフォンケーキ焼かせた件か」

 この剣核という男、見かけは多少おっかないが、元から料理が好きだったのと遊凪のお菓子を作らされていたお陰でケーキ、カステラ、大福、ところてん等ありとあらゆる菓子を作りこなすという非常に奇特な五十代男性である。

 ちなみにこの校では魔術剣を教えている。

 シフォンケーキなどお手のもので、別にそれに対して怒っている訳ではない。

 この、正規魔術教員が一桁しかいない校で寝る間を惜しんで皆働いているのに、わざわざそのまとめ役である教長にケーキを作らせるという暴挙に対して怒っているのである。

 遊凪は相棒の剣幕に全く動じず言葉を継ぐ。

「あれ?それ聞いてっと、俺って酷い奴じゃねぇか?気のせい?」

「ほほうようやく分かったか。足りない頭でよくたどり着けたもんだなおい」

 その剣核の剣幕にふっと遊凪は笑うと、紙飛行機の羽を広げた。

 すっと柔らかく飛ばす。

 風に乗れないで、紙飛行機は大して飛ばずに墜ちた。

 それを見届けて言う。

「望まずに植えつけられて人を超えた力を得た子らの世界があって、崩れ落ちる物語に支配された、救世者を欲する悲しい世界があって、裏表そっくりよく似た神国の存在する世界があって、誰も彼もが殺し合わなければ成立しない世界があって、一見平和で、でも確かにそれぞれが過去と闘っている…大工連中の世界があって」

 一息。

「こんな俺に振り回されて壊れかけて、でもいいやつばっかりでみんなが一生懸命な世界があって」

 自分が見てきた全ての世界を

 自分が見てきた全ての世界の住人を思って遊凪は笑った。

「それだけじゃなく、レノンには見えるんだ。武器達の世界が。武器達、そいつら自身しかいない、そいつのためだけの世界が。青宝絶音の世界はやっぱフェンデラムかな」

 ともかくだ、と言う。

「俺は聞きてえよ。どれだけ悲しい世界があったら、『神』は満足するんだ?どれだけ悲しい世界を、苦しい世界を作って皆に苦労させりゃどこかにおわします世界を超越した性格悪い絶対神は満足すんだろう」

「決まってる」

 剣核が初めてまともに返した。

「俺達が、世界中のみんなが狂うまで、世界中の全ての生命が狂って壊れるまで、満足することなんてねぇんだろう」

 求めていた返答だったか否か、真紅は笑った。

「皆皆幸せになればいい。子供だって願う簡単で純粋な願いだ」

 昔と今と未来を想い、言った。

「なのにどうして、皆が幸せになるのはこんなに大変なんだろうな」


 ◇


 辿り着いた扉の前一つ息を整えて、重厚な扉を押して入った。

 真っ青な長い髪。

 長い魔道ローブは紺に近くなった青。

 振り返る、憂いを帯びた気だるい目もまた青。

「青宝絶音ですね。初めまして。レノンといいます」

「話」

「え」

 飛び出した言葉はあまりにも唐突だった。

「話を聞いて、あなたの答えを聞かせて。僕の異常はきっとそれで治るから。お願い」

 レノンは目をぱちくりとしばたかせて、はいと答えた。


 ◇


 勧められたふわふわのソファーに座って、話を聞く体勢を作った。

「僕の主、遊凪さんは天才です。世界の誰も敵わない」

 無言で先を促す。

「普通魔術は、膨大な研究と実践によって培われるものです。でも遊凪さんは言葉も話せないうちから自在に術を操れた」


「楽器は弾き方を習うわけでもなく、本能とでもいうようなもので、どんな楽器でもプロ級の演奏ができます」


「記憶力が人外のレベルで、今まで読んだ数えきれないほどの本や全国の詳細な地図は完全に暗記しています。今まで見てきた全ての『景色』も。計算能力も同様で、へたに他人が計算機で計算するよりずっと早く正確に答えを出せます」


「遊凪さんは少しも苦労も努力もせず、ただのんびりと暮しているだけで世界最高の魔道士と認められ、世界の誰も辿り着かなかった最高の資格に辿り着きました。最高の炎の魔道士としての称号も得ました。最高の剣士としても認められています」


 レノンさん、と青宝絶音は言った。

「僕の主、遊凪さんはたった一人で生きていけます。他人が協力しようとも、それは足を引っ張ることにしかならないんです。でも、でも遊凪さんは人として生きることを望みました。だからいつも仕事をサボって、相棒の剣核さんがいないと生きていけないように見せているんです。『能力的には天才だが、生活能力、行動の面では人より劣る』ことを演じようとしているんです」


