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Seekers

Seekers ep4

序の序の序


 悲しいよなぁ。

 なぁ、悲しいよなァ?

 何でお前が死ななきゃなんない?

 何であいつがのこのこ生きて、お前が死ななきゃなんない?

 僕の右手は死者の思いをくみ取ること。

 手紙一枚を携えながら、僕は目を閉じる。

 瞼の裏に浮かび上がる、ヒトリノ少女ノ姿。

 私は歩き始める。

 私の思いを、果たす為に。



序の序


 少女は、黙って僕に手を差し出す。

 言いたいことは分かる。

『見返りをよこせ』

 僕は黙って、コーヒーを二つ頼む。

 ガムシロップは?

 二つお願いします。

 ミルクは?

 一つで。

 僕は二つ置かれたガムシロップを、どちらも彼女に渡す。

 ミルクも、彼女のものだ。

 コーヒーの海へと消えていく白い筋を眺めながら、僕はあの日のことに思いを馳せる。




 君は幽霊を信じるだろうか。

 とは言え、最近は幽霊の定義が随分と広くなってて、どこをどう解釈すれば『信じている』と言えるのかという境界がなんだか曖昧になっている気がする。

 ちなみに僕は信じている。というより、居る。

ただしこの場合の幽霊というのは単純な意志の残滓であって、テレビとかで見るような、いきなり人を襲ったり呪い殺したりするようなレベルのモノはあまり存在しない。

彼らは自分の存在を失っても尚、死の直前に果たしたかった目的を、決して果たせることなく遂行し続ける。そんな空しい芥でしかないのだ。それをやれお祓いだ地鎮だと結果論に急ぎすぎるのが現代人の悪いところだ――と、僕は前に聞いたことがある。

 するに、彼らには彼らなりの存在理由があって、それが特別に害を為さない限りは、温かく見守って然るべきだ、という事なのだ。相手の視点に立って物事を考えろとはよく言い聞かされたが、まさか幽霊の視点に立って物事を考えるなんて普通の人間ならば一生に一度あるか無いかというレベルの話ではないだろうか。

 真っ暗なトンネルに入ってしまったのでついこんな話題を振ったのだが、実は今僕達は新幹線で県を二つ三つ飛び越え、その後電車に揺られながら『とある場所』へと向かっていた。

 すると電車はトンネルを抜け、すっかり秋色に染まった自然を映し出した。

 こんな風に自分が普段生きている都会とは全く違う田園風景が見えると、僕は何故か寂寥感を覚えてしまう。しかしながら、何か嫌な思い出があったのかと聞かれても、何も無いという答えしか返しようがない。子供の頃から都会――コンクリートジャングルの中で生きてきた僕が、全く縁のないはずの自然に、寂寥感を覚えるだなんて、何とも不思議な話だ。

 ひょっとしたら――これは仮説以前の問題だが――僕の前世(そのような考え方については懐疑的ではあるものの)が有るとするならば、この光景を望んでいたのはその人なのかもしれない。

 そこまで考えて、ようやく僕は自分自身の思考に矛盾が生じていることに気付いた。流石に笑みは浮かべなかったが、どうにもこうにも馬鹿臭くて仕方がない。自分でも出来ない事が、何故前世の自分に出来るのか。他者からの干渉を受けない、絶対的主観を約束されたこの僕にとっての悪いことと言えば、そういう未知との遭遇の危険性が三割ぐらい既に削がれてしまっている点だった。

 いわば、僕の心は零。無にして原点、無限にして夢幻。……痛いワードが二、三個飛んだ所で、ひとまずこの話は後回しにしておこう。

「ねぇ、聞いてる?」

 目の前の大型トランクが電車の振動に合わせてカタカタと揺れている。

 海外に行くわけでもないのにどうしたもんかね、この大荷物は。

「聞いてない」

 音楽プレイヤーから伸びたイヤホンが耳に入っていないにも関わらず、僕はそう答えた。

「ひどい! 普段からうすぼんやりしてると思ったけど、(いつき)君って本当にぼんやりしてるんだね!」

 他人のことを思いっきり悪し様に言って、窓側の席でむくれている女子が凪神楽《なぎかぐら》。まぁ、中学時代の同級生だったんだけど、大学に入って偶然出会ったから驚きである。本当ならその程度の関係はさっさと終わってしまうはずだったんだけど、その時に一騒動ありましてね。

 直接ではないにしろ、僕は神楽の命の恩人、って事になっちまったらしい。

「だから、君の事にしろ今回の事にしろ、何だって僕は自分から騒動に巻き込まれるような体を取ってるんだ?」

 随分とメタフィクショナルな発言だけど。

「主体性が無くて、それが面倒なことだと思うと関わりたがらないからでしょ?」

 沈黙。

 まぁ、そうですよねとしか言いようがないというか。

「はいはい、分かってるよ。水崎の事だろ?」

 僕は、一瞬起こした背中をまた背もたれにどっかりと預けた。

「そう、分かっているならよろしかとね。あ、でも今回はちょっと違うのよ」

 違うって、何がだよ。もうここまで来ておいて、どう違っても大体一緒じゃないのか。

 あと、どこの方言だよそれ。お前、僕と出身地同じだろ。

「水崎――水崎代美(みずさきよみ)ちゃんから頼まれたことではあるんだけど、彼女自身の事じゃないのよ。彼女の妹さんの、阿乃(あない)ちゃんって子が困ってるらしいの。何でも、怪奇現象が起こる学校ってことで大分有名だったらしいんだけど、その極めつけに、数ヶ月前に自殺しちゃった子とうり二つの女の子が転校して来ちゃった、ってのがあってね。阿乃ちゃん、その子と友達だったらしくて、もうどうすればいいのか分からなくなっちゃった――って」

