表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第二章
8/58

8,故郷での再会

 太陽国には中心都と呼ばれる広い街がある。その名の通りこの国の中心に位置しており、国王の住む城郭・太陽城が建てられ、中流階級の者から上級階級の者達だけが住む事を許されている街衢である。


 その中心都から北に数里行くと北側海岸が在り、下流階級の者達の出稼ぎ渡航に多く利用される。鈴音は馬を借りて、北側海岸から村を五つばかり抜けた所にある、懐かしの故郷赤坂村へと向かった。


 赤坂村ーー鈴音が住んでいた当時は、少々有名な土地柄であった。人口数十人の小さな農村だが、昔ながらの伝統や伝説などを非常に大切にしていて、ある有名な学者さん曰く〈歴史の宝庫〉である。とは言っても当時の幼い鈴音は歴史になど全く興味が無く、近所のお爺さんが子供を集めて勉強会を開いていた時も、友達と関係の無い話をして戯れていた。


 なので鈴音が赤坂村について知っている事・覚えている事と言ったら、傾斜に建てられた古い家々と大きな田園、澄んだ美しい川や近所の高い山に登って見た赤坂村全体の風景などである。つまりは、目で見た景色ぐらいのものだった。家族や友達と遊んだ時の記憶は勿論鮮明に覚えているが、空しくなるのであまり思い出したくない。


 そもそも何故鈴音が故郷に戻ろうと考えたのか、それは覚悟する為であった。自分の家族が村にいない事ぐらいはリアンに話した通り分かっているし、生け贄になった筈の自分、つまりはとっくの昔に死んでいる筈の自分が、実は生きていると確認されるのも不味い。覚悟するとは……自分には帰る場所が無いのだと実感することだ。


 鈴音は馬を走らせる。走らせている間に、馬と会話が出来ない事に気が付いた。始めの間は(この子は恥ずかしがり屋さんだろうな)とか、(わたしと会話出来る事に気が付いていないのかな?)などと考えていたのだが、何度馬に呼びかけても返事をしない。漸く言葉を返したと思ったら、


「ひひーん」


である。どうやら鈴音の持つ才は、〈鬼動物と会話出来る〉であり、〈全ての言語を理解できる〉ではないらしい。今まで試す術がなかったので分からなかった。自分でも不思議な力だとは思うが、鈴音にはこの能力が発生した原因の見当はついていた。しかし、確信ではない。


 何はともあれ、彼女は慣れない手綱で数時間、馬に揺られて行かなくてはならなくなったのである。




 赤坂村に辿り着いた頃には、鈴音の体はガチガチになっていた。馬から下りるだけでも苦労したし、気を張りすぎたせいか腰が固まっていて強く痛んだ。歩き方も死人のようにフラフラで、もしその場に人がいたら、鈴音は不審人物の烙印を押されていた事だろう。しかし、懐かしの赤坂村には人の気配が全く無く、昼だというのに薄い霧が立ち込めていて、幽霊でもいるのではないかと錯覚させる有り様だった。


 鈴音は馬を馬小屋に置いて(その小屋も蜘蛛の巣だらけで不潔だった。鈴音は一応水だけでも清潔な物を川から汲んできてやった)、妙な歩き方で村を徘徊した。彼女は初め、道を間違えて廃村に来てしまったのだろうかと考えていた。しかし、見覚えのある傾斜に建てられた家々、澄んだ川や雑草によって支配されたかつての田園地帯、あの赤坂村に間違いない。この十年の間に、伝統や伝説を何百年も守り続けた鈴音の故郷は、廃村になっていた。


 鈴音は思わぬ形で帰る場所が無い事を確認した。死んだ村で死んだ筈の自分が歩いているという光景は、傍から見るとさぞ不気味な光景だろう。鈴音は何とも言い表せない気持ちを胸に、かつて自分の家だった建物へと小走りで足を進める。聞こえてくる音は、川のせせらぎと馬小屋においた馬が偶に鳴く声ぐらいであった。


 自分の家とその周辺は昔と大して変わっていなかった。ただ、蜘蛛の巣が張り巡らされたり、白蟻にやられたのか所々ボロボロであったりと、時を感じさせる姿ではあったが。


「誰も……いないよね……」


 鈴音は一応声を掛けてから、かつては自分の家であった建物の、ボロボロになった戸を二度叩いてみた。当たり前だが鬼人の建物よりも小さく造られていて、鈴音は自分の身長にあっているというのに、その大きさについ違和感を覚えてしまう。


