51,必然の邂逅
鬼人と人間の紡がれた絆。その歴史は太陽国から始まった。
居住区の制限、言葉の壁、種族間の葛藤、文化の違い。立ちはだかる難関は余りにも多く、越えなければならない障害は遥か高みにある。だというのに、太陽国は、国民は、それ等を簡単に乗り越えた。
大きな役割を果たしたのは国家自体である。国王は大変に鬼の文化を気に入り、あらゆる手段を講じて民にその文化の素晴らしさを伝えた。簡単な踊りや音楽で親しみを伝え、医術や薬学の優秀さを訴えかける。それ等の文化には自然の力が不可欠である為、太陽国は国家森林計画を打ち出した。
鬼人はその様子を驚きながらも好意的に眺めている。殺人を犯してでも認めさせようとしていた自らの文化が、こうも簡単に受け入れられる。きっと複雑な思いをしているのだろう。全国各地で暴動を起こしていた人喰らいは完全に活動を止め、神住み島に残った鬼人達とこれからの行方を検討しているらしい。
鬼の種族は廃村に住む者もいれば、人々が居住している場所に希望を見出だして住む者もいた。国王があれだけ溺愛している種族なのだから、零とは言えないまでもそれを拒む者も少ないだろう。
問題を全て解決した訳ではない。しかし繋がった希望は、少しずつ確かなものとなっていった。
春風が温かく、陽気な植物が力強く咲いている卯月の終わり、鈴音は月影高等学舎に勤め、図書館教員としての生活を取り戻していた。
再びこの学舎に戻った初日、生徒や教師から大歓迎を受けた。考えてみれば、鈴音は何も告げずに皆の前から突然去り、次に姿を現した時は、包帯だらけの格好で国家演説を行っていたのだ。しかし鈴音が演説で話した内容については誰も触れないでくれた。彼女はそんな皆の優しさについ涙を流したのだが、昇太と仁がはしゃいで鳴らした爆竹によって、生徒達からは別の意味の涙に思われてしまった。
その学舎に今日、鈴音はリアンを招待した。リアンは赤坂村でグルルやカイナの世話をしながら薬を調合しているのだが、鈴音としては無人の里にいるよりも、人間ともっと触れ合って欲しかったのだ。
リアンは昼時に馬に乗って学舎にやって来た。月影村には鬼人が一人も住んでいなかったので最初は誰もが戸惑ったが、鈴音が仲介者として立ち回った為か、直ぐに受け入れてくれた。それは学舎の教師も生徒も同じである。
『ああ、全く馬ってのは扱いにくいな』
リアンが自分の腰をトントンと叩きながら、鈴音を見下ろして言った。鈴音は『わたしも始めはそうだった』と懐かしそうに呟き、学舎の中を案内し始める。その途中で、彼女は何気なく尋ねた。
『ここでの生活はどう? グルルやカイナ達は元気? お薬は売れてる?』
リアンは一度に三つの事柄を問われて困っていたが、落ち着いて順に説明してくれる。
『生活は別に何て事はない。鬼猪はともかく、グルルは全く慣れねぇな。多分早く帰りたいんだろう。薬は妙に売れる。不気味なぐらいにな』
鈴音は『へぇ〜』と顔を輝かせて言った。リアンがこの土地に馴染んでいる様子を聞くと、心の底から気分が温かくなる。一方で、グルルに対しては申し訳ない気持ちで一杯だった。鬼熊を神住み島に運べる船が存在しないのだ。約束を守る……早く願いを果たそうと気合を入れた。
鈴音とリアンは学舎を一回りし終え、教師達のもとへ挨拶に向かった。教師は皆 鬼人であるリアンを温かく迎え、丁寧な応対をしてくれた。鈴音と特に親しい教師である茶子は、湯呑みを持ってお茶を注ぎながら、鈴音に向かって尋ねた。
「古瀬先生にはお世話になってます。生徒の人気者なんですよって伝えて」
「ええ〜恥ずかしいですよ。自画自賛みたいじゃないですか」
「本当の事だもの、ねぇ皆」
職員室にいる教師達は皆ウンウンと頷いた。鈴音は耐えられない程 恥ずかしくなり、リアンに無関係な話をふって会話の流れを無理矢理 変えた。