 僕はもう何も言わなかった。

 大した違いはないじゃないか、という諦念と。

 それとは違う何か大きな異変を、見ず知らずの内に感じ取っていたからかもしれない。


第一章



 突然だけど、過去の話。何、何度も聞いているから飛ばせ? 一体何のことだろうか。いきなり下らない知識を詰め込まれて混乱しているだろうから、心を落ち着かせるために昔話でもしてリラックスさせてあげよう――という魂胆なのだが。

 僕は僕で、生まれつきそんな変なチカラを持っていたわけじゃない。僕こと夜木斎《やぎいつき》は、小学校五年生の頃。同級生と僕併せて五人は、気まぐれに街中を探検しに出かけ、そしてそのまま失踪した。

 所謂神隠しみたいな事が起きたわけだけど、僕がこうして一人称を保持できているからにして、僕達はしっかりと発見されたのであった。それが、失踪から丁度一ヶ月後。飲まず食わずであったはずの僕等の胃の中は、出かける直前と全く同じ物で満たされていて、鞄の中のアイテムも、一ヶ月経ったことを感じさせないほどに汚れていなかったのである。

 さながら、一ヶ月タイムスリップしたかのような事態に、周りは騒然となった。

 が、この時こちらはこちらで、別の事に気付いていたのであった。

 常人ではあり得ない、不思議な力を行使できる。しかも、周りではきっと自分だけ。この時既に僕等五人は、超能力が使えることに気付いていた。そして、これは隠さねばならないという事も分かっていた。

 あれから十一年経った。

 去年、一人のことに関して一悶着遭ったし、そのせいで五人全員が集う羽目にこそなったが、それについて語り始めるといつまで経っても本題に戻れなくなりそうなので、割愛。

 水崎代美は、無人駅の前にブルーメタリックのWISHを停めて僕達の事を待ってくれていた。

「神楽、久しぶり!」

「うわぁ、変わってないね!」

 そう言って人目も憚らず抱き合う二人。

しかし肝心の人目が無いので、僕が目を瞑れば済む話であることも付け加えておかねばなるまい。僕の視界に映るのは、すっかり農作業が終わってもう何もすることがないと言わんばかりに色のない田畑と、車が通らないのに本当に必要なのか分かりかねるアスファルトの道路、そして葉がすっかり散った山、最後に抱き合う元同級生約二名。何だこりゃ。

僕が首を傾げていると、神楽がやっと僕の事を紹介してくれた。

「あ、彼が夜木君。覚えてる?」

 一瞬の間。

 覚えてないな、こりゃ。

「うん。……教室の窓際で、いつも芥川龍之介とか読んでなかった?」

 小学校の頃にすっかり人間不信になった僕が、中学校でいきなり人気者になれるはずもなかったのは言うまでもない。

 まさに人間失格。

 そりゃ太宰治か。

「あぁ。そんな事もあったっけ」

 実を言うとあれって、教師対策にカバーだけ取り替えて、ポケモンの攻略本とか読んでただけな気がするけど。何時になったら怒られるのかという実験も兼ねてたんだけど、結局僕自身の存在感の薄さが露呈して、一ヶ月間誰にも咎められること無く、攻略本だけが無駄にすり減った事を覚えている。

 ……まぁいいか。今更訂正したところで、何にもならないだろう。

「とりあえず、ウチに案内するよ。阿乃も、二人に会いたがってるし」

「そ、それがね、代美ちゃん。事後承諾で悪いんだけど……。泊まるの、一人追加したいの。いい? ダメなら、無理にとは言わないわ」

「え? まぁ、賑やかになるならそれに越したことはないけど……その人はどこに居るの?」

 まぁ、当然の質問だわな。

「ここだよ、ここ」

 僕は仕方なくそう言って、さっきから腰を預けていた大型トランクを取り出し、徐にそれを開けた。

「ヒッ」という悲鳴が漏れた気がしたが、誰も居ないから大丈夫だろ。

「な、何、これ!? 死体!?」

 トランクの中には、十二歳程度の少女が丸まって入っていた。まぁ、初見の方は大体そんな感想を持つだろうな。実際、道中で中身の質問をされるかどうか常に冷や冷やしっ放しだったのだから。