 家は思っていた通りもぬけの殻で、昼間だというのに薄暗くて不気味だった。家の中にまで蜘蛛の巣が張ってあったり、御器噛がうようよしていたりと、中々に酷い状態である。部屋の間取りは全く変わっていないが、家の空気は十年前とはまるで違い、冷え切っていた。


 鈴音は何年も掃除されていない埃だらけの汚い床に土足で上がり込むと、廃虚とかした家の隅々まで見渡して、溜め息を付いた。


 村人が誰も残っていない理由には既に見当がついている。鈴音の家族は、娘を捧げて得た地位や金を、赤坂村の人間全員に振りまいたのだろう。世話になっている人達だし、それは常識的で立派な事なのかもしれない。しかし、なんともやり切れない思いである。鈴音は自分を犠牲にして家族が手に入れたもので、皆が幸せになっているという現実を喜ぶ気にはなれなかった。かと言って彼等が当たり前に持っている、幸せになりたいという願いを忌む事も憚られたのである。


「でも、どうしようもないもの……」


 鈴音は淋しい廃墟の中で独り言を呟いた。考えて出した言葉ではなく何時の間にか口に出ていた言葉だった。なので、何がどうしようもないのか自分でもよく理解していない。


「何がどうしようもないのかね?」


 不意に背後から低い声が聞こえた。鈴音は人が居る筈はないと決め付けていたので驚いて振り返ると、そこには歳が七十程の、白髪を後ろで一つに束ねている、一風変わった姿の老人が玄関に立っていた。


「物盗りだったのならば運が悪かったの。残念な事に、この村は十年程前に死んでしまったのじゃ。何処の家にも、もう一銭すら残ってはおらんよ」


 老人はどうやら鈴音の事を泥棒だと思っているらしい。まぁ、土足で人の家に勝手に上がりこんでいるのでそう思われても仕方が無いだろう。鈴音が何と誤魔化そうかおどおどと考えている間に、玄関に立っている老人が、昔よく世話をしてくれていた爺様にそっくりだと気付いた。いや……そっくりな訳ではない。本人だと思い至った瞬間、勝手に口が動いていた。


「一太郎おじいちゃん……?」


 鈴音はハッとして急いで自分の口元に手を当てた。一太郎という名の老人はすっとぼけた表情をして、「何でわしの名前を知っておるのじゃ」と驚いた口調で言った。


(ああ……しまった。なんてわたしは馬鹿なのだろう……)


 後悔しても遅かった。一太郎はどこかであったことがあるだろうかと自分の記憶を辿っている様で、自分の顎に手を当てて考え込んでいる。鈴音は自分の体から冷たい汗が出てくるのを感じた。生け贄にされた自分が生きている……これが国に広まれば、鬼人と手を取り合おうなど言う間もなく捕らえられて、サクッと死罪にされるだろう。


 一太郎が「うーむ」と唸ると、鈴音はビクッとして体をすくめた。そして結局、一太郎は思い出せなかった……というよりは気が付かなかったようで、鈴音に向かって尋ねた。


「会ったことがあるかね? すまぬがわしは思い出せぬ」


 鈴音は安堵の息をつき、正体がばれなかった事でこれから先に対して少々自身を持った。そして物盗りと勘違いされたままでは悪いと思って、正体に気付かれないようわざと訛りを強くして言った。


「おじいさん、わたしは旅の者です。今までに会ったことはない筈です。それに、わたしは盗人なんかじゃありません。今晩泊まれる場所が無いか、探していただけなのです」


 一太郎は「ほう、お主の様な若い娘が」と感心した様に言った。鈴音は誤解が解けた事を喜ばしく思い、また一太郎に会えた事で嬉しくなった。しかし喜びの言葉は口にせず、心の中で静かに呟いた。


(おじいちゃん……また会えて良かった。でも、ごめんなさい……)


 鈴音は、この村から去らなければと家を出る為に玄関へ戻った。一太郎はずっとその場に突っ立ているが、鈴音はそもそも彼は何故この村に残っているのだろうかと不思議に思った。それに彼は、何故今は廃墟となった、彼に言わせれば一銭も落ちていないようなわたしの家に来たのだろう……? そんな事を考えているうちに、一太郎は愛想のいい笑顔で鈴音に呼びかけた。


「勘違いした侘びじゃ。今日はわしの家に泊まるかの? ここから直ぐじゃし、今日は元々客が来る予定だったのでな、客人が来ても恥ずかしくない程度には片付けてある。ふむ、そうしよう、それがいい」


 鈴音は足を止めて、一太郎を見た。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