「そうすることで、自分の優れた能力を隠して人と共に生きようとすることをどう思いますか?あなたの考えを聞かせてください」

 へへ、と彼は笑った。

「ずっと、誰かに訊いてみたかったんです。僕と、遊凪さんと、遊凪さんの周りの皆が間違っているのかを」


 答える為、否、応える為にレノンは口を開く。

「遊凪さんは一人で生きてはいけなかったんですね。能力的には可能でも、心が」

 青宝絶音は黙っている。肯定と受け取ったレノンは続ける。

「遊凪さんが望んだのは、世界の頂点でも、校長先生になることでも、偉い魔道士になることでもなかったんですね。ただ……ただ普通の幸せを願っただけだった。恐らくは」


「ただ楽しいことを」

 一言が重なった。

 青宝絶音が続ける。

「一人では楽しくないのだと、言いました。世界を楽しくするために、世界を楽しくすることができる人を増やすために学校の先生になったんです」

 うん、とレノンは言った。

「願いは、立場によって全く違うものですね。大半の人は遊凪さんのように素晴らしい才能を望むでしょう。でも、それを持っている遊凪さんにとってはそれは重荷でしかなく……遊凪さんが望んだのは、ただ普通であること」

 レノンは思った。

 随分昔のことを。

 こんな奇妙な力など無ければいいと思った頃を。

 そうして破顔。

「僕はいいと思います。それでいいと。責任を持つべき人も持つ必要も存在しないと」

「どうして、そう思いますか?」

「だって」

 自分と重ね合わせてしまうのはいけないことだ、と思いながら言葉を続ける。

「だって遊凪さんも僕も、同じ人間ですから。遊凪さんにも、僕みたいにへにょへにょ平和に生きる権利はあるんだと思います。大好きな友達とくだらないこと話し合って、たまに喧嘩して、美味しいケーキを食べて」


「そうやって生きる権利が。だって天才である前に、異端である前に、人間なんですから」

 青宝絶音は何か考え込んだ様子で、口を開いた。

「でも、剣核さんに迷惑をかけることを遊凪さんは気にしているんです。それでも、誰かを犠牲にしてもいいと言えますか?」

「……だって、逃げようとしていませんから」

 にこ、と。

「聞けば十八年の付き合いになるそうですね。それだけの時間があったなら逃げたいと思えば逃げられたでしょう。剣核さん、でしたっけ。その方は、どうやって過ごされてきましたか?」

「……遊凪さんと一緒に、仕事をしていました。どんなに無理難題を吹っ掛けられても、一通り怒鳴って殴ったら、黙々とそれをクリアしていく人です」

 ほら、やっぱりそうだと笑う。

「ね。逃げていない。剣核さんにとっても、それが『幸い』であるんです。剣核さんはきっと自分がちょっと苦労をしても、それが遊凪さんを人間として生かすためならいいと思っている」

 これで、青宝絶音にとっても幸いなのかと思いながら言った。

「双方が幸いであるならば、それは苦労をかけるとかそんな言葉では表わさない筈ですよ。だから僕は遊凪さんがそうして人として生きようとすることは、正解なのだと思います」


 その答えで満足だったか、青宝絶音が笑んだのを見て、よかったと思った。

 そして、自分の言いたいことを言う。

 ……これも所詮、僕の自己満足ですけれど。

 でもこう口にすることで、武器と使用者の幸いであればいいと思うのだ。

「あなたの言葉を、遊凪さんに伝えたいんです。何か僕に伝えてはくれませんか?主の幸いを願う青き宝よ」


 ◇


 青き宝は思い出す。二人の、やり取りを。


「俺はお前を苦しませるよ、剣核。大体……お前に会わなきゃ俺もこうまで強く人間でいたいなんて思わなかった」


「違いない。だが、お前があの日俺の村に来なきゃ《戦神(せんしん)》は生まれず、世界は滅んでいたはずだぞ。お前が俺を魔術の世界に引き入れたんだ、せいぜい楽しませて責任は取ってもらおう」


「諦めが、ついたってか?」


「諦め?んなもん、村を出て《戦神》となった時にもうついてた。普通には死ねないな、ってな」


「そーかい。……じゃあなあ、せめて俺はお前を犠牲とする代わりに、世界を変えると約束しよう。誰もが楽しい世界を作ると。それが叶わなくても、少しでも幸いな世界へ近づくよう努力すると」