「おい、そろそろ起きろよ寝坊助クソ女。こっから車移動すんだから、そろそろ二足歩行に戻れ」

 僕がそんな言葉を掛けると、少女はパチクリと眼を開き、至極めんどくさそうなツラをしながら徐に立ち上がり、一緒に入っていた赤い筋の入ったスニーカーを履いた。

「すごい、まるでお人形さんみたいな顔立ち。お名前は?」

 しかし少女は無言で、代美のことをじっと眺めているだけだった。その姿はある意味、どんな人間か探りを入れているようにも見えるが。

 まぁ、こいつは喋らないので、僕が代わりに説明をしてやんなきゃならない。

「そいつは野々上咲(ののがみさき)。まぁ、何て言うか、色々ある女なんだよ。あと忠告しておくが、僕等より年上だからな」

 野々上咲の実年齢については、四捨五入して二十歳、とだけ言っておこう。どっちに振れ幅が効いているのかは、ご想像にお任せという事で。

 そしてその正体たるや、他人の精神に作用して躍動を始める、鋭敏たる精神支配者なのである。その才覚は、この世に数多の超能力者が居たとしても、そしてこれから生まれ出づるであろう人間でさえも、彼女と比肩できる位置の使い手にはなり得ないという程に高いとされている。

 そう言うとめちゃめちゃ凄い上にめちゃめちゃ怖い存在なんだけど、実生活では残念ながら、敬語を使わないことを何時までも根に持つし、おやつを勝手に食べると刃傷沙汰になるしで、時々年齢が分からなくなる事がよくある。

「なんか、色々凄いのが集まってきたね……」

「こんなん日常茶飯事で慣れちゃったよ。とりあえず、早く代美の家に行きたいな」

 そう言ってあっけらかんとして見せる凪神楽という女も、その『普通とは異なる存在』であることを忘れてはならない。彼女だって、高尚な狐の魂を持つ、驚異的な身体能力と幸運の持ち主なのだから。

 まぁ、彼女との一悶着については、水崎に聞かれたら話すことにしよう。

 そんな事を考えながら、僕等は水崎の車に乗り込んだ。神楽が助手席、僕と野々上が後部座席、といった感じで。

「(それにしても――)」

 僕は左隣の野々上を見やる。彼女の視線は僕ではなく、眼前にあるシートに注がれていた。

網目でも数えてんのかな。

 こいつも僕と同じで、積極的に物事に関わることをあまりしない。それはそうだ、こいつは僕よりもずっと昔に、僕なんかでは比べものにならないくらいのトラウマを刻みつけられたのだから、無理もない話だ。

 眼前で両親が無惨に殺されていく感覚なんて――、僕だったらとっくに自殺していてもおかしくないレベルなのに。彼女は十二歳からの十数年間、それを心の中に完全封殺してしまっているのだ。

「着いたわよ。汚い家だけど、ゆっくりしていってね」

 こういう時、自分の家を謙遜するときは狭いとかせせこましいとか、猫の額みたいな土地だとか言うもんだが、彼女が自分の家を形容するときにはそんな事は一切言わなかった。

 事実として、その家は僕等が普段住んでいる都会とは想像も付かないほどに大きな一軒家だった。周りに点在している家々を見ても、やはりこの家は大きい。

 そんな家をせせこましいなどと謙遜するのは、流石に彼女も憚られたのだろう。

「お爺ちゃんがあれこれ手出ししたら、どれも一級品扱いされちゃって。そのお金の有り余った部分が、この家なの。本当は高校も大学も同じ土地でって思ってたんだけど、どうしてもお父さんが帰って来いって言うからそうしてるだけ」

 豪邸に入るなり、代美は大声で叫んだ。

「阿乃、神楽ちゃんが来たわよ!」

 すると、誰かがゆっくりと階段を下りてきた。

 代美に少しだけ似た、だが背丈は隣の野々上と一緒ぐらいの少女だった。彼女は僕等の目の前に来ると、ぺこりとお辞儀をする。

「は、初めまして……。水崎阿乃(みずさきあない)、です」

 どうやら、ちゃんとしつけられて育ったようだ。所作風体にいちいち品がある。そんな事を思っていると、神楽がニコニコしながら僕の肩を叩いた。

「よろしくね、阿乃ちゃん。大丈夫だよ、この二人が居れば百人力だから」

 いつのまにやら、随分と買い被られたものである。神楽はいつの間にか僕と野々上の荷物を詰め込んだトランク(さっきまで彼女が入っていたそれ)を引ったくって、代美と一緒に家の奥へ歩き始めていた。

