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怨恨の崇拝者  作者: 中野南北
第二章
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7,帆船の二日

 太陽が姿を現してから既に数時間が経つ。雄大な海は波も作らず静かに落ち着いており、天高くから届く太陽の光を反射させて、辺り一面を美しく輝かせていた。


 そんな海の中へと、一隻の帆船が小さな島から旅立つ。船は長く使われているのか所々ボロボロで、数十人が乗り合わせられる中型の木造船である。船は帆を高く掲げ、強く吹き付けてくる潮風を受けて、止まることなく南へ南へと進んで行く。小さな島からは、直ぐにその姿が見えなくなった。




「いやぁ、オイラはやっと美人な奥さんの所に帰れるよ。」


 船に乗っている三十歳代くらいの男達が集団で話しをしている。身なりを気にしない質なのか、無精髭は生やしっぱなし、全員着物は安っぽい使い古された品々で、継ぎ接ぎだらけである。彼等は下流階級の出稼ぎ人達らしい。


「お前の嫁は物の怪だろ。鬼だって食いやしねぇ」


 酒を一升瓶で飲んでいる男が言った。三人の煙草を吸っている男達が、下品な笑い声を上げて、その言葉に同意する。


「おおい。そこの兄ちゃんも話そうぜ」


 男の内一人が、麦わら帽子を被り、薄い赤色の着物を纏って遠くを眺めている少女に言った。少女が振り返ると、男たちは驚いて意外そうに声を上げる。


「娘さんじゃねぇか。これは悪い。女が乗ってるなんて思わなかったもんで」


「娘さん、これからどこへ行くんだい? オイラ達の話し相手になってくれよ」 


 男達は次々に声を上げるが、少女は妙に慌てて中々口を開けようとしない。


「どうしたんだい? 一応言っとくが、俺たちには嫁も子供もいる。変な事はしやしないよ」


 煙草を吸っていた男達の一人が、頑固そうな顔のわりに優しい口調で言った。彼女はちょっと躊躇ってから頷いて、男達の集団にぎこちなく入る。少女は酒の強い匂いに少し顔をしかめた。


「自己紹介してくれよ、娘さん」


 煙草を吸っている男が言った。少女は訛りのあるか細い声で答える。酷く緊張している様子が、声の震えから伝わった。


「す……鈴音と申します。が……外国から来た……旅の者です」


 男たちが「へ〜」と感嘆の声を上げた。若い娘が一人で旅をしている事に、感心しているらしい。


 鈴音は、自分が話している人間の言葉に間違いがなかったか、気になって仕方なかった。


「何して旅しているんだ? ……衣は見た事ないような生地だな……」


「衣は鬼蚕の……いえ、祖国の物です。わ……わたしは一応、薬調合師をしています」


 男たちは再び感心した声を上げる。薬調合には当たり前だが多くの知識が必要だ。例えば薬の材料になる植物やその調合法、また各々の症状にぴったりと効く薬の種類に関してなど……。目の前にいる娘がそんな知識を身に付けている事に感心しているらしい。ただ、薬調合と言っても鬼人専門だが……。


「薬調合師か……じゃあ先生とは話しが合うかもな。お〜い、先生や」


 男の一人が遠くの方で寝ていた、長身で細身の青年を呼んだ。先生と呼ばれた青年は、外国の医者が着るような白衣を身に付けている。眼鏡を掛けていて、いかにも博学そうだ。鈴音は急いで、「初めまして」と頭を下げた。すると、青年は爽やかな笑顔で言葉を返してくれた。