「その傍らに、それを置いてやってくれよ。音さえも絶つ、何者にも負けない剣を」


「誰も彼も救おうとした《戦神》と、自分のことしか考えなかった《真紅》との魔力が共存する刃、か。面白い。じゃあ俺はこの刃で、どれだけのことが成せる?」


 心底楽しそうな笑みと共に剣核の口から返った言葉は、青宝絶音が想像した通りのことで。


「きっと、お前の手が、声が、魔力が届く範囲……救いが叶う範囲全ての人と物を“すくい”あげるのさ。その刃を、《戦神》を傍に置く《真紅》として使ってみろよ。もう二度と逃げない為に」


「逃げようとしたらどうする?」


「勿論ぶん殴って怒鳴って改心させる」


 ◇


 翌日、スイッチをジョシュアに押させて呼びたてた男は相変わらず赤いローブ姿だった。

 現れた遊凪に初めにレノンが頼んだのは、剣核という人物の写真を見せてもらうことだった。

「なんだ?青宝絶音からなんか聞いたのか?」

 そう遊凪は訝しげだったが、ちょうど一年前に校内で撮ったという写真を見せてくれた。

 やはりポニーテイルで赤いローブ(今着ているものとは細部が異なる)を着ている遊凪に無理矢理手を引かれる形で写真に納まった男。

 五十代あたりだろう。

 神経質そうに眉を寄せ、茶の短い髪で額には青い幅広の帯を巻いている。

 目は琥珀のような濃密な金。

 着ているものは漆黒の衣、とても戦い向きの、このタソガレにある戦士達が着用するものにも似た衣服でローブではない。

 ありとあらゆる面において遊凪とは正反対で、レノンはそれでも、ああこの人ならと思える何かを感じ取った。

「きっと、素敵な方でしょうね」

 その言葉に、遊凪はどこか嬉しそうだった。

「ああ、俺の自慢の片腕だよ」

 さて、修理は終わりましたと青宝絶音を渡した。

 遊凪はしばらく刃を見て、輪郭がぶれないことを確認する。

「もう、大丈夫だと思います」

「そっか。何か俺が気をつけることとかは?」

 レノンは、微笑。

「ないですね。あえて言うなら、お幸せにとだけ」

 なんだそりゃ、と苦笑する遊凪と共にレノンも笑った。

 そういうことなんです、とだけ言う。

 そして、

「ああ、そうでした。青宝絶音から伝言を仰せつかりまして」

 にっ、と笑みの浮かぶ口元、遊凪の紫陽花色の瞳がこちらを捉える。

「『これから来るどんな破滅にも災厄にも僕は負けません。だから一緒に、皆でいいゲームをしましょう』と」

 その言葉に遊凪は一瞬口に乗せるべき言葉を失い、そしてすぐに青宝絶音の方を見て言った。

「当たり前だろう。皆、皆で世界を舞台に遊戯(ゲーム)をしよう。他の何よりも、楽しいのを」

 そうして礼をいい、報酬を聞いた。

 それに答えるレノンは、じゃあケーキをと。

 また剣核さんに迷惑かけますけどね、と言えば遊凪は笑い、あいつは俺に迷惑をかけられるためにいるんだと言った。

「今度ケーキ持ってくる時には、剣核も連れてくる。青宝絶音の半分を作った男を見たいだろう?」

 ええ、楽しみですとレノンは返す。

 そうして青宝絶音を取り、この家を後にしようとして遊凪は訊いた。

「そうだ、なぁ、レノン」

「はい?」

「青宝絶音にとっての世界はフェンデラムだったか?俺と青宝絶音にとっての欠けてはならない場所は」

 その問いには考える必要もなく、だからレノンはただ答えを口にした。

「とっても素敵な学校ですね」

 自らの宝、学校を褒められて真紅は、だろ?と自慢げに笑った。

 その手の中、もう一つの宝である青宝絶音が

 一瞬だけ、笑うように瞬いて見えた。



(僕とあなたと、皆の世界で)

(ずっとずっと楽しく―――)



黄昏庭(たそがれにわ)』に存在する唯一の国、タソガレ。

 そこに一人の青年がいます。

 武器と話す青年が。

 全ての世界において一人しか持たない異能の彼は

 今日も全世界の人々の、問題を起こした武器と話します。

 武器、カタルカタル

 悩みを、鬱を、快楽を、闇を、己を、所有者を

 幸いを



 今日も明日も、お客さんは絶えません。

 だけれどこの物語は、ひとまずここでグットアンドトゥルーエンド。

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