「代美。二人の荷物も私が持っていくから、部屋に案内してくれない? 夜木君も咲ちゃんも、話を聞きたがってるみたいだし」

「え、いいの? 一緒じゃなくて」

「私は又聞きでも十分だから」

 そう言うと、代美はすぐ側の応接間らしき部屋に僕と野々上、そして肝心の水先阿乃の三人を入れると、神楽を追いかけていってしまった。

 夕方だからだろうか、部屋は初秋にしては随分と暖かだった。

「お二人とも、そこに腰掛けてください。代美お姉ちゃん、すぐ来ると思いますので」

 何だか、さっきから阿乃の所作がビクついているように見えた。さっきの品のある雰囲気が一瞬でこんな風になるなんて、何があったんだろう。

「あのさ。話を聞きたいのは山々だけど……どうかしたの? 何か怖いモノでも見た?」

「あの……そのですね、お隣の方が……さっきからちょっと、何というか……」

 ハッ、と気付いて僕が右隣の野々上咲に視線を移すと、彼女はそのガラス玉のように透き通った瞳で、阿乃のことをマジで穴が空くんじゃないかと思うぐらいにガン見していた。

 こんなに見つめられたら、こいつがゴーゴンじゃなくても相手は石になるわ。純粋無垢な中学生が、初対面で心に傷を負いかねない。

「おい、さっきから何してんだよ……。阿乃ちゃん、割と本気でびびってるんだから」

 僕がそう促して、手を彼女の目の前でフリフリした矢先に、バチン! という音と、手首に疼痛。

 こいつ、叩き折るぐらいの勢いで僕の手をはね除けやがった。

「あー……っと、まぁ、無視しても死んだりしないから。置物程度に考えて」

 すっかり阿乃ちゃんがどん引きしているのに、それでも説明をしなければならない僕の立場は一体何なんだ。

 だがこいつはこいつで『居なきゃいけない』のだからタチが悪い。恐らくは、今回はこいつが僕よりも前に出張ることになるだろう――と、思っている。否、それを危惧している。

 事実、こいつには前科があるからな。主役の座を奪いかねない主役を危惧する主役。

 なんてメタメタな構図だ。

「わ、私の話……信じてくれる?」

「信じるとも。僕はそういう人達を何人も見てきたから」

 だが、この時点で疑いの目は阿乃ちゃん本人に向けられていた。

 神楽の事もあったし、そういう現象に『巻き込まれている』という錯誤が起きてしまっている可能性も捨てきれないからだ。阿乃ちゃん自身が何かに障ってしまったのだとしたら、その原因を探って対症療法をする事も出来るし。

「私、小学校の頃からの友達が居たの。それが、川津里沙(かわづりさ)ちゃんっていうの」

 そう言うと彼女は、小学校の卒業文集を取り出して見せてくれた。

 阿乃ちゃんと同じぐらいに可愛い女の子だった。髪の毛は阿乃ちゃんよりやや長め。

「里沙ちゃん、もう居ないんです。……去年、自殺しちゃったの」

 話に依れば、水崎阿乃と川津里沙は中学に入ってクラスが分かれてしまったのだという。だが、所詮はクラスが隔てられた程度、特に問題は無い――と、阿乃ちゃん自身は思っていたそうだ。

「だけど里沙ちゃん、急に学校に来なくなったの。――後で聞いたんだけど、原因はクラスじゃなくて部活だったらしくて。そしたらある日、遺書を残して自殺してて――」

 阿乃ちゃんはさっきから全く涙を見せない。強い子みたいだ。

「(それとも、本当に悲しくないのか?)」

 まさか。それは流石に不自然すぎる。本当に悲しくないなら、寧ろ涙を見せてくるだろう。

「里沙ちゃんが居なくなって悲しいし、本当に辛いと思ってます。でも――里沙ちゃんが死んでから半年ぐらい経って、転校生がやってきたの」

 その子の名前は、佐薙佐奈美(さなぎさなみ)というのだそうだ。

「その、佐薙佐奈美ちゃんなんですけど――彼女凄く、まるで、双子みたいに、里沙ちゃんにうり二つだったんです」

 そう言うと、彼女はポケットから携帯電話を取りだした。

「本当は、学校に持って行っちゃダメだって、先生から言われてるんだけど――今回、ちゃんとした証拠を見せないといけないと思って、こっそり撮ってきたの」

 僕はその携帯電話で撮られた写真を、小学校の卒業記念アルバムと見比べてみた。

 どうやら部活中のワンショットのようだった。まぁ、死人にうり二つの女の子が転校してきたとなったら、クラスじゃ浮きまくりで写真なんか撮れそうにないだろうしな。

「確かに――似すぎてる気がする」

 隣から覗き見てきた野々上も目を見開くほどに、その二人はよく似ていた。

「それに、何だか最近になって、校舎内で怖い噂が立ち始めたんです。夜の校舎を歩いていると、男の子の幽霊に出会って、追いかけ回されるって」

「男の子? 川津さんもその佐薙さんも、女の子なんだろ?」

「はい。だから、尚更不気味で。もしかして、佐薙さんは本当に幽霊で、他の幽霊も連れてきているんじゃないか――って、みんな不安がってます」

 成る程。しかしこうなると、やはり学校でどんな事が起こっているのか、実際に見てみたい気もする。

 だけど僕が行ったところで、不審者扱いで逮捕されそうだし。かといって、阿乃ちゃんにカメラ持たせて一日過ごせ、だなんて命令する事も出来なさそうだし、一体どうしたものか。