放課後、鈴音とリアンが図書館で会話していると、例の如く昇太、仁、成子、栄作がやってきた。進級して二年生になった彼等は、鈴音の目には成長して見える。無論、自分も同じ年なのだが。
「おお、鬼さん! 元気ですか?」
昇太が手を振り上げて挨拶をする。リアンは初対面にも関わらず親しげな態度の青年に困惑していた。しかし鈴音が簡単な紹介をすると、話に出て来た子かと納得した様子で「コンニチワ」と挨拶を返す。鈴音が仲介に入りながら四人は、特に栄作はリアンと楽しげに会話をした。
「リアンさんは好きな歴史上の鬼人はいますか?」
『エルクかな。あいつは鬼熊を素手で仕留めたって云うし』
「リアンさんは鬼動物の中では何が好きですか?」
『それは俺よりも鈴音に聞いた方がいいぞ』
「わたしは「好きな」なんて浮かばないよ。みんなにお世話になってるもの」
「さっきから栄作ばっか質問してる。私にもさせてよ」
栄作と成子は鬼人の存在自体に興味を持ち、鈴音やリアンに質問ばかりぶつけた。その間昇太や仁は四人の会話に横槍を入れて、度々成子に怒られた。
寮の門限が迫り、生徒は大急ぎで二人に別れを告げて帰路についた。リアンは『ふー』と溜め息をついた後ニヤリと笑み、『人間も中々面白いな』と呟いた。鈴音は本の片付けをしながらその言葉を聞き、満面の笑みを浮かべる。
リアンは二日間の滞在を終えた後、御者を雇って赤坂村に帰っていった。鈴音はグルルやカイナのお土産の食べ物と一太郎への手向けの花を渡し、その姿を見送った。
僅か二日の滞在ではあったが、鈴音はリアンが去った途端にみやさわが随分と広くなったように感じた。そんな寂しさを吹き飛ばす人物が突然、みやさわを訪れる。
それは鈴音が湯浴びをしようと寝巻をもって浴場に向かっている途中だった。元はお千代の部屋だった室に灯りがついている。鈴音は不思議に思いながらも警戒しつつ、部屋の襖を勢いよく開けた……そこには蝋燭の明かりで奇妙に影のついた笑みを浮かべている老婆が佇んででいのだ。
「ヒッヒッヒッ……随分と久し振りだねぇ、お嬢ちゃん」
「お千代さん! 戻っていらっしゃったのですね」
鈴音はホッとして笑顔でお千代の帰宅を歓迎すると、お千代は腹の底からよく響く絶叫のような笑い声を上げ、芝居のように腕をバサバサと動かして踊り出すと、鈴音の手をとって一緒に踊るように誘った。
「お、お千代さん……わたしは躍れないっ……!」
鈴音が苦笑いしながら断ると、お千代は鈴音を無理矢理抱き寄せて踊り始めた。鈴音はお千代に足を何度も踏まれながら操り人形のような気分を味わった。
激しい踊りが終わると、鈴音は両手をついて一生懸命に呼吸をした。何故突然お千代が踊り始めたのかなど疑問はたくさん浮かんだが、尋ねるだけの余裕がなかった。お千代は余裕綽々に悠々と廊下に出ると、苦しそうに息を荒げている鈴音に向かって言った。
「ヒッヒッヒッ……帰ってきた訳じゃあないんだ……今日は息子の誕生日なんでね。おめでとうを言いに来ただけさ」
鈴音はお千代の方を向いて、額に滲む汗を拭き取りながら、謝らなければという感情が湧いてきた。お千代さんは旦那さんと息子さんを人喰らいに殺されている。謝る意味などない事は分かり切っている。それでも耐えられずに言った。
「お、お千代さん。ごめんなさい……わたしの演説や行動……無責任と言われるかもしれません。でも、これがわたしの思いなんです」
お千代は再び絶叫のような笑い声を上げ、鈴音は驚いて身体がビクッとなった。お千代は笑みながら続ける。
「ヒッヒッヒッ……わてがこの旅館をお嬢ちゃんに預けたのは、お嬢ちゃんのその思いに惹かれたからさ……ヒッヒッヒッ、謝る必要なんてないよ」
次に鈴音が瞬きをした時、お千代の姿は影も形も消えていた。まるで夢のような、幻影のような人だと思った。
鈴音はお千代の言葉に救われていた。鬼に傷を付けられた人々の思い。それがずっと心に引っ掛かっていたのだ。新たな人生を歩み、死を悼み、それでも前に進んでいく。だから人は強いんだと、改めて感じた。