「初めまして……」


 しかし、青年はそこで言葉を止めた。鈴音が困惑して辺りをキョロキョロと見渡していると、青年は呆れた様子で溜め息混じりに続けた。


「……全く、貴男達は朝からお酒なんか飲んで……医者の言う事は聞いて欲しいね」 


 医者の青年は厳しい声で告げた。男たちは申し訳なさそうに、酒を置いて煙草を捨てた。


「許してくだせぇ先生。それより、聞いてくださいよ。この子、薬調合師らしいですよ」


 青年は男達と同じように感心の声を上げて鈴音を見た。鈴音は緊張して固まっていたが、自己紹介をしなければ失礼だと思い至り、上ずった声で切り出した。


「す……鈴音と申します」


 鈴音のぎこちない言葉に、青年は微笑んで言った。


「訛りがあるね。外国の子かな? それでも黒髪に黒い瞳……両親は太陽国の人みたいだね……」


「生まれは太陽国ですが、育ちは別の国です。久しぶりに、生まれた土地に帰ろうと思いまして……」


 不思議な事に、この医者の青年はずっと鈴音を見付めている。あまりに見られ続けるので、鈴音は少し恥ずかしさを覚えて尋ねた。


「あの……どうか、なされましたか?」


 青年はハッとして、ずれた眼鏡を調えながら、妙に焦って言った。


「いや、悪いね。何でもないよ。どこかで会った事があるように思ってね、きっと気のせいさ。僕は医者の椎名文瀬だ。宜しく」


 二人は握手をした。最も、鈴音は握手という行為の意味をよく知らないのだが。




 船は時に酷く揺れながら、目的地である太陽国へと向かって行く。鈴音は二日間という短い時間の間に、同じ船に乗る皆と親密な仲になった。同性も同年代の人もいなかったが、皆見聞が広かったし、鈴音は彼等と話すうちに、人間について少しずつ思い出していった。


「鈴音さんは、十年近くぶりに太陽国に入るんだよね」


 椎名が茶を飲みながら、太陽国まで残り数時間となった地点で鈴音に尋ねた。


「はい……。どれくらい、変わったのかなぁ……」 


 隣で酒を飲んでいた男がそれを聞いて、酷く酔っ払った口調で話しに入った。どうにもこの人達は酒や煙草がなければ駄目な質らしい。


「それはもう大分変わったように感じるだろうぜ。俺達は一ヶ月に一回、交易島の仕事場から帰ってくるんだけどよ、それだけでも随分と周りが変わったように感じるからな」


 それを聞いて鈴音は初めて、船を乗り換える為に寄ったあの島の名前が交易島だと知った。鈴音は自分の頭の中にある想像上の地図に、新ためて知った島の名前を刻もうと、交易島・交易島と頭の中で何回も繰り返した。その内に椎名が続ける。


「帰ったら、鈴音さんは何をするの?」


 鈴音は記憶する作業を中断して、言葉を返した。


「まず、昔住んでいた村に行ってみようと思っています」


 話を聞いていたらしい釣りをしていた男達が「それはいい」と口々に言った。


「祭りもあるぜ、今週にな。俺たちはその為に帰ってきたみたいなもんだ」


 顔を真っ赤にした男が、勢いよく酒を飲みながら愉快そうに話す。


「椎名さんは、何しに行くんですか?」


 鈴音は椎名の様子が気になって尋ねた。椎名は「あれ、言ってなかったけ?」ととぼけた様に話してから、男達から無理やり勧められたお酒を少し飲んで答えた。


「交易島の診療所で、薬が足りなくなってね。太陽国にしか売っていない薬だから、二日掛けて買いに来たのさ。頭痛に効く苦い薬」


「頭痛ですか……光沢草とか、清水香りの実とか使われていそうですね」


「そうそう、他には痛氷の実とか……。正直薬の事は、詳しく知らないんだけど……」


 鈴音は痛氷の実と言う植物の実を知らなかった。人間と鬼人では呼び名が違う物も多々あるのだろう。これから先、人間の世界で生きていく為には、まだまだ学ばなければいけない事が多そうだ。人間の常識が鬼人の常識と食い違う事もあるらしく、この二日で鈴音が男達や椎名に不可思議な顔をされた回数は五十回にも届く勢いだった。




「島が見えたぞー!」


 男の声が響いた早朝。帆船は二日間の旅を終え、世界でも有数の巨大な島国に辿り着いた。鈴音は十年ぶりに、自分の生まれた国に帰ってきた事になる。鈴音は海岸をこれでもかと眺めた。そこには幾つもの船が止まっている。帆船や漁船、観光の為に造られた物なのか、とても豪華な客船も海岸に錨を下ろしていた。


鈴音は、たくさんの人間達が生活をしているであろうこの風景に心を震わした。全くそれは当たり前の事なのだけれど、人がごく普通に生活をしている事が、鈴音は嬉しかったのだ。


「いやはや、これでお別れだね」


 椎名が残念そうに呟いた。鈴音は荷物を手に持って、今までの時間を惜しみながら、椎名にだけでなく乗組員全員に向かって言った。


「また、会えますか?」 


 男達はその言葉を聞いて、照れたり笑ったりした後、口々に鈴音に向かって激励の言葉を掛けた。最後に、椎名が鈴音の倍はあろうかという荷物を必死に持ち上げて、必死な表情を無理に笑顔にしてこう言った。


「また会えるさ。そう遠くないうちにね」


 船が港に着くと、船に乗っていた皆は、笑顔で太陽国に足を踏み入れた。鈴音は、二日ぶりの揺れない地面に少し違和感を感じたが、直ぐに慣れて懐かしの大陸を歩きだした。


 鈴音は生まれ故郷、赤坂村へと足を向ける。



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