 とその時、部屋のふすまが開いて、神楽と代美が入ってきた。

「夜木君! 他の部屋もすっごい広かったよ!」

 だけどそれと全く同時に、世界が二転三転してもくだらないレベルの事件が、今まさに僕の右隣で起こっていたのだった。

「――それならば、私が行けばいいんだろう?」



第二章



 随分とまあ、住み慣れた世界になったなぁと思う。街を歩いていても、誰も私を変な目で見たりはしなくなった。

 文化が多様化したか。

 それとも、事なかれ主義が横行したか。

 どちらにしても私には些末な事柄でしかない。

 だから、私が声を出そうと出すまいと、それは所詮私自身の抑制力と自尊心のせめぎ合いの結果でしかなかった。いや、本当はそれですらないのかもしれない。

 声を出さないキャラクターに慣れたから、声を出さなかった。

 そんなメタクソな話があってたまるか。

「これから、水崎阿乃の体の中に精神を移す」

 私がそう宣言すると、左隣からは嘆息、右隣からは驚きの声がした。

「やっぱ、そうするしかないよなぁ」

 それが最良の選択肢であるという事実を前にしては、彼女――水崎阿乃自身に負担を強いる事を天秤に掛けるのは野暮というものだろう。

「阿乃。この事件、ちゃんと解決したいと思うだろう?」

「え? は、はい」

「――咲ちゃん!」

 突然、私の体はギュッと抱え込まれる。

 狐狸の匂い。――凪神楽か。

「なんか咲ちゃんの声めっちゃ可愛いんだけど! 何があったの? 宇宙人に洗脳でもされた?」

 私は彼女の躰をうざったそうに押しやって、話を続ける。

「私だって必要になれば喋るさ。特に、こいつは言葉足らずで私の言いたいことがちっとも伝わらないからな」

「不徳の致すところですな」

「何だ、夜木斎。随分と今日は愁傷じゃないか」

「いや、何か察したよ。お前が喋った時点でもう主役は僕じゃないんだろうなあ、って事を」

 その言にはなにやら寂しそうなニュアンスが感じ取れた。どうやら本当に寂しがっているようだから面白い。

「あ、あの……さっきから状況が全く分からないんだけど、一体どういう事になってるの?」

「水崎代美だったな。お前の妹をちょっと借りるぞ」

「えっ!? そ、それってちゃんと元に戻るの!?」

「さぁてな。案外居心地がよかったりしたら、一生お前の妹に乗り移って過ごすかもしれん」

 ニヤニヤしながらそう言うと、脇から夜木斎が口を挟んだ。

「こんな事言ってますけど、大丈夫です。一番頼りになりますから」

「なっ……!? 下らない事を言うな、私はこいつを脅してるんだぞ、むぐっ」

 怒りのあまりまくし立てようとしたら、凪神楽に口を押さえられた。その顔は、駄々をこねる子供をあやすかのような笑顔で――尚更腹が立ったのだが。

「咲ちゃん、顔真っ赤だよ」

 部屋の隅の鏡に映る自分を見た。

 年相応に顔を真っ赤にする十二歳の少女が、こちらを見ていた。

「コホン。まぁともかく、私が事件を"観"る事が出来れば、事件は九割九分九厘九毛解決に導けるだろうな」

「そんな事言って、手がかりゼロだったらどうするんだよ」

「呪い殺す。この場に居る全員呪い殺す」

「とばっちりにも程がある!」

 随分と無茶苦茶なことを言った気がするが、それほどの自信に裏打ちされているのだと褒めて欲しいぐらいである。

「水崎阿乃。こっちに来い」

「は、はい」

 阿乃の表情はさっきのやりとりを見ていたからか、若干緊張している。

 だけど、それぐらいが丁度良い。平常心の人間の心には滑り込みづらい。多少緊張して、張り詰めているぐらいの方が、心の隙が広くなりやすいのだ。

「目を閉じろ」

 彼女は言われたとおりに目を閉じた。私は阿乃の額を掻き上げ、そこに自分の額を当てる。本当はキスでも顔面鷲掴みでも、肌が触れ合えば本当はどうでも良いんだが、まぁここはそれっぽい雰囲気を出しておかないと、代美に疑われたりして話が進まないだろうからな。

 そして私も目を閉じ、自分の意識を丸めて、オブラートのようなものに包む。

 ぐるん、と体が一回転するような不思議な感覚と共に、『わたし』は目を開ける。

「――完了だ」

 眼前には、目を閉じたまま倒れ込んでいる『野々上咲』。私は振り返り、鏡を確認する。そこには、先ほどまでの彼女とは思えない冷徹な笑みを浮かべた『水崎阿乃』がこちらを見ていた。

「ほ、本当に阿乃……じゃ、ないの?」

「さぁ? ひょっとしたら『アタシ』と『彼女』が示し合わせて、貴方を騙そうとしているかもよ?」

「……た、確かに口調も声のトーンも若干違うけど……何だか、凄いものを見ちゃった感じ……」

 水崎代美は絶句している。

「その内、口調も声のトーンも本物っぽくするわ。精神操作と適応力が私の力だもの」

 頭の中には、水崎阿乃の記憶が流れ込んでくる。周辺地域の地理。中学校に於ける友達の顔、呼び方。大切な思い出。全部が流れ込み、私の頭の中にフィットしていく。

「そ、そうだ。お夕飯の準備しなきゃ。あ……咲ちゃん、阿乃の好きなものは何か分かる?」

「ピーマンの肉詰め。あと、密かに好んでるのは中華スープ」

 自分でも疑問に思いながら述べると、代美の表情は明るくなった。

「本当に分かるのね。凄いわ、こんな奇跡を見せて貰っただけでもあなた達を呼んだ価値はあるかもしれないわ」

 どうにも安っぽい感じがするお姉ちゃんである。阿乃は彼女のそういうところが好き、なんだそうだ。どっちが姉なんだか分からないな、これじゃ。

 代美が去った部屋の中で、私と夜木斎、そして凪神楽の三人が残された。

「で? この時点で事件の解決の見通しはついたのかよ?」

 夜木斎は、まるで自分がそうであるかのような表情をしながらそう言った。

「このまま明日学校行って、そいつと話してついでに幽霊をボコす。それで万事解決じゃあないか」

「待って。そもそもその体は阿乃ちゃんの体なのよ、そこまで無茶させちゃうのはちょっと――」

「じゃあ聞くが、そこの女狐とお前が出張ったところでどうにかなるのか?」

「もし、どうにもならなくても――、一人よりは、三人の方が良いだろう?」

 私が今どんな顔をしてるかなんて知ったこっちゃないが、きっと憎々しげな顔をしているに違いない。

「一人で全部背負い込むなよ。お前だって、前僕の事を助けてくれてから、気付いてるはずだろう?」

 脳に、ある映像がフラッシュバックする。これは――水崎阿乃(カノジョ)の記憶じゃなく、私の記憶。

 雨の中、傘も差さずにたたずむ四人。四人の中には――夜木斎も居る。

 私は、彼の手をひたすら握っている。

 手を放してはいけない、という衝動。何故か、私の二十数年からの経験からはあり得ない直感が私を突き動かした。このまま手を放したら、彼はきっと、この豪雨で増水した荒れ狂う河に、身を投じてしまうだろうから。

「――そうだな。考えなくもない、とだけ言っておこうか」

 敢えて言葉をはぐらかしたのにも関わらず、夜木斎は笑っていた。

「それでいいんだよ」





 さぁて、仕事開始と決め込みましょうかね。

 普段は小学六年生なんだから、中学二年生になっちゃったら二階級特進か。

 笑えん。ここまで自虐が過ぎると逆にどん引きだよ。

「おはよう、阿乃ちゃん!」

「おはよう!今日は涼しいね」

 この辺は脊髄反射である。こういう所で躓くのは、転んで魂が入れ替わった主人公とヒロインぐらいのもんだろう。

 さて。水崎阿乃が一歩普通の外を歩くためには、努力が必要なのである。そう思い、私は隣の友達ではなく前の方を歩いている人影に声を掛けた。

「おはよう!」

「……おはよう」

 佐薙佐奈美だった。心臓が高鳴っているからにして、相当覚悟の要る事だったに違いない。

 そして私は一瞬目があった彼女から、全ての情報を引き出そうとする。

 普通なら、目配せだけでその人の今考えていることが大雑把でこそあれ分かる――はずなのだが。

「あれ?」

「ど、どうしたの、阿乃ちゃん」

 私は、キョトンとせざるを得なかった。そして導き出されうる可能性に、若干の身震いを覚える。

「な、何でもないの。行こう?」

「何か変だよ、阿乃ちゃん? 佐薙さんに突然挨拶しちゃったりして、もしかして保健室直行コース?」

「だだだ、大丈夫だよ……。アハハ」

 一瞬で悟った。

 佐薙佐奈美は、何も考えていない。

 それは、無心とかいうレベルじゃない。

 心が存在していない。

 私が当たり前のように教室に着いて、当たり前のように荷物を仕舞いながら、彼女の存在について色々と考えを巡らせた。

 心がない存在。私が見た生存する唯一の逸材は――夜木斎。

 夜木斎の心は、他者の如何なる干渉をも受け付けない。私が心を乗っ取ることの出来ない、唯一の存在と言っても過言ではないだろう。そういう意味で私は彼を貴重な存在だと思ってるし、あっさりと死んで欲しくないとも思ってる。

 だけど、そんな存在が――ここにも居るのだろうか?

 ふざけるな。

 珍人類万国博覧会じゃないんだし、そんな偶然がそうそうあってたまるか。

「よぉし、じゃあここ水崎、xの値は?」

「3です」

 私が得た佐薙佐奈美の事前情報と照らし合わせてみたが、その情報に嘘偽りはないようだった。

「正解だ。それじゃあ……佐薙。yはどうなる?」

「……-2」

 平生から物静かで、普段は本も読まずに日陰で涼んでいる。

 友達は居ない。

 昼食時にはいつも何処かに行っている。

 ちなみに本人の名誉のために言っておくが、川津里沙本人は真逆の性格である。

「(……という事は、まず昼休みね)」

 昼食(代美が作ってくれたもの)を、普段の彼女より若干早めの勢いで平らげると、友達四人との談笑を打ち切って、私は佐薙佐奈美を探しに出かけた。

 数人が談笑をしている廊下に立ち、私は目を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。周りの人間の声として出ている会話はシャットアウトされ、心の声が耳に入ってくる。その中に――心の声を発さない人間の影を見つけようとする。

「(ここは――何処?)」

 私の中の水崎阿乃の記憶を頼りにその場所がどこか同定したいのだが――分からない。私はその方向へ向かって歩みを進め始めたが、自分が――水崎阿乃が彼女に近づくにつれ、身震いをしていることに気付く。

「(理性ではなく、本能からの拒絶反応――。確かに、他人の体でこれ以上アレに触れるのは、危険かも――)」

「おやぁ? 偽物の気配がすると思ったら、自分から寄ってきたか?」

 ハッ、とその声に気付いて私は顔を上げる。

 時刻は昼――なのにも関わらず、この渡り廊下だけは窓がなく、真っ暗だった。その向こうの人影から、声をかけられた。

「に、偽物?」

 じわ、と首筋に冷や汗。

「偽物。僕と一緒でさァ。――おっと、違ったか。君の偽物は他人の意志を阻害する、悪い偽物だね。僕の偽物は、そんな偽善に塗れた低俗なモンじゃない。他人の意志を尊重する偽物さ」

 ハスキーな声。男……?いや、女か?

 もしかして、佐薙佐奈美の出現と同時に噂が立ったという、男の霊とはこれの事なのだろうか?

「だったら、佐薙佐奈美も偽物だと言うのね?」

「佐薙佐奈美は偽物、それについては肯定も否定もしないよ。何故なら、彼女の意志は本物だからさ」

「死者に意志など無い、それはあなたの意志でしょう!?」

「黙れ、偽物。――僕は彼女の意志を貫き通す。恨みを晴らす。それは誰にも止めさせないよ」

「待っ――」

 質問をぶつけようとした矢先、一陣の突風が吹き、私は目を覆う。

 次に私が目を開けたときそこにあったのは、僅かな日光が差し込む、薄暗く誰も居ない渡り廊下だけだった。

「ふざけんな。意志のない奴の意志を尊重するだと? それは支配者の傲慢だ」

 やり場のない怒りを幼気な少女の体で晴らすわけにもいかず、私は鐘が鳴る前に教室へと戻る事になった。






「あら、里沙ちゃんのお友達ですか? すいませんねぇ、何もお出しできなくて」

「いいんです、急に押しかける僕等が悪いんですから」

 学校での捜査は野々上に任せることにして、僕と神楽と水崎代美は、無くなった川津里沙の家に行っていた。僕等はその仏壇に手を合わせる。

 川津里沙の遺影に写る彼女の姿は、やはり昨日見た彼女――佐薙佐奈美とうり二つだった。

「佐薙佐奈美さんの事は、ご存じで?」

「ええ、彼女が来てから里沙ちゃんの友達が一杯押し寄せてね。里沙ちゃんは本当は生きてるんじゃないか、とか色々嬉しいことを言ってくださったんですけどね」

 そりゃあ、随分と悲しいことだ。

「里沙ちゃんのご遺体はどうなされたんですか?」

「お父さんが、自殺はあまりにも不名誉すぎる、って言って、葬儀もせずに直葬してしまったのよ。まぁでも、みんなからの言葉を聞いても余計に悲しくなっちゃうし、みんなの心も暗くなっちゃうから、結果的にはそれでよかったのかな、って」

 遺骨はしっかり手元に戻ってきたし、とお母さんはにこやかに言っていたが、その笑顔の裏にある悲しみを考えれば、僕等がにこやかになれるはずもなかった。

「遺骨はお墓の方に?」

「はい。しっかり鍵をかけて」

 思えば――。死者とうり二つの姿を保つにはどうするのか、というのをしっかり考えていなかったフシがあった。

 ある人間が、その遺体に意志を宿して行動させる――という事も考えたが、お母さんの話を聞く限りではその話はナンセンスだという事が分かる。骨しか残っていないなら、その人間を再現するのは不可能であろう。

 ――と、なると。その人間は死者の姿を真似ているという真相にしか行き着かないわけだが。

「お母さん。里沙さん、誰か知らない人と連絡を取っていたりしませんでしたか?」

「さぁ……、中学に入ってからはあの子もあんまり親を部屋に入れたがらなくなってしまったから。……でも、時々切手が無くなってたりしたから、ひょっとしたら誰かと文通とかをしていたかもしれないわ」

 僕は立ち上がる。

「お母さん、里沙さんの部屋、いいですか? その手紙の相手が、ひょっとしたら今回の事件の重要な手がかりになるかも知れないので――」



第三章



 放課後の、誰も居ない教室。

 そこに立つ、一つの影。

「――先輩なら、来ないよ」

「!?」

 影がこちらを見た。僕はとっさに電気のスイッチを押す。

死配者(ネクロマンサー)侘寂伊織(たじゃくいおり)。君の事についてはもう調べてある」

 そこに映し出されたのは、佐薙佐奈美ではなく、帽子にシャツ、ジーンズを着た『誰か』だった。

「随分と、早かったな」

「死者を出さない、ってのがポリシーなんでね。残念だけど、復讐は諦めて貰おうか」

 こいつの言っていた、意志とは。生前の川津里沙を虐めていたという、先輩を殺害すること。

 背後から現れた、水崎阿乃(野々上咲)が、不敵な笑みを浮かべて侘寂伊織を詰る。

「そうね。人を殺すことが少女の意志たり得るなんて、最近の中学生を馬鹿にしすぎよ」

 死配者の能力は、こうだ。

 既に死んでいる人間が、術行使者と面識がある場合、その姿に成り変わることが出来る、というもの。

「川津里沙の家の机の引き出しの奥底に、君との文通記録が残っていたよ。その時、こっそり写真でも交換したんだろう?」

 伊織は返事もしない。

「あと、これも付け加えておかなきゃいけない事だから言っておくけど――。君って女の子だよね?」

「だから何だ? あんたもそうやって僕の事を馬鹿にするのか?」

「いや? 男より恐ろしい女はこの世に山ほど居るからね。君のような存在一人じゃちっとも驚かないし、何の感慨も沸かないね」

「そりゃ珍しい事だな。で、どうすんだよ? このまま私を殺すかい、偽物?」

「まさか。あんたはこのまま逃げるしかないんだよ」

「そうだな。そして、二度と川津里沙の姿になるな」

 僕がそう言うと、背後の神楽が心配そうな声を出す。

「夜木君、それに咲ちゃんも! 本当にいいの、それで?」

「こいつが何かしたってワケじゃない。死者の幽霊が彷徨ってるってだけで、もうその先輩は学校に来られない状態になってるらしいからな。一応、お前の目的は半分ぐらい達成されてたってワケだ」

「半分? 足りないな。それが川津里沙の意志なはずがない! 自分を虐めて死に追いやった奴が、半殺し程度で足りるはずがない!」

 その瞬間、頭上の電球がちらついた。

「いい加減にしろよ、クズ野郎」

 野々上咲が静かにそう言い放つと、ちらつきの感覚が段々と狭まり、まるで切れかけの電球のように明滅を繰り返し始める。

「年端もいかない小娘が、周りの人間への復讐だと? 川津里沙はそんなこと望んじゃいない、特に仲睦まじげに文通を繰り返してたはずのお前にはな。死者の名と姿を騙って人殺し? ――ふざけるな! お前のそのくだらない望みが叶ってしまったら最後、川津里沙は死んでも尚咎められなければいけない存在になるんだぞ!」

 僕は、野々上咲が本気で怒ったのを、初めて見た。

 人には普通見えるはずのない、オーラのようなそれを自分の周りからじわじわと発散させている姿は、正直なところ眼前の死配者よりも恐ろしいとさえ思えた。

「死人に口はない」

 私の心が――水崎阿乃の心が叫ぶ、と前置きして、彼女は言い放った。

「名誉はある! そして、お前がそれに泥をつける資格は無い!」

 そこまで言うと、侘寂伊織はフッと笑った。

「そうかい、そうかい。分かったよ、諦めるよ。どうやら君らには、強力な後ろ盾も居るみたいだしねェ」

 彼女は窓枠に足を掛けると、そこから飛び降りようとする。

「死者の意志なんて誰も知り得ない。人の心が分からないのと同じようにね。――だから、君と僕は似ている」

 彼女は僕を指さしながらそう言った。

「一緒にするな」

「そうかな? 僕は見えないから見えないなりに行動する。君は、周りからは見えないから、見えないなりに行動させる。主か被かの違いでしかないね」

 そう言うと、彼女は二階の窓から一気に飛び降りた。僕らが近づいて下を見るも、そこには既に誰も居なかった。

 その様子を見、僕は一人つぶやく。

「主か被かじゃ、全然違うじゃねぇかよ」



エピローグ



 佐薙佐奈美は、転校した。ただし、何処に転校したかは明らかにされぬまま。

 そして同時に、謎の男の幽霊というのも居なくなったという。

 僕等は荷物を持って、水崎家の玄関口に立っていた。

「本当にありがとう、二人とも。阿乃もすっかり元気になったわ」

 側に立っている阿乃ちゃんが、すっかり破顔していた。

「ちょっとフラフラするけど、もう大丈夫。咲ちゃんと、今度はちゃんとお話したいな……。咲ちゃんは?」

 僕は、トランクを指さして頭を下げた。

「なんか全力出しちゃったらしくて、就寝中」

「そっかー……残念」

 阿乃ちゃんがしゅんとした途端、彼女の胸ポケットに入っていた携帯電話が振動した。

 慌てて彼女がメールを開くと、しゅんとしていた顔が先ほどの笑顔以上に花開いた。それを見た代美も、ニコニコし出した。

「意外と優しいのね、野々上さんって」

 その文面には送り主野々上咲からの『じゃあ、電話かメールしましょう』という文字が躍っていた。

「すっかりキャラが崩れたなー……こいつも」

「こら、そういう事言わないの。成長してるのよ、咲ちゃんも」

 神楽がそんな事を言った瞬間、僕の携帯電話も振動した。

「……これ、絵的にどうなの?」

 僕が文面を神楽に見せると、彼女はふふんと意地の悪い笑みを浮かべた。

「行ってあげなさいよ。職質受けても、弁護はしてあげないけど」

「ちょっと待てよ、そこは君みたいなのが居ないと絶対マズイって!」

 僕がそう言うと、何故か彼女は顔を赤らめながら、勝手に駅の方へ歩き始めた。

「それじゃ、カップルじゃなくて親子みたいじゃない」

『帰ったら紅茶奢れ』というメールを閉じて、僕は慌てて彼女の背中を追う。

 秋の冷たい風が、彼女の火照る頬を冷ましてくれる事を祈る限りである。

ep3の消失(書いてないだけ)